【ループ14回目②】
総合病院の霊安室は地下の奥角にある事が多い。
遺体を葬儀業者に引き渡せるように駐車場と隣接させ、扉を開ければそのまま移送できるからだ。
高村総合病院も例外なくそのような構造になっている。
ただ、普通の病院では無いはずの、その奥にも駐車場と同じ規模の空間が広がっている。
公の施設マップには載っていない、かつては能力者を研究したり育成までしていた場所。
そこに彼は捕らえていた。
独房のような部屋がいくつも並んでいる。
掃除は行き届いているようだが、今は使われていないのかカビ臭いような陰気な匂いがする。
その一つの閉ざされた扉の前で裕也さんは立ち止まった。
「おい、生きてるか」
扉の格子窓から顔を覗かせて裕也さんは言った。
「その声、熊谷か?」
「そうだよ」
「暇で死にそうだが、なんとか生きてるよ。まさか、俺が恋しくなって会いにきたのか?」
若い男の声がする。
軽口のような言い方から、裕也さんとは旧知の仲だとわかった。
「誰が好き好んでキライな奴に会いにくるかよ」
「そういえば……足音が二人分だったな」
「だろ? 俺は今すぐにでも帰りたいくらいだ」
「じゃあ、もう一つの足音は叔父上か?」
「違う。あのもぬけの殻オヤジがそんな気の利いた事するかよ」
「叔父上は秋人の『死返玉』の能力で傀儡になってるだけだ。秋人が死んだから、じきに叔父上も停止するだろうさ」
傀儡……まるで父のようだと思う。
兄さんの能力の名前も出てきたし、父の事を話しているのかもしれない。
「一緒に来たツレがお前に用があるんだと。久しぶりの客だ」
「俺に、客?」
「お前も会いたいって言ってたじゃねぇか」
「まさか、春樹か?」
「そうだよ。さ、坊っちゃん。中へどうぞ」
扉を開けて、裕也さんが中に入るよう促してきた。
(俺を知っている様だけど、誰だろう)
案内されるまま部屋に入る。
部屋はそんなに大きくは無いが、ベッド、本棚、小さい机、椅子。
ビジネスホテルのような簡素な作りだが、意外とちゃんと生活できる物が揃っている。
その中央に成人の若い男が立っていた。
「お前、本当に春樹か?」
相手は目を細め、懐かしそうに俺を見ている。
「はい」
「写真で見て知ってはいたが……こんなに大きくなって。やっぱり秋人に似てるな」
「はぁ」
どう返事すれば良いか分からず、曖昧に頷く。
「まぁ立ったままなのもなんだな、とりあえず座れよ」
渡されたパイプ椅子を広げて、俺と裕也さんも腰を下ろした。
「いいですか、坊っちゃん。この周防って男は能力者で心を読むことに長けてます。アイツに触れたら最後、心の底まで見られちまうから注意して下さいよ」
裕也さんが警戒する様に俺に進言する。
「心の底……」
「そうですぜ。もう丸裸にされるようなもんだ。絶対に触れちゃ……って、おい!」
ほぼ無意識に周防という名の男性の手を掴んでいた。
「!」
周防という名の男性が後退りして、俺の手をパッと払い除けた。
せっかく伸ばした手が今は空を掴んでいる。
「な、なんだ? 一瞬、すごく嫌な感じがしたんだが」
「何か見えたんですか?」
驚いた様子の周防さんに、俺は尋ねた。
「よくわからなかった。悪い春樹、もう一度見るからな」
「どうぞ」
俺は右手を差し出す。
周防さんは握手するように自分の右手で掴み、目を閉じた。
しばらく周防さんはピクリとも動かず、俺の手を握り続けた。
20分ほどして、静かに目を開ける。
「なるほど。大体、分かった。で、俺に用なんだよな」
(心をよむ能力といっても、どこまで見えたのかわからないな。とりあえず一から説明するか)
「俺は今、巫女に認められた唯一の側付きとして、研究所で彼女の身辺の世話をしています」
「そっか。愛菜ちゃんが生きてて良かったよ」
「周防さん。姉さんの事、知ってるんですか?」
巫女を「愛菜」と呼んだのはこの周防さんが初めてだ。
俺は嬉しくなって身を乗り出して尋ねる。
「もちろん知ってるさ。叔父上のやり方が嫌で反主流として活動しだしたのは俺だ。冬馬を愛菜ちゃんと接触させたのも俺の指示だからな」
(この人が反主流のボスって事か。それよりも……)
「さっきから話に出てくる叔父上って……もしかして父の事ですか?」
「ああ。俺の名前は高村周防。お前の従兄弟だ」
(高村周防……そもそも俺に従兄弟なんて居た記憶がないけど)
「すみません。周防さんの事、全然、覚えてないです」
「まぁ、お前は小さかったしな。無理もないさ」
「コイツ、世間では死んだことになってんだ。笑えるでしょ?」
俺と周防さんのやり取りに、裕也さんが口を挟む。
「……でも周防さんは生きてますよね」
「今は色々あって、沢山の偽名を使い分けて本名は伏せてる。熊谷の言う通り、俺の葬式にお前は出席していたはずだぞ」
(葬式……。そう言えば)
薄っすらと親戚の葬式に出席した記憶にある。
ただ、どこの誰のだったかまでは覚えていない。
「まぁ、俺の事はいい。問題はお前だ、春樹」
周防さんは俺の目の前で指を刺し、語気を強めて言った。
「俺……ですか?」
「冬馬の事とか文句は山ほどある。が、今は置いておこう。それよりも、どうして誰にも相談も無しに勝手に鬼の言いなりになった?」
「言いなり……なんのことです?」
「とぼけたって無駄だ。ここが愛菜ちゃんの作った巻き戻りの世界って事も俺には見えたんだぞ」
(裕也さんが丸裸というだけあるな)
一回も言っていない巻き戻りや鬼という単語が簡単に出てくるなんて、想像以上に俺の現状を把握しているようだ。
飄々としているが、かなり優秀な能力者だ。
俺の従兄弟だという話だし、神宝の一つかもしれない。
「本当にお見通しなんですね」
「触れなきゃ、なんとなく感じる程度だ」
「でも触れただけで心が覗けてしまうなんて、十分すごいですよ」
「面倒なだけだぞ。真夏でも手袋外せないし、友達少ないし。それにしても熊谷が忠告してたのに俺の能力が分かってて、よく自分から触る気になったな」
気が付いたら、周防さんに触れていた。
自分で言うのも何だけど、どちらかというと用心深い方なのに。
(なぜ無意識に触れてしまったんだろう)
「どうしてだろう……自分にも分かりません」
「そうか。それが判るようになると、もっと楽に生きられるんだけどな」
周防さんには俺がどう映ったのだろうか。
俺が無意識に触れた理由について、本人すら分からない答えも見えてしまっているのかもしれない。
言わないという事は、答えは自分で見つけろって意味なのだろう。
「ていうか、坊っちゃん。周防に尋ねたい事があったんですよね?」
さっきから黙っていた裕也さんが口を開いた。
(そうだった。話を進めないと)
「あの、周防さん。姉さんを知ってるなら……心を読んだ事ってありますか?」
「ああ。先月会ってる。それが最後だったかな」
「じゃあ、鬼の正体って本当に姉さん本人なんですか? 俺は別の人物……転生前の人格に乗っ取られてる気がしているんです」
「鬼の正体か。春樹は壱与だと思ってるんだよな」
「壱与の事も知ってるんですか?」
「まぁな。これでも俺は御門冬馬の保護者だからさ。冬馬の転生前の嫁、それが壱与なんだよな」
正確には嫁では無いけど、その認識で概ね間違いない。
そして俺の転生前も当て馬の恋敵だった。
1500年以上経っても全く同じ状況なんて、笑えない冗談みたいな話だ。
「俺は鬼の正体が知りたいんです」
「鬼の正体か。実は俺が愛菜ちゃんの心は見たが、鬼側は開けられなかったんだ」
「開けられない?」
「鬼側とは繋がっていないからな。深層心理を見るには……言葉を交わして心を通わせる必要があるんだ」
「なるほど……」
直接触れば全てが見える、と言う訳でもないようだ。
「まぁ、壱与が核なのは間違いないだろうな」
「やっぱりそうですよね」
「でも壱与だけじゃなく、今までの巫女の欲望、怒りや嘆きーーそんな負の感情が蓄積し増幅された物だって冬馬は言っていたな」
「御門先輩がそんな事を?」
「なんでも冬馬の前世の帝って奴せいでそうなったって。その時、壱与が暴走して鬼化した際、その鬼を身の内に封じた者が居るらしい」
「封じた者?」
「そいつを冬馬は黄泉醜女って言ってた。それが巫女の力の源らしいんだよな」
「黄泉醜女ってあの日本神話の……?」
「だろうな。……今は鬼と溶け合っていて手が出せない。だから巫女が神器や神宝と契約して神託の巫女として能力が覚醒するたびに、鬼が姿を現すと言っていたな」
(なるほど……御門先輩もおそらく鬼について調べていたんだろうな)
壱与は故郷の出雲国を滅ぼされた。
帝に、家族だけでなく一族を皆殺しにされたのだ。
なのにそれを許して夫婦同然の間柄になり、大和の王国の発展に生涯尽力した。
好きな相手だとはいえ、聖人君子にしても話が出来過ぎている。
(守屋の記憶の中の壱与は聖人でなく、普通の女の子だった)
かつての守屋のように帝を恨むのが当たり前だろう。
一族を皆殺しにした国の繁栄を願い続けるなんて正気の沙汰じゃない。
でも……壱与の持つ負の感情を封じた者がいたのなら話は別だ。
負の感情を失い、全ての罪を許す聖人のようになったのなら確かに筋は通る。
前から感じていた違和感の正体が明らかになった。
(黄泉醜女……か)
鬼というお伽話の登場人物だけじゃなく、神話まで相手にしなくちゃならないなんて思いもしなかった。
「もう一つ、周防さんに質問してもいいですか?」
「何だ?」
「どうして……姉さんの中の鬼は御門先輩に執着しているんでしょう?」
こんな大掛かりな事までして、なぜ御門先輩の肉を食べ続けなければならないのか。
理由を鬼に聞いても、答えてくれなかった。
「冬馬が言うには大昔、鬼に『命をくれてやる』って約束してしまったらしいんだ。だが、その約束が果たされる事はなかった。だから時が経ても何度でも命を狙われているらしいんだ」
「約束……ですか」
「以前からずっと冬馬本人も喰われる覚悟はあったみたいだな」
ここ何回かは御門冬馬の死体の解体に俺も参加していた。
ただの高校生の俺が、人の解剖に立ち会える絶好の機会だからだ。
彫刻のように美しい死体についた複数の咬み傷は、やはり鬼の仕業だったのだ。
(姉さん、御門先輩を食べている自覚はあったんだよな)
食う側と食われる側。
双方がそれを乗り越えて恋人になっている。
やはりあの二人には切っても切れない深い絆があるようだ。
「はぁ……」
「ため息ですか。坊っちゃん、お疲れですね?」
「ごめん。裕也さんにとっては訳わかんない話だよね」
「要は小娘の中の悪い鬼って奴をブチのめしゃ良いんでしょ?」
(ブチのめすって……)
「鬼も悪いばかりじゃないから懲らしめるくらいで許してあげてよ」
「そうなんですかい?」
「基本的な性格は偏屈で傲慢だけどね」
「やっぱり最悪じゃないですか」
「まぁね。だから手強くてさ」
姉さんの心を人質にされている以上、迂闊な真似はできない。
今の所勝てる要素がひとつもない。
「そんなに鬼ってのは厄介なんですかい?」
「能力でいうと現状で勝てる者は誰も居ないだろうね」
「でも親父が言ってたけど、代々高村は巫女を手込めにして子を孕ませて、神宝の能力を引き継がせてきたって言ってましたよ」
「そうだね」
「鬼ってのがとんでもないじゃじゃ馬なら、過去、どうやって子作りしたんでしょうか。寝込みでも襲ったんでしょうかね」
(そうか。裕也さんは高村姓じゃないから引き継いでいないのか)
能力を得た時に一緒についてきた高村一族の記憶。
それを裕也さんは知らないのだ。
「俺達……まぁ血筋的に熊谷も持ってるかもしれないな」
「俺も持ってるって、何を?」
裕也さんは周防さんに尋ねる。
「もう薄まってしまってほとんど人間だが、一応、俺達は鬼の末裔だろ?」
「そうだな」
「大昔、鬼は雌の方が術を使うことに優れている者が多かったんだ。でも鬼も子孫を残してかなくちゃならない。だから鬼の雄には屈強な身体以外にある武器があったんだ」
「で、何の武器を持ってるって言うんだ?」
「毒だ」
「毒?」
「雄の体液には雌の能力を弱体化させる毒がある。一過性で時間が経つと無効化する代物だ」
「へぇ、そんな物があったのか」
「ただこの毒は人間にも良くない作用がある」
「良くないって何だよ?」
「死んだ秋人も普通じゃなかっただろ? 精神的にかなり不安定だった。それはこの毒のせいなんだ」
「じゃあ高村一族は自分達に毒だと分かっていながら、鬼と交ってたって事なのか?」
「ああ。神宝であり続ける為に鬼の力……巫女が必要だったんだろうな」
鬼が本来持っている黄泉由来の隠の気。
人には強すぎて負の感情を増幅させる毒をいつも身体に持っている。
気を抜けば、いつ父や兄のように正気を失うか分からない。
「ほぼ人間の俺達にその毒の効力がどれほど残っているのかまでは、分からないんだよな」
「でも父も兄も隠の気の毒気にやられていました。だから毒そのものは持ってはいると思うんです」
周防さんと裕也さんの会話に割り込んで、俺は言った。
「春樹の言う通りだな。じゃあ、お前が愛菜ちゃんの中の鬼にその毒を試してみればいいんじゃないか?」
(姉さんに試すだって?)
周防さんは平然と言ってきた。
その姿に腹立たしさが沸き起こる。
「周防さんなら心を読んでいて知らないはず無いですよね。姉さんがどれだけ御門先輩を想っているか」
「ああ、愛菜ちゃんは冬馬が大好きだな」
「あの身体は鬼の物じゃない。俺には姉さんを裏切る真似は出来ない」
キッパリと言い切った俺に周防さんはため息で返した。
「はぁ、そうか」
「はい」
「じゃあ鬼に愛菜ちゃんの成長がバレるのも時間の問題だな」
(鬼に……バレる)
そうだ。
俺は目的を見失いかけていた。
「周防さんには鬼に成長が悟られない秘策があるって言うんですか?」
「残念だが、秘策は無いな」
「じゃあそんな無責任な事を言わないでください」
「ただ、付け入る隙はあるかもしれない」
「隙……ですか?」
周防さんの所まで来た一番の理由。
それは姉さんの能力者としての成長を鬼に悟られない方法を知る事だ。
「お前の記憶を見た限り、鬼は愛菜ちゃんを相当侮っている。そこをつくんだ」
(確かに、平坦なループのお陰で鬼はあんまり姉さんを警戒しなくなってきたかもしれない)
「つくって……具体的にどうするんですか?」
「お前が俺の神宝『辺津鏡』の能力で、鬼の「愛菜ちゃんを侮る心」を増幅させるんだ」
「えっ!? 俺が?」
「当たり前だ。俺がノコノコ監視部屋まで乗り込んで行ったら警戒されるだろ」
(確かに、会う事さえ出来ないだろうな)
「でも……どうやって」
「具体的にはターゲットの意識を書き換える」
「意識を書き換える……」
「例えば「愛菜ちゃんを解放しろ」って能力で書き換えるのは不可能だ。鬼に解放させる気が初めから無ければ、意識を一から作る事は『辺津鏡』にはできない」
「さすがに万能では無いと言う事ですね」
「ああ。でも元々ある「愛菜ちゃんは落第巫女」って意識を増幅させる事は可能だ。最初から持ち合わせているから書き換えるだけで済む」
(心とパソコンは違うけど、データの新規作成はできないけど、上書き保存は出来るって事だよな)
「理屈は分かりました。でも、周防さんの鏡の能力をどうやって移せば……」
「秋人が叔父上の能力を奪ったように、俺の能力をお前が奪えばいい」
「それ、殺せって言っているようなものですよ」
「そうだ。俺を冬馬みたいに殺せ」
「そんな.……」
「どうせ半年したら全部無かった事になるんだ。少しくらい痛くても我慢するさ」
(でも……)
「鬼は3回前までのループを覚えていられる。必ず報復してきます」
「じゃ、鬼を襲った記憶も消すしか無いな」
「いきなりそんな、無茶ですよ」
「でも、やるしか無いだろ?」
「万一成功しても、鬼が忘れてしまったら侮る心を操作した事もリセットされてしまいます」
「だったら何度でも俺から能力を奪っていけばいい。どんな方法でも鬼に悟られなければいいんだからな」
(それはそうだけど……)
「もっと考えれば、他にも方法が……」
「今回の件で秋人は死んだ。これは絶好のチャンスでもあるんだ。もし奴が生きていたらこんなに俺と自由に会う事も出来なかっただろう」
「そうですね」
「お前、愛菜ちゃんを守りたいんだろ?」
「はい」
「あと、じゃじゃ馬ちゃんの事も憎いだけの存在じゃなくなってるんじゃないか?」
「どうして……それを」
「見えたんだ。時が来ればその答えもハッキリしてくる。とりあえず目の前の問題を解決しなくちゃな」
(そうだ。俺しか出来ない事をするんだ)
「わかりました」
俺は両手を合わせて念じる。
すると両手の間から赤い剣が現れた。
俺はその剣をグッと握り締める。
周防さんは立ち上がり、ゆっくり目を瞑った。
「さあ、やるなら早くしてくれ。俺の覚悟が鈍る前に」
(俺はまた罪を重ねるのか)
迷いが足元をもたつかせた。
剣がとてつもなく重い。
上手く扱うには勢いが必要だが、こんな気持ちでは命を断つほど鋭い刃を繰り出す事ができない。
剣を振るっても、闇雲に周防さんを苦しませてしまうだけだ。
そう思い至って、剣を下ろしかける。
「坊っちゃん、もっと潔くなってください」
そう言って前に出ていたのは、裕也さんだった。
渡したままの姉さんのカッターナイフで、周防さんの首の頸動脈を一気に切り裂いた。
目の前に激しい血飛沫が起きていた。
俺は呆然とその場に立ち尽くす。
「とどめを刺さないと、能力が引き継げませんぜ」
その言葉が耳に入った瞬間、俺は赤い大剣を力の限り振り抜いた。
最終更新:2022年03月23日 12:04