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ゆっくり瞼を開いた。
目の前には薄い水で覆われた、先輩が作った膜がある。
そのシャボン玉のような物に、もう一度触れてみる。

(この水の膜、これは防御障壁だ)

今ならこれが私を捕らえておく檻じゃなく、命を守るための盾だと分かる。

(冬馬先輩、厳しい事言ってたけどやっぱり優しい)

そのシャボン玉を指先で弾く。
するとその膜は簡単にパチンと弾けた。

「これが覚醒した力……すごい」

あと少しでこの建物の結界も解かれそうだ。
網の目のように複雑に入り組んだ術式がほどかれていくのを肌で感じる。

(香織ちゃんたち、すごく頑張ってくれたんだ)

この建物を覆う結界さえ無くなれば、自然界の霊気が自由に取り込める。
そうすればこの時間を元の場所に還す事ができる。

(その前に冬馬先輩と春樹が!)

薄く開いたままの扉を開け、私は中に飛び込んだ。

####


「冬馬先輩!」
「愛…菜……」

立っているのがやっとの先輩まで慌てて駆け寄る。
あちこちが切り裂かれて満身創痍だった。
しゃべる事もキツイのか、苦しそうに大きく肩で息をしていた。

「春樹、もうやめて!」

冬馬先輩の身体を支えながらすぐそばにいた春樹に叫ぶ。
春樹もあちこち出血しているけど、冬馬先輩より軽症そうだった。

「そうか。姉さん、覚醒したんだ」

私は春樹の言葉に黙って頷く。
首を縦に振った私を見て、春樹は戦闘の構えを解いた。

「じゃあ俺の負けだね。御門先輩の粘り勝ちだ」

戦意喪失したのか、自分の持っていた赤い剣を地面に投げ捨てた。
ガシャッと重い金属音がして、そのまま床に沈んで消えてしまった。

「冬馬先輩、戦いながら出血を抑えていたんだ。頑張ったね」

たくさん深い切り傷があるのにあまり出血がない。
もし普通に失血していたら、とっくにショック死していただろう。

「気をしっかり持って。気絶してしまったら途端に大量失血してしまうから」

私は先輩を抱きしめるように寝かせると、身体全体で精気を送っていく。
先輩の顔色は相変わらず、悪い。

「うう……」

我慢強い冬馬先輩でも苦痛に顔を歪ませていた。

「姉さん、そんなことしたら寿命が縮まるよ」
「わかってる。でもやらなくちゃ」
「ここは外からの霊力が届かない。それ、わかってやってる?」
「知ってるよ。そんなこと」
「たとえ元の時間に還ったとしてもさ。先輩はどうせあと数年の命なんだ。姉さんがそこまでする意味ある?」

冬馬先輩が短命な事まで知っている。
もしかしたら春樹に答えられない事は無いのかもしれない。

「怪我をしていたら治す。当たり前じゃない」
「だよね。姉さんならそう言うと思っていたよ」

私は冬馬先輩の治療に専念する。
傷を塞ぎながら、自分の命を送り続ける。
春樹はその場から動かず、黙って私の様子を見ている。

「ねえ、春樹」

黙って立っている春樹に私は話しかけた。

「なに、姉さん」
「ループの事、どうして私たちに話したの?」
「それは……終わらせたかったからかな。もう疲れてしまってたからさ」
「本当に?」

狙いは別にある。
そんな気がする。

「本当だよ。最初は目新しさもあったけど、繰り返しって残酷なほど単調だからね」
「じゃあ、今、私を殺さないはなぜ? これは私の作り出した時間だから私が死んでも当然、終わるよ」
「覚醒した姉さんには敵わないからだよ。負け戦はしない主義なんだ」
「私は今、全霊で冬馬先輩の治療をしている。倒すなら絶好のチャンスだよ」

冬馬先輩を助けるため、今の私は無防備そのものだ。

「ループに慣れた今となっては人の命なんて勝手に生えてくる雑草みたいなものだけど、姉さんは殺せないよ」
「なぜ?」
「だって家族でしょ」

血が繋がってなくても私達は家族。
確固とした繋がりが無いからこそ、手探りで家族になっていった。
今では縁を切っても切れないほどのとても仲のいい家族になった。

「……家族。でも、春樹。本当の父もお兄さんも春樹が……」
「殺したね。でも、あの人達は血が繋がっている、ただそれだけだよ。多少の利用価値はあったかな」
「そうなんだ……」

やっぱり春樹は変わってしまった。
それでも今の家族は殺せないと言う春樹に、まだ残る良心の欠片を感じる。

「姉さんは御門先輩が大切?」
「うん。とても」
「家族よりも?」

好きな人と家族を天秤にかけることはできない。
それでも、私は心のままに答える。

「冬馬先輩が誰よりも大切だよ」
「それは帝の生まれ変わりだから?」
「違うよ。私が好きになったのは御門冬馬っていう不器用な人ただ一人だけだよ。
不器用だけど真っ直ぐで何があっても人のせいにしない。そんな人柄に惹かれたんだから」
「それだけはっきり言われると、弟としては結構複雑だな」

春樹は最初に座っていた椅子に腰を下ろしながら苦笑している。
すると、私に抱きかかえられていた先輩が微かに動いた。

「愛菜……」

少し血色が戻ってきた冬馬先輩が薄く目を開ける。

「冬馬先輩」
「もう大丈夫です。愛菜、ありがとうございます」

冬馬先輩は私からの精気受け取りを拒絶する。

「もう少し受け取って。まだ全体足りないんだから」
「本当に大丈夫です」

先輩は私から身体を離し、自分の力で何とか座る。

「それより春樹さん」

冬馬先輩は椅子に腰かけている春樹に顔を向けた。

「傷に障る。御門先輩、しゃべら無い方がいいよ」
「構いません。それより、本当の目的をなぜ言ってくださらなかったのですか?」
「俺の目的? 俺は力を手にしたかった。姉さんを鬼に渡したくなかった。あんたが気に入らなかった。ただそれだけだよ」
「なぜこの期に及んで偽るのです?」

顔色は蒼白で意識を保つことがやっとのはず。
それでもその声ははっきりしていた。

「本人が言っているのに何を決め付けてるのさ」
「春樹さんは初めから正気だった。悪意に呑み込まれて自分を失ってもいない」
「…………」
「ただ一つ、愛菜を覚醒させる目的のためだけに動いていた。違いますか?」

(私を覚醒させるために……)

春樹は冬馬先輩の問いに何も答えない。

「何度もループしているなら、僕たちのあらゆる行動も把握済みのはず。それなのに僕たちを試すようにここまで誘導した。おかしい、そう気づきました」
「…………」
「そして軟禁の事、この世界の仕組みをわざわざ丁寧に説明したり、怒りや絶望感を煽るような言動を繰り返していた。でもまだ、春樹さんの真意を計りかねていた」
「…………」
「極め付けは僕と春樹さんの剣の実力差。剣を交えれば、格上の相手くらいすぐわかる。それで春樹さんの目的を悟った」

珍しく冬馬先輩の敬語が消えている。
もしかすると怒っているのかもしれない。

「御門先輩。そこまで分かっているならどうしてボロボロになるまで付き合ってくれたんです?」

春樹は冬馬先輩を見据えながら尋ねる。

「愛菜のため……と言いたい所ですが、春樹さん。あなたのためです」
「俺のため?」
「春樹さんの瞳に宿した覚悟が本物だった。だから僕も本気であなたの計画に乗ったのです」
「姉さんを騙してでも?」
「騙していません。僕は常に本気だった。愛菜も同じなはずです」

(気付いていなかったのは私だけ……か)

剣を交えた者同士がいつの間にわかり合っている。
春樹は自分が立ちはだかる最後の壁になる事で冬馬先輩と私の絆を深めさせ、覚醒を促した。
そういう事なのだろうか。

「言っておくけど俺も御門先輩に手加減はしてないよ」
「分かっています。危うく死ぬところでした」
「だろうね。殺しても構わないと思っていたから」
「この僕は死んでも次の僕にというわけですね」
「そんな事は無いさ。一対一の真剣勝負は俺も命懸けだから毎回なんてとてもじゃないけどやれない。安全な場所で確実に殺す方法をずっと選んできた。でも今回の御門先輩に希望を見た。だから久しぶりに賭けてみたんだ」
「今回の僕に希望……ですか」
「実は姉さんの力が覚醒する条件は前から整っていた。でも上手くいかなかったんだ。どうして覚醒に至らないのかずっと分からなかったんだ」

春樹はどこか遠くを見ているようだった。
そして溜め息を小さく吐く。

「今回の御門先輩はどこか今までと違っていた。生きることに執着し、自分で考えて行動していた。カッコ悪いくらい諦めが悪かった」
「だから僕達をここまで導いたのですか?」
「変わりたいって気持ちが強さに変わる。諦めの悪さが夢を叶える原動力になる。今回の御門先輩にはそれがあった。だから御門先輩が勝ったんだ」

(春樹……)

目の前にいる春樹は私の知っている春樹とはやっぱり違う。
見た目はそれほど変わらないけど、雰囲気が随分大人びている。
一番違うのは冬馬先輩も言っていたけど、瞳だ。
何かを為そうとするような力強さがある。

「勝ち負けなんて僕はどうでもいい。それより一番不可解だった事を教えて欲しい。春樹さんがすべてを捨ててまでなぜ愛菜を覚醒させなければならなかったのか。本当の理由は何ですか?」

冬馬先輩は動かない身体を前のめりにして尋ねる。
こんな冬馬先輩、初めて見るかもしれない。

「本当の理由……一言では説明できないな」
「愛菜に関するあらゆる記憶の保存、それが関係しているのですか?」

(記憶の保存……)

春樹の言っていた私が与えたと言う力。
でもそんな力を春樹に与えた記憶はない。

「さすがに隠し事はできないか。ただのラスボスでいさせてくれれば楽なんだけどね」

春樹は観念したように呟くと言葉を続けた。

「結界によって力を断ち、姉さんは御門先輩の復活を願い鍛錬する。姉さんの巫女の力と鬼……悪意の塊の力を借りてループさせ、何度もそれを繰り返す。膨大な時間をかけて力を蓄積し、ようやく覚醒に至る事ができた。そこまではいいよね」
「それは理解しています」
「実は他の可能性の姉さん同士も俺の記憶のように、関連がないようでいてしっかりと繋がっているんだ」
「力が繋がっている……共有しているのですか?」
「共有ではないな。姉さんお得意の夢が媒介なんだ。特に壱与に関する記憶が夢に現れた時、力を発揮する」
「壱与の夢が媒介……」
「他の可能性の姉さんの時間はここと違って有限だ。だからこのループで手に入れた覚醒した強力な力を借りる。夢を見る事で自由に覚醒した能力を引き出せば可能性の幅も広がる。だから絶対に必要なんだ」

(別の可能性の私……)

私が沢山の選択によって無数に存在している。
その手助けを今の私が夢を介してならできる、そういう事なんだろうか。

「必要なのは分かります。ですが……」
「どうして俺がここまでしたのか、だね」

私も気になる。
春樹をここまで駆り立てたものはなんなのだろう。

「俺は昔……まだ守屋と呼ばれていた頃にこの能力を姉さんに与えられた」
「守屋の頃といえば僕が帝だった今から1500年ほど前ですか。その頃になぜ愛菜に会う事ができるのですか?」
「それは別の可能性の姉さんが過去に行く夢を見たから。1500年の時を夢を使って超越した。これはとんでもない能力が必要になる。その能力の出どころはどこか……探したよ。でも、ないんだ。どこにも」
「無い……タイムパラドックスですか」
「そう。その矛盾を正そうとするのが因果律。その法則に従って俺は姉さんにそっくりな別人に未来は取って変わられた。その世界には矛盾の発端である能力自体も存在していなかった」

別人?
私がいなくなったのだろうか。
背筋が寒くなるのを感じながら話の続きを聞く。

「1500年前に俺に能力を与えた姉さんは世界から忽然と姿を消した。きっと姉さんは自分のすべてを使って事を成したんだ。でも因果律に逆らってしまったせいで姉さんの存在そのものが破綻してしまった」
「だから覚醒した愛菜の存在が必要という事ですね」
「別の可能性の姉さんも時間に干渉するような強力を使えば因果律によって同じように消えてしまう。ひいては姉さんそのもの、全てが無かったことになる」
「矛盾にならないよう覚醒した強者の愛菜を作り出す必要があった。それが春樹さんの目的だったのですね」
「そう。矛盾の解消……それが俺の目的だったんだ」

(私の存在を消さないため。そのために長い間頑張ってくれていたんだ)

時間の干渉とか、因果律とか難しい事はよくわからない。
でも私の知らないところでずっと守ってくれた事だけはわかる。

その時、この建物が大きく揺れた。
覆い尽くしていた結界が全て解かれ、世界を満たす霊力が次々と私に流れだした。



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最終更新:2021年06月21日 20:26