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冬馬先輩の後ろを黙って歩く。
会話の糸口を見つけたいのに、どう話せばいいか分からない。
駅前を抜け、築5.6年ほどの単身向けアパートの前で止まった。

「ここの二階に住んでいます。こちらです」

冬馬先輩はいつも通りの淡々とした口調で言った。
気まずいとか話しづらいという風でもない。
それはそれで気が楽だけど、私はその程度にしか思われていなかったのだと改めて凹んでしまう。
でも今は春樹を助けるため、出来る限りの事をしていくしかない。

「どうぞ」

冬馬先輩は鍵を開け、私を中に入れる。

「おじゃまします」
「まだ周防は来ていません。しばらく待っていてください」

玄関を入るとすぐワンルームがあった。
その奥がお風呂とトイレ。
第一印象は寂しい殺風景な部屋。
シングルのパイプベッドと勉強用の小さな平机。
教科書や参考書が整理されて入っているカラーボッス。
備え付けの簡易キッチンに、とても小さな冷蔵庫。
テレビや雑誌のような娯楽は一切置いていない。
本当に何も無くて、部屋が広く見える。

「こちらに座っていてください」

座るように促されたのは、黒いマットの上だった。

(これ、ヨガマットかな)

フローリングの床板よりは柔らかそうなので、そこに正座した。

(やっぱり、男の子の部屋も個性が出るな)

男の子の部屋に入ったのは春樹と隆くらいしか入った事はない。
中学の始め頃までしか入ったことはなかったけど、隆の部屋はおもしろかった。
食べ物に付属している玩具やヒーローもののフィギアなんかを机一杯に飾ってあった。
まるで勉強する気が無い勉強机やたくさんの漫画本。
途中で挫折して埃をかぶったギターなんかもあって、雑多でいかにも多趣味な男の子の部屋だった。

今の春樹の部屋はモノトーンで統一された綺麗でモダンな感じだ。
物も必要最小限しか置かないところは冬馬先輩と似ている。
でも旅行に行ったらお土産物屋でご当地名の入ったちょうちんを見つけると嬉しそうに買ってくる。
それが幾つか並べられていて、全体の印象が少し残念な部屋になっていた。

先輩の部屋を見渡すと、ベッドの下にダンベルがあるのに気付く。
ヨガマットといいダンベルといい、筋トレが趣味なのだろうか。

「水しかありませんがどうぞ」
「ありがとう」

机にペットボトルの水が二本置かれる。
私は目の前に置かれたボトルのふたを開け、水を一口飲んだ。

「冬馬先輩は筋トレをするの?」
「時々ですが」
「ダンベルあるしあれは……何だっけ」
「ハンドグリップですか?」
「そうだった。握力を鍛える道具だよね」
「良くご存知ですね」
「少し前、ダイエットで使ったから」

私もバランスボールや色々試してみた事はある。
だけど結局長続きしなかった。

「愛菜ならダイエットなど必要ないように思いますが」
「絶対必要なの。スカートやパンツがきつくなったら気になるんだよ」
「そういうものなのですか?」
「女子はそういうものなの」
「そうですか……」

そこで会話が途切れる。
話をしないままだと、いつまでも無言になってしまいそうだった。

「あの……筋トレってどうやるの?」
「僕のやり方ですか?」
「うん。私、頑張っても長続きしなくって。教えて欲しいな」
「でも愛菜はスカートです」

少しでも会話を弾ませようとしたけれど、制服のまま来たから当然スカートを履いている。
この格好では筋トレは出来ない。

「そうだった……」
「では座ってやってみますか?」
「うん」
「ではこちらに」

冬馬先輩は私の手を取って、ベッドに座るよう促した。

(先輩のいつも寝てるベッド……)

腰掛けただけなのに、ベッドのスプリングが古いのかギシっと音を立てた。
そのすぐ横に冬馬先輩も座る。
片思いだと分かったのに、こんな些細な事でまだ胸がザワつく。
たった二人きりの空間だと思ってしまうと、急に気恥ずかしさが出てきた。

「愛菜は鍛えたい箇所はありますか?」
「あのね……二の腕のプニプ二が気になるかも」
「プニプ二ですか?」
「えっと……腕の裏って普段使わないからたるんできて。鍛えられる?」
「……アームカールがいいでしょう。簡単なトレーニングです」

先輩はテーブルのペットボトルを持ってくると、ひじを支点にペットボトルを肩の高さまで持ち上げた。
それを右左交互に上げ下げした。
冬馬先輩は姿勢も良くて、まさに見本という感じだ。

「これがそうです。愛菜もしますか?」
「うん。簡単そう」

私は冬馬先輩がしたようにペットボトルを肩まで持ち上げた。

「違います。二の腕は上半身に密着させて、肘はこう動かさないように」

先輩は顔色一つ変えずに、私の肩を抱き、腕を掴んで引き寄せる。

(教えてくれてるだけ。教えてくれているだけ)

先輩に他意はない。
むしろ真剣に教えてくれている。
顔を寄せて体を触られるていると目が回ってしまいそうだ。

「その姿勢です。そのまま上下に10回ずつを3セットしてみましょう」

納得する形になったのか、私から体を離して指導してくれる。
先輩が作ってくれた姿勢を崩さないように、ペットボトルを上げて下げていく。
軽いペットボトルだからと余裕に思っていたのが間違いだった。
終盤では腕がプルプルと悲鳴を上げる。

「あれ……ペットボトルってこんなに重かったっけ」
「普段は反動を利用して持ち上げているだけです。軽い物でも十分トレーニングになります」
「へぇ。私、やり方を間違えていたんだね」
「正しい姿勢で毎日していれば二の腕も引き締まってくるでしょう」
「冬馬先輩もペットボトルでこの練習を?」
「僕がするなら、負荷はあれです」
「フカ?」
冬馬先輩はベッドの奥にあったダンベルの一つを掴んで持ち上げた。

(そっか負荷ね)

「それ、私が持ってみてもいい?」
「愛菜には少し重たいです」
「平気平気って……わっ!」

ダンベルの重みで体を持っていかれそうになる。
すんでのところで冬馬先輩に支えられていた。

「危ないです」
「……ごめん」

よく見ると、ダンベルには20キログラムと書いてある。
一対で使うという事は、計40キロだ。

「すごい! 冬馬先輩って力持ちなんだね」
「最初は無理でした。少しずつ負荷を上げていけば可能です」
「私でも出来るかな」
「それは……難しいかもしれません」

(そういえば……冬馬先輩との出会いって)

一番最初の出会いは私が学校で足を挫いた時に冬馬先輩が保健室へ運んでくれた事だった。
その日私はお姫様抱っこというものを始めて経験した。
怪我をして痛かったし、突然の事でただビックリしただけだった。
けど、よく考えれば全身の筋力が相当ついていないと簡単には持ち上がらない。
軽々と持ち上げてくれたのには、長い期間の日々の訓練があったから。
そんな簡単な事なのに今頃になって知る。

「やっぱり冬馬先輩はすごいね。ヒーローだよ」
「ヒーローですか」
「私が困っていると颯爽と駆けつけてくれる」
「では僕にとって愛菜がヒーローです」
「私が? いつも助けてもらってばかりなのに?」
「はい。でも女性でヒーローはおかしいです」

(私がヒーロなんて変な冬馬先輩)

「きっと返すのは今なのでしょう。愛菜、これを……」

冬馬先輩は自分の首の後ろを探った。
そして私の手に小さなペンダントのロケットを乗せる。

「愛菜の部屋に入った時、アルバムが無いと気付きました。
それは今のお母様に気を使って、あえて亡くなった母親のは処分した。違いますか?」
「どうして……それを?」
「この中には僕の大切な人の写真が入っています」

言われるまま金のふたをそっと開ける。
すると、とても懐かしい顔が現れる。
いっぱい甘やかしてくれた思い出。
たくさん叱ってくれた思い出。
時を越えて私の中からあふれ出てくる。

「お母さんっ……」
「もう僕ではなくあなたが持つべきだ」
「でも……一番大切な物じゃ」

冬馬先輩はどんな時でもネックレスをしていた。
肌身離さず持つほど、これはかけがえの無い宝物だという事だ。

「構いません。愛菜が受け取ってください」
「そんなの出来ないよ」

私は先輩の手にロケットを握らせる。
すると冬馬先輩は私の背後に回り、ネックレスの留め金を勝手につけてしまう。
首に微かな重みを感じた時には、ロケットが胸元で揺れいてた。

「もうこれであなたの物です」
「でも……」

首にかかったロケットを握り締める。
いくらなんでもこんな大切な物もらえない。
殺風景な冬馬先輩の部屋には生活に必要なもの、自分を鍛えるものしかない。
その中で唯一の心のよりどころはこのロケットだけだ。

「僕の気持ちです。ですから受け取ってください」

(気持ちって……先輩は何を考えているの……)

あっさり振った私に一番大切なものをくれる。
私の事がただの主なら、ここまで大切な物をくれるはずが無い。
娘に返すつもりだった。
……だったらなぜもっと早く渡してくれなかったのか。

(先輩が分からないよ。教えてよ、お母さん……)

私はロケットを握り締める。
写真のお母さんに理由を尋ねてみても、微笑むだけで何も答えてくれなかった。

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最終更新:2020年06月15日 20:48