二十日が過ぎた。二人は綿密な調査を進め、ほぼ完璧なデータを集め終えた。
この森の群れの数は大小合わせて五十四群で、総個体数は三千二百五十頭だった。
一つの群れは平均して十二家族、六十頭の個体からなっていた。
そこから、一家族辺りの縄張りが二百平方メートルという数字が導かれた。わずか十四メートル四方だ。
十四メートルといえば、ゆっくりの歩度でも五十歩かそこらだ。
五十歩四方の中で、居住するだけではなく、運動、捕食、水浴び、排泄などすべてをこなしており、明らかに過密状態だった。
「ここはれいむのゆっくりプレイスだよ! ゆっくりしないでむこうへいってね!」
「ゆぐぐぐ、いくところなんかないよ! まりさはここでゆっくりするからね!」
「ゆ゛ーっ! ゆ゛ーっ!」
「ゆっぐりいいぃ!」
そんなやり取りがたびたび聞かれた。外周網を周回したヤマベは、網に絡まって干からびた死体や、網のすぐ外で小枝に刺さっている死体を見つけた。
逃げようとして無理やり抜けようとした成体ゆっくりや、我慢できなくなって域外へ出て事故にあった赤ゆっくりのようだった。
三千二百五十頭のうち、成体ゆっくりは千三百六十頭。うち二十五パーセント、すなわち四百頭以上が妊娠していた。
冬になる前に食糧不足に至るのは明白だった。
主任とヤマベは写真入りの調査結果を地主と役所に持参し、最終的な処置の契約を結んだ。
その日、二人はいつもの軽トラではなく、マイクロバスで森にやってきた。バスにはアルバイトの学生二十人を乗せていた。
助手席のヤマベに、後席の学生たちの会話が聞こえてきた。
「いくら多いったって、相手はたかがゆっくりでしょう? こんなに人数いるんですかね」
「君、ブリーフィングのときに何を聞いてたんだ。今回は三千二百頭だっていうんだぞ」
「はあ……三千二百ねえ」
「実感ないって顔だな。いいか、普通のゆっくりは大体重さ六キロある。ペットボトル四本分ぐらいだ。
それが三千二百頭、半分は子供だとしても、一千頭以上いるんだぞ。重さは全部でどれぐらいだ?」
「……六千キロとか、一万キロになるんですかね」
「十トンだよ。自家用車十台分だよ。それだけの量の餡子やらクリームやらを前にしても、まだたかがゆっくりなんて言えるか?」
「いや、なんかわかってきたっす……」
経験者と、初心者なのだろう。ヤマベは椅子にもたれて目を閉じた。
森に到着すると、広めの場所を選んで仕込み用のネットとスコップを降ろし、『イベント』の準備を始めようとした。
すると主任が言った。
「ヤマベ、ヤマベ」
「はい、なんですか」
「おまえ、これ行ってこい」
そう言って手渡されたのは、いくつかの座標を書いたメモ用紙だった。ヤマベは驚いて目を見張った。
「私が行っていいんですか?」
「俺が行くわけにもいかない。おまえ一人で学生は仕切れないだろう。行け」
主任が背を向ける。ヤマベは頭を下げ、森のなかへ駆け出した。
だが、すぐに頭をかきながら戻ってきて、登山用の巨大なザックを担いでまた走っていった。
彼女が見えなくなると、主任は学生たちに声をかけた。
「よーし、集まって。作業の説明をするよ。
一班は柱設営だ。『ステージ』を囲むようにぐるりと柱を立てる。
二班はネット掛けね。柱の上に、『ステージ』を覆うネットをかける。このネットは縁のところ以外は絶対触らないで。
三班はデコイの穴掘り。そこらへんを掘って飴玉を埋めていって。
さっきうまいことを言ってた子がいたが、大体ペットボトル四本が入る感じで」
「三千頭分も掘るんですか!?」
「いやいや、デコイ、囮だからね。二十分の一ぐらいでいいよ。百五十箇所だ。
柱立てたら残りのみんなも参加するからね。
あー、長靴? 長靴はあとでいいです。ひとまずバスの横置いといて。
じゃあ僕が外周にライン引きしていきまーす。
大体あの辺までになると思うんで、チャキチャキ働いてください。では、はい」
「うーっす」「いっちょやるかー」
森の中に入ったヤマベは、メモにある座標へ向かった。地形はこの二十日で頭に叩き込んである。
目当ての場所には倒木に隠れた斜めの穴があり、中をのぞくと、薄暗い穴の中でごそごそ動く黒い帽子が見えた。
「ゆっくりしていってね!」
「ゆっ? ゆっくりしていってね!」
声を掛けると、ゆっくりまりさを初めとする一家が現れた。続いて、小さな赤まりさと赤ちぇん。
「あ……」とヤマベはつぶやく。
それは、以前会ったことのある、あの母ちぇんを亡くした一家だった。
「ゆ、ヤマベさんなんだぜ! キツネさんはゆっくりいなくなった?」
「ええ、どうかな」
「まりさはもうそろそろ旅に行きたいよ! おちびたちのごはんも減っちゃったよ!」
ゆーゆーと子供たちが母まりさに頬をすり合わせている。ヤマベは胸が痛くなった。
だが、これも仕事なのだ。――ギュッと歯をかみ締めると、ヤマベはザックを降ろして母まりさを抱き上げた。
「ゆゆっ? なにするんだぜ?」
「いいところへ連れてってあげるね」
「いいところ? ゆっくりできるならいってもいいぜ!」
得意げな顔をするまりさを、ヤマベはザックに入れた。まりさはまだよくわかっていない様子で言う。
「おちびのちぇんが一番さみしがりなんだぜ。ゆっくりいれてあげてね!」
ヤマベはザックの口を縛り、それを背負って立ち上がった。
足もとで小さな赤ゆっくりたちが、ゆーゆー、おかーしゃんまっちぇ、と飛んでいる。
その子たちに、ヤマベはひとことだけ言い捨てた。
「隠れてな」
「ゆっ……?」
子供たちが戸惑って立ち止まる。このままついて行こうか、お留守番しようかと迷っている風だ。
ゆゆっ? と背中からくぐもった声が聞こえた。ぼすんぼすん、と背当てのパッドが叩かれ、叫び声がした。
「ゆっくりまって! ゆっくりとまってね! おちびたちをわすれてるよ!」
「ごめん、まりさ」
ヤマベは硬い顔で言った。
その後三箇所を回って、計四匹のゆっくりでザックを一杯にすると、森の外周へ向かい、網をまたいでさらに百メートルほど離れた。
そして、あらかじめ準備してあったカンバス地のコンテナを地面の上に組み立てた。
風呂桶ほどの大きさになる、蓋付きの容器だ。複数のゆっくりを一時的に害獣から守ることができる。
そこにザックからドサドサと四頭を流し込んだ。
「ゆぶっ!」「ゆべえ!」
つぶれながら落下したゆっくりたちが、すぐに起き上がってゆうゆうと不安そうに周りを見る。
成体のまりさとれいむちぇんが一匹ずつと、やや小さくておとなしそうなアリスが一匹だ。
まりさがヤマベを見上げ、心配そうに叫んだ。
「ゆううう、まりさのおちびたちがいないよ! ゆっくりさがしてね! さびしがってるよ!」
「ごめん」
ヤマベはもう一度言って、ザックを片手にそこを離れた。ゆううう! ゆううう! と閉じ込められたゆっくりたちの悲鳴が追ってきた。
それから二時間ほど後、森の反対の端では、主任たちが準備を終えて『イベント』を始めていた。
「あまあま大会だよー」
「ゆっくりできるよー」
「ゆっくりしていってねー、ゆっくりしていってねー」
スーパーの売り子のように一本調子で叫びながら、間隔の広い横隊で森を進んでいく。
「あまあま」の声に反応して、次々にゆっくりたちが飛び出してきた。
「ゆうっ、あまあま!?」
「あまあまたべたいよ!」
「しゅにんさん、あまあまをくれるんだね! わかるよー!」
顔見知りのゆっくりを見かけると、主任が声を掛ける。
「ゆっくりだね、ちぇん。今日も元気かーい」
「ゆっくりしているよ!」
「あまあまをたくさんたくさん配るから、仲間みんなに声を掛けてねー。一人残らずだよ」
「わかったよー! ゆっくり、ゆっくりーっ!」
ちぇんを始めとする元気のある若いゆっくりたちが、我先にと駆けていく。
やがて森の奥から、赤や黒、緑や金色の色彩が、数え切れないほどぴょんぴょんと跳ねてきた。
無邪気な目をきらきらと輝やかせ、ハァハァと口を開けている。あまあま以前に、皆が食べ物に飢えていたのだ。
そんなゆっくりたちに向かって、人間はメガホンで叫ぶ。
「あまあま大会は森の入り口でおこないまーす」
「ご家族すべて連れてこないと参加できませーん。ゆっくりしていってね!」
「あまあまたいかい!?」
「ゆうううぅ、すごくゆっくりできそうな言葉だよぉ……」
「まりさ、おちびちゃんを乗せてね! れいむはおかあさんをひっぱってくるよ!」
さっさと走り出すもの、妄想が浮かんでその場でうっとりする者、一族郎党を引き連れてくるもの。
山のようなゆっくりたちが、ざわざわ、ごそごそ、もぞもぞ、ぴょんぴょんと湧き出して、流れる川のように森の入り口へ移動していく。
それと入れ違いに人間は森の奥まで進み、外周の網までたどり着くと、また叫びながら引き返し始めた。
「あまあま大会、まもなくはじまりまーす」
「一度きりだよー、来ないとなくなっちゃうよー」
「ほっぺのおちるあまあまだよー」
「ゆんぐぐぐ、やっぱりれいむもいくよー!」
「おかーしゃーん!」「おいちぇかないれー!」
跳ねる親、泣きながら追う子。
「むきゅぅぅ、ぱちぇはもうむりよ。ありすは先に行って……ぜぇぜぇ」
「ひとり占めなんてとかいはじゃないわ。おしてあげるからゆっくりがんばってね!」
助け合うカップルもいる。
置いていかれたものは、残らず抱き上げて聞き取りした。
「ゆっくりしていってね! もう周りにはゆっくりは残っていないかい?」
「みょーん、残ってないみょーん! みんないっちゃったみょーん!」
ざわざわと流れていったゆっくりたちは、やがて渋滞に入ってしまう。
森を囲む網が近づいて、一箇所しかない出口に殺到しているためだ。
「ゆっくりして、ゆっくりしてね!」
「おさないで、おさないでよ!」
「ゆぐぐぐぐ! でいぶつぶれるううう」
「ゆんやあああ! おかーしゃーん、おとーさーん!」
出口のところは駅の改札口のように何列かのゲートにされて、五人のアルバイトが両手の計数機をものすごい勢いでカシャカシャと連打している。
「ゆううう、やっとぬけたわあああ!」
「ゆっくりつぶれちゃったよ!」
「ゆっくり、ゆっくり!」「あまあま! あまあま!」
ゲートを抜けたゆっくりたちが、広い地面に出て勢いよくぴょんぴょんと跳ねていくが、じきに不思議そうに立ち止まる。
森から出たそこも、緑の網で囲まれた行き止まりの土地なのだ。ただし森ほどの広さはなくて、差し渡しは三十メートルほどだ。
そして頭上にも網が張ってある。こちらは外周の網とは違ってキラキラ光る細い網だ。
「ゆゆっ、あまあまがないよ?」
「おにーさん、はやくあまあまをもってきてね!」
「まりさはおなかがすいたよ! ぷくうううう!」
そんな風に膨れて威嚇するゆっくりたちも、後から後から流れ込んでくる仲間たちに押されて、どんどん奥へと運ばれていった。
「あまあま、あまあま!」
「ゆっくりたべるよーっ!」
森から流れ出し、広場に駆け込んでいく、紅白黒緑のざわざわした流れ。
横隊に加わっていた主任がそれを追い越して、爪先立ちでゆっくりを押したり蹴飛ばしたりしながら、一足先に戻ってきた。
「ほい、どいてね。はい、ごめんよ。おーいみんな、カウントどう?」
「僕は三百二十ですね」
「二百八十でーす」
「三百八十一」
「そこ、流れ悪いね。なんだあれ、あいつがふんぞり返ってガーガー言ってるからだ。誰かあのでいぶをステージに放りこんじゃって!」
「うぃーす」
「君君、足速そうだね。もうひとっ走り、外周回ってきてくれる? カウントは僕がやるから」
「えーっ、走るんですかあ?」
「あとで色つけとくからさ」
「わかりましたー」
アルバイトの一人が駆け出して行き、二十分ほどしてから横隊の連中と戻ってきた。
「主任さーん、パーフェクツです」
「穴とかちゃんと見た? テープで目印してあったでしょ?」
「見ましたー。ちゃんと声かけましたよ。残ってたのはアレしてきちゃったけど、いいですよね」
「いいけど、そんなに残ってた?」
「いえ、なんか年取ったれいむと、うつむいてブツブツ言うありすが一匹だけ」
「それはおちんちん取れちゃったやつだよ。ほっといても……」
「ギャー、セクハラ発言キター!」
「おい、真面目にやるよ?」
そうこうしているうちに横隊がカウボーイのように、最後尾のゆっくりを網のうちに追い込み、ゲートを閉じた。
いまや、三十メートル四方の広くもない広場が、ゆっくりでぎゅうぎゅう詰めになって足の踏み場もなくなった。
ゆっくり、ゆっくり、という期待の声と苛立ちの声、泣き声や悲鳴が重なり合って開場前の遊園地のように騒々しい。
カウンターと記録をつき合わせて、ほぼ誤差がないことを確かめてから、主任はハンドマイクを取った。
ガピッ! とハウリングの音をさせてから、盛大に叫び始める。
「えー、それではゆっくりのみなさん。お待たせしました。これよりあまあま大会を開始します」
「ゆっくりーーーー!!!」
「ルールの説明です。この会場には、たくさんのあまあまが地面の下に埋めてあります。
はい、そこのまりささん! あなた、そう帽子のつやのいいあなた。
ちょっとあなたの真下を掘ってもらえませんか」
「ゆゆっ? まりさが掘るのぜ? ざーくざーく……ゆゆゆう、飴さんをみつけたよ!」
「という具合です。みなさん張り切って地面を掘ってください。
なお、飴の数はみなさんよりきもち少なめにしてあるので、掘るのが遅れるとなくなってしまいます。
それでは用意、スタート!」
主任はそう言うと、陸上競技用のピストルをパァン! と鳴らした。
司会進行はメリハリもクソもないグダグダだが、道具の準備だけはいい男だった。
「ゆーっ!」
ゆっくりたちが一斉に足元を掘り始める。
最初は穴掘りの得意なまりさたちががんばっていたが、実際にあちこちから、
「ゆっくりー! あまあまみつけたよー!」
「ちゅぱちゅぱ、ちゅぱちゅぱ! おいしいよ、とってもゆっくりできるよ!」
と叫び声が上がると、もたもたしていたれいむもありすもぱちゅりーさえも、必死に掘るようになった。
ほとんどのゆっくりが穴堀りに熱中し始めたのを確かめると、主任はハイドマイクを置いて学生たちに合図した。
「おーい、配置配置。ちゃんと長靴はいた? いいか、焦っちゃだめだからな。焦るなよ!」
二十人の学生が、網で囲まれた穴掘りステージの周囲に陣取る。
三千数百のゆっくりが穴を掘りまくるフィールドでは、砂と土がザクザクと巻き上げられ、もうもうと砂煙が上がっている。
「穴、どう? おーい、そっちは穴どう!?」
「もうちょっとですかねー」
「全部入らなくてもいい、全体入らなくっていいよ! 土、土かけるから!」
「じゃあオッケーです!」
「オッケー? 一班オッケー?」
「オッケー!」
「二班もオッケーでーす!」
「よーし、いいかな? いいかな? じゃあいくぞー、それっ!」
全体と十分アイコンタクトしてから、主任は頭上の網を支える柱を引き倒した。二十人の学生がそれに続いた。
ふわり……と白く薄い網がゆっくりたちの頭上に落ちかかる。
間髪要れずに人間は網の周囲にペグを打ち、一匹たりとも逃さないように固定していく。
すると、穴に半ば埋まって土を放り出していたゆっくりたちが、遅まきながら気づいて顔を上げた。
「ゆゆっ?」
「なにかのってきたよ?」
「しろいふわふわさんだよ! きれいだね!」
「これはゆっくりできるもの? ぺーろぺーろ……ゆぎひゃあああああ!?」
絶叫が上がり始めた。網をなめようとした舌が、すっぱりと切断されたのだ。
「主任さん! これは一体……」
「“カスミアミ”だよ!」
主任が力強い声でそう言った。
カスミアミ――それは絹糸で作られた鳥猟用の網だ。
ほとんど目に見えないほど細いわりに、絹を使っているので強度が高い。
昔は日本の多くの山野で使われていたが、鳥類保護の観点から使用が禁止された。
主任たちの会社ではそれをゆっくり用に使用しているのだった。
鳥が絡まったら抜けられない、細い強靭な網がゆっくりに対して使われるとどうなるか――。
「ゆぎゃっ、ゆぎゃああああ!?」
「切れるううう、まりさのおぼうしが切れちゃううう!?」
「ゆぴゃああ、いちゃいっ、いちゃいよおぉぉ!」
「あびゅっぱ!」
「ひぱれ!?」
「てぷ」
スッ――れいむの額がめくれる。
スッスッ――まりさの頬が削がれる。
サクッ サクサクッ――親の頭にのっていた赤ゆっくりたちが、一文字や十文字に割れる。
バラバラ、ボトボトと地面に落ちる。皮が、あんこが、頭飾りが。たちまち悲鳴と糖臭が立ち込める。
饅頭肌を持つゆっくりにとって、「糸」は大敵だ。くくられたりひっかったりすると、それだけで肌が切れてしまう。
強靭な絹糸の網は、まるで空気そのものが刃物になったかのように、いともあっさりとゆっくりを切り裂いていった。
広場の外周では、アルバイトたちが浮き輪の空気抜きのように網ごとゆっくりを押しつぶしていく。
圧迫されたゆっくりが裂け、弾け、網の合間からトコロテンのようにヌリヌリとこぼれだす。
「ゆぎゃあああ、ぢにだくないい!」
「ゆっ、ゆゆっ? なんなの、どうしたの?」
「ゆっくり! ゆっくりおしえてね!」
それに引き換え、内側のゆっくりたちは何が起こっているのか理解できない。
ただ回り中から悲鳴が沸きあがるのを聞いて、混乱し、恐怖して、ゆっゆっと説明を求めるばかりだ。
「ゆっくりにげるよ、ぴょーん! ……ぷぱっ?」
「まりさもにげるよ! ずーりずーり……んぴっ! びゅあっ、びべばぁー!」
外へ逃げようとしたゆっくりは、ことごとく網にかかって切断される。
勢いのいいものは分割されたままヨウカンのように飛び、着地地点でバラリと解体される。
それほどでもないものは、顔面が割かれたところで痛みにのた打ち回り、後から来る仲間に押されてやはりトコロテンになる。
「だめだよぉー! おしちゃだめだよぉー!」
「ゆいいぃぃ! そとはあぶないよ! ゆっくりできないよ!」
「もどってね、ゆっくりもどってね!」
網が危険だと理解したゆっくりたちは、地下に飛び込む。
今まで自分たちが掘っていた穴に、だ。
飴が埋めてあったのはちょうどゆっくり一体分の深さ。つまりその掘り跡は都合のいい隠れ場になるわけだ。
ゆっくりたちは先を争って穴に逃げ込む。
すぽっ
すぽっ
ころころ、ずぽんっ!
「ゆっくりかくれるよ!」
「ゆゆーん、ここはれいむにぴったりだよ! れいむのゆっくりプレイスにするね!」
「おちびちゃん、おいでね! おかあさんのおくちにゆっくり入ってね!」
「ゆー、ゆー!」「ゆっくちはいりゅね!」「こーろこーろ!」
穴という穴にゆっくりが入り、下を向いたり横を向いたり上を向いたりした状態で、得意げに叫ぶ。
中にはその場でゆっくりプレイス宣言するものもいるが、そんなのんきなことが許される状況ではない。
「どいてね、おねがいだからゆっくりどいてね!」
「ゆあああ、すぱすぱがくるよお! はやくでてね!」
穴の主に向かって懇願するれいむや、背後をちらちら見ながら泣き喚くまりさがいる。
「れいむのおちびちゃんを助けてあげてね! どいてね!」
「どけっていってるでじょおお゛お゛お゛゛お゛!」
「がーぶがーぶするよ! がぶ! ゆうううう!」
「ゆびゃああああ、ひっばらないでぇぇぇ!」
「だめだよ! おぢびぢゃんだちのだよ! ゆぐぅぅぅ!」
「ゆぎゃああああぁぁ、あばぁ!」
焦りのあまり、穴の主のもみ上げや髪の毛にかみついて、力ずくで引きずり出そうとするものもいる。
その途中で踏ん張りすぎてもみ上げが千切れてしまい、あんこがドバッと噴出したのが見えた。れいむは瀕死で穴の底に落ち、ひっぱっていたれいむは後ろへ吹っ飛んで網に切り裂かれる。
「れいむも入れてね! ゆっくりいれてね!」
「まりさもはいるのぜ! ずーりずーり」
「ちぇんもはいるよー! いれてよー! おねがいだよぉぉ!」
「ゆーっ、ゆめてねやめて、ここはもうはいらないよ! ゆっくりやめて! づぶれるよぉ゛ぉ!」
「あっあっあ゛っだめだぜっ、つぶっ、つぶれるっ、ああああんこ出るあんこ出るまりさでで出ちゃうっ、でちゃうでちゃううっ、ゆああああゆぶびびぅぅっぶば!」
「ぶべっびぁ!」「ばぴゅっふ!」
一つの穴に黒いのや赤いのや緑のが殺到し、ムリムリモリモリと尻を持ち上げて無理やり頭をねじ込んだ挙句、二、三頭が破裂してしまい、派手にあんこを吹き上げているところもある。
そんな狂乱穴埋まり地獄とでもいうべき、ゆっくりたちの阿鼻叫喚を、端から学生たちが網ごとズムズムと踏み潰していく。
「いち・にー、いち・にー」
「よっせ、よっせ」
「長靴ってこれかよー」
麦踏みにも似た光景だが、一歩ごとにブビュッ、ブビュッ、と餡が吹き上がるところが異なる。
主任が外周を回りながら言う。
「穴入ってるやつはできるだけその場で埋めてくださーい。網切れないように気をつけてー」
「はーい」「あいー」
ザッザッ、と餡交じりの土が浴びせられ、ゆっくりが埋められる。
「ゆばばばぁ、やめでよぉ! ゆっくりざぜでぇ!」
空を向いて泣きながら埋められるのもいれば、
「もぉやだああぁぁぁぁ! おうぢがえるぅぅぅぅ!」
「だじでよぉぉ! ぬけないよぉぉぉ!」
「おがあじゃぁーーーん! だずげでぇぇーーー!」
「おぢびぢゃああん! ごめんねぇぇぇ!」
下を向いたり、横を向いたり、大きいのの隙間に小さいのが挟まったりして、身動きできずに号泣しながら埋められていくものもいる。
主任は外周を回りながら地面に目を走らせている。時折、外の地面をぴょんぴょんっと跳ねていく小さな帽子や髪飾りがいる。
親が必死の思いで外へ投げ飛ばした、赤ゆっくりや子ゆっくりだ。涙をこらえて一歩でも遠くへと走っている。
主任はそういうゆっくりを目ざとくつまみあげ、ポイッと広場の真ん中へ放り戻す。
捕まった途端に赤ゆっくりたちは絶望に口を開け、「ゆんやあぁぁぁ!」「いやに゛ゃぁぁぁ!」と悲鳴を上げながら飛ばされていく。
せっかく逃げられたかもしれなかったのに、赤ゆっくりたちの望みはこの冷静な男に断たれてしまうのだ。
混乱しきった網の中では、母親といっしょに死ぬこともままならない。
ただ、「みゃみゃぁぁー!」「おちびぢゃあぁぁぁん!」と叫びあいながら、解体され、潰されていくしかないのだった。
「それっ、それっ! あれー、主任さん潰さないんですか?」
額に汗をかいて楽しそうに潰し歩いていた女子学生が、赤ゆを投げている主任に尋ねる。
「こうすれば同じだからね」
主任はむっつりと答えた。
包囲し始めから四十分ほどたつと、ゆっくりの狂乱もだいぶ静まってきた。広場の中心辺りで、言葉もなくモゾモゾ、ワサワサとうごめいている。
だがこれは落ち着いたのではなく、しゃべる余裕もないほど必死で闘争しているのだ。
外周からは、少しでも死を遅らせようとゆっくりたちが中央へ押し寄せる。
中央では、押し寄せる仲間たちの圧力に負けて、皮の弱い個体から破裂していく。
「ゆぶっ……!」 ズチャンッ
「ばびっ……!」 ドチュンッ
「みゃみゃ……」 プツンッ
それらの餡子やクリームが、ときおり間欠泉のように吹き上がる。
数は少ないがしゃべれるほど大きなのもいて、大声でわめいている。
「どぼじでごんな゛ごどずるの゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ!
でいぶばがわいいでいぶなんだよぉおおぉぉぉ!
ゆっぐりごごがらだぜぇぇ! ゆっぐりざぜろおぉぉおぉ!」
喚きながら大きな図体で暴れるものだから、まわりのゆっくりが巻き添えを食って潰されている。
「っせぇ黙っとけ!」
苛立った学生が穴掘りに使っていたスコップを掲げて、平らな面でバシンバシンとその大きなれいむを叩き始めた。
れいむは口汚く罵っていたが、途中から命乞いを始め、それも通じないとわかると狂ったように泣き喚いた。
それでもなかなか死なず、周りの学生が寄ってたかってパンチとキックを集中させ、頭全体に何十個もの陥没口をあけられて、ようやく死んだ。
皆が思っていた通り、そのれいむの面の皮は恐ろしく厚く、十センチほどもあった。
「あまあま大会」で六割以上のゆっくりが穴を掘っていたため、包囲網が内に近づくにつれ、外周にはゆっくりの埋まった土饅頭が増えていった。
中央部の数少ないまともなゆっくりが、網でキシキシ裂かれていきながら、泣き声で叫んでいた。
「にんげんさん、やめてね! やめてね!
れいむなんにもわるいことしてないよ!
おねがい、やめてね! ゆっくりしてね!
ゆっくりしてよー! いっしょにゆっくりしてー!」
このころになると、最初はハイだった学生たちもやつれた顔になっていて、哀願するれいむから次々と目を逸らした。
人間の顔と声をした生き物をこれほど殺していると、たとえゆっくりであっても消耗するのだ。
「いたいよー、たすけてよー!
ゆっくりしていってね!!!」
叫ぶれいむに、主任が大またに歩いていって、力いっぱい長靴で踏みつけた。
ザパッ! と絹網がれいむに深く食い込み、上下・左中右の六つに切り分けた。
その切り方が綺麗だったのかなんなのか、そのれいむは分割されても声を上げた。
「ゆっくりして……ってね」
そしてボロボロと開くように倒れた。
最終的に、中央部のゆっくりは自分たちの圧力でつぶれ、ドロドロした粘体の山と化した。高さ八十センチ、底の差し渡しが三メートルほどの低い山ができた。主任がそれを写真に撮って言った。
「この山一つで二トン半ぐらいかな。……じゃあ、あとはみんなで穴掘って、これ埋めたら終わり」
「二トン半て」
うんざりした顔の学生に、主任は声をかけた。
「残り七トン半は自分らで掘った穴に勝手に埋まってくれたんだ。楽したと思わなきゃ」
「そっスね」
すでに日は傾いていたが、皆は黙々と作業の締めくくりに移った。
携帯電話が鳴った。カンバスコンテナの横でぼーっと座っていたヤマベは、電話に出た。
「はい」
「済んだぞ。そっちは」
「NPです。みんな泣いてますけど」
「離してやれ」
ヤマベはコンテナの中に目を戻した。主任の指示通り、森中からランダムに集めた十頭のゆっくりたちが、不吉な将来を予感したのか、えぐえぐと泣きじゃくり、ゆっくりしようねと慰めあっていた。
いずれも色艶のいい、利発そうな成体ゆっくりたちだ。
ヤマベはコンテナに手をかけ、ごとんと倒した。ころころと出てきたゆっくりたちが、「ゆゆっ?」と辺りを見回した。
その中のまりさが怒った様子でヤマベに詰め寄った。
「ヤマベさん、ゆっくりあやまってね! まりさはこんなにおちびたちからはなれたのははじめてだよ!
ゆっくりおちびのところへつれていってね!」
物悲しい目でまりさを見ていたヤマベは、立ち上がった。コンテナを畳んでザックにいれ、歩き出す。
「ゆゆぅ!? むししないでね! ゆっくりはなしをしてね!」
後ろからまりさがピョンピョンとついてきた。ヤマベは黙々と歩き、例の森の外周の網までたどり着くと、それをクルクルと巻き取り始めた。
「行きなよ。こっからさき、あんたたちの森だから」
「ゆっ? くんくん……そういえばこのにおいは知ってるよ! ここはまりさのもりだよ!」
「そうだね」
「これならおちびのところへいけるよ! ゆっくりいそぐよ!」
まりさはヤマベが開けた網の隙間から森へ入っていこうとしたが、ふと不安そうに振り向いた。
「きつねさんは、もういないのぜ?」
「最初っからいなかったのよ。増えすぎたのはあんたたちのほう」
ヤマベは振り向き、様子を伺っている九頭の生き残りにも声をかけた。
「さあ、行っておうちへ帰りなさい。この森はとっても広くなったから、ゆっくりできるわよ」
「ゆゆう……?」「もりがしずかだよ……」「ゆっゆっ……ゆうう?」
おどおどと周りを見回しながら、ゆっくりたちは森へ戻っていった。
まりさは一番最後までヤマベを見ていた。その目に言い知れぬ不安と不信が揺れていた。
ヤマベは何も言わずに網を片付けた。
広場へ戻って合流すると、朝には生き生きとしていた二十人のアルバイトたちが、ぐったりと疲労困憊して座席で待っていた。ヤマベが助手席に入ると、タバコをすっていた主任が「よう」と片手を挙げた。
「どうだった」
「え、普通です。十頭とも元気で森へ戻りましたよ。何が起きたのかわかってないみたいでしたけど」
「まあ死ぬまでわからんだろうな」
ヤマベはタバコを灰皿に押し込み、マイクロバスを転回させた。素人がメチャクチャに畑作業をやったような、荒れた掘削跡がヤマベの目に入った。
「これで何年持つんですかね」
「いいとこ五、六年だろ。ネズミ算だし」
「十頭が一年で三十頭になって、二年で九十頭になって、三年で二百七十、四年で八百十、五年で二千四百……そんなもんですね」
「まあ一概には言えんが。この森はやばいと思って引っ越すかもしれんし、外敵に食われるかもしれん」
「外敵なんかいませんでしたよ、フィールドワーク中に」
「いなけりゃどっかから来るだろ。生態系ってそういうもんだ」
「こんなのでゆっくりを守ったって言えるんですかね?」
ヤマベはとうとう振り向いて主任を見つめた。どういうわけか鼻の奥がツンとしていた。
「森とゆっくりをっ、守るためにっ、仕方ないっていうことですけどっ!」
主任は次のタバコに火をつけながら言った。
「バーカ、そりゃ建前だ」
「……」
「邪魔なゆっくりを根こそぎ滅ぼしますとか言ったら、いろいろ横槍入んだろが」
「……そうなんすか?」
「そうなんじゃねえの。ほんとにゆっくりを守りたかったら、もっと厳密に繁殖管理しなきゃダメだろ。実際そういう会社もあるし」
「……そうなんだ……」
ヤマベは視線を落とした。膝が震えていた。
「そっち就職するべきだったかな……ちっくしょ」
ポタリと膝が濡れた。
ガタガタと揺れながら走っていたバスが、キッと止まった。
ヤマベは顔を上げる。まだ全然山の中だ。というか振り返るとさっきの場所がまだ見えた。地続きで五百メートルも離れていないだろう。
主任が作業服のポケットをあさって、カサカサ動いている紙袋を取り出し、窓から草の上に投げ捨てた。
それから何食わぬ顔で再びバスを出した。
ヤマベはしばらく、呆然と主任の横顔を眺めていた。主任は嫌そうに目を細めてぼそぼそ言った。
「見んなよ」
「主任……」
「言っとくが違反じゃねえぞ。あの森には十頭しか戻すなって言われてるが、今のとこはもう、登記上は別の森だからな」
主任は頑なに前を見つめていた。ヤマベは目頭を拭いた。
「……戻れるといいですね」
「なにが?」
ヤマベはマイクロバスのサイドミラーを見た。
小さな小さな点が三つ、勢いよくはねていったような気がした。
(おわり)
最終更新:2009年03月29日 04:42