「落ち着きましたか?」

ずっと胸を貸してくれていた先輩が尋ねてくる。
持っていたハンカチは涙でぐしゃぐしゃだ。

「大分落ち着いたよ。もう大丈夫だから」

そう言いながら先輩から身を離して、なんとか笑顔をつくってみせる。

かなり長い間泣いていた。
屋上とはいえ授業中。
声を上げて泣いてしまいそうになるたび、冬馬先輩が苦しくなるほどギュッと抱きしめてくれていた。
泣き声は学校中に響かなかったけど、ブレザーに大きな涙のシミを作ってしまった。

「冬馬先輩の制服、涙で濡れちゃってるね」
「はい」
「鼻水もついちゃったかも」
「構いません」
「でも……」
「僕がいいのだから、愛菜が気にすることないです」
「やっぱりクリーニングに……」

言いかけた私を制すように冬馬先輩は首を横に振った。

「愛菜は僕のために泣いてくれた。それだけで十分です」
「冬馬先輩……」
「もうすぐ授業が終わる時間です」

冬馬先輩の言葉で腕時計を見るとあと10分ほどしか無い。

(もう教室に戻らないと)

その前に、熱を持った重い瞼が気になって手鏡を出す。

「これは……」
「どうかしたのですか?」
「腫れちゃってる」

瞼が腫れて33のような目になっている。
本当にマンガみたいだ。

「何が腫れたのですか? どこか怪我ですが?」

冬馬先輩は心配そうに私をのぞきこむ。
気持ちは嬉しいのだけど、居たたまれなくなって下を向いた。

「あんまり見ないで」
「愛菜?」
「そんなに顔をジッと見ないで」

それでも先輩が私を見ようとするから、思わず両手で目を覆い隠す。

「また涙が出てきたのですか?」

そう言って、冬馬先輩は自分のハンカチを差し出してくれた。

「違うよ。瞼が腫れて変な顔だったから。ただでさえ泣きじゃくって恥ずかしいとこばかり見せて嫌になったの」
「一向に構いません」
「私が恥ずかしいもん。だってこんな顔、見せたくないよ」
「ですが、さっきから僕達はずっと一緒でした。約1時間半ほどずっと愛菜の顔を見ています」
「それはそうなんだけど」
「愛菜が手で覆い隠しても今更ですし、気にするほど大差ないと思います」

冬馬先輩の言うことは正論だ。
だからと言ってハイそうですかと割り切れるものでもない。
女心を察してくれるほど心の機微に敏感なら今まで苦労はしていない。

「冬馬先輩。私が泣きながら言った言葉、それが答えだよ」
「どういう意味でしょう?」
「あのね」
「はい」
「えーっと」
「はい」
「私は先輩が好き。女の子は好きな人の前では少しでも可愛くいたいんだよ」

(言っちゃった)

冬馬先輩が昨日、移り変わる私の心の変化を知りたいと言った。
好きな気持ちを悟られるのが怖くて何度も逃げていた。
それで先輩を戸惑わせてしまった。
だから今度はちゃんと説明しなくちゃいけない。
先輩に分かってもらえるように。
芽生えたばかりの大切な気持ちを。

「それでね。冬馬先輩は私の事、どう思っているの?」

(さっき聞いた『ありがとう』がどういう意味なのか知りたい)

先輩は私が受け取らなかった手持ち無沙汰のハンカチを、変わらず無表情で見ていた。
持っている紺色の布をギュッと力一杯握りしめて目を閉じる。
それを畳まずポケットの中に強引にねじ込んでいた。
一連の行動にいつもの冬馬先輩らしさが無いと感じる。
そんな事を考えている内に、心が決まったのか前を向き口を開いた。

「愛菜の言う好きが異性への愛情からくるものと理解しました」
「その通りだよ」
「好意を寄せてくれた事。短命な僕を悲しんでくれた事。本当に嬉しかったです」
「……」
「……嬉しかったです」
「うん……」
「ですが……」

(やめて、聞きたくない)

「僕は愛菜の気持ちに応えることはできません」

耳を塞ぎたくなるような答え。
心のこもった優しい『ありがとう』の声に期待してしまった。
ただこの先の寿命を悲しんだ私への純粋な感謝の気持ちだったみたいだ。

「そうなんだ。ごめんね、変な事言って」
「いいえ。こちらこそすみません」

生まれて初めて告白して、見事に砕け散った。
さっき泣き過ぎたせいで涙ひとつ出てこない。
だけど、耳鳴りのように心臓はすごい早さで打っているのが聞こえる。

「わ、私の事、これからも守ってくれるよね」
「はい。亡くなったお母様との約束です」
「良かった。や、約束だもんね」

最初から約束だからと冬馬先輩は言い続けていたのに私が一方的に舞い上がっていた。
仲良くなれたと思ったのに。
私だけに笑顔をみせてくれたのに。
馬鹿みたい。
何を勘違いしていたのか。
本当に私は大馬鹿だ。

「まだ次の授業に間に合います。行きましょう」
「……うん」
「それから放課後は一緒に僕のアパートに来てください。会わせたい人がいます」
「うん……」

返事をするのが精一杯でほとんど頭に入ってこない。
私はフラフラとした足取りで教室へ戻った。

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