研究所の入り口前で私達は立ち止まる。
ガラスの自動ドアの横にはセキュリティ用のカードリーダーが設置されている。
ロビーの照明がほとんど落とされていて、中はかなり暗い。
非常口の緑の明かりがぼんやりと光っていた。
建物は古いけれど、まだ利用されている形跡はあちこちにある。
「大きい結界……」
私が軟禁されていたのと全く同じ結界が建物全体に張られている。
やはり私は半年近くこの研究所内に囚われていたのだろう。
「その結界に触んないほうがいいよ。愛菜ちゃん」
「修二くん……」
「この結界、愛菜ちゃんだけ屋内に入れるよう細工されてる。おまけに入ったら出られない。
それでも一人で乗り込んでみる?」
「遠慮しとくよ」
「てか外部からの直接攻撃はほぼ効かなそう。気が遮断されてるから中に入っても霊気の加護も受けられない。
それにしてもこの術式は複雑そうだねぇ」
「大丈夫かな」
「ここまで強力なのは想定してなかったからねぇ」
(修二くんでもこの術式が複雑なんだ。私が出れないわけだ)
結界のことに詳しそうな香織ちゃんと一郎くんを見る。
すると二人で何か話しているようだ。
「どうなの、委員長」
「長谷川はどう見る?」
「この術式と似たものなら転生前に見たことあるわ」
「解除できそうか」
「時間を掛ければいけるかも。ただ圧倒的に私の力不足ね」
「まだ力が馴染んでいないのか」
「もう少し早く私の力が戻っていたらね。あと……」
「建物のセキュリティの方は俺が何とかしよう」
「できるの?」
「何のために主流派と接触してきたと思っている」
「さすが委員長。対策済みって事ね」
(どうにかなりそうって事なのかな)
「兄貴。あれが必要だろ」
「そのバッグの中に入っている」
修二くんはゴソゴソと肩に掛けていたボディバッグを漁ると、手のひらほどの黒い箱を取り出した。
「それ何?」
私はボディバッグを肩に掛け直している修二くんに尋ねる。
「小型PCだよ」
「PCってパソコンって事?」
「そ。愛菜ちゃん、始めて見るの?」
「うちにもノートがあるけど、もっと大きいから」
「早くしろ。修二」
一郎くんが急かすように声を掛ける。
「話しかけて邪魔しちゃったね」
「兄貴が短気なだけだよ。いちいちあんなのに謝んなくて良いから」
修二くんはそう言って、一郎くんに小型のパソコンを渡した。
一郎くんはそれを奪うように乱暴に取り上げてしまう。
「あんなので悪かったな」
「あっ、怒った?」
「当たり前だ」
「一郎くん。ごめんね」
「大堂はいい。修二の言い方が気に入らないだけだ」
「兄貴は本当に短気だなぁ」
「お前のその態度がいつも俺をイラつかせるんだ」
「ストップ、二人とも」
香織ちゃんは兄弟喧嘩の仲裁にはいる。
「委員長はここのまま建物のセキュリティの解除をお願いできる?」
「わかった」
一郎くんはカードリーダーの配線の一部を器用に外すと、自分のパソコンの配線を繋いでしまう。
そして自分のバッグの中に用意していたキーボードを繋ぐと、すごい勢いで何かを打ち込み始めた。
「修二くんは私のサポートをして欲しいんだけど」
「え? 俺が」
「そうよ。私、まだ力が戻ったばかりだし、力を貸して」
「しょうがないなぁ。香織ちゃんの頼みなら聞くしかないかな」
修二くんの協力を得ると、香織ちゃんは私に振り返る。
「愛菜」
「何? 香織ちゃん」
「結界を解除するにはかなり時間が掛かるの」
「そうなんだ」
「でも一人だけなら、何とかできそうなのよね。そこで提案なんだけど」
「提案?」
「やっぱり建物内の捜索は剣に任せようと思うんだけど、愛菜はどう思う?」
(まず冬馬先輩だけ、建物に入るって事だよね)
半年前、冬馬先輩だけ建物に入って亡くなった。
また同じような状況になってしまうという事だ。
(冬馬先輩を一人だけにはさせたくない)
「私は反た――」
「愛菜」
今までずっと黙っていた冬馬先輩が遮るように口を開く。
「どうしたの冬馬先輩」
「僕がこの中で一番攻撃特化です。ここは香織さんの意見通りにすべきかと思います」
「でも……それじゃ……」
「次に高い能力の宗像一郎は鏡で対になっていないと力を発揮できない。やはり僕以外に適任は居ません」
「そうなんだけど……」
(どうしよう)
冬馬先輩を殺した犯人は中に居ると思ったほうがいい。
前回より状況は良いけれど、加勢できるようになるには時間がかかる。
もし犯人と冬馬先輩が加勢前に遭遇してしまったら。
(最悪の事だって……)
「雨もしばらくすると止みそうです。僕の力が最大限発揮できるのは雨が降っている時です」
「けど……」
「指きりの約束もあります。僕も愛菜と文化祭に回りたいです」
「冬馬先輩……」
「全員で施設に入れるのを待っていては、時間的にも文化祭の参加は難しいです」
(冬馬先輩を一人にする状況を作らないようにすれば、未来は変わるかもしれない)
「じゃあ、私も冬馬先輩と建物の中に一緒に入るよ」
「ちょっと待ってよ、愛菜」
香織ちゃんが私の言葉に声を上げる。
「敵の狙いはあんたなのよ」
「でも私には治癒の力があるよ。もし冬馬先輩が怪我をしてしまったら助ける事ができる」
「それはそうだけど、無茶よ」
「お願い。香織ちゃん」
香織ちゃんは難しい顔をしたまま黙り込んでしまう。
「長谷川。大堂に行かせてやるといい」
小型パソコンを操作しながら、一郎くんが独り言のように呟く。
「でも委員長。もし愛菜が捕まったら……」
「現実の大堂は軟禁状態。未来は変わらず、きっとそのままだろうな」
「だからこそ胡蝶の夢で変えなくちゃならないんじゃない」
「それは本来の巫女の願いではないぞ、長谷川」
「どういう意味よ」
「巫女はその剣のために力を使った。そうなのだろう? 大堂」
「うん。私は冬馬先輩が生きている未来に変えたいんだ」
「巫女の願いに異を唱えるのを一番嫌っていたのはお前だろう、勾玉」
「でも……」
「巫女を助ける事が俺たち道具の使命と言ったのは長谷川自身だぞ」
(一郎くん……)
何をするにも駄目だと言い続けてきた一郎くんの言葉らしくない。
でも私を巫女と認めてくれたのは素直に嬉しい。
「今の、すっごく兄貴らしくない発言だよねぇ」
「うるさいぞ、修二」
「でもいいと思う。超久々に兄貴の好感度が上がりそう」
「お前に好かれたいから言った訳じゃない」
「当たり前だろ、気持ち悪い。まぁ、剣と愛菜ちゃんがイイ感じなのは悔しいけどさ。まず、二人で乗り込めばいいよ」
「一郎くん、修二くん。ありがとう」
「剣も随分人らしい事言っちゃてたじゃん。愛菜ちゃんと一緒に文化祭を回りたいなんてさ」
「……………」
「無視かよ。相変わらず無愛想だけど、もうお人形さんとはからかえないかもねぇ」
冬馬先輩の変化に修二くんも何か感じたようだ。
お互い小さな変化だけど、少しずついい方向に風が吹いている気がする。
「まぁ、仕方ないわね。愛菜の好きにすればいいわ」
「香織ちゃん。ありがとう」
「ただし、何があっても死ぬんじゃないわよ」
「うん」
「剣もよ。わかった?」
「はい」
「じゃあこれを持って行きなさい」
香織ちゃんは首にかけていた革紐を取る。
手には蛍のように淡く光る勾玉が握られていた。
「これは……」
「私の力を顕現させたもの。あんたなら分かるでしょ」
「はい」
「これを持っていれば、大抵の結界は相殺できるわ」
「いいのですか?僕に託しても」
「力不足でお一人様用なのよ。おまけにここの結界って強力すぎてどこまで効果があるかも未知数なんだけどね」
「ですが、これは香織さんの命そのものじゃ……」
「だからちゃんと返して。借りパクは許さないから」
「かりぱく?」
「まぁいいわ。とにかくちゃんと返しなさいよ」
「はい」
冬馬先輩は受け取って、勾玉を首に掛けた。
香織ちゃんはその様子を見届けると、建物全体を覆う結界の前に立つ。
「外界との接触を絶つこの結界はどちらにしろ解除しなくちゃなんないわね」
「そうだよ。屋内で力を使うのは大変なんだ」
「愛菜。まさかここに?」
「多分ね」
「じゃあなお更この邪魔物を取り除かなくちゃ」
「できる?」
「当たり前でしょ。私にドンと任せなさい」
「頼もしいね」
「さぁ、私の力じゃ不十分だから、修二くん、じゃんじゃん力を送って」
「オッケー。任せちゃって」
「じゃあ、いくわよ」
香織ちゃんは手で印を結ぶと、手を地面につける。
その後ろでは、修二くんが力を送っている。
「あまたの大地の精霊よ。我に力を与えたまえ」
すると建物を覆いつくす、巨大な光り輝く別の魔方陣が現れる。
「香織ちゃん、顔色が悪いよ」
「大丈夫。色々久しぶりすぎて体か追いついてないのよ」
「香織ちゃんは結界の解除が出来たら、美波さんの所に戻って」
「愛菜が危険なのよ。私も行くわ」
「無理は禁物だよ。香織ちゃん」
「……分かった。巫女様の言うとおりにするわ」
「研究所のセキュリティの解除はすべて終わった。後は結界だけだ」
ずっとキーボードを打ち続けていた一郎くんがパソコンを閉じる。
それを見計らったように、冬馬先輩が声を掛けた。
「宗像一郎」
「何だコードno.673」
「愛菜の事は必ず守ります」
「当たり前だろう。お前は巫女の剣だぞ」
「確かに当たり前でした」
「お前の罪をこの先も許すつもりは無い。だが無事に戻ったら、言い訳くらいなら聞いてやってもいい」
「…………」
「俺を少しでも納得させてみろ。だから、俺たちが加勢に行くまでは絶対に死ぬなよ」
「……はい」
「セキュリティの解除時に水道が止められてるのを見つけた。屋内では十分集められない。
水の霊気が得られる今の内に用意しておくといいだろう」
一郎くんの言葉に冬馬先輩はコクッと頷く。
そして大きく息を吸い、両手を肩の高さまで広げる。
「我を守護する水龍よ。今こそ我の命に従い草薙の剣を顕現せよ」
冬馬先輩の頭上に大量の水が渦を巻きながら集まってくる。
それはグルグルと回りながら、小さな渦になっていく。
水の束が剣の形を成したと思った瞬間、雲の隙間から大きな稲妻が冬馬先輩目がけて落ちてきた。
「危ない!!」
そう叫んだ刹那、冬馬先輩の手には青白く輝く細身の剣が握られていた。
「綺麗……」
まるで冷たい月のような輝きだと思った。
本物の氷でてきているかのように、透明にも見える。
武器が綺麗なんて不謹慎かもしれないけど、一番しっくりくる言葉だった。
(凛としていて、冬馬先輩みたい)
「香織ちゃん、一郎くん、修二くん行ってきます。冬馬先輩、行こう」
「はい」
解除を続ける香織ちゃんと、力を送る一郎くんと修二くんに言葉を掛けてその場を離れた。
冬馬先輩と入り口の前の結界まで歩いていく。
この腰には、氷のような鞘に収まった剣がさげられている。
「結界に触れてみます」
「うん」
冬馬先輩の指を避けるように結界が相殺されていく。
そのまま先輩と私は難なく結界を抜ける事ができた。
(すごい。これが勾玉の力なんだ)
後ろを振り向くと、さっきの結界はまた元通りに戻ってしまっていた。
「鍵は壊しました。さあ、中に入りましょう。愛菜」
「行こう」
冬馬先輩と共に研究所内部に入り、私は春樹の捜索を始めた。
最終更新:2021年03月31日 10:52