「愛菜、落ち着いてください」
「でも春樹が!」
もう少しで春樹を救える。
怪我はないか。
ちゃんと家に帰って来るのか。
どうして黙って出て行ってしまったのか。
話たい。今すぐに。
だけど先輩に手首を強くにぎられてしまって動けない。
「痛い……離し……離して!」
手を振り解こうと全力でもがく。
だけど冬馬先輩はその右手を解いてくれなかった。
「愛菜はここにいてください」
「でも!」
「手荒な真似は避けたかったですが仕方ない」
「何を……!」
「少し大人しくしていてください」
身体にひんやりとしたものがまとわりつく。
気がつくと、水の膜で周囲を覆われてしまっていた。
それはシャボン玉のようだったけれど、弾力があって私の力では割れそうにない。
『冬馬先輩!』
『これを今すぐ解いて』
『駄目です。その様子では戦いになればあなたはただの足手纏いだ』
『出して!』
『しばらくテレパシーも解除します。頭を冷やすためにも、愛菜は黙って見ていてください』
冬馬先輩は扉を開けて、光の中に入って行った。
どれだけもがいてもこの薄い膜から一歩も出られない。
ただ、わずかな扉の隙間から様子は窺うことはできそうだ。
私は目を凝らし、耳を澄ませる。
「御門先輩……?」
ぐったりしたまま椅子に座る春樹が冬馬先輩に声をかけていた。
「春樹さん、ですね」
冬馬先輩の言葉で、私は春樹と先輩が数回しか会っていない事を思い出す。
春樹はゆっくり顔を上げてうなずいた。
家を出てからそんなに時間経っていないはずなのに、その顔は酷くやつれていた。
「はい。俺が春樹です」
「…………」
「それよりさっき姉さんの声がしました。姉さんもここに来ているんですね」
「僕たちはあなたを助けるためにやって来ました」
「姉さんはどこに?」
「春樹、私はここだよ」
薄い膜の中で必死に訴える。
当然、春樹の耳に届くはずない。
「愛菜は無事です」
「会わせてください」
「それは無理です」
「無理……どうして?」
「春樹さん。僕はあなたを疑っていますから」
「疑う? 何を」
訝しげに春樹が尋ねる。
「あなたが僕を殺そうとしているかもしれない、という疑いです」
「俺が御門先輩を?」
「はい」
(先輩、何を言っているの?)
私の位置からは冬馬先輩の背中しか見ることしか出来ない。
いつもと変わらない淡々とした口調だけど声色に嘘はなさそうだった。
「春樹さんは高村の血を引く者。神宝の力が覚醒していても少しもおかしくは無い」
「俺が御門先輩を……冗談でしょう」
「……最初にショッピングモールでお会いした時から因縁のようなものを感じていました。春樹さんも同じように感じたのでは無いですか?」
冬馬先輩に会った時の春樹の様子を思い出してみる。
確かに、いつもと違って冷静さがまるで無かった。
初対面なのに冬馬先輩に対してなぜか敵意剥き出しだった。
「そうだな……どれだけ頑張っても御門先輩を好きになれる自信はないよ」
「殺意を抱くほど、憎いですか?」
「自分でもよくわからない。でも姉さんを守るためなら俺はいつでも鬼にだって邪にだってなるよ」
そういうと、春樹は怠慢な動きで椅子から立ち上がった。
と同時に床から赤い何かがせり出て来て、春樹の手足の拘束を解いてしまった。
(何、今のは)
大きな剣の様にも見えた。
「それは……十種の神宝の一つ、八握の剣……それで僕を殺めたのですね」
「正解です。おかしいな。姉さんの記憶は消したはずなんだけど」
「愛菜は気づいていません」
「だろうね。以前の俺は虫も殺せない様な奴だったから」
「力を得て変わってしまわれたのですね」
「今回もわざわざ手首まで縛って小芝居したのに。見抜かれてたなんて残念だよ」
「……やはり愛菜を軟禁していたのも、春樹さんですか」
「この力を得る交換条件でね。頼まれたんだ」
「一体、誰にですか」
「鬼だよ」
「鬼……」
「悪意の塊みたいなものさ」
「何を頼まれたのですか? 僕を殺せと……そう言われたのですか」
「ちょっと違うかな」
「大掛かりな結界まで張って、あなたは何がしたいんですか」
「じゃあ質問するけど、俺が姉さんを軟禁して、一体何をしていたと思います?」
春樹から投げかけられた質問に冬馬先輩は黙ってしまう。
そして苦しそうに息を吐いた。
「まさか……食事に、ですか」
「さすがだな。姉さんは全然気づいてなかったのに」
(冬馬先輩を殺したのも、軟禁していたも全部春樹だったなんて)
会話を聞きながら、私はショックのあまり膝から崩れ落ちる。
それでも更に二人の会話は続いている。
「俺の作った食事を美味しそうに食べてくれていたな。姉さんは食いしん坊なんだ。とてもね」
「…………」
「姉さんと同化しているせいかな。鬼も食いしん坊なんだ。一日一度より三度の方が良いから協力してほしいって。俺の夢に現れてこの力を与えてくれたんだ」
「…………」
「さすがに言葉が出ないかな。勘もいいし、食材にするには惜しい人だな」
(春樹は何を言っているの)
言葉は耳に入って来るのに全く理解できない。
「愛菜が軟禁中、正気を保てていたのが解せなかったが、そういう事だったのか」
何かを悟った冬馬先輩は怒りを押し殺したように呟く。
「少ない情報量でそれだけ推測できていれば上出来だよ。さすがかつて一国の王だった事はある」
「一国の王……どうして春樹さんがその事を?」
「壱与も姉さんも横から掻っ攫って奪っていった。あなたは昔から姑息でズルい人だったから」
「因縁の相手……というのはもしかして」
「大昔に貴方から全てを奪われた男と言えばすぐに分かるでしょう」
「春樹さんが守屋……」
「これは永遠に終わらない復讐なんだ。もし終わるとすれば、俺の気が完全に狂った時かな。いや……もう十分狂っているか。父も兄も、気に入らない奴は全部殺したんだから」
春樹は面白くなさそうに顔を歪めて笑う。
(何がどうなっているの?)
春樹はあんな笑い方はしない。
人を殺す様な怖い事なんてできっこない。
(それに食材って……)
未だに理解が追いつかない。
私が戸惑っているうちに春樹が冬馬先輩に斬りかかる。
赤い閃光と青い閃光が激しくぶつかり合うのをただ見ているしかなかった。
最終更新:2021年07月10日 22:31