【ループ48回目①】

「壱与、何か食べないと体が持たない。少しでいいから何か口にしてくれないか?」

少年と青年の間くらい。
まだ幼さの残る帝が優しく呼び掛けていた。

「壱与……、お願いだ。僕を見てくれないか?」

少女は虚な瞳で帝を見ている。
御門先輩を殺した時に向けられた、絶望に染まった姉さんの眼差しとそっくりだった。

「ほら、口をあけて食べてごらん」

壱与の口許に穀物が差し出される。
だけど彼女には暗闇以外、何も見えていない。

「どうして口を開けてくれない。本当に死ぬつもりなのか? 僕は間違ったことをしたとは思わない。けれど……君を失いたくない」

帝は懇願するように、壱与を抱きしめる。
帝の熱量とは対照的に、壱与は人形のようにされるがままだった。

「君の望む事だったらなんでもしよう。だから、お願いだ。食べてくれ……」
「たべる……」

その言葉に反応するように、壱与の瞳に宿る色が変わっていく。
野性を思わせる、妖しいほど力強い色だった。

「とてもおいしそう。あなた」
「なっ!」

壱与は抵抗できないように、ゆっくり帝を押さえつけた。
首元に舌を這わせて、不敵に微笑んでいる。

「おいしい。もっとちょうだい」
「何を……まさか……!」
「そう。たべるの……あなたを……!」

さっきまで八重歯ほどの大きさだったのに、壱与の口には鬼の持つ四本の大きな牙が生えていた。
その肉食獣のような鋭い牙をもって、押さえつけられた帝の肩に躊躇なく齧り付いた。
二口ほど喰らい付いた所で口を赤く染めた壱与が、突然、ハッと顔を上げた。

「……だれ? 懐かしい、あなただれ?」

壱与は帝の上に乗ったまま、キョロキョロと当たりを見回す。

「壱与……?」

帝が心配そうな声をかけた。
肩から酷く出血しているのに相手の心配をするなんて、さすがの精神力だ。

「懐かしい、お父様と同じ力……」

壱与は何かを探して視線をさまよわせる。
そして天井の一角に視線を止めると、口を開く。

「お父様。やっぱりお父様なのね!」
「お父様……壱与もお父様と一緒にそちらへ行きます……。お願いです。黄泉へ連れて行ってください……」

壱与が涙を流しながら懇願する。

「やるべき……こと?」

壱与は突然、困惑しだす。
そしていやいやと頭を振った。

「出雲を滅ぼした国のために、祈ることなんて出来ません」
「私一人では出来ません。お父様が居ないと、壱与は何もできません。だから、私の前に姿を見せてください」
「待って! お父様、行かないで!」

壱与は去っていく何かに縋るような仕草をした。
そして正気に戻りつつある、瞳で目の前の帝を見つける。
帝を押し倒したままだと気付いた壱与は、慌てて飛び退きながら逃げた。
傷ついた肩を庇いながら、帝がそれを追っていく。

「もう、一緒に居ることは出来ないの」
「何を怯えているんだ」
「私の本来の姿、鬼の正体を知られてしまったから」

部屋の端まで追い詰められて、壱与に逃げ場がなくなってしまった。
帝は彼女の腕を掴むと、ぐいと引き寄せた。

「君が鬼で僕を喰らいたいのなら、今、ここで片腕を君に差し出してもいい」
「何を……言って……」
「もし全身を欲しいというのなら、少しだけ待って欲しい。 今は死ねないけど、この国に平穏が訪れた時、この命を必ず君に差し出そう。 それが罪を償うことになるのなら、僕は……喜んでその罰を受けるつもりだ」 


俺は目を開けて、電気を点けた。
時間は午前5時少し前だった。
まだ夜明け前だけど春の風を感じるこの頃は、窓の外の山も木も全てが芽吹き、新しい緑に包まれていく。
すぐに木の葉が色づく季節まで逆戻りしてしまうのだけど。

(しかし、ようやくこの夢に辿り着いたな)

俺の不思議な夢は『姉さんに関する事』に限られている。
帝と壱与だけしか現れない夢を本来だったら見る事は出来ないはず。

(やっぱり、あの場に姉さんが居合わせていた、と考えるべきだろうな)

部屋の天井の一角に壱与は何かを感じて話しかけていた。
きっと姉さんだった……のだろう。

『何日も籠ったままの壱与を心配した帝は、食事を用意して彼女を見舞いました。空腹から壱与は鬼の本能を曝け出し、帝を喰らおうと襲い掛かってきました。そこで……彼女は黄泉醜女に止めるよう諭されたのです』

帝だった御門先輩が言っていた言葉を思い出す。
状況もぴったりと一致していた。
姉さんに関する不思議な夢は時系列がバラバラのランダム再生だから、確証を得る為にも、この夢をずっと待っていたのだ。

(だけど、姉さんが黄泉醜女なんて……冗談みたいだ)

ここまで証拠が揃ったとなると、まず間違いないだろう。
鬼の始祖……そんな神様のような存在が姉さんだとは未だに信じ難い。
ここ最近、まともに治癒ができるようになってきたばかりだ。
あれから時間が経過していれば24年の月日が流れたことになる。

(ここは霊気が届きにくいからな)

姉さんは長谷川先輩から霊気の存在について学んだばかりだと思い込んでいる。
ループの度に成長していると本人は知らないから、余計に成長が進まない。

ただ、いくら状況が悪いとはいえ神託の巫女で素材は申し分ないのだから、ここまで成長が遅々としているのは流石に不自然な気もする。
黄泉醜女が力の源……壱与がそう言っていたらしいけど、ここにいつも引っ掛かりを覚える。

(このままじゃ埒が明かない。上手くいくか分からないけど、試してみるか)

姉さんが黄泉醜女だと分かったら試してみたい事があった。
最悪失敗したら、姉さんの成長も俺の記憶も全てがリセットだ。


「このげーむというのは時間を忘れるな。特にこの髭のが一番面白い」

この間、姉さんと鬼のためにゲーム機を買ってきた。
外からの情報収集ができないようにオフラインで遊んでもらっている。
鬼も姉さんも機械音痴でオンラインの設定ができる事すら知らないだろう。
今遊んでいるこのソフトは鬼の方が夢中になって遊んでいた。

「わたしが赤髭やるからお前は緑髭をやれ」
「いいよ。セーブデータの続きからで良い?」
「ああ。今日こそ空のすてーじを終わらせるからな」

はっきりいうと鬼はゲームが下手だ。
開始早々、足場から何度も落ちて、自機をすべて使い果たしてしまった。
俺はゴール手前で鬼に尋ねる。

「俺がクリアすれば違う面に進めるよ。次は地面のある所だから落ちにくいけど、どうする?」
「わたしが旗に登らなければ何の意味もない」
「わかった。じゃあ俺は足場を作る方にまわるよ」

今度は鬼が落ちないようにサポートにまわってゲームを進めていく。
何度も失敗したが、ようやく旗の上に赤髭が着地してくれた。

「だいぶ上達したんじゃないか?」
「そうだろう?」

ベッドの上で、鬼は自慢げに胸を張っている。
その様子が可愛くて、彼女の頭に手を置いた。
ゆっくり撫でると、気持ち良さそうに目を細める。

鬼は悪意の塊、そう聞いていた。
残酷な事を平気な顔でするから、俺もその言葉を最初は疑わなかった。 
人を蔑み、他人の不幸を嘲笑う。
だけどそれが価値観の違いからくるものだと分かり始めると、憎むだけの気持ちに疑問が生まれた。

「春樹。お前は不思議な奴だな」

俺に撫でられたまま、鬼はポツリと呟く。

「不思議……何が?」
「今までの人間は私を拝み倒したり、座敷牢に閉じ込めておもちゃにしたりした。人間など野蛮で私欲の塊だと思ってきた」
「可哀想に。沢山嫌な思いをしてきたんだね」
「私達鬼にとって、人などただの食糧だ。だが、お前は他の人間にはない公平な目……高潔さがある。信用に足る男だ」
「珍しく褒めてくれるんだ。ありがとう、嬉しいよ」

(本当の鬼は彼女ではなく、人間側なのかもな)

鬼を人間不信にしたのは俺の先祖達だ。
偶然にも長い時間が与えられて、俺は鬼の内面を垣間見る事ができた。
得体の知れない者として恐れているうちは、お互いが相容れないままだっただろう。

「さすがに買い被りすぎだよ。俺だって私欲の塊だ」

俺は撫でていた手を彼女の柔らかい頬に滑らせた。
親指の腹で血色の良い唇に触れる。

「私は巫女だ。お前の望みは何だ」
「俺の望み……」
「望みを言ってみろ。場合によっては叶えてやらない事もない」
「俺は姉さんに会いたい。何も考えず笑って過ごしていた頃の……退屈で平穏なあの日常に戻りたいんだ」

そう言った瞬間、指に激痛が走る。

「痛っ……!」

目をやると、鬼が俺の親指を強く噛んでいた。
めくれた肉から血が滴り始め、それを器用に舐めとっている。
それでもまだ血は止まらない。
何度も往復して舐められ、俺は辛抱たまらず傷付いた指を彼女の口内に沈めていく。
叫びたいほど痛いはずなのに、彼女が絡める舌と包む生温かさの方がずっと強く感じる。
ぬるりと湿った柔らかさが、心地いいとすら感じていた。

(一番感じ易いはずの痛覚が鈍ってる。それだけドーパミンが出てるって事だな)

一言で言ってしまえば性的に興奮している状態だ。
彼女の一番敏感な上顎の奥に、優しく指を這わせた。
すると苦しそうに喘いで、赤色の混ざった唾液を口の端から垂らしていた。
俺は思いのままに歯茎をまさぐり、舌を押さえた。
指がふやけてしまう程、時間をかけて彼女の口内を指だけで味わう。
涙目になりながら息を継いでいる姿を見つけて、指を引き抜いた。

「苦しかった? やりすぎたな、ごめん」
「別に……構わない」
「そうか。嫌じゃなかったなら良かった」

強制はしたくない。
高村の先祖達のように強引に奪うだけ……そんな真似だけは御免だ。

「でも……どうしていきなり噛んだのさ」
「言いたくない」
「言ってくれなくちゃ伝わらないよ」
「どうせ言葉にしたって無駄だ。だから言わない」

こうなると彼女は噛んだ理由を教えてくれないだろう。
鬼は本当に強情だから、こちらが諦めるしかない。

「そういえば……以前に俺の血は不味くて堪らないって言っていたのに今は平気そうだったね」
「ああ。不味くはなかった」
「もう何回も前の事だから、貴女は覚えてないかも知れないけど。鬼も味の好みが変わったりするんだね」
「そうだな。自分でも……とても驚いている」

味覚が変わる事自体はそんなに珍しい事じゃない。
子供の味覚から大人の味覚になったり、昨日まで不味くて食べられなかった物が食べてみたら意外と美味しかったなんてよくある話だろうに。

「そんなに驚く事かな。なんだか、最近変だよ」

昨日も膝枕を要求された。
その前は食事を食べさせてくれと言ってきた。

(まぁ、雛鳥みたいで愛らしかったんだけどさ)

いつの間にか、自然と睦み合う仲になっていた。
とはいっても、じゃれあったり口付けしたりするくらいで、まだ一線は越えていない。
周防さんの能力で鬼の感情操作をした後、必ず記憶はデリートしている。
だけど触れ合った残滓は残ってしまうらしく、鬼から求めてくるようになった。
それが日常的になって、今に至る。

「お前は器……愛菜に好意を寄せているのだろう?」
「そうだね、今も姉さんが大好きだ。でも、姉さんの気持ちは御門先輩に向いていて揺らぐ事はないだろうな」
「相手にされないのであれば、好いている意味がないだろう」
「意味はあるよ。たとえ相手にされなくたってね」
「くだらない。不毛だな」

相変わらず、はっきりものを言う。
昔はその言葉にいちいち傷ついたり、腹を立てたりした。
でも鬼はこういう言い方しか出来ないのだと気付いたら、素直に受け取れるようになっていった。

「確かに不毛かもしれない。だけど、自分の気持ちに嘘はつきたくないからさ」
「お前は馬鹿だ」
「あはははっ。馬鹿って言われてしまったな」
「笑うな、気色悪い」

さっきから怒っているように感じる。
いつものキツイ言い方に更に磨きがかかっている。

「怒らないでよ」
「怒っていない。呆れているだけだ」
「きっと、俺のために怒ってくれているんだよね」

(貴女は俺の事が好きだから。それで腹が立つんだ)

通じない想いに焦って、気付かないうちに特大のブーメランを投げている。
本当に腹が立っているのは、自分自身に対してだろう。
噛んだのも、姉さんへの嫉妬心からに違いない。

姉さんの事は今も誰より大切だ。
それと同じくらい、鬼の事も愛しいと感じている。
二人同時に好きになれる器用さを自分が持ち合わせていたなんて、夢にも思わなかった。

(それでも……鬼に好きだとは絶対に告げない。そう決めているんだ)

鬼が姉さんに与え続けている仕打ちは今も許してはいない。
最初に味わった屈辱感も消える事は無い。
片想いの苦しさは、俺も嫌というほど知っている。
でも……姉さんが受けている苦痛は、鬼が感じているものの何十倍も強い筈だ。

(姉さんが好きだけど、鬼も好き。求めているのに、許せない。愛しいけど、憎い。アンビバレント……二律背反だな)

チラッと時計を見る。
そして鬼の後頭部を手の平で支える。

「怒らないで。機嫌を直して欲しいな」

彼女を引き寄せ、優しく耳元でささやく。

「さっきから怒ってなど……はぅ」

耳を舐めると、鬼の身体がピクンと跳ねた。

「耳、本当に弱いよね」
「う、五月蝿い……」
「五月蝿いの? じゃあ塞がなくちゃ」

耳の穴に向かって舌先を這わせる。
耳は神経の多く集中している場所で、脳にも近い。
だから特に感じ易い場所、剥き出しの性感帯なのだ。

舌先を奥へと往復させる度に、彼女は身体を震わせた。
ピチャピチャと水音をだしながら、緩急をつけて責めていく。
彼女が漏らす喘ぐような吐息も次第に上っていく。

「やっ、やめ……うぅ……はうん!」

耳朶を噛んだ所で、鬼の身体が大きく跳ねた。
そのまま俺は、彼女の唇を自分の口で強引に塞いだ。


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最終更新:2022年03月23日 12:17