ゆっくりいじめ系878 画面の中の餡GS(序)

 虐待お兄さんのO弐ィさんは、戦死を決意したらしい。
虐待に熱中するあまり、気がついたとき敵の大集団の真っ只中に入り込んでしまったというようなことは、
幻想郷史上例のないことであった。
 全く懼れはしなかった。
 ただ、この発見を里の鬼意閣下に報せなければならない、と思った。弾幕で狼煙を上げれば当然、敵はゆっくりガスを
撒き散らす一方、ドスパークでO弐ィさんそのものを周囲の自然もろとも吹き飛ばすに違いない。
 すでに眼下の山麓には饅頭が犇いている以上、脱出は不可能と見るしかない。
O弐ィさんはかつて面接の際に、大お兄さんから特技の如何があるかと問われ、ただ一言、
「餡を潰しやがて死ぬでしょう」
と呟いた。とすればこれは、寧ろ本懐この上ない状況である。O弐ィさんは自分が当に今、餡をつぶしやがて死ぬ運命であるところを
寧ろ祝福していた。真上の曇り空に向かって赤褐色の極太レーザー、濃符「マスタードソース」を打ち上げ、一目散に山を駆け下りた。
 このO弐ィさんの花火と全力疾走という行動に対し、ゆっくり達は対応し切れなかったようであった。ひとつは暁闇のなかでの出来事だったこと、
その移動速度を補うための連日の強行軍で疲れていたのかもしれなかった。もっとも、二筋のドスパークが追ってきたのを
O弐ィさんは覚えている。しかしチョン避けの要領であっさりと軌道から外れることができた。もっとも後に加工場に送られたゆっくりの証言では、
「そんなのし”らないよお”お”お”お”おお”お”お”お”ぉ”ぉ”ぉ!!!?」
といっており、この2発のドスパークは謎のままになっている。幻覚かもしれなかった。

 匿名の木っ葉天狗の記録簿によれば、ゆっくり達が山林を抜けたのは日が昇りきってからである。
しかし司令塔らしき底辺直径五mほどもあるぱちゅりーは木っ葉天狗に対し絶望的な(速度の)追跡をはじめる群れに、
追うなとも攻撃しろともいわなかった。
 このときぱちゅりーは、どうやら自分達は発見されたようだと思った。そして、
彼女のクリームは仲間の数のみを恃んだ盲目的な自信に厚く包み込まれており、そこまでしか思わなかった。
このときにあたって、ゆっくり達のとった処置で不可解な謎とされているのは、この大集団を構成する全てのドスが
一匹たりとも、ゆっくりガスを出さなかったことである。このガスを持ってすれば、妖怪としては比較的低級の木っ葉天狗の
勢いを或いは止められたかも知れなかった。事実、天狗という種族はその社会構造の成り立ち上、「ゆっくりする」という昏睡的行為に
対する憧憬、渇望が育ちやすく、つまるところの耐性は、このガスに限っていえば大天狗といえども人間とそうかわらないレベルでしかないのだ。
 この行動の意味を解きかね流石餡子脳だとあとあとまで馬鹿にしたが、中堅クラスの虐殺お兄さんだった 尾新居Ⅲ 氏が、後に
「これなども、饅頭の天命だったと思います」
と、語っている。お兄さん側でも、不可解だったのである。

 疾走するO弐ィさんが、先行するゆっくりの先頭集団に追いつき、あっという間に追い越し、里に向かっていた。
O弐ィさんはゆっくりを抜き去る束の間、この不快で不可解な憤慨すべき糞饅頭達の、乱雑かつふてぶてしい汚顔を一瞥した。
陽が僅かに昇り、大地の朝もやが晴れつつあった。その煙りの向こうで飛び跳ねる軽蔑すべき敵の姿は、
――にんげんのさとでゆっくりするぜ!まりさたちはこんなにおおきいしおおいんだからまけないんだぜ!
という思考とすら言えない餡子の欲望がそのまま一大軍容に変じ、寒村の越冬用の食糧を略奪してしまおうという
短絡的な自己過信に満ちていた。ゆっくり達ははねながら口々に村を襲った後のことをぎゃいぎゃい喚き、
 すでにその群れを遥か後方に置いてきているO弐ィさんは、集団のどのドスも
(通常種に輪をかけて)言葉遣いの汚いまりさであることを確認し終えていた。
「ドスは全てだぜまりさ」
と、彼は打弾(弾幕を一定の間隔で打ち上げ、その弾種と発射間隔で意思を疎通すること)した。
里の大お兄さん達はきっと喜ぶに違いないと思った。最大の要点と目された『ドスゆっくりとただの巨大ゆっくりの識別』
ということを、敵のほうから解決してくれているようなものであった。味方としてはともかく行動の卑劣な巨大まりさを
先に潰せばよいのである。無責任にゆっくりを愛する精神が無条件に愛を貪るゆっくりに対し、無秩序に注ぎ込まれた結果生まれた
「ドス種」は、その存在の確かさと引き換えに歪な能力を付与された、いわばゆっくりにおける人間の野放図な精神衛生維持の
反映結果とでもいうべきであった。


 幻想郷中が、この衝突の成り行きを見守っていた。たとえば、この皐月(5月)の壱拾級日(19日)付で
印刷された或る戌鷲天狗の新聞『天魔速報 毘風(てんまそくほう びっぷ)』には、来るべき兄ゆ戦争がいかに注目すべき
求聞史的事件になるかを論じている。
「来るべきこの陸戦は、その影響するところのものはかつてない大きさになるだろう」
と言い、
「この戦争の争点は、存在定着にある。新参者であるお兄さんの自己実現条件はかつての我等天狗と同じで、
 電脳掲示郷における虐待お兄さんの活躍の価値を決して小さく評価するわけではないが、兄ゆ戦争における
 作品発表はあくまで副位のたたかいである。ゆっくりという無秩序な存在に対する姿勢として、どの感情に起因するものであれ虐待が
 主導権を保持することによってのみお兄さんの存在意義が評価されるというものだからである。兄ゆ戦争におけるお兄さんの
 段階は、例えば天狗の設定が公開されてなおいまだ神主の手になるサブカルチャライズを経ていないものである。
 もし射命丸文にして書籍の文花帖に存在を発表できなかったとすれば、花映塚における天狗という種族は実効を発揮せず、
 また風神録における二匹目の登場も期待できなかったかもしれない。もしお兄さんがこの戦争でドスまりさに敗れるとすれば
 どうであろう。電脳郷における虐待という対策措置の躍進は、ついに名誉のみの空しいものになってしまうのである」
と、兄ゆ両者の形而下における比較を論じている。

 この論評は、この戦争を
「二、三、四次的存在が、互いに存亡を賭してたたかう決戦」と規定しており、副次的存在同士の決戦は、
意思の統一をみない不特定多数の創造主と、それにまともに対抗しうる権限をそなえた消費的閲覧者が出現して以来
おそらくは最初の例をひらくことになるとし、
したがって唯一の創造主の全能的絶対権力をもっておこなわれた過去の大粛清(たとえば紅魔郷へのシフト)と、
どういう点で原則が一致するかということが、実際に行われて見なければ分からないとし、だから予断は出来ない、としている。
 両軍の物質力が比較不能と見える以上、いささか乱暴に、ほぼ同じだと仮定すれば、あとはこれを運用するところの
両キャラクターの深さや知名度が勝敗を決する「かぎ」になるだろうと述べ、しかしそれらを数量化して比較できないため、
それについての論評は差し控えている。しかし、
「ゆっくりしていってねの設定量と知名度が、世間が想像している様に儚いものではないと考えた方がよい」
 といっているが、お兄さん側もこの点については決して軽んじていなかった。ただお兄さんの頼むところは、
電脳郷史上虐待という行為を扱う種族としては類を見ぬ創造者、消費者の勢いという物量的な面と、土台である
世界に対し摩擦、抵触がすくないことから、潜在反目者を顕在させる危険度が小さいであろうと、ほのかに思っていたに過ぎない。

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最終更新:2008年09月17日 22:22
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