前編より


「これが……これが俺の饅頭だ!」
そう言って満太郎くんが奄美ちゃんやデイビットと一緒にお饅頭を配っていく。
私の前にも来た。
「あ、ありがとうございます」
「ゆっくりめしあがれ!」
顔を見ると、黒い瞳が覗き込む私の顔を映していた。
私は顔を逸らすともうどうにでもなれという気分でそのお饅頭を口に放った。
さっきので味には慣れたから一気に飲み込んでしまえと思っていた。

「~~~~――ぐっうぐっ!?」
甘かった。
お饅頭がではなく私が。


嗅いだ事の無い物凄い異臭が口の中に広がった。
さっき市目さんのお饅頭で感じた違和感はこれだ。
その香りが未知であることが恐ろしいほどに私の口中の平和を苛んだ。
先ほどの比ではない吐き気が臓腑を襲う。
吐き出したい吐き出したい吐き出したい。
吐き出してここから逃げ出したい。

「~~!」
ぶんぶんと首を横に振ってその弱気な自分を追い返す。
ここは穏便に済ませると決めたのだ。
ことを荒立てるくらいなら死ぬ気で飲み込んでやる。

『ゆっくりかんでいいのよ』
口の中から私のではない声が聞こえた。
限界だ。
私は俯き周りに見て取られないようにそっと手の中にそれを吐き出した。
「ゆ?ちゃんとたべ」
そして二度と声を挙げないように握りつぶした。
「ぉごぅぉ……!?」
生暖かいぐちゃりとした触感が手に広がった。
ばれないように細心の注意を配りながらポケットにその手を突っ込む。
そして中に入っているハンカチで手の汚れをふき取った。
片手でそれをなすのは中々難しかったが必死さが足りない器用さを埋め合わせた。
「……ごちそうさま」
未だに口の中に残る謎の臭いに歪む表情を苦心して取り繕い
私はにこやかに皿を前に出した。

そして周りの様子に気付き私は驚いた。
「こ、これは……!?」
「ここまでゆっくり臭さを感じる饅頭は生まれて初めてだ!」
「なんで涙が出るんじゃあ……!」
私には全く受け付けない味だったのに、周りのリアクションを見るに悪くないどころかむしろ審査員は感動しているようにさえ見える。
これは一体どういうことか、そこまで味覚が違うのか。

「なんだ……一体どうなっている!?」
市目さんが狼狽して首を右へ左へ振り回していた。
「これが……これが俺たちの答えだ!市目輝也!」
「ゆっくりめしあがれいぢめおにいさん!」
そう言って満太郎くんが勢いよく小さいれいむの乗る皿を突き出した。
市目さんはわなわなと腕を震わせながら皿の上の小さいれいむを手に取り頬張った。
食べられるゆっくりの表情は最後まで満面の笑みだった。
それが私には妙に恐ろしい。
「むしゃむしゃ、こ、これは……!?」
強張っていた表情が一瞬緩みそして今度は驚愕へと変わった。
「ゆっくり臭ささやゆっくりの癖を矯正するどころか逆にダイナミックに強調することにより
口にしたゆっくりの生前の姿がありありと脳裏に浮かぶ~~~~!?
だがそれが味の邪魔をするのではなく素敵な甘さと自然の香りのハーモニーが俺の胸をジュクジュク締め付けてくるぞ!
なんてさわやかな後味なんだ~~~~~~!!」
あれがさわやかとか嘘でしょ。
私は耳を疑った。

「どうだ市目!」
「し、しかしこれなら饅頭としてのクオリティにおいて暗黒饅頭の方が上だ!
俺の勝利は揺るがない!!」
「それは違うわ市目くん!」
「何ぃ!?」
奄美ちゃんが審査員の方を指差したので私も市目さんと一緒にそちらのほうを見た。

「おおお……れいむぅ!れいむぅ!」
「ああここはなんだ~~~~私の故郷の山々がぁ~~~~~!」
「何故やたらと子供のころの思い出が浮かんでくるんじゃァ」
「ああ懐かしいのぅそうだ小さい頃は毎日れいむと鬼ごっこをして……!」
「おおれいむワシにあいにきてくれたのか……許してくれれいむ引越しの時連れていけなくて…!」
審査員の中年からおじいさんくらいの年齢の男の人たちがノスタルジックに浸り
わんわん泣きながらお饅頭を頬張る姿はわたしにとって異常以外の何者でもなかった。
しかしこのリアクションを見る限り、既に勝負の結果は明らかだった。

「ゆゆ!しんさいんさんたちみんなとってもゆっくりしたおかおだよ!」
「ど、どういうことだ……これは……!?」
「市目、お前は大変な間違いを犯していたんだ」
「な、何だと……!?」
「お前の暗黒饅頭は確かにすげぇ饅頭だ
だけど俺たちが扱うのはただの饅頭じゃねえ!心のあるゆっくりだ!
そしてそれを食べるのもまた心のある人間なんだ!!」
「…………!」
「まりさちゃん、これを」
奄美ちゃんが食べかけの頭に齧られた後のある小さなれいむをまりさの前に置いた。
「奄美……!?何を!?」
「満太郎くんとれいむちゃんの心の篭ったお饅頭なら……!」
「奄美ちゃん……!」
「…………」
まりさは何も反応しない。
「食べて、まりさちゃん……お願い!」
――――共食い強要ッ!?
「馬鹿が!まりさにはもう心は無いのだ!」
市目さんが吐き捨てるように奄美ちゃんに言った。
「ま、まりしゃぁ……」
髪も目も鼻も齧られてない小さなれいむがまりさの方をないはずの目で見つめているのがわかった。
震えた声でまりさに呼びかける。
「くっ、もう駄目なのか……まりさ」
満太郎くんが口惜しそうに拳を握り締める。

「まりさあああああああああああああああああああ!!」
と、そこへ向かいの机かられいむが大きな大きなジャンプをした。
放物線を描いたれいむはたったの二跳ねでまりさの居る机へと乗り移った。
「お、おかあしゃん……!」
小さなれいむが気配を感じて後ろに振り向いた。
その言葉で私はやっと小さなれいむとれいむの関係を知った。
「おちびちゃん!まりさをたすけるちからをかしてね!」
「うん!」
小さなれいむが元気に頷いた。
そして次の瞬間私は目の前の光景に自分の視覚を疑った。
「むーしゃむーしゃ、しあわせ~♪」
喰った。
一口で。
ダレが。
母親が。
ナニを。
子供を。

「~~~~~――カニデリバリーッ!?」
思わず意味のわからない単語が口から漏れる。
「まりしゃ……」
そしてれいむはとろんとした瞳で頬を赤らめながらまりさに近づきその唇に口付けした。
「……っ、ゅ……っむちゅ……」
ぶちゅぶちゅとどろどろしたかみかけのお饅頭と唾液と空気の混ざる音がした。
口移しでお饅頭を、子供のれいむをまりさに食べさせているのだ。

どれほどの時間それが続いただろうか。
二匹はぶちゅれるんという音を立てて離れた。
「あのときの……れいむとまりさのふぁーすとちゅっちゅのつづきだよ、まりさ……」
何かそういう思い出があるらしい。
私の知るところではないが。
「…………」
切なげに瞳を潤ませるれいむと放心状態のまりさ。
そしてごくんと何かを飲み込む音がした時、まりさの瞳から涙が一筋零れ落ちた。
「れ、れ゛いむ゛うううううううううううううううううう!!」
「まりさ……ずっどばっでだよま゛り゛ざあああああああ!!」
二匹は感極まり抱き合うかのように頬やら何やらを擦り合わせはじめた。


「ば、馬鹿な……まりさの心は俺が完全に奪い去ったはず……!?」
「それは違うわ輝也くん……」
「ショセンアナタノギャクタイハマリササンノココロヲオクソコニフウジテイタニスギマセーン」
「封じられていた心を満太郎くんのお饅頭が……ゆっくりの命と心の力でおいしくなったお饅頭が呼び覚ましたのよ!」


「これが……心の力だ!市目!」
満太郎くんがドン、と拳で自分の胸を叩いた。
「……そんな」
その音を合図に市目さんがその場に崩れ落ちて膝をついた。

「決着……じゃな」
「斎京のおっちゃん……!」

「いいえ、まだです斎京おじいさま」
「え?」
満太郎くんが首をかしげた。
「まだあちらの方のお饅頭を頂いていないもの」
うわあここにきて私に振るか。
そう思い私は慄いた。
「い、いやあ今更私のお饅頭なんて……」
一通り見終わって思った、今更このわけの分からない勝負に参加なんかしたくない。
「ゆっゆっゆれいむたちはおねえさんなんかにまけないよ!」
やめてそんな目で見ないで。
「ちっ、仕方ないな
最初にそういったもんな」
別に反故にして良いと思います。
と思ったもののこの空気で断れるほど私は図太くは無い。
「そ、それじゃあどうぞ……煮るなり焼くなり」
流されるままにお饅頭を入れた重箱の包みを差し出す。
包みは開かれ手際よく中のお饅頭は皿の上に乗せられ配られていった。
私はただただ何事も無く終わることを願って俯いていた。

「さて、それじゃあ頂こか」
もそもそとみんながみんな私のお饅頭を頬張り始める。
おじいちゃんに食べてもらおうと思っていたものだったが致し方ない。
私はことを荒立てるのが嫌いなのだから。
平穏無事最高。

まあそれはそれとしてこの人たちに自分のお饅頭がどう評価されるかは気になる。
もしめちゃくちゃに言われても、さっきの満太郎くんのお饅頭が全く私の口に合わなかったので味覚が違うと思えば気にならない。

さっきのお饅頭のことを思い出すとポケットの中で何かが動いた気がして慌ててポケットに手をつっこむ。
何も動いては居ない。
大丈夫、ただのぐちゃぐちゃになったお饅頭だと自分に言い聞かせた。


審査員たちはただ黙々と私のお饅頭を咀嚼している。
「ゆっふっふ、おねえさん!れいむたちのおいしさにかなわなくてもがっかりしないでね!」
「ゆ!れいむならきっとかてるよ!」
「ゆふふありがとうまりさ!」
れいむは自信満々に笑みを浮かべている。
いやもうそういうことでいいですと胸中で返事しておいた。
「……これは」
そんな中で斎京さんが口を開いた。
「漆黒の宇宙じゃ……」
その顔は恍惚としていながらどこか虚無的な表情だった。
「さ、斎京のおっちゃん……!?」
意味が分からなかったのか満太郎くんが斎京さんの顔に目をやった後私の方を見た。
やめて私も全然意味分からないからそんな目で見ないで。

「なんという静謐……」
「まるで饅頭の中に餡子という一つの小宇宙(コスモ)が封じ込められているようだ……」
「これは……まさに宇宙開闢以来の静寂……!」
彼等のリアクションが本格的に理解できない。
私は何か未知の生物を見るみたいに審査員たちに目をやった。

「これは……俺の暗黒饅頭と同じ発想で作られているのか……!?
だがその完成度・原点共にまるで別次元だ!!!!」
「市目!?」
わなわなと震えながら私のお饅頭を頬張る市目さん。
そのリアクションに驚きを隠さない満太郎くん。
私はどうすればいいの。

「これに比ぶれば、市目の饅頭はこの饅頭のデッドコピー!まがい物!クズ!満太郎の饅頭なんぞは豚の餌じゃああああああ!!」
「ど、どぼぢでぞんな゛ごどい゛ぶの゛お゛おおおぁお゛ぁお゛ぉ゛お゛ぉぉおおおおおおお!?」
あまりの言い草に目を血走らせて口泡を飛ばしながら喉(どうみても無いが)が張り裂けんばかりに怒号をあげた。
私はその睨みの利かせ方にれいむの目が飛び出してぽろりと落ちてしまうのではないかと心配した。
「言ったら悪いがこれを喰ったら満太郎くんの饅頭は臭くて喰えたものではないわぁ!」
「れ゛いむ゛のおぢびぢゃんに゛ひ゛どびごどびばだいでえぇぇええええ!!!」
もはや解読不能な叫び声をあげてれいむが審査員に飛び掛った。
「触るな!グルメ値が下がる!」
「ゆ゛ぶぢッ!?」
そして片手で払われて飛び掛った勢いの倍くらいの力で地面にたたきつけられた。
「て、てめえ!俺のれいむに何を!!」
満太郎くんがその審査員の襟首を掴んだ。
「文句はこの饅頭を食ってから言え!」
「なんだと!くっ、むしゃむしゃ」
意外と素直に満太郎くんは私のお饅頭を平らげた。
「こ、こんな馬鹿なことが……こんな……」
そして茫然自失の体で地面に膝をついてしまう。
やめてやめてやめて私のお饅頭食べたくらいでそんな悲しくなる顔見せないで。
「お゛に゛い゛ざんなに゛がいっであげでよおおおおお!!れ゛い゛むばお゛い゛ぢいよおおおおぉぉぉお!!
どっでぼあま゛あ゛ま゛だよ゛ぉぉぉおぉおぉお゛!!」
「れ、れいむ……」
縋りよるれいむに満太郎くんはすまなそうに顔を背けた。
そして立ち上がり私に詰め寄る。
市目さんも斎京さんも奄美ちゃんも他の審査員たちもみんなみんな。
「あ、あははは」
私は正座したまま瞳に涙を、顔に乾いた笑いを浮かべて彼等を見上げた。
「「「どうやってこんな饅頭を作ったんだ!?」」」
正直この時の私は正気を失いかけていたと後からか思い出しても思う。
ここではぐらかしてさえいれば今頃どうなっていたか。
「ははは、そりゃ小麦粉練って皮作って小豆を煮て餡子作って皮で餡子をつつんだに決まってるじゃないですかぁ~~
それを蒸すんですよぉえへ、えへへ
あはははははっはははっはははははははははは」
「なっ!?」
「ソンナバカナコトガー!?」

「生命の創造……貴様、神にでもなるつもりか!?」
「しかしこの味はゆっくり臭さや癖を消したというよりも初めからそんなものはなかったと考えたほうが説明がつく!」
「そんな……」
「味の究極を求めるあまり神の領域に手を出すなど……狂ったか、少女よ!?」
「お、俺は認めない……そんなゆっくりでさえない饅頭の存在を、俺は!」
「デスガカノジョノオマンジュウガコノナカデイチバンオイシイノハジジツデース」
彼等の返す言葉を聞いて私はやっと合点が行った。
そっか、そっかぁおかしいのは私なんだへへへへへ。
じゃあ周りはおかしくなんかないんだ平穏へイオン大丈夫。
何も変なことなんて無かった私心配して損しちゃった。

「頼む!教えてくれ!どうやって人工で饅頭を」
審査員の一人が私に詰め寄る。
やだなぁさっき説明したのに。
聞いてなかったのかなぁ。
もう一度最初から教えてあげなくちゃ。
「えへへへへへだからぁ小豆をゆでてぇ?あれぇ?」
私は口を開いた瞬間に広がったしょっぱい鉄臭いものを舌の上で弄んで首をかしげた。
この味は知ってる。
小学校の体育の時転んで、その時こんな味がしたっけ。
どさりと何かがかぶさってくる。
さっきの審査員の人だ。
「え?」
生暖かいものが胸の辺りに広がっていく。
何コレすごい臭い。
どうしたんだろう。
みんなびっくりした顔してる。
あれ、奄美ちゃんなんでソンナ怖い顔してるの?
「人工饅頭生成の禁を犯したものは……目撃者もろとも死んでもらうッ!」
え?え?え?え?え?
「あ、奄美お嬢さっぎゃああああああああああああああ!!」
奄美ちゃんの手には赤くて尖ったクナイみたいなものが握られて居た。
それが深々と審査員たちの胸に吸い込まれていく。
「おごっ、あがぁっ!?」
「人殺しぃぃぃいいいいいいい!!」
え、なんで?
私は我に帰って覆いかぶさる男の顔を見た。
生気の無い顔で血を吐きながら痙攣する男の顔を。
「ぅ、ゥあああああああぁぁぁあぁあぁぁあああ!?」
私は驚き悲鳴をあげながらその男を突き飛ばした。
首筋からはびゅんびゅんと血が噴出している。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
私は一歩も動くことが出来なかった。
「奄美ちゃん何を!?」
満太郎くんが彼女を押さえ込もうと後ろから飛び掛る。
「……」
それをスルリとかわして鳩尾に一撃入れると彼女は私の方へと歩いてきた。
「ゆっくり饅頭界闇の掟を犯した以上、私は饅頭クノイチとしてあなたを逃すわけにはいかないの
ごめんなさいはしないわ、掟だから」
「奄美……まさかお前が世界の裏に潜む『黒のゆっくり協会』がひそかに業界に忍ばせているゆっくり隠密だったとはな……!」
クナイの刺さった肩を抑えながら市目さんが苦しげにそう漏らした。


「た、たすけ」
私は瞳に涙をためながら呻いた。
「さよなら」
「や゛べでお゛でえ゛ざぁぁあああん!!」
振り下ろされたクナイと私の間にれいむが飛び込んだ。
ブスリと、深々と、あっさりとそれはれいむの体に突き刺さった。
「れ、れいむううううううううううううううう!!」
地面にうずくまる満太郎くんの絶叫が木霊する。

「ちっ、今度こそ」
そう、今度こそ私の番だ。
やっと私は観念した。

パァン。
「ガァッ!?」
何か炸裂音がして奄美ちゃんが腕を抑えて仰け反り地面に転がった。
「デ、デイビットォ……キサマァ!!」

後ろを振り向くと金髪碧眼の料理人デイビットが、硝煙の昇る銃口を奄美ちゃんへと向けていた。
「クハハハハ、コレガブラックユックリスミスタチガヒタカクシテキタシンノデリシャストイウワケデスカ!」
むしゃむしゃとおいしそうに私のお饅頭を頬張りながらデイビットは笑っていた。
「な、何をする気だデイビット!?」
市目さんが驚愕の表情でデイビットを見つめていた。
「ワタシハマンタローノマンジュウコソベストデリシャスオマンジューダトシンジテツイテイキマシター
デスガーソレイジョウノデリシャスヲルックシタイジョウハソノオカタニツキシタガウマデデース!」
「この……毛唐がぁ~~~~!」
「デリシャスイズジャスティース!!」

奄美ちゃんの飛びクナイとデイビットの銃弾が交差する。

「ガハァ!」
デイビットが右手を押さえて崩れ落ちた。
同時に奄美ちゃんも太ももを押さえて膝をつく。

「いやああああああああ!!ゆっぐりずるのぉぉおおおおお!!
ま゛り゛ざゆっぐぢづずぅぅうううう!!!
もうやだおうぢがえるうううううううう!!」
「い、今は、よせまりさ!!」
市目さんの制止も聞かずにまりさがその場を飛び出し逃げ出そうと走り出す。
「逃がさん!!」
といまだしゃがみ込んでいる奄美ちゃんの飛びクナイがまりさの背中を抉った。
「ゆごぉっ?!」
その場で顔面から地面に突っ込みまりさは痙攣し背中の傷から餡子を撒き散らす。
「おっご、ゆ、ゆっぐり……や゛っどゆ゛っぐりでぎぶど……れ゛、りえ゛ぶ」
希望を見出したゆえにニ度訪れてしまった絶望に苛まれながらまりさのか細い末期の声が胸に痛い。
「まァァァああぁぁああぁぁあありさぁぁあああアアァァあああぁぁあァァア!!」
一体どういう風にまりさを見ていたのだろうか、余人には理解し得ない市目さんの絶叫が木霊した。


「ひっ、にげっ、逃げなきゃ、逃げ……」
私ははいずりながらその場から動き出した。
痺れて言うことを聞かない足を思いつく限りの言葉でののしる。

「逃がさんと言っている!」
そして後ろから放たれる飛びクナイ。
ああもう駄目だ。


そう思い目を瞑る。
どうしてこんなことに。

諦めた私の耳に届いたのは金属と金属が打ち合う音。
私は後ろを振り向いた。
包丁を手にした市目さんがそこに立っていた。

「い、市目さん……!?」
「くっ、よくも邪魔をぉお!!」
もうこの場に立っているのは彼と奄美ちゃんしかいない。
「満太郎!聞けぇ!!」
れいむの傍でうずくまっていた満太郎くんははっと顔をあげた。
「ここは俺が食い止める!!だからお前は俺が到達しえなかった究極の饅頭を!!」
「しぃぃいねぇぇええええ!!」
金属音と火花を散らせながら市目さんが包丁で飛びクナイを捌いていく。
だがその中に肉を切り裂く音が混じった。
ザクリザクリと捌ききれなかったクナイが市目さんの肉を切り裂いていく。
「市目ぇ!よせぇ!!!」
「こんなことを頼めるのはお前しかいないんだ!!
頼む!お前は饅頭道を行ってくれぇぇええええええ!!」

「お、おにいさん……」
「れいむ!?」
れいむがか細い声で満太郎くんに声をかけた。
「れいむは……ぶたさんのえさなんかじゃないよね……
れいむ、とっても……あまあまで……どんなおまんじゅうさんより……
おい、しぃ……」
「れいむ……」
満太郎くんは深い苦悩を浮かべ考え込んでから言った。
「ごめん、れいむ……俺は饅頭についてだけは嘘をつけない
この場で一番うまかったのはあいつの饅頭だ、俺たちじゃ歯も立たなかったよ……」
そう言って満太郎くんはまるで許しを乞うように頭を垂れて私を指差した。
「ぞ、ぞんな゛……ま、ま゛んま゛ん゛お゛に゛ぃざんのうぞづぎぃ……!
れ゛いぶぼいぢばんおいぢいっで……
だがっだがらでいむ゛も゛っどおいぢぐなろ゛うっで……お゛ぢびぢゃんだぢだっでぞうおぼっでぇ゛!
がえ゛ぢでぇ!だっだら゛れ゛い゛む゛のお゛ぢびぢゃんがえ゛ぢでっね゛ぇ!!」
驚愕に顔を歪めてれいむは満太郎くんを罵った。
「ごめん、ごめん、ごめん……!」
「れ゛い゛む゛……ぜがい゛でい゛ぢばんおいぢいお゛ばんじゅう゛に゛……」
それきりれいむは何も喋らなくなった。
満太郎くんは俯き震えたまま動かない。


「おい!お前の名前は!?」
なんとか足が動き出したので逃げ出そうと身構えていた私に満太郎くんが問いかけた。
「えっと、天内杏奈です!」
条件反射的に応えてしまう。

「天内杏奈ぁ!!俺は……いつかお前を越える饅頭を作ってやる!
俺の俺のやり方で!!必ず!!」
満太郎くんはそう私に力強く宣言した。
「ふっ、それでいい、満太郎……」
市目さんはそう言ってニヒルに笑い倒れこんだ。

それを合図に私は走り出した。
死にたくない死にたくないこんなわけの分からない状況で死にたくない。
私は林の中へ逃げ込んだ。

あれだけ怪我をしていればそんなに早く追って来れないはず。
そんな考えは私の頬の横を皮一枚の距離で飛びぬけたクナイを見て打ち砕かれる。
私は必死に逃げた。
横目に過ぎ去っていく木々に次々とクナイが刺さっていく。
後ろは見ない、見れない。
満太郎くんはどうなったんだろう。
もう殺されちゃったのかな。
私は死にたくない。
助けて、今日はおじいちゃんにお饅頭を届けるだけだったはずなのに。

気が付くと目の前に扉、私はそれを開いた。
そこでまた何かがズレるような音を聞いた。





「えっ?」
「なぁにをおっとろしいかおしとんね杏奈」
「お、おじいちゃん」
気が付くと私はおじいちゃんの家の玄関にへたりこんでいた。
全身汗びっしょり。
私は額を拭って頭を掻いた。
「あ、あはは、ぼーっとしてて」
さっきまでのは一体。
白昼夢でも見ていたのだろうか。
そうだ、そうに違いない。
「往来でもそんなんかい?危ないのぅ、そんで今日は何しにきたん?」
「お饅頭作ったから食べてもらおうと、思って、たんだけど……」
私は手ぶらなのに気付いて慌てて全身ぺたぺたと触ってお饅頭を探し始めた。
「忘れたんかい、ほんにおっとぼけた子やのうおじいちゃんしんぱいやわ」
「あはは……」
白昼夢を見ている間にどこかに忘れてきたのだろう。
「あーん自信作だったのにぃ~~!」
「またつくればええんね」
「一個くらいどっかに……」
未練がましく私は全身を探った。
そしてポケットの中に手を入れる。
べちゃりとした感触があった。
それを少し手に取りポケットから取り出す。
手に黒い餡子と皮と、白と黒の丸いものがついていた。
私はその丸いものをなんだろうと覗き込んだ。
白地に黒い点、黒い点が覗き込む私を映し出す。
ああそうだ、これは何かの目玉だ。
何の?それはもちろん決まっている。



「いやあああああああああああああああああああああああああああああ!!」



私はその場で気を失った。

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最終更新:2022年05月19日 13:00