『ゆ"びぃぃ!!!!』


「ゆっ!?」

突然の悲鳴でれいむの幸せで夢心地の気分は覚めた。
まりさと目を見合わせる。

「ゆゆ? なんのこえ? ゆ、ゆっくりできないよ」
「ゆ、ゆゆゆ…」

れいむとまりさは声の正体に気付いていた。
世界にたった一人の娘の声をどうして聞き間違えようか。
でもそれがどうしてあんな声を?
あんなに元気よく出ていったばかりなのに?

もう一度耳を澄ましてみたが何も聞こえない。
これで元気な声が聞こえれば気のせいだったと安心できる。
でもやっぱり何の声もしなかった。
幸せな気分は一瞬でけし飛び、代わりに心が不安一色で染まる。

「れーむ!!!」

れいむとまりさは飛ぶように駆けた。
一直線に子れいむの去った方向へと走り抜ける。
背の高い草木を押し倒し、背の低い茂みは飛び超え、
途中で小石を踏んでも枝で頬に擦り傷がついても、なりふり構わず出来る限りの最速で森を駆けた。

子れいむは広場に行くと言っていた。
それに悲鳴もちゃんとその方向から聞こえていた。
だからその途中にいるはず。

れいむとまりさは一層深い茂みをくぐって抜けた。



「ゆ"…ゆ"ぶう"ぅ"…」

うめき声が聞こえる。
その声の主を見ると子れいむは予想通りそこにいた。
だが、期待通りの"気のせい"ではなかった。

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!」
「れーむ"!! れ"ーむ"う"ぅ"ぅ"ぅ"ぅ"ぅ"!!!!」

子れいむは仰向けに倒れていた。
そして、頭の左側が無くなって、いや陥没していた。
傷口からは餡子が漏れ出し、周囲の地面にも茶色い飛沫が付いていた。
残った右目からは涙が滝のように流れ、口からは荒い息とともに悲鳴が吐き出されていた。

「あー、何だお前ら? 知り合いか?」

そして子れいむから数m離れた所に初めて見る動物。
いや、頭の根底にある知識で分かる。この動物は人間さんだ。
その人間さんは太い枝を持っていた。先は茶色い。
あの茶色いのは間違いなく子れいむの中身だ。

ゆっくりでも状況判断ぐらい出来る。
子れいむはあの枝で殴られた。
だがしかし、それを人間さんがやったとは信じられなかった。

なぜなら人間さんは親からも広場の仲間からも聞いたようにとっても優しい性格をしているはずなのだから。
それに…

「れーむ"!! れーむ!! ゆっぐりへんじじでぇぇぇ!!!」
「どうじだのぉ! なんでゆっぐりじでないの"!! ゆっぐりじようよぉぉぉぉぉ!!!」

我が子の傷ついた姿を前にして、親であるれいむとまりさは人間さんについて考える余裕はほとんどなかった。
そんなこと考えるぐらいならば子れいむを何とかしたかった。
れいむ達の必死な呼びかけが通じたのか子れいむの残った右目がれいむを映した。
そして震える唇で言葉を綴る。

「おがー、ざん。い"だい"よ"…ゆっぐり、じだいよ"…」

「れ"ーむ"!! ゆっぐりじだいならいっじょにゆっぐりじようよ"!!」
「ごんなげがずぐになおる"よ"! だがらだいじょうぶだよ!! だいじょうぶなのおぉぉぉぉ!!!」

「ざぶい、よ…おがーざん、からだ、がづめだいよ"…
 おが、ぁざん…おがーざん……お、があざぁん…だずげで、ごわい、よ"…」

「あ"あ"あ"!! ゆっぐりじでってよ"ー!!」

触れれば割れてしまいそうなほど弱った子れいむの傍でれいむとまりさは泣き叫んだ。


「うるさいなぁ。もう行くよ?」
「…ゆっ」

人間さんは子れいむのことなんてどうでも良さそうにその場を去ろうとする。
それに気付いたまりさは人間さんの方へと跳ねていった。

「まっでにんげんざん!! れーぶをだずげでね"!!」

そう、助けを求めに行ったのだ。
聞いた話ではお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれる優しい人間さん。
ならきっと助けてくれると考えたのだ。
だが人間さんの答えは期待とは全く逆のものだった。

「何で助けなきゃいけないんだよ。
 そもそもそいつを潰したのは俺だぜ?」
「な、な"……」

まりさはその言葉に驚愕せずにはいられなかった。
それ以上声も出さず頭がフリーズしてしまう。


その間にも子れいむは弱っていく。
れいむはそんな娘を見ることしかできない。

「おが、ぁ、ざん…おがーざ、ん…おがーざん…」
「おがーざんはごごにいるよ"!! だがらねぢゃだめだよ!!」
「お、がーざん……じにだぐ、ない"よ"………」
「じんじゃだめぇぇぇぇ!! まだれーぶはたぐざんゆっぐりできるのに"!!
 どうじで!! どうじでえええぇぇぇ!!!」

れいむの頭には子れいむとの思い出が断片毎に浮かんでくる。

最初の産声をあげたこと。
初めておかーしゃんと呼んでくれた日のこと。
それから初めて一緒に外の世界を散歩したこと。
広場に行った帰りにお友達が出来たことを喜んでいたこと。
そして日ごとに成長して、ようやく一人立ちしたこの日のこと。

これからも思い出を作っていけるはずなのに。

「ゆぶっ、げふっ…おがー、じゃん」

どうしてこんな苦しそうなの。
どうして顔が半分なくなってるの。

「おかー…さん……」

どうして、動かなくなっちゃったの。



子れいむは空気を吐くように小さく呟いたあと、二度と動くことはなかった。
さっきまで流していた涙ももう出ない。
風が吹かなければまるで時が止まったようでもあった。

「うそ、だよ…
 ゆっくりしてるだけだよね。れーむ、へんじをしてよれーむ」

れいむは生気が抜けたような顔をして何度も子れいむに返事を求める。
だがいくら声をかけても愛しい我が子の声は聞けなかった。

「あ、ああ…あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!
 なんでぇ!! なんでええええええ!!!」

れいむは子れいむの亡骸に顔を埋めて泣いた。
自らの母親が死んだときよりもずっと大声で泣いた。



「ゆ"う"う"う"う"う"う"う"!!!
 どうじでごんなごどじだのおおおお!!!」

子れいむから離れた場所で震えて子れいむの様子を見ていたまりさだったが、
れいむの様子から子が死んだ事を察して泣き喚いた。
そして子れいむを殺したと言う人間の足元に縋りつく。

人間はそんなまりさは冷たい目で見るだけだった。
まりさの問いには何も答えず、足に纏わりつくまりさを蹴り飛ばした。

「ゆ"っ…う、ううううう!!
 ごだえでよ!! なんでなの!! ゆっぐりごだえでよ!!」

地面を数回転して地面に伏したまりさだったが、すぐに起き上がると再び人間の元へと跳ね寄った。

「ふぅ」

ここでようやく人間は口を開く。
それと同時に太い枝を持った腕を振り上げた。

「そうやってウザいからだよっ!」
「ゆ"ぶべっ!」

まりさは人間の膝に向かって飛びこんでいたはずだった。
が、次の瞬間には地面に顔面から激突していた。

意識が一瞬飛んだ。
目の前が真っ白になった。
全身に、特に後頭部に強い痺れを感じる。
今痛いのは地面に当たった顔面だけ。

「ゆ"??
 ???
 ……??」

自分の身に何が起きたのか、まりさは数秒分からなかった。
激痛が遅れてやってきてようやく殴られたと分かった。

「あ、ひ…ぁあぎぃいぃぃぃぃぃぃいいい!!!!」

頭が割れるような痛み。
人間で言えば頭だけのゆっくりにとっては全身の痛みだ。

「ゆぎゅぶぅ…うぇ、げぼっ…
 びいい!! ゆびぃぃぃぃぃぃ!!!」

餡子を時折吐き出しながらもまりさは痛みに泣き叫ぶ。
ずくんずくんと鼓動のような衝撃が断続的に体中に響く。
まりさは今、人間に対する怒りも、子れいむを失った悲しみも頭になかった。
あるのは痛みの強烈な不快感と恐怖だけだった。



「まりざあ"あ"あ"あ"!!!!」

れいむは見ていた。
人間が太い枝を振り下ろし、まりさを叩き落したところを。
地面に落とされたまりさはピクピクと痙攣し、やがて大声で泣き叫んだ。

まりさの帽子は一瞬でぺちぇんこに潰れてまりさの頭に貼りついていた。
金髪と帽子の間からはまりさの中身が流れ出ていた。
あの貼りついた帽子を剥がしたらきっとまりさの頭はグチャグチャだ。

れいむは愛するまりさの名を叫ぶ。
本当はまりさに擦り寄ってあげたかった。
だがれいむはその傍に立つ人間への恐怖で腰が抜けた状態になっていた。
近付いたら自分も殺されてしまう、本能的に体がそう感じ取って一歩も動けなかったのだ。

「やだよ! やだよぉぉ!!
 まりざしんじゃだめ"ええええ!!!」

だから今れいむが出来るのはただ叫ぶだけ。
怒りも悲しみも全て声にして泣き叫ぶしか出来なかった。
だがれいむの叫び、願いは叶うことはない。

「あぶっ、ゆべぇぇぇ!! おげ…ゆごおぇぇぇ」

まりさは全身を苛む痛みと苦しみに耐えきれず餡子を吐き出し始めていた。
うつ伏せに倒れているので吐きだされた餡子はゆっくりと地面を這っていく。

「ゆ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!
 や"べでよ"お"お"!! もうや"だよ"!!!
 ゆっぐりざぜでよぉぉぉぉお!!!!」

森全体にも響き渡るような大声だ。
だがそれとは反比例するかのようにまりさの声は徐々に小さくなっていた。

「ゆ…ひ…ゆ"ぶ…」

もう吐き出せるだけの餡子がないのだろうか。少し体が縮んでいた。
死が近いのだろう。
さっきまで体をプルプル痙攣していたものが今は数秒ごとにブルッと体を大きく不自然に震わせていた。
そして回を重ねるごとにその震えは小さいものになっていく。

「おねがいゆっぐりじでよ"お"お"お"お"!!
 もう、やだだよお"お"…ゆげぇ……
 あ…ぎゅぅ、ゆっぐりじでえ"え"え"え"」


少量の餡子を吐き出しながらもまた叫ぶれいむ。
放っておけばいつまでも続きそうだったが、ここで人間が動いた。
泣き叫ぶれいむ達を無感情に眺めていた人間だったが、「はぁ」とため息をつくと枝をその場に捨てた。
カランと乾いた音が響く。

「ひっ」

枝が落ちる音にれいむは敏感に反応し、怯えた声を出して人間の様子を探る。
何せ次の瞬間には襲いかかってくるかも知れないのだから警戒して同然だ。
人間はそんなれいむを見て再び溜息をつく。

「ったく。
 これに懲りたら次から纏わりつくんじゃねぇぞ?
 お菓子くれだの遊んでだの会うたびに寄ってきやがる」

人間が何を言っているのかれいむには分からなかった。
餡子脳をフル回転させて何とか理解しようとする。
もっとも恐怖で頭が麻痺しているので何を言われても理解に時間はかかっただろうが。




子れいむとまりさを殺した男は何もゆっくりを殺しにきたわけじゃなかった。
春の実りを探しにこの森まで遠出してきただけだった。
しかしこの森のゆっくりは『人間さんはゆっくりさせてくれる』と思い込んでいる。
だから男に会ったゆっくりは当然のように自分もゆっくりさせてと何の警戒もなく、人懐こく、そしてしつこく近寄った。
最初は適当にあしらっていた男だったが、それが三回目になるとウザったく感じた。
四回目では怒りすら感じた。
そしてイライラしている五回目に出会ったのが子れいむだった。
子れいむも人間さんの噂は聞いている。
会えるなら会いたいとも思っていた。
そして――

「にんげんさん! ゆっくりしていってね!!」
「はぁ…またかよ」
「れいむといっしょにゆっくりしようよ!!」

子れいむは笑顔で男に近づいていく。
子れいむにとっては初めて会う優しい人間さん。
でも男にとって子れいむはイラつきの対象でしかない多数いるゆっくりれいむのうちの一匹でしかない。

「あー、ゆっくりしたいなら一匹でやれよ」
「ゆぅ、れいむはにんげんさんとゆっくりあそびたいよ!!
 いっしょにゆっくりしようよー!!」

子れいむは男の周りをグルグル跳ねまわる。
男は怒りを堪えているのか押し黙る。
そんな男の様子に気付かない子れいむは男の足に向かってスリスリし始めた。

「ゆゆーん、ゆっくりしようね!!」

ここで男はキレた。
足に擦りつく子れいむをまず蹴って転がした。

「ゆ…? ゆ、ゆっくりしてね…?」

頭に疑問符を、瞳に微かな怯えを浮かべた子れいむに男は近づいていく。
ちょうどその間に殴るのに手頃な太い枝があった。
男はそれを拾い、手を頭上に掲げ――

「ゆ?」

容赦なく振り下ろした。




後はれいむの知っている通りだった。
子れいむは男の一撃で頭の左を潰されて死に、まりさは脳天を潰されて死んだ。
れいむはガタガタと震えていた。
実際人間の言っていたことの真意は掴めていない。
だが男の言葉にはゆっくりへの怒りが籠っていることだけはよく分かった。
このままここにいたら殺されると思った。

だが真っ青な顔で震えるれいむに人間は手を出すことはなかった。
フンと鼻をならすとそれ以上何も言わず、背を向けてどこかへ去っていった。




怖い人間が去ったことでれいむはその恐怖から解放された。
でも周りの光景を見ると恐怖から解放されたことの喜びなどあるわけが無い。
心はどこまでも深く沈んでいた。

隣には蟻が数匹寄ってきた子れいむの亡骸。
目の前にはいつの間にか事切れていたまりさのなれの果て。

れいむはそれを見たところでもう泣くことも叫ぶことも出来なかった。
涙はとっくに枯れ果てた。口の中だってカラカラだ。
声だってもう枯れている。それに口を動かして声を出す体力すら無い。
れいむはただ、死人のような顔で子れいむとまりさを交互に視線を向けるだけだった。



れいむは最高の伴侶を得て赤ちゃんを授かった。
苦労もあったけどまりさの支えもあってその娘は立派に育った。
本当にしっかりとして優しい子で、明るい未来が待っているはずだった。
そうして旅立った子れいむは今ここで潰れていた。

今までずっと幸せだったのに。
三十分にも満たない時間で幸せは粉々に砕かれた。
壊れたのがおうちや綺麗な石といった物ならまた探せばいい。
でもれいむの家族はもういない。
死んだ家族が生き返ることはない。





れいむは呆然とその場に立ち尽くすだけだった。
もう二度と幸せな日々には戻れない。
れいむの不幸は続く。

まりさと子れいむの思い出が心にある限り、ずっと。


















by 赤福



ゆっくりが長い時間をかけて積み上げた幸せを破壊したい。
てなわけで前置きを長め取ってみました。長すぎ?
場面の節々で何度ヒャッハー我慢できねぇと叫びながら虐待的展開に派生させようと思ったことか。
読んでくださった方々はヒャッハー叫ばずに済みましたかね。

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最終更新:2022年05月21日 21:54