【ループ14回目①】

人の慣れというのは残酷で恐ろしいものだ。

最初に御門先輩を刺す時、手の震えが止まらなかった。
罪悪感と嫌悪感で何日も食べられず、調理の度に吐き気がしたものだった。
でも今は、先輩入りのシチューだって平気で味見できるようになった。

それよりも、ループの度、俺が頭を悩ませる事がある。

どうすれば強者の御門先輩を確実に殺せるか、それに毎回知恵を絞らなくてはいけない。
カンが鋭くて頭の良い御門先輩は一筋縄ではいかない。
自分自身で殺してくれれば楽なのに、鬼は気まぐれで出てこない事も多い。
その時は別の誰かがやらなくては肉の提供ができなくなる。

一番使えるのは秋人兄さんだ。
次の行動さえ把握していれば、人の行動パターンは意外に少ない。
だからうまく誘導すれば、あの二人が殺し合ってくれる。
全体の能力値は兄さんが上回っている。
だけど、御門先輩には死ににくい身体がある。
勝敗は6対4で少し兄さんに分があるといった所だった。
正直、兄さんが実権を握っているとやりづらいも事も多い。
今回のように、相打ちになってくれるのが、俺としては一番有難かった。

(これだけ巻き戻ると、他にも段々と見えてくる事があるんだよな)

実は鬼の事も色々分かってきていた。
今のところ、この空間を好き勝手できる絶対的な存在である事に変わりはない。
ただ彼女もさすがに万能ではないらしい。
ループでの出来事を詳しく鬼が覚えていられるのは、せいぜい3回前までの記憶。
それ以前の記憶は多くが消えてしまうようなのだ。
日中での動きも全ては把握できていないようで、姉さんの様子を後でカメラで確認したり、俺に尋ねたりしてくる。

鬼はよく、わたしも愛菜だと言う。
けど、鬼が姉さんの心の一部だとはどうしても思えない。
身体は一緒でもそれぞれが個々として独立しすぎている。

飛躍した意見かもしれないが、鬼は壱与なのではないかと感じ始めている。
なぜなら俺が見る他の夢で、別の軸の姉さんは壱与から何度も力を借りているのに御門先輩を選んだこの軸では一度も姿を表さない。
俺が守屋だった頃の事にも詳しいし、帝だった先輩に異常に執着している理由にもなる。
どういった経緯でそうなったのか分からないけど、壱与に関してもう少し調べなくはいけないだろう。

(それと姉さんの事も、だよな)

話す事が出来ないから知る手段は少ないが、姉さんの事も少しずつ分かってきた。
姉さんが記憶しているのは、俺が殺した巻き戻る前までの現実での出来事。
それと直近の約150日程度軟禁生活を送ったという記憶。
それらの記憶を持たされる事で空間が巻き戻った時、自分が引き起こした胡蝶の夢で御門先輩が復活したと思い込んでしまうようだった。
そして御門先輩達と共に、俺を助け出そうとしてくれる。
結局、姉さんはまた捕まり、軟禁生活を送ることになるのだった。

(この隔絶された空間は悪趣味だけど、なかなかよく出来てる)

鬼が直々に殺して監視部屋で目覚めれば、今まで過ごしていた軟禁生活の続きだと思うだけ。
そして188日の倍、376日間を軟禁部屋だけで過ごす事になる。
色々過程は違っても、姉さんが繰り返しに気付くことない。
この空間を作り出した本人が、鬼のカラクリに騙され続ける。
そして全てが元通りという訳だ。

でも、少し違う事もある。
監視部屋を掃除していて、いつもゴミだと思って捨てていた紙切れがあった。
何度捨てても手書きで作り直される、ノートの表紙を切って作った謎の落書き。
絵が下手すぎて分かりにくかったが、どうやら自作のESPカードらしい。

そんなカード遊びにいつからか、変化が現れ始めたのだ。

姉さんは毎日懲りずに、ずっと続けていた。
すると今までは全部外していたのに、ほとんど絵柄が揃うまでに成長をみせている。
初回から考えれば、大変な変化だ。

(姉さんは記憶できないだけで……力そのものは蓄積され成長してるんじゃ)

姉さんが能力者として伸びているのなら、いつか鬼を退けられる可能性がある。
ほんの少しずつの変化で、直近の記憶しか持てない彼女にはまだ気付かれていない。
この姉さんの成長について、絶対に悟られてはいけない。

(知られる前に、こちらから対策しないとな)

俺は急いで内線電話を取る。
受話器の相手は昔お世話になった運転手の息子だ。
しばらくすると、ノックも無しにズカズカと一人の柄シャツを着た男が入って来た。

「呼び出しって、どうしたんです?」
「入って来る時は、ノックくらいして欲しいんだけど」
「すみませんね。坊っちゃん」
「その坊っちゃんって言い方も、いい加減に止めて欲しいんだけどな」
「いいじゃないですか。よく親父に聞かされてたんですから、坊っちゃんの自慢話をさ」

この熊谷裕也さんはかつて俺の専属運転手をしてくれていた人の息子だ。
運転手兼護衛だった彼の父親は数年前に他界してしまったらしい。
歳は25歳前後で秋人兄さんよりも少し年上だろうか。
少し騒がしいけど豪快かつ分かりやすい性格で、義理堅い所もあるなかなかの好漢だ。
研究所に残った数少ない俺の協力者で、汚れ役までこなす右腕のような存在になっていた。

「あのさ。裕也さんの知ってる能力者の中で記憶とか夢に詳しい人っていないかな」
「夢……夢って寝た時に見るあの夢ですかい?」
「そうなんだ。少し調べたい事があってね」
「うーん。居ないっちゃ居なくて、居るっちゃ居るのかもなぁ」

裕也さんにしては珍しく、歯切れの悪い答え方をする。

「それで居るか居ないのか、どっち!?」

俺ははっきりさせるように語気を強くして言った。

「夢っていうか、心の中に詳しい奴なら知ってます。すごくイケすかない男ですけど」

一応、心当たりがあるようだ。

「イケでもイスでも何でも良いよ。その人に会いたいんだけど、連れてきてもらえないかな」
「でもアイツ、高村病院の地下で囚われてますがね」
「そうなんだ。じゃあ今から会いに行くよ」
「今からですか?」
「うん。悪いけど、彼女が起き出す前にこっそり進めないと」

鬼が寝ていて、姉さんが活動している日中に済ませないといけない。

「彼女?」
「こっちの話。日没まで戻りたいから、警察には捕まらない程度に急いでね」
「はぁ、坊っちゃんは本当に人使いが荒いな」

ため息を吐きながらも、ポケットから車の鍵を取り出してくれた。

「ありがとう、裕也さん」
「さて、山中は道が悪い。俺のドラテクで舌噛まないように気をつけて下さい」
「大袈裟だな。でも、わかったよ」

俺と裕也さんは外に出て、車に乗り込む。

「要望通り、大急ぎで行きますからね」

そう言うと、裕也さんはアクセルを踏み込んでエンジンを噴かす。
目的地は住み慣れたあの街だ。


山の中を軽快に車が駆け抜けていく。

「ねえ、裕也さん」

車が赤信号で止まった所で声を掛けた。

「何です? トイレなら次のコンビニまで待って下さい」
「違うよ。裕也さんって、道具から思念を読み取るって出来る?」

俺の質問に裕也さんは首を傾げた。

「サイコメトリーですか。やった事ないな」
「どうして? 便利そうだしやってみようと思わなかった?」
「道具に頼って心を見るなんてまどろっこしいのは性に合いません。尋ねたい事は本人にズバッと聞きますよ」
「だろうね。裕也さんならそう言うと思ってた」

車は再び走り出す。
俺は上着のポケットからカッターナイフを取り出した。

「坊っちゃん、それは?」

チラッと横目で俺の手元を確認して、裕也さんが尋ねた。

「姉さんの所からこっそり持ってきたんだ」
「そりゃいけないですぜ。小娘の部屋からの持ち出しはご法度だ」
「わかってるよ。新品とすり替えておいたから、きっとバレないさ」

秋人兄さんをはじめとする多くの能力者は、神託の巫女を神様のように丁重に扱う。
器とはいえ姉さんを小娘と言ってのける裕也さんは施設出身にしては異端だ。
他力本願で幸せになろうとする多くの主流派の人達は、巫女を小娘と言い切る裕也さんを良く思っていない。
俺も巫女から直々に世話役を任された唯一の人として一目置かれる反面、長らく高村から離れた裏切り者としてまるで信用されていない。
俺も裕也さんも、ある意味似た者同士という訳だ。

車は山から中規模の町に入って交通量も増えてきた。
そこで俺達は一旦休憩を取る。
車中でコーヒーを飲みながら、俺達は話を続けていた。

「裕也さん。このカッターナイフの思念、みてくれないかな」
「俺がですか? 今から行く奴のがよっぽど得意だと思いますけど」
「いいんだ。ちょっと試してみてよ」

鬼の血漿で強引に発現させないといけないほど、元々俺は能力者としての才能がないようだ。
今まで何度となく試してみても、一回も成功できていない。
どれだけ身体を鍛えても半年前まで巻き戻ってしまうように、能力の経験も毎回リセットされてしまうからタチが悪い。
ゆっくりながらも成長し続ける姉さんは、それだけ選ばれた存在という事なのだろう。

「これなんだけどさ」

手に持っていた姉さんのカッターナイフを裕也さんに渡す。

「坊っちゃんの頼みならやりますよ。てか、できるかわかりませんけど」

裕也さんはカッターを受け取って、目を閉じる。
しばらく無言のまま握り締めていたが、フッと口を開いた。

「かお……に能力の……ちゆ以外……きいてお……ば……」
「ここ……出る……もっと力……必要……」

(やっぱりそうか……)

裕也さんが目を開ける。

「今、浮かんだ言葉をそのまま口にしてみましたけど合ってんのかな」
「ありがとう。十分だよ」
「そうですかい?」
「正直、このまま引き返そうか迷ってた。でもやっぱり行こう」
「なんか……坊っちゃん、嬉しそうですね」
「そうかな」
「珍しく笑ってますぜ」

(俺、笑ってたのか)

淡々と無表情でずっと過ごしてきた。
もし時間が進んでいるのなら、かれこれ7年以上になるだろうか。
下手に動けば、鬼に必ず目をつけられる。
今まで相手の出方や動きを見知ることだけに徹してきた。
施設でも他者と交流を極力避けて、目立たないようにしてきた。
だけどそうも言っていられなくなってきたようだ。

(裕也さんが読み取ってくれた通りなら、姉さんの作る傷は治癒の訓練で間違いない)

姉さんの工作がESPカードだとわかるまで、勝手に自傷行為だと思い込んでいた。
苦しみや悲しみを痛みに置き換えないといけないほど、心が弱ってしまったのだと哀れにも感じていた。

(だけど……)

限られた空間では、長谷川先輩から教えてもらったという治癒を自分の体で試すしかなかったのだろう。
他の方法を知らないのだから無理もない。

(俺は……姉さんを侮り過ぎていたのかもしれない。よく考えたらすごく諦めの悪い人なのに、すっかり忘れていた)

家族になった時も一番諦めが悪かった。
その諦めの悪さが、俺を救ってくれたのだ。
人を信じ、裏切られる事を恐れない強さを持つ。
俺には絶対、真似できない。

(ここぞという所で姉さんに助けられてばかりだな)

今はまだ、治癒の兆しはない。
だけど姉さんが諦めない限り、可能性は残されている。
あんな絶望的な状況でも、姉さんは少しも希望を失くてはいない。
だったら俺も立ち止まってばかりじゃいられない。

「さあ、休憩は終わり。もたもたしてると遅くなるよ」

飲み終わりのコーヒーカップの氷を一つ摘んで、口に入れた。
それを奥歯で噛み締める。
頭蓋骨を伝うガリッという音と、口の中の冷たさが、今はとても心地よく感じた。


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最終更新:2022年03月23日 11:38