前編]より

まもなくして、三匹は永夜緩居へと辿りついた。


緑の宝石の様に輝く草原、静かに流れる川のせせらぎ
美しく咲き誇る花々、暖かい太陽が三匹に降り注ぐ。

この土地自体がまるで三匹の来訪を歓迎しているようで
いや、本当に永夜緩居は三匹を心の底から歓迎していた。
これまで来た多くのゆっくりと同じように、自分の糧となるために訪れたゆっくり三匹を歓迎した。


ありすとまりさは顔を見合わせると、初めて満面の笑みを浮かべ小躍りした。
みょんだけが、これから自分達の身に同胞達と同じことが起こるであろうことを予見して刀を吊るす帯を締めた。



「まつみょん、かってにいっちゃだめみょん
もっとしんちょうにいくみょん」
みょんは目の前に見えたかわいらしい花に向かって走り始めたまりさとありすを静止した。
しかしありすは見向きもせずに突っ走りながら言う。
「いいかげんにしてね!いなかものはほんとにいちいちぶすいね!」
まりさは立ち止まると、振り向いて少し困ったようにみょんに言った。
「みょん、やっとゆるいにたどりついたんだよ
もっといっしょにゆっくりしようね」

みょんは二匹の言葉に眉を顰めてこれまでずっと口をすっぱくしてきたのと同じように言う。
「まだここがゆっくりぷれいすときまったわけじゃないみょん
ほんとにここがゆっくりぷれいすなら、さきにここにきたゆっくりがいるはずみょん
そのゆっくりをみつけるまではしんちょうにいくべきみょん」


ありすはもうみょんの言うことに耳を傾けるのを止めて、目の前の花畑に飛び込むと思い切り齧り付いて幸せそうに咀嚼し始めた。
「むーしゃ、むーしゃ、しあおげええええええ!?」
満面の笑みを浮かべて一度二度三度と口の中を噛み、ありすは突然口の中の花を餡子と共に吐き出して悶えだした。
「ゆ?……ゆ?」
突然の出来事にまりさは目を白黒させてありすとみょんの顔を交互に見た。
ありすは苦しみのた打ち回り、みょんは苦々しげな表情でありすの方に走っていた。

「だからいったみょん」
みょんはありすの背中を強く擦ったり叩いたりすると
ありすの前に回って口の中を覗き込んでから持っていた木の実をしゃぶっているように言った。
「ゆ……ど、どうして……」
まりさは訳が分からずみょんに尋ねた。

「どくだみょん、とりあえずやっこうのあるきのみをしゃぶってればだいじょうぶだみょん」
みょんは事も無げに言った。

まりさは、やっと伝説のゆっくりぷれいすにたどり着いたはずだというのに
いきなりこんなことが起きて頭がどうにかなりそうだった。
自分はこれからはゆっくり出来るはずではないのか
ゆっくりぷれいすにさえ辿り着けばありすももっとやさしくなってきっと仲直り出来て
それからみょんも一緒で、お母さんが生きてたころと同じくらいとってもゆっくり出来るはず。
みょんとの出会いや、ずっと軽蔑してたありすが永夜緩居に辿り着くためにみょんと協力してがんばる姿を見ていて
きっと今思っていたようになってくれるんだとまりさは信じかけていた。
その矢先に起きたこの事故、本当に事故なのだろうか。
ふと、まりさはさらなる不安に駆られる。
まるでまりさ達を待ち構えていたかのようにその毒花はそこに咲いていたのではないか。
誰かが悪意を持ってその花をそこに在るようにしたのではないのか。
そう、まりさは考え、そんなはずは無いと言い聞かせるようにかぶりを振った。

「まりさ、これもっててほしいみょん」
嫌な連想を続けていたまりさは突然話しかけられて
これまでとは違う理由で心臓がバクバクと高鳴るのを感じた。
みょんが舌に持って居たのは、最初にいらないものを徹底的に捨てて最小限にまとめた荷物を葉っぱと蔓で編んで作った入れ物に入れたものだった。
「さっきのきのみやくすりがはいってるからまりさがだいじにもっててほしいみょん
これからさきはみょんもけっこううごくひつようがありそうだからおとしたらこまるみょん
それにできればみがるでいたいんだみょん」
「……ゆ、わ、わかったよ」
まりさはまだ頭がグルグルしてどうにかなりそうだったが、辛うじてそれだけ言うとその荷物袋を受け取った。
本当は、どうしてそんなに動く必要があるの?と尋ねたかった。
だが恐ろしくてどうしてもそれを聞くことが出来なかった。
それを聞けば、もう二度と甘い夢を見ることが出来ない気がした。

みょんがまりさにその荷物袋を渡すと、今度はありすがやっと正気を取り戻して叫んだ。

「な゛によごれええええええええええ!?
どぼぢでごんなゆ゛っぐりぢでないおはなざんがはえでるのおおおお!?」

「はえてるものはしかたないみょん、だからしんちょうにっていったみょん」
ありすのさけびごえにまりさは体が竦んで何も言えなくなった。
みょんは呆れ顔でありすに言った。
ありすは興奮冷めやらぬ顔で怒りを露に花弁を失った首なし死体みたいな花を踏みにじった。
まりさにはその花の身に起こったことがどうにも他人事には思えず、複雑な面持ちで見守る。
「いくらくすりがきいてるからって、そんなにあばれたらどくがまわるみょん
いいからおちつけみょん」
みょんは根気強くありすのことを嗜めた。
「……ちっ、わかったわよ」
毒のことで脅かされて仕方なくありすは不満そうな顔で深呼吸をした。
「まったく、どういうことなの?
こんなゆっくりできないおはなさんがはえてるなんて
でんせつのゆっくりぷれいすもたいしたことないわね」
忌々しげに半眼でありすは呻いた。

「そもそもでんせつのゆっくりぷれいすっていうのが
みょんたちゆっくりがかってにいっているだけで
永夜緩居がじぶんでそういってるわけじゃないみょん
ほんとにそれをたしかめたゆっくりなんてだれもいないみょん」
「ふん、ありすはうわさばなしにむらがってわめいてるいなかものたちとはちがうわ
ちゃんとしたすじからのじょうほうをつかんだんだもの
みためにだまされたけどきっとまだ永夜緩居にたどりついてないだけ
もうすこしおくにいけばとかいはなゆっくりぷれいすがあるはずだわ」
みょんのもう何度目かわからない伝説のゆっくりぷれいすを疑う発言に
ありすは余り取り合わずにそっぽを向いて永夜緩居の奥へと歩き出した。

「たしかなすじ、かみょん
どうせゆかりんのことだみょん」

みょんは忌々しげにその名を呟いた。
ゆかりんの名が出てありすは立ち止まり、ピクリと体を震わせる。
「そいつがいちばんうさんくさいんだみょん」
珍しく苛立ちを隠さずに憎憎しげな顔をするとみょんはありすの後をついて歩いていった。
剣呑な空気に逃げ出したくなりながらも、まりさは二匹の後を追った。


先へ先へと歩いていくと、さっきの花とはまた違った花畑が広がっていた。
まりさはその美しさに思わず見とれていた。
ありすは後ろを振り向くとそれ見たことかといった表情でみょんを見た。
「またのたうちまわりながらあんこはきちらしたいならかってにむしゃむしゃするといいみょん」
みょんは呆れを感じさせる半眼の表情でそうありすに告げた。
流石のありすも、さっきのことを思い出して思わず足を止める。
ありすはみょんから視線を外して前を向き、もどかしそうに花畑を見つめた。

「ね、ねえ」

膠着状態に耐え切れずまりさは恐る恐る口を開いた。
「どうしたみょん?」
「あれ……」
みょんに先を促され、まりさは花の周りを飛び交う蝶の方に目線を向け示した。
「ちょうちょさんはおはなさんのみつちゅーちゅーしてるんだから
どくはないとおもうよ、だからこのおはなさんはきっとたべられる……とおもうよ」
まりさは恐る恐る自分の意見を述べた。
「みょん……」
みょんはソレを聞いて考え込むみたいに俯いた。
まりさは少しは役に立てたと思って弱弱しいながらも笑みを浮かべた。

「……はぁ~~~……」
その時、ありすが呆れと怒りと哀れみを篭めて長く大きい溜息をついた。

「ほんっとうにまりさはおばかさんね
いい?ほかのどうぶつさんがたべれたからって
それがありすたちゆっくりにもたべられるなんていうほしょうにはならないのよ?

いきのこるためにそのどうぶつさんがどくがあっても
ちゃんとたべられるようにからだをかえたのかもしれない
そもそもからだのこーぞーがぜんぜんちがうから
そのどうぶつさんにはだいじょうぶだけどゆっくりにとってはどくかもしれない
どくのぶぶんをたべないようにとくべつなたべかたをしてるかもしれないわ
たとえばはなびらにはどくがあるけどみつはたべられる、みたいにね」

「ゆ、ゆ……」
軽蔑の視線をまりさに浴びせながら捲くし立てるありすにまりさは気圧されて目に涙を溜めた。

「それでもあのおはなさんたべてもだいじょうぶだとおもうんならかってにひとりでたべてね!」

吐き捨てるようにありすはそう告げた。
さっき真っ先に生えてた花に食いついたゆっくりと同じゆっくりとは全く思えない。
恥をかかせるな、まるでそう言うかのようにありすはじっとまりさのことを睨んでいた。

「……ふぅ、たぶんありすがただしいんだみょんね」
みょんはまりさの方を少しすまなそうに見ながらそう言って頷いた。
みょんもこれまでの道中でありすの狩り等に対する技術、経験は見てきているのでこういった点においてありすに信頼を置いている。
その点まりさに対しては、否定的な感情を抱いては居ないがはっきり言って余り頼りにはしていなかった。
「ご、ごご、ごめんね……」
みょんの役に立ちたいという望みはあぶくの様に淡く弾け飛んでしまい
まりさはがっくりと肩を落としてなんとかそれだけ言った。
「きにしないでいいみょん」
「まりさはだまってついてきてくれればいいわ」
みょんの労わるような声が逆に胸に突き刺さる。
もどかしそうに花畑を見つめる二匹を他所に
まりさは死んだような瞳でぼーっと虚空を見つめた。

とりあえず花畑から離れた三匹は、帰り道を見失わないよう気をつけながら辺りを探索した。
「ゆ……だれもいないね」
まりさは不安そうに呟いた。
「そうみょんね、ここらにゆっくりぷれいすがあるならそろそろだれかとあうか
ゆっくりのいたこんせきがみつかってもよさそうみょん」
殆ど確信に近いものを持ちながらみょんは言った。
もうありすにもそういったことに対して
憮然とした表情を浮かべるだけで一々否定する心の余裕は無いようだった。

「……もうすこしおくにいってみましょ
めじるしのおきいしはした?」
暗い表情と声音でありすは後ろの二匹にそう言った。
まりさはこくりと頷くとありすは表情を変えずに前を向いて歩いていった。
「……どうなるんだろう」
「こうなったらなにかわかるまでつきあうみょんよ」
不安げに呟くまりさにどこか達観した雰囲気でみょんが応えた。

さらに進んでいくと、少し辺りに生える草の背が高くなっていき、ありすとみょんは表情をさらに険しくした。
こう視界が悪い場所で隙をついて襲われたりすればひとたまりも無い。
襲って来る何か、それが何なのかはわからない。
だがその何かが悪意を持って自分たちを見張っているような嫌な感覚は拭えずに居た。
もっともそういうことに疎いまりさでさえも、漠然とした不安感に取り付かれている。
まりさは緊張で体を強張らせ、ありすとみょんも過剰なまでに周りを警戒していた。

ガサリ、と草むらがわずかに揺れて三匹は即座に振り返った。
「きのせいかみょん」
「かぜさんかしら、ゆっくりさわがせね」
「……」
軽口を叩いても緊迫した空気はまだまとわりついていた。
まりさは重苦しい気持ちで腹の中のものを吐き出しそうになるのを必死に堪えた。

「ねえ、みょん、ありす
まりさね」

何か話でもすれば少しは楽になるかと思ってまりさは口を開いた。
みょんとありすも同じように思っていたのか
自然とまりさの方を向いて表情を緩和させて答えようとした。

それからすぐに、その緩みがあってはならない隙だったことにみょんとありすは気付く。
三匹はその間ソレ等が接近するのを許してしまった。
「え?」
初めに気が付いたのは誰かわからなかったが声を上げたのはまりさだった。
ありすの吹き出物の耐えない汚らしい頬に何かが引っかかっていた。
まりさは最初、草の間から伸びたそれを草だと思った。

「いたっ」

ありすのあげた声だって本当になんでもないような
ぼーっと歩いていて木にぶつかった時となんら変わらないなんでもない声だった。
だからきっと草が引っかかって肌が切れただけだと最初は思った。
だが、瞬きした間にありすの顔に出来た傷は、草で肌を切った時のように鋭利な傷跡ではなく
ギザギザの何かを体に当てて、思い切り引っ張ったような傷だった。
ありすの頬は、耕した畑みたいに引き裂かれてぐちゃぐちゃになっていた。
吹き出物の中にあった劣化した餡子がどろりと流れて引き裂かれた皮と一緒くたにぐちゃぐちゃになって
まるで雨の後に人が何度も通ったぬかるみみたいだった。
「ひ、いぎいいいいい!?」
一瞬後か、それとも数秒ほどしてからか
少しだけ遅れてやってきた痛みに自分の頬に目をやったありすが
そこからこぼれているものを見て悲鳴をあげたのをまりさは聞いた。

「うごくなみょん!」

ありすの悲鳴があがると同時にみょんが叫びながらありすに向かって飛び出した。
凄まじくゆっくりしてない勢いで突っ込んでくるみょんの姿にありすは顔を恐怖で引き攣らせ硬直した。
みょんはいつの間にか左頬に挿していた木剣一本舌で絡めとり口に咥えて構えていた。
「っみょぉん!」
ありすの体にそのまま体当たりするかのように思えたみょんが、ありすの目前で小さく跳ねた。
そして木剣が縦になるように体を横に捻って、空中で勢い良く半回転してありす目掛けて飛びかかった。
みょんの体とありすの体が肉薄する。
しかしギリギリ接触せずに、みょんは木剣を振り下ろしてありすの眼前に着地した。
木剣まりさが一本の草だと思ったそれに振り下ろされていた。
振り下ろされた緑のソレは引き千切られてクルクルと回転して地面にぽとりと落ちた。

それは斬るというには余りに荒っぽいやり方だった。
みょんの今やったことは鋭利な刃で相手を切断するという方法からはかけ離れている。
飛び上がったみょんの回転に巻き込んで木の棒で引き千切ったと言うほうが正しい。

引きちがられた相手。
緑色の蟷螂は片腕を失い羽を広げてありすの体から離れた。
「やっとおでましかみょん、またせすぎだみょん」
みょんはニヤリと不敵に笑うと口に木剣を咥えたまま器用に喋った。
片腕を失った蟷螂は逆三角形の顔にはめ込まれた丸い瞳でみょんと睨み合った。
「な、な゛によごれぇ……!?ぜんぜんどがいでぎじゃない゛ぃ゛!!」
ワンテンポ遅れてありすが目に涙を浮かべて狼狽しながら喚いた。

「ありすもなにかいるとはきづいていたんだみょん?
さっきまであれだけびくびくしてたんだみょんね」
みょんがどこか愉しげにありすにそう言った。
この状況を楽しんでいるのかもしれない。
少なくともいつ襲い掛かられるかとビクビクしている状況よりは遥かに。
「じっでだのね゛ぇ!ごのう゛ら゛ぎりぼのぉ!!」
怒りで顔を歪ませたありすがみょんに向けて怒鳴った。
みょんはありすの顔を見て鼻で笑いながら言い返した。
「しらんみょん
ただ永夜緩居のはなしはうさんくさいからそれをあばけば
みょんのながあがるとおもってありすたちにびんじょうしただけだみょん
いちおうとおまわしにあぶないからかえれっていったみょん」
みょんは事も無げにさらっと言った。
「どごがどおまわぢな゛のよおおお!?
だいだいあ゛んなふ゛うに゛いわれだらぎゃぐになにがあるどおもうでじょおおおおお!?」
「しったこっちゃないみょん」
本当に必死なありすと、なんだか愉しそうなみょんの温度差の激しい口喧嘩を見て、やっとまりさの思考は現状に追いついた。
「どおいうごどおおおおおおおお!?」
まりさが我に返って初めにしたことはとりあえず悲鳴をあげることだった。

「いまはありずがはなぢでるのおおおおお!!
ま゛りざばだばっでなざいいいいいいい!!!」
「わ゛がらないよおおおおおおお!!も゛うやだおうぢがえるううううううううう!!!」
「う゛る゛ざいだばれっでいっでるでぢょおおおおおおおおお!?」

今度はありすとまりさの間で口喧嘩が始まった。
ありすの顔の傷から出ている餡子の汁が顔を付き合わせているみょんやまりさの体に飛んだ。
それを見て苦笑しながらみょんは言った。

「とりあえずさんじゅうはっけいにげるにしかずみょん」

はっとしてまりさとありすの二匹は、今しがたありすに襲い掛かった隻腕の蟷螂に目をやった。
その後ろには爛々と光る丸い、なのに鋭い蟷螂の瞳が何十対もこちらを見ていた。
「ゆひいいいいいいいい!?」
まりさは気付いた途端に悲鳴をあげ腰を抜かした。
「っ!これだからいなかものは!ゆっくりにもてぃーぴーおーがあるのよっ!!」
ありすはまりさの髪を口で引っ張っり倒すと一目散に逃げ出した。
「ゆっ、ま゛ま゛ま゛ま゛ってぇ!」
髪を引っ張られる痛さでやっと我に返ったまりさは慌ててありすの後ろについて走り出した。
そして数メートルほどがむしゃらに走り、はっとみょんが居ないことに気付いて後ろを振り向いた。
「っ!みょん!みょん!」
後方で先頭の蟷螂と鬩ぎ合いながら多少遅れてこちらに向かっていた。

「ゆ゛っぐりぢでぢゃだべだよみょおおおおおおおおん!!!」

まりさの呼びかけにみょんは不敵に笑いながら応えた。

「みょんにかまってるひまがあったらはしれみょん!
そうしてくれたほうがみょんもにげやすいんだみょん!」

みょんはそれだけ言って再び蟷螂達と木剣でつばぜり合いを始めた。
「……わかったよ!にげきれたらいっぱいゆっくりしようね!」


そういってまりさも振り向かずにただただひたすら前へ前へと走り続ける。
もうがむしゃらにがむしゃらに、息が切れ足の裏、というか体の底が擦り切れて餡子が滲んでもなお走った。

ふと、みょんは逃げ切れただろうかということが気にかかった
酸素不足でもう何も考えられそうに無い餡子でそれだけが脳裏を過ぎった。


「ばか!こっちよいなかもの!!」
ガシッ、と髪をつかまれひっぱり倒される感覚で我に返る。
「!?……ゅひぃー、……ひっゅっぃ……」
一度止まればもう一歩も動けなかった。
何が起こったのか確認したいのに全身が酸素を求めて
まりさを無理やり呼吸させようとしてそれもままならなかった。
「にげるときはおきいしをめじるしにっていったでしょ!?
いまぜんぜんちがうほうににげてたじゃないの!!
なんでちゃんとめじるしをみながらあるかないの?ばかなの?しぬの?
いつまでもぴくにっくきぶんでいるんじゃないわよこのごみくず!!」

「うぇ……ぁっひぃ……ゅぅ……おげぇうげぇぁぇろぉ……!」

捲くし立てるありすの腫れぼったい瞼で半分隠された血走った瞳に
ありすに初めてむりやりれいぷされた時のあの表情が重なった。
その重なった表情のさらに後ろにはもっと恐ろしいものがある気がして
全身が激しい運動の後で火照っているのに背筋が凍る。
激しく痙攣する胃袋から吐き気とそれ以外の気持ち悪い何かがこみ上げてきて
まりさはその場で吐餡した。

「……!?な、なにしてるのよこれだからいなかものは……!」
ありすは驚き困惑しつつも、渋々とまりさの背中を擦り始めた。

数分ほどそうしていただろうか。
やっとのことで落ち着きを取り戻したまりさはありすに一応の礼を言ってから尋ねた。
「ここは……だいじょうぶ、なの……?」
その場所はよく開けた平原のような場所で、敵の接近がわかりやすく、寄せ付けづらいが
逆に接近されれば身を守るようなものは無い。
「しらないわよ、まあさっきよりはましなんじゃない?
どちらにせよすこしやすまないと」
不機嫌そうにありすはそう言った。
ありす自身も相当疲れているのだろう。
「あ、そうだ
さっきのふくろもってる?」
「ゆ……?あ、うん、えーっと、あるよ」
そう言ってまりさは先ほどみょんから譲り受けた薬袋を帽子から取り出してありすに渡した。
ありすはその中から葉っぱを取り出すと頬の傷に舌で器用に貼り付けた。
「……それであってるの?」
まりさは不安そうに尋ねた。
「たぶんね、まえにたようなはっぱさんをおいぼれのゆっくりが
きずぐすりっていってるのみたことあるから
なにかきずぐちにはるだけでもだいぶらくになるし
あ、これもたぶんきずぐすりだからあしにぬっときなさい」

そう言ってありすはまりさに何かヌルヌルした木の実を渡した。
まりさは言われたとおりに恐る恐るその薬を踏んで体に塗りこんだ。
すーっとしてひんやりして、走りに走って傷だらけになった足の痛みが少し引いた。

「これからどうしよう……」
痛みが引いて多少冷静に考えられるようになったまりさが呻いた。
「にげるのよこんないなか、とうぜんでしょ?
きずのてあてもおわったしもうちょっとしたらすすむわよ」
ありすは事も無げに言う。

「え、でもみょんがまだ」

「もうしんでるにきまってるじゃない」

何を馬鹿なことをと言った風にまりさを見ながらあっさりと言ってのけるありすに
まりさは初めてそれまでの静かな嫌悪感とは違う燃えるような怒りを感じた。
休息と傷薬で熱の引いた体に瞬く間に熱が篭って行く。

「……っ!みょんは」

大声で捲くし立てようとしたまりさの言葉は遠くから聞こえる気の抜けた声に遮られた。
「おーい、だいじょうぶかみょーん」
「……あら、いきてたみたいね
ざんねん」
遠くの方から、みょんが元気に木剣を咥えてこちらに向かってきていた。
「あ……よ、よかったよ」
心からほっとしてまりさは息をついた。
体の中の燃える様な熱が、ほんのりと暖かいものに変わっていくのが心地よかった。
近寄ってきたみょんは全身擦り傷だらけで、まりさの方に来るなり傷薬をくれと言った。
その時持っていたありすが代りにみょんに袋を渡すと
舌を使って器用に全身の傷口に塗り始めた。
「みょーん、だいぶやられたみょん」
「じごうじとくよ」
みょんが好き好んで永夜緩居が危険なことを察しておきながら
のこのこやってきたことをありすは言っているのだろう。
「まったくだみょん」
みょんはカンラカンラと明朗に笑った。
「あ、そうだありす」
「なによ?」
そう言って、みょんがありすに腰紐を結んでくれと頼むと
気位の高いありすが怒り出して言い合いが始まってしまった。
「ゆ、それじゃまりさがむすぶよ」
まりさはその場をなんとか治めようと思って
というだけではなく、みょんのために何かしてあげたいと思ってそう申し出た。
「みょん、たすかるみょん」
まりさは顔を赤らめているのを悟られないように俯きながらそっと口で紐を結んであげた。
その時に触れたみょんの体は少し堅くてごつごつしていた。

「で、どうするかみょん?」
みょんの問いにありすは渋々と、永夜緩居を目指した自分の判断は間違っていたことを認めて
散々悪態をつきながら永夜緩居からの脱出を目指すことを宣言した。

まりさはなんとか三匹が生き残ったことにほっと胸を撫で下ろし
多少和やかなムードになりながら三匹は来た道を進んでいった。



「ゆびいいいいいいいいいいいい!!!」
「どぼぢでどがいばのありずがごんなべにいいいいい!!!」
「いいからだまってはしるみょん」
それから五分ほど経ってまりさ達はイナゴの大群に追われていた。
涙が横に伝うほど必死に走るまりさ。
涙を流しているのは恐怖もあるがありすに髪の毛を引っ張られているのも大きかった。
ありすに引っ張られるたびにうまく動かない足がばいんばいんと叩き付けられるかのように跳ねた。
しかもありすはまりさの髪を咥えてるためか口元からよだれがこぼれて後ろのまりさにかかってしまい
まりさはそれが気持ち悪くて仕方が無かった。
みょんは、平気な顔して汗一つかかずに少し先を走っていた。
追い回されて大分元いたコースから外れてしまい
まりさはちゃんと戻れるのか不安だったがいまはとにかく走るしかなかった。

「あがっえうあおううううううう!!!」
わかってるわよといいたいのであろうありすの喚き声に
みょんははっとしたような顔で額に汗を浮かべて言った。
「あ、やっぱとまるみょん」
「ゆ?」
「ゆゆ?」
困惑するありすとまりさは、結局止まれずにすぐ先にあった急な坂を転がり落ちていった。


「ゆたた……」
痛む体に鞭打って、まりさは起き上がって辺りを見回した。
転がりに転がって、どうやら雑木林のようなところまで来てしまったようだった。
頭の上に何か重いものが乗ってる感覚でみょんから貰った薬袋が無事なのを確認する。
「あり……す?」
そして周りに襲い掛かるものが居ないのを確認してからまりさはありすの名を呼んでみた。
返事は無い、近くで気絶しているのかもしれない。
「ゆ……」
ふと、このままありすを置いて行ってしまえばどうなるだろうかと考えた。
そうすれば自分は解放されるのではないだろうか。
ずっと感じていたこの重苦しい気分からも、ゆっくり出来ない生活からも。
そして新しいゆっくりを手に入れられるのではないだろうか。
例えば、みょんと一緒にお母さんが居た時の様にゆっくり過ごす、そんな生活を送れるのではないだろうか。

「……むり、だよ」
そこまで考えてまりさはかぶりを振った。
弱い自分に、一人でこの永夜緩居から逃げ出せる力は無い。
まりさは力なく一人ごちた。

「だれか……ゆっくりしていってね……ゆっくりしていってね……」
まりさはとりあえずありすを探そうと辺りをうろつき始めた。
心細くて仕方ないのでゆっくりしていってね、と呟きながら。

薄暗い雑木林は時間が経つに連れてまりさの恐怖心を増大させていった。
「ゆぅ……みょん……みょん……ゆっくりしたいよ……みょん……」
泣きべそをかきながらまりさはいつまで経っても見つからないありすに呼びかけるのをやめて
みょんの名を呼びながらその場にへたり込んだ。
「みょん……こわいよ……みょん……」
ぐずぐずと、じっとその場に座り込んでなき続ける。
ふと、お母さんが迷子の時はじっとしてなさいと言ったのを思い出した。
それからどれだけの時間が経っただろうか。
ガサリという音を聞いてまりさはハッと顔を上げた。
「みょん……じゃない、いるの、ありす…」
恐る恐る、まりさは音のした枯葉の山を見た。
あそこに埋まってたから気付かなかったのだろうか。
まりさは木の枝を拾い口に咥えると、そっとその枝で枯葉の山をつついた。
「ゆ、ゆっくりしていってね!」
ガサリ、とまた音がして枯葉から何かが飛び出してくる。
「ゆ?」
その何かは細い体で木の枝を伝い一瞬でまりさの体に喰らいついた。
「ゆぎゃああああああああああああ!!!!」
ズキリと牙の刺さる痛みにまりさは身を捩った。
枯葉の下から出てきたのは20センチはあろうかという大百足。
次々と現れてはあるものは木の枝に伝い巻きつきながらまりさの顔面に
あるものは枯葉の間から出でてまりさの足に
あるものは飛び上がってまりさの頬に喰らいついた。

「ひぃ!ゆぃぎぃ!だずっ、だずげあがあああ!!」
体中に鋭い牙が饅頭皮に深く突き刺さる。
堅い殻で出来た牙が餡子に触れて牙の先から深いな感覚が広がっていく。
毒だった。
餡子に染み渡るように皮に食い込んだ牙の先からそれは染み出ていった。
瞬く間に意識が遠のいていくのを感じる。
まりさはああ、これから死ぬんだなと悟った。
もう一度だけでいいから心行くまでゆっくりしてみたかったと言いかける。
「……っ」
その時、脳裏にあの男の顔が映った。
自分を痛めつけるあの男のにやけ顔が克明に映り、そしてありすと重なる。
「やっぱり……だめ……だったよ……」
結局出てきた言葉はそれだった。
最後くらいはゆっくりと言えばよかったかな
そんなことを思いながらまりさはゆっくりと瞼を閉じた。

「っみょぉおおおおおん!」
閉じかけられた瞼の間から、みょんの姿が映りこむ。
最初は最後に見せた幻覚かと思った。

みょんはまたあの体を回転させて相手を巻き込むような斬り筋で
何匹もの大百足を纏めて断ち切った。
体の半分から下をもがれて大百足達は上も下も苦しげにもがいた。
そしてみょんは体を風車のごとく回転させて百足達を振り払った。
弾き飛ばされた百足達は何度かそれを繰り返すと
みょんに距離をおいて取り囲み始めた。
「ちっ……はしるみょん!」
「ゅぅ!」
みょんはまりさに走るように促すと自分が先陣を切って包囲の一角に斬り込んだ。
まりさも体に刺さった百足の牙が痛くて仕方ないのをガマンしながらその後を追った。



どれくらい走っただろうか、みょんは立ち止まって振り返るとまりさの顔を見た。
「……ゅう」
まりさはみょんと見つめ合ってると嬉しくて目から涙がこぼれた。
心細くて仕方ない時にみょんが助けに来てくれて本当に嬉しかった。
お礼を言おうと思ってまりさは口を開きかけて、そっとみょんの唇がまりさに触れて
まりさの動きが止まった。
「みょ……」
「しゃべるなみょん」
口でまだまりさの体に食いついている百足達を一つ一つ外して地面にぺっと吐き出した。
唾にまみれた百足が落ちた衝撃でびくりとのたうつ。
それが終わるとみょんはまりさの帽子を漁って薬袋を取り出すと
中から何かぬるぬるしたものを取り出してまりさの傷口に塗っていった。
みょんの仕草は荒っぽいし、薬が滲みて滲みて酷く傷口が痛かったがまりさは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
顔の傷が出来てからもうありす以外の相手にこんな風に触れられることなんて無いと思っていた。
大好きなみょんがこんな風にしてくれるなんてと涙がこぼれた。
怪我をして帰ってお母さんに傷口を優しく舐めてもらったことをまりさは思い出した。
舌の動かし方は優しいお母さんと比べてみょんのは不器用で荒っぽかったが
まりさには同じようにとってもあったかかった。
薬を塗り終わり、みょんは先に行くよう促した。
「ありすがまってるみょん、もうすこしやすんだらすぐにいこうみょん」
まりさは泣きながらみょんの言葉に頷いた。


林を抜け出して、坂を登る。
ここを登り終えれば元のルートに出られるとみょんは言っていた。
後ろからは蟲達の群が大量に押し寄せてきている。
幸い進行方向には蟲達は見当たらないものの
立ち止まったり、坂を転がったりすれば命は無いだろう。
それに坂は草が生え放題になっていて長いものはまりさ達のおでこくらいまで伸びている草もあり、
視界が悪く、また襲われるのではないかとまりさは不安に思った。
けれども草の間から見える、走りながら美しく揺れるみょんの銀髪を見てると不思議と安心できた。
まりさは一生懸命みょんに追いつこうと走った。
坂は急だしみょんの足はとても速くてついてくのに一苦労だったが
もう絶対に離れるものかとまりさは強く思った。
さきほど、護身用にと渡された折れた木の剣の欠片を口の中でぎゅっと握り締める。
折れた木剣を見せられた時は驚いたが、予備があるから大丈夫とのことだ。


それにしても走るのに一生懸命になりすぎたのだろう
まりさは、ソイツ達が近づいているのに全く気付くことが出来なかった。
「ゆああああああああ!!」
ドン、と茂みの中から出てきた何かに体当たりされて転がった。
その直後、長く生い茂った草の間に隠れながらも視界に隻腕の蟷螂が現れる。
「みょっ!」
慌ててみょんがその蟷螂に切りかかった。
あの独特の飛び跳ねて勢いをつけて車輪のように回転し相手を巻き込んで引き千切るあの斬り筋で斬りかかられて
隻腕の蟷螂は細い体を袈裟懸けに切り裂かれ胸の半分より上が吹っ飛んで地面に落ちた。
回転の勢いで、辛うじて紐にくくられていた折れた方の木剣が宙に舞ってどこかにぽとりと落ちた。
「……まりさはぶじみたい、ね」
その声を聞いて、やっとまりさはありすがすぐそこに居たのに気付いた。
思えば体当たりされた時も確かにありすの声を聞いた。
どうしてそんなに酷いことばかりするの、とまりさはありすに問いかけそうになって口をつぐんだ。
意味なんてあるわけが無い、まりさの嫌がることならありすはなんだってするんだ。
そんなありすのこと以上に、それに対して何も出来ない自分が情けなくて涙が出そうだった。
「ああありすのほうからきたみょんね
とりあえずあそこでまっててくれてよかったのにみょん」
命の獲り合いの直後だというのに軽い口調でみょんはありすに語りかけた。
「まりさがしんぱいでね、ところでみょん
そういえばおれいいっていなかったわよね?」
珍しくみょんに対して友好的な口調で話しかけていた。
「なんのことみょん?」
なんだか慣れない態度に気味悪がっているのかみょんが怪訝な顔で尋ね返した。
「これのことよ」
ボスン、という鈍い音が聞こえて、黒い餡子が宙に散るのを見た。
何が起こったのかまりさはよくわからなかった。
ありすの口に咥えられている紐、その先にくくりつけられている餡子に濡れた石。
そして頭から餡子を流して痛みに呻くみょんの姿。
「……ゆ?」
まりさは素っ頓狂な声で呟いた。
「――ってわけね、みょん?」
「はは…………たみょんか」
ありすとみょんが何か話しているが、呆然としていたためよく聞き取れなかった。
次の瞬間にはドオン、と景気のいい音がしたと思うと
ありすに体当たりされてみょんは来た坂道を転がっていっていた。
蟲達が追いすがるあの坂の下へとゴロゴロゴロゴロと。
転がるみょんに草が押し倒されていって、その転がっていく姿が見えた。
美しい銀髪が土や草の汁に汚れていく。
そして、その先に空を飛ぶ蟲達が手薬煉を引いて待っているのが見えた。
よく見えない地面にはもっとたくさん居るだろう。

意識して無いのに力なくだらりと口が開かれた。
顔に力が入らない。
目にも力が無いのにまるで釘で打ち付けられたかのように視線はみょんに釘付けになった。
どんどんどんどん転がって、やがて下の林の方まで転がっていってみょんの姿は見えなくなった。
こういうことには疎いまりさも、それがどれだけ絶望的な状況かは分かった。

悲鳴どころか声さえ出なかった。

「ああまりさ、もうだいじょうぶよ
わるいやつはもういないの」
もったいぶった仕草で、ありすはまりさに何かを語りかけようとしていた。

「まりさ、ありすは」
ボス、という鈍い音がした。
まりさはありすの胸に抱かれるように埋まっていた。
そして、まりさの口には折れた木剣が咥えられていた。
それはみょんの様に振るうには短すぎたが、ゆっくりの体に突き刺すには充分なほどよく尖っていた。
さっきみょんに貰って、永夜緩居から出られたら返してあげようと思っていたみょんの木剣。


「ま……りさ……?」
訪れた痛みの意味を理解できないのか
ありすは現実感のない不思議そうな顔でまりさの顔をじっと見ていた。
ありすを見るまりさの表情は
憤怒と憎悪に歪められたそれはそれは恐ろしい顔だった。
「よくも……よくもみょんをごろ゛じだな゛ぁ……!!!」
燃えるような怒りを胸に、まりさはありすに相対していた。
ありすの胸に突き刺さった木片を抜きながらまりさはありすの体から離れた。
「ちが、ありすは……がっ、ま、まりさを……」
言い訳がましく言うありすの後ろに
全てを打ち壊したあの男の笑う影が重なる。
今までずっとまりさはこの影を見るたびに逃げ出してきた。
一度として打ち勝つことが出来ずに逆に打ちのめされてきた。
「ちがうっ!……そうじゃないよね……!」
まりさは自分に言い聞かせる。
打ち勝てなかったのでは無いのだ。


今まで、今までまりさは一度たりとも

たった一度として立ち向かいさえしなかったのだ。

まりさはそれを認める。
そしてそのために何度も何度もチャンスを逃してきたことも認める。
今まで一度でいいから立ち向かえば
ひょっとしたらどこかで今とは違う別の道に進んでいたのかもしれない。
そして今まで失ってきた大切なゆっくり達を助けられたのかもしれない。
お母さんを、みょんを殺したのは自分の弱さだ。
胸が張り裂けそうな思いでまりさはそれを認める。

そしてこう心に決める。
今だ。

今、立ち向かおう。
「ゆ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああ!!!」
再び口にみょんの落とした折れた木剣を構えて
ありすに、そして下卑た笑みを浮かべるあの男の影に向かって突進した。
「……まりっ」
またあのボスっという鈍い音がして
さっきよりもずっと大きな傷跡をありすの胸に創った。
そしてありすはゆっくりと崩れ落ち
ばたりと後ろに倒れた。
ゴポゴポと胸の傷から餡子が流れていき、辺りを黒く染めていった。
そして、ずっとずっと本当に永い間まりさを苛んできたあの男の影が
まるで本当は何も無かったかのように霧散していく。
いや、本当は何も無かったんだとまりさは訂正した。

「ゆ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああ!!」
まりさはそれまでの弱弱しい態度が嘘の様に
雄々しくたくましい雄たけびをあげた。

そして枷を解き放たれたのかのごとく体を激しく震わせる。
「たたかってやる!!まりさはさいごまでたたかってぇ!!
そしてぜったいにむがぢみだいなゆ゛っぐりをでにいれ゛る゛んだああああああああああ!!!」
獣のように咆えて、まりさは口にはありすを殺した鋭い折れた木剣を咥えながら
何百何千という蟲達の待つ永夜緩居の真っ只中で

まりさはたったの一匹で蟲達に宣戦布告し、勝ち目の無い戦いへと呑み込まれていった。

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最終更新:2022年05月18日 22:47