(おなかすいた)
眼球だけうごかして周りをみる。
(よるだ。何かたべたい)
とにかくおなかぺこぺこだった。
いつものつめたい箱の中にたべものがあるはず。
深い海の底のようなとても静かなよる。
わたしはおよぐように階段をおりる。
つめたい箱の扉を開けるとまぶしくて目がくらんだ。
あかりは嫌い。
目がつぶれてしまいそう。
まぶたを閉じて、匂いでたべものをさがす。
(きょうはすくない)
愛菜のははおやがかえってこなかったから食べるものがほとんどない。
それでもあるだけぜんぶ食べる。
(ぜんぜんたりない)
いちばんのごちそうの匂い。
でもあれをたべたくないと私はいう。
たべたいわたしとたべたくない私。
どっちもどっちでせめぎあってる。
眩しいおひるは私の時間。
暗いよるはわたしのじかん。
だけどまぶしいおひさまの中でもわたしは私の中にいる。
あがものの腕に抱かれたときも、御床で寝たときもごちそうのいい匂いだから胸がたかなった。
それを昼の私は『ドキドキする』と言っていた。
胸のたかなりをダイスキとかんちがいしてるのが、とってもおもしろい。
わたしはおよぐように客間のふすまをあける。
あがものは上半身だけ起きあがってわたしをみていた。
「愛菜」
「とうませんぱい」
私を真似してわたしは言った。
「愛菜……じゃない。愛菜の中にいる鬼か」
「わたしは愛菜だよ」
まちがってない。
わたしも愛菜だから。
言葉だってそっくりおなじようにはなせる。
「愛菜は眠っているのか」
「わたしはおきてるよ。とうませんぱい、とってもいい匂い」
おいしい匂いに誘われて、あがものの衾に入り込む。
「とうませんぱいあったかいね」
「なっ……」
あがものは慌てたのか、衾から這い出てしまった。
「せんぱいのいくじなし」
「愛菜、早く起きてください」
「おきないよ。だっておきてるから」
「好き勝手を……すぐに愛菜に変わるんだ」
「だってわたしも愛菜だもの」
あがものはわたしの手首を掴んで、見据えてくる。
「お前の狙いは僕なのだろう」
「あたり。ごちそうをたべにきたの。だってずーっとおいしそうな匂いをたれながすんだもん」
「今、ここでお前に喰われる訳にはいかない」
「えぇ、おなかすきすぎてお昼の私、死んじゃうかも」
「どういう事だ」
「お昼の私なんていつでものっとれるよ。いなくなっちゃえば、死んだとおなじことでしょう? それとも餓死のほうがこのみなの?」
昼の私はとってもいい子。
ゆめのなかでみにくいわたしをともだちにしてくれた。
きらいじゃないから消さないだけ。
ただしそれだけのこと。
「愛菜の自我が人質か。卑怯な」
「あがものの命もとらない。わたしも愛菜だからやさしいよ」
あがものは考えてだまりこむ。
長いあいだはなさないから、わたしはしびれをきらす。
「しかたがないなぁ。まいにち、すこしだけ。いっぺんに食べるなくなっちゃうから」
「毎日、僕を少しずつ喰らうという事か」
「いたくするだけ。しなないよ」
「本当にそうすれば、愛菜の自我を守るんだろうな」
「やくそくしてあげる」
まただまって考えてる。
わたしはまた、たいくつになる。
昼の私はこんなののどこがいいんだろう。
たましいはおなじでも、あのひとじゃない。
だからただのあがもの。
ぜんぜんたいせつじゃない。
「わかった。ただしこちらからの条件がある」
「じょうけん?」
「愛菜の味覚を返して欲しい。一緒に食事出来ない事にとても傷ついている」
「ひとのしょくじ。いいよ、もどしてあげる」
わたしはじぶんのからだの感覚をくみかえていく。
「なおった。ひとにちかくしたよ」
「僕はどうすればいい。お前の食事になるんだろう」
どうしよう。
せがたかいから、たったままだとめんどうだ。
「うえのふくをぬいで、もういちど寝ればいい」
あがものは何も言わずに、おとなしくしたがう。
もっとこわがってくれたらたのしいのに。
「きれいなからだ。ひとがひとをじっけんでつくるなんておもしろい世になったね」
「無駄口はいい。やるなら早く」
「とうませんぱい、いじわるいわないで」
「また愛菜の真似のつもりか」
「そうだよ。そのほうがおもしろいよね」
ねているあがもののうえにまたいでのる。
くみふせたのにかおいろひとつかえない。
しゃくにさわる。
「せんぱい、どこからたべてほしい?」
「…………」
「どこにしようかな」
いじわるしたくなって、からだのいろんなところをそっと指でなぞる。
はだがあわだってきておもしろい。
「くっ……早く決めろ」
「きめた。ここにする」
はわしていた指をくびすじでとめた。
わたしはぺろっとしたなめずりをする。
そしてゆっくりかおをよせていった。
最終更新:2020年07月05日 09:32