前から



 次の晩もゆっくりさせない餌の時間を楽しんだ娘はふと思った。ゆっくりを走らせよう。
箱の中でまだ物欲しそうな顔をしている子ゆっくりの中から、特に小さい方から三匹、ボ
ウルにとる。大きくてはコースから飛び出してしまい、多すぎても少なくても走らせて楽
しむことができない、と考えての大きさと数である。調理器具で遊ぶ以上、野良だった子
ゆっくりをそのまま使うのはあまり気分の良いものではない。娘は流しに向かうとゆっく
りシャンプーを泡立て、一匹ずつ丁寧に洗いはじめた。

「わかるよー、あわあわさんはおいしくないんだねー……」
「おめめがいたいよ! ゆっくりやめてね!」
「おみずさんはゆっくりできないんみょん!」

 目や口に泡が入った痛みや、蛇口からのお湯に怯えて泣き叫ぶ子ゆっくりに構わず、娘
は充分にすすいだゆっくりをざるにあげると、キッチンペーパーで包んで水気を取る。

「みんなとってもゆっくりみょん!」
「わかるよー、きれいきれいなんだねー」
「おねーさん、ゆっくりしていってね!」

 ゆっくりシャンプーはゆっくり間のすーりすーりやぺーろぺーろだけでは残った汚れも
すっきりー! ゆっくり用なので、人間の口に入っても安全な天然由来成分100%。お求め
はお近くのコンビニで。すっかり奇麗になって、お互いのゆっくりを誉めあって騒ぎはじ
めた三匹を耐熱ガラスのボウルに取ると、娘はホットプレートの中央に置いた。あとはス
イッチを入れるだけでホットプレートは文字通り灼熱のサーキットと化す。

「今日はあなたたち三匹でかけっこをしてもらいます。一番速い子だけは特別にゆっくり
してもいいことにします」
「ゆっくりしたいみょん!」
「わかるよー、ゆっくりできるんだねー!」
「ゆっくりさせてね!」

 もちたぷになったほっぺで頬ずりしていた三匹は、ゆっくりしてもいい、と聞いた途端
にボウルのなかで跳ねはじめた。縁に届かず壁面を伝ってころころ転げ落ちる子ゆっくり
を優しく撫でると、娘はホットプレートのスイッチを最強にあわせた。三匹をコースに横
一列に並べ、その前を手の平で遮る。

「よーい、どん!」

 すっと手が上がり、娘の楽しそうな声とともにデスレースが幕を開けた。まだ暖まって
いないホットプレートを軽快に跳ねていくまりさを、ゆっくり半匹分離れてちぇんとみょ
んが追いかける。この三種はゆっくりの中でも運動能力が高い部類である。そして単に子
ゆっくりの中でも特に小さかったというだけで選ばれた三匹は、ゆっくりさせてもらえる
事を疑うこともなく、ゴールのない円周状のコースを跳ね続ける。

「ゆっ、ゆっ、おね、さっ、ごーるが、わから、ないよー」

 徐々に上昇するホットプレートの熱でじわじわ消耗し、三匹の速度は目に見えて鈍く
なっていく。ゆっくりと中身が温まって、思考もゆっくりしはじめた三匹は自分たちを襲
う異変も、全滅することでしかゴールできないことも理解できていなかった。

「ほらほらがんばって、もうすぐゴールよ」
「ゆっせ、ゆっせっ! まりさが、さいそく、だよ!」

 熱気でゆらゆら歪む視界。中身が熱を帯び、朦朧とする思考で、三匹はひたすら同じ
コースを周回し続ける。娘の言葉に、ありもしないゴールを夢見てまりさがスパートをか
けて飛びだした。もとより小さな子ゆっくり、過酷な高温のサーキットはまりさの体力を
容赦なく奪い去る。急加速したまりさはすぐに限界に達し、半周もしないうちにスローダ
ウン。だらりと舌を垂らして喘ぎ始める。足を止め、口をいっぱいにあけて空気を吸い込
み、温まったあんこを少しでも冷まそうとしているようだが、止まったことで熱が効率よ
くあんよを炙り始めていることには、あんこの温かくなっているまりさは気付いていな
かった。

「ゆひー、ゆひー、ちょっとだけゆっくりするよ!」

 目を瞑って口をぱくぱくさせ、体力の回復を待つまりさの脇を、熱気で赤く茹だった
ちぇんとみょんが駆け抜けてゆく。少々ゆっくりしすぎた事に気付いたのか、まりさは慌
てて身を起こすが、それはあまりにもゆっくりしすぎていた。

「まりさはおそいみょーん!」
「わかるよー、おそいんだねー」
「ゆへぇ、ゆひゅぅうう……どおしてまりさがびりなのぉおお!」

 息も絶え絶えに上下動を繰り返していたまりさは、悠々と追い抜いていった二匹を追お
うと身をたわめるが、休んでいる間にそのあんよはすっかりホットプレートに張り付いて
しまっていた。

「ゆっ、ゆっ? うごけないよ?!」

 じわじわと加熱されたことでまりさの底は痛みもなく完全に焼き上がり、足を止めたこ
とでそのまま焦げ付いてしまったのである。夢中で跳ねていた二匹もまりさの悲鳴にコー
スをとって返すが、一度温まり始めたプレートの温度はどんどん上昇し続ける。

「ゆっくりうごけないよ! ゆっくりさせてね! ゆっくりたすけてね!」
「おねーざん! あんよがあ゙づいみょ゙ん゙!」
「わがらない゙よ゙ー?!」

 焼き上がって跳ねることもできなくなったまりさの底は加熱され続け、ぶすぶす煙を上
げはじめる。まだ動く上体を必死に伸ばし、左右にねじり、なんとかあんよを引き剥がそ
うと足掻くものの、既に完全に焦げ付いた底は張り付き微動だにしない。恐怖に顔をひき
つらせ、悲痛な声で助けを求めるが、娘はにこにこ見守るだけ。
 まだ動けるちぇんとみょんも、ホットプレートに足を焼かれてまりさの隣でぴょんぴょ
ん跳ねるばかりで、焦げ付いたまりさのあんよを引き剥がすことはできない。もしもプ
レートの外へと飛びだせば助かることもできようが、ゆっくり加熱されカリカリに焼けた
二匹のあんよには、縁はあまりにも遠すぎた。救いの手は最後まで訪れず、あんこに完全
に熱が通ったまりさは、だらしなく開いたままのお口から白い湯気を上げ、寒天の目玉を
真っ白に濁らせて焼きまんじゅうになった。

「ゆ゙っゆ゙っ……ゆ゙……ぽっ……」
「まりさ選手リタイア~。ほら走って。あと一息、最後に残った子が優勝よ」

 紅茶のカップを片手に、上機嫌の娘は芝居がかった調子で適当なことを言う。かの女の
定めたゴールは、三つの焼きまんじゅうを夜のお茶請けにすること。もちろんランナーに
は知るすべもない。

「わからないよー! あついよー! まっしろだよー!」
「みょんみょんみょぉーん! おめめがみえないみょーん!」

 高熱に晒された寒天の目玉はすっかり白く濁り、視界を失ってパニックに陥った二匹は
動かなくなったまりさの周囲をぐるぐると周回し続ける。それも長くは続かず、やがて底
も焼き上がって跳ねられなくなり、芯まで熱が通った二匹は、お口から湯気をもくもく吐
いてほぼ同時に仲良くゆっくりした。

「も゙……と……ゆっくり、し……」
「わ゙から゙、な゙……」
「ちぇん選手、みょん選手リタイア~。なんということでしょう。だれもゴールできない
なんて、このような悲劇を誰が想像できたでしょうか。ではいただきます」

 焦げ付いたまりさをフライ返しでホットプレートから剥がし、黒こげの底を切り取ると、
つぶあんから白い湯気が上がる。ゆっくりはおまんじゅうなので、野良でも洗って火を通
せば安全に食べられる。アツアツのおまんじゅうをはふはふと頬張り、コクのある爽やか
な甘さに娘は舌鼓を打つ。ちぇんに縦に包丁を入れると、とろりとチョコレートクリーム
が溢れ出した。たっぷりと苦痛と絶望を味わった深みのある甘さと苦み、そして外気に触
れてもなお火傷しそうな熱さは、極上の冬スイーツであった。
 最後に残ったのはみょんであったが、娘はまだゆっくりみょんを一度も口にしたことが
なかった。一体どんな中身なのだろうか。ホットプレートの熱気だけでなく頬を染め、愉
快な断末魔の表情のみょんを口に運んだ。焼き上がった皮をさくっと噛みきると、どろり
と溢れ出た熱い粘液が娘の唇と指を汚す。

「……うぇ゙、練乳……」

 透明な箱のみょんが悲しげに、ちーんぽ、と鳴いた気がした。



続く

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最終更新:2022年05月03日 18:58