黄泉醜女。

日本神話に登場する鬼。
逃げた神様を追いかける怖い女。
顔は醜く、執念深く恐ろしい化け物。
私の中でイメージしていた容姿と目の前の可愛らしい少女とが結びつかない。

「本当に黄泉醜女さんだよね」
「はい」
「ツノ、生えてないんだ」

私は頭の上を指で差しながら呟く。

「ツノもありませんし怖くもないですよ」
「そっか。よかった」
「黄泉の国は中つ国の人達にとっては異邦人。霊力を自在に操り、怪しい術を使う得体の知れない者。ですから、伝承に尾ひれがついてしまい、ツノを持った鬼となったのでしょう」

(しこめって醜い女って意味だけど、すごく可愛らしいよね)

きめの細かい肌、色白に映える頬の薄紅色。
長い髪はツヤツヤでお人形のように整っている。
それでいて受け答えや言動が大人顔負けに落ち着いている。

「もっと醜い顔だと思っていましたか?」
「えっ」

私は考えていた事をズバリ当てられてドキッとする。

「醜女とは霊力の強い者、そういう意味もあるのですよ」
「そうなんだ」
「鬼とは本来、誰にでもある心に潜む魔を指す言葉です。愛菜の中に巣食っていた鬼は壱与の持っていた負の念が長い時をかけて変異した悪意そのものでした」
「壱与って鬼の姫だった人でしょ? 夫婦同然だったって事も冬馬先輩から少し聞いたよ」
「時をこえてもなお、同じ魂の者同士が惹かれ合う。本当に縁とは不可思議ですね」

(それにしても、誰にでもある心に潜む魔か……)

私の中にもきっとある。
誰もが鬼になる可能性を秘めているって事だ。

「改めてお礼を言わなくてはなりません。あなたの中に封じられていた私を解放してくださりありがとうございます」
「目的を見失いそうなになってたのを助けてもらったから、私がお礼言わなくちゃ。ありがとうございます」

お互い、ぺこりと頭を下げて微笑み合う。

(そういえば、まったりお礼してる場合じゃなかった)

「あのね、黄泉醜女さん」
「はい」
「春樹の言っている事は本当なの? この時間は閉ざされたていて何度も繰り返されているって話なんだけど」
「ええ。この閉ざされた時間は何度も巻き戻っています。さきほど、かの者が九回という言葉を使っていましたが実際に巻き戻っている回数はその何倍もあります」
「でも……私には軟禁されていた記憶があるよ」
「そのようですね」
「春樹は時間が巻き戻っても自分以外は覚えていないって言ってた。でも私は軟禁中の出来事を覚えている。辻褄があっていないよ」

ループの起点、つまり文化祭の前日に戻った時点で私も軟禁中の事を忘れているはずだ。
なのに私はちゃんと覚えている。

「愛菜。あなたがこの隔絶された時間を作り出した一番最初の記憶のみ持たされているからです。その一度目の記憶を留めさせることによって、あたかも胡蝶の夢が成功している。そう錯覚させているのです」
「どうして錯覚させる必要があるの?」
「あなたを無力だと思い込ませるためです」
「私が無力……。待って。私、治癒なら使えるよ」
「それこそ敵の狙い。自分は簡単な治癒の能力しか使えない。そう思っていませんか? 繰り返される時の中であなたは確実に力をつけています」
「私が力を?」
「隠の気が身の内に少なかったとはいえ、愛菜は自らの力で私の封印を解いたのです。だからこうやって邂逅することができたのですよ」
「私が……」

絶望の中、冬馬先輩を救いたい。そう心の中で叫んでいた。
私に封印を解いた自覚はない。
心の叫びが引き金になって、黄泉醜女さんの封印を解いたという事だろうか。

「そういえば、どうして春樹はこの閉ざされた時間のからくりを私達に伝えたんだろう」

ふと、疑問に思う。
胡蝶の夢と思い込まされたままだったらもっと簡単に倒されていたかもしれない。
ループしている呪われた時間の中だと伝える事は、結果として春樹の不利にしかならない。
いつもの春樹なら、気づかないはずない。

「限界が近いのかもしれませんね」
「限界?」
「あなたの心を鬼に奪われないため。かの者も孤独という敵と戦っているのではないでしょうか」
「孤独……」
「いつ精神が崩壊してもおかしくはない。無意識かもしれませんが救い出して欲しいと……そう願っているのかもしれませんね」

終わりのない繰り返される時間。
自分以外はそのことさえ知りもしない。
先輩を殺して料理に混ぜて作り、姉に食べさせ続ける。
監視しながら、春樹は何を思ってどう日々を過ごしていたのか。
わからないけど、私ならとても耐えられそうにない。

「黄泉醜女さん。このループを止める事はできないの?」

こんな世界は間違っている。
良い打開策はないのだろうか。

「私の封印は解かれましたが、このままでは現状を打破する事はできません」
「そんな。何か方法はないのかな」
「この建物を覆う結界のせいで霊気が取り込めなくなっています。この結界の一番の目的は敵の侵入を阻止する事ではなく、愛菜の能力の抑制、覚醒を食い止める事です」
「結界を解除できれば……」
「あなたと私は同化し、自在に能力を使うことが可能となるでしょう」
「じゃあ、香織ちゃんと一郎くん修二くんの頑張りにかかっているんだね」
「私と完全な形で同化出来れば、この時間を正しい流れに還す事ができるでしょう」

そう言うと黄泉醜女さんは一歩前に出て手を出した。
その手には何か握られている。

「それは……」
「これは私そのものであり、また、あなたが紡いできた絆です」
「絆……」
「さあ、手を……」

私は両手を受け皿のように出す。
小さな手から赤い勾玉が渡される。

「綺麗な勾玉」
「愛菜。あなたはこの時間を終わらせる覚悟がありますか?」
「うん。何としても終わらせたい」
「わかりました。それを胸に押し当てて下さい」
「分かったよ」

黄泉醜女さんに言われた通り、その石を自分の胸に押し当てた。
すると、音もなくスッと身体に入り込んでいった。

「うっ……!」

突然、身体の中に大きな渦が現れて私を飲み込み始める。

「大量の記憶が一度にあなたの中に押し寄せてきます。苦しいかもしれませんが自分を見失った時点であなたはあなたで無くなる。歯を食いしばって耐えて下さい」

これも走馬灯というのだろうか。
痛みを伴って、次々と容赦なく私の中に記憶が飛び込んでくる。
切り裂かれるような鋭さと重さが襲いかかる。
まるで大量の針でも飲まされている苦痛だ。

(駄目……意識が……)

かすんでいく意識の中で微かな記憶が蘇る。

(一人ぼっちで、どうしてそこに立っているの……?)

こんな時間だからなのか、人通りなんて全然ない。
ただ一人、御門くんだけがそこに存在していた。

……私は一瞬、自分が何かの芝居を見ている観客であるかのような錯覚に陥る。

月はスポットライト。
道路は舞台。
役者は御門くん。

(なんだか、不思議な感じ……)

「……あなたが逃げずに、立ち向かうというなら」

言葉とともに、ゆっくりと御門君が私の前に跪く。

「あの人との約束だけではなく、僕自身の意思で…… 僕があなたを守ります」

幻想的な月明かりの下で冬馬先輩と会った時の記憶が不意に現れ、消えた。

(なんだ……ずっと悩んでたのに、最初から言ってくれていたんだ)

恩人であるお母さんの身代わり、そう思い込んで私は悩み続けていた。
大切にしてくれるのも、親切なのも私が巫女の器だからと諦めかけた事もあった。
でも冬馬先輩は最初から自分の意思で守ると言ってくれていた。
まだ何にも知らなくて、冬馬先輩の言っている意味すら理解できてなかった頃だ。

(あの時は後輩だと勘違いしてたっけ。きっと私は出会った瞬間から、冬馬先輩に惹かれていた。先輩の内面を知ってから、もっとずっと大好きになっていったんだ)

相変わらず、見た事も聞いた事もない記憶が鋭利な棘になって私を刺していく。
私のものではないそれを次々と取り込み、蓄積させていく。
まるで違う血液型の輸血のように異質な毒。
だから痛くて苦しい。
身体が受け付けまいと必死に拒絶してくる。

(苦しい。辛い。だけど……!)

だけど私は約束した。
一緒に文化祭に行くことを。
私の未来を冬馬先輩にあげる事を。
共に生きていこうと。

(もう絶対に逃げたりしない)

両手を広げて、胸を張る。
冬馬先輩と一緒に過ごした短いけどかけがえの無い思い出がある限り、私は私を見失う事はない。
閉ざしていた心を私のために開いてくれた。
恋慕っていると言ってくれた。
逃げずにに立ち向うことを教えてくれた。
その記憶が勇気に変わる。
私である証明になる。

その時、私の瞼に真っ白な強い光が一面に弾けた。

「目を開けて下さい。よくがんばりましたね」

身を裂くような苦痛は消え、私はゆっくり瞼を開いた。



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最終更新:2021年06月18日 08:54