【ループ49回目①】
『黄泉醜女。まだ繋がっているなら返事をしてくれ』
夢の中で俺は必死で呼びかける。
『次のループが完全に始まれば、また鬼との契約に戻ってしまう。その前に一つだけおしえてほしい事があるんだ!』
姉さんの覚醒は不十分だった。
鬼を完全に抑え込めなかった理由がどうしても知りたい。
(俺の決死の作戦でも駄目だった。何がいけなかったって言うんだ)
『るき……足り……ない……』
微かに姉さんの声が聞こえる。
だけど契約が切れかかっていてよく聞こえない。
「聞こえない。何が足りないんだよ?」
『……絆……』
「絆? 一体、何の事だよ……」
それきり黄泉醜女との交信は途絶えてしまった。
(くそっ……!)
俺は何も無い地面に思い切り拳を叩きつけた。
でも、痛みも……触れた感覚すら何も感じなかった。
こんなただの夢ですら、思うようにならない。
腹部に残る幻の痛みで、目が覚めた。
48回目の、ループの名残。
あの一撃は、無駄ではなかった。
姉さんの力は確かに、鬼を退けた。
だが、何かが足りない。
黄泉醜女が、最後に残した『絆』という、謎の言葉。
その答えが見つからないまま、季節はまた巡ろうとしていた。
黄泉醜女が言っていた『絆』の意味もわからないまま、四ヶ月が過ぎた。
今は別の事を考えていたくて、受験対策用の英語の勉強をしていた。
「….…ん?」
「どうしました。坊っちゃん」
「いや……長文を訳していたんだけど、この一文が浮いてしまったんだ」
裕也さんはよく俺の部屋に入って来ては、長時間居座ることがある。
最初は嫌だったけど、ノックをしないで勝手に入ってくる事と一緒でいちいち注意しても無駄だと分かってから気にならなくなった。
今は俺のために用意してくれたナイフの手入れをしてくれていた。
「ここのask for the moonって前後の文と繋がって無いんだ。月を求めるって……何かの慣用句なのかな」
「ああ、そりゃ無理難題をふっかけるって意味ですよ」
「えっ?」
「あっ……」
裕也さんはしまった、という顔をして他所を向いた。
前から怪しいとは思っていた。
ほかの教科の勉強をしていてもまるで興味なさそうなのに、英語になるとたまに覗き込む仕草をしていた。
「英語、できるんだ」
「まぁ、少し」
「もしかして。それ、周防さんと関係あるの?」
「あー、あるっちゃあるかもな」
裕也さんは曖昧な言葉でその場を取り繕おうとしている。
はぐらかされてしまっては、真意を聞くことなんてできない。
ゆっくりと真剣に、俺は話を始めた。
「以前、周防さんに会った時に裕也さんの事を聞いていたんだ。その時、親しい間柄に感じた。でも裕也さんは周防さんを避けているよね」
「………」
「やっぱり。理由があるんだ」
「周防は……アメリカに居る時に誓ってくれたんだ。高村で天下取って腐った組織を変えてくれるって。だから俺はアイツの力になりたくて格闘術を死ぬ気で身につけた。なのに何も変わりはしなかった」
「それで裕也さんは兄さん側に?」
「別に俺は誰かに属しているつもりはない。今はもう、ただ暴れる場所があればそれでいい」
「もし嫌じゃなかったら教えてよ。英語ができる訳も含めてさ」
裕也さんは仕方なさそうに頭を掻くと、ポツポツと自分の過去について語ってくれた。
中学の頃はとにかくヤンチャでケンカに明け暮れていた事。周防さんの留学に一緒について行くことになって本場の近接格闘術を身につけた事。彼女が居たけど別れて帰国の途についた事、色々教えてくれた。
「別れたその娘、可愛かったの?」
「まぁ、それなりには」
「でも……お互いまだ想い合っていたのに辛くなかった?」
「そりゃ、な。でも若かったし、彼女の人生を丸ごと請負うほどの勇気もなかったんですよ」
(未練か。黄泉醜女が言っていた絆は……やっぱり姉さんにとって一番大事な御門先輩かもな)
「ねぇ、裕也さん」
「なんでしょう?」
「好き同士の二人が離れ離れになる時、一番欲しかったものは何だった?」
「欲しいもの……ですかい?」
「うん」
裕也さんはしばらく考えていた。
そしてフッと口を開く。
「強いて言えば、時間……ですかね」
「時間?」
「特に帰国が決まってから、全然時間が足りないって思ってました。一緒に居るときは一瞬で時間が過ぎるのに、会えない時は本当に長く感じた気がします」
「そういうものなんだ……」
(自分にとって時間だけは持て余すほどあるから、盲点だったな)
「俺のことは白状したんだ。次は坊っちゃんの番ですぜ」
「えっ? 俺?」
「そうです。まるで未来からやってきたみたいに先の事を分かって行動してる。あとヒョロっこくて格闘技の経験も無いのにやたら強い。解せない事だらけだ」
(初めてだな。今までは俺の事を尋ねてくるなんて無かったのに)
きっかけだ。
対話のきっかけがあればより相手を知り得る事ができる。
裕也さんは俺の事を掴み所のない不思議な人だと思っていたようだ。
だけど何かきっかけが無ければ、尋ねる機会を失ったまま時は過ぎていく。
姉さんにも、御門先輩に伝え切れなかった未練があるのかもしれない。
(裕也さんに本当の事を言って信じてくれるのかな……)
心の読める周防さん以外、俺の秘密を今まで詳しく知る者は居なかった。
鬼と会う時は必ずビデオも切っていたし、誰にも知られないようにしてきた。
今この世界がループを繰り返しているなんて、使い古されたSFそのものだ。
笑われる事を覚悟して、俺は本当の事を話し出す。
「じゃあ、今回は最初のループから何回経ったんですかい?」
「49回目……」
「約25年か。すごいな」
「いや、繰り返ししているから時間は進んでいないんだよ」
「それくらい俺にだって分かりますって。その話なら、記憶の残っている坊っちゃんだけは40歳って事ですね! 大人だなぁ」
「茶化さないでよ。もう……」
こうなりそうな予感はしていた。
夢物語のような話を疑う事なく信じてくれているのは、裕也さんの真っ直ぐな性格のおかげなのだろう。
「ループ中に裕也さんが俺に格闘術を教えてくれたんだ。それと俺には1500年前の剣士だった前世の記憶もあって……元々、剣の扱いに慣れているんだよ」
「なるほど。古武術以前の剣の型だから……見たこともない技や構えをする時があるんですね」
(そんな事まで気付いていたのか。さすがだな)
「これでようやく分かりました。会った時は頭でっかちのくせに自信の無さそうな、臆病スカし坊主だったのに、ある日を境に急に人が変わったみたいなった。それがループの起点だったんだな」
(『臆病スカし坊主』……以前の俺にすごい愛称を付けてくれるな)
「俺……そんなに変わったのかな」
「そうですね。ただ……坊っちゃん、結構な人数を殺ってきてると俺は見てる。違いますか?」
(どうして分かるんだろう)
「そうだね。邪魔者は排除するのが手っ取り早いから」
「それは良くない。もう人を殺めるのはよした方がいい」
「どうして? ループすれば彼らはまた生き返るよ。雨後の筍のように」
「俺を指導してくれた退役軍人の男と同じ目をしているからだ。アンタ、あの男のように自滅の道を進むつもりか? 医者になるなら尚更、駄目だろ」
(机には医大の赤本……さすがにバレるよな)
裕也さんの声色は静かで、とても真剣だった。
いつもの『坊っちゃん』から『アンタ』に変わっている。
これは親しい友人として忠告してくれているのだろう。
「わかった。肝に銘じておくよ」
「そうだな、それがいい……」
お互い自然と下を向いて笑い合う。
照れも入って、居心地が悪い。
「ついでに言うと。アンタがもう少し早く生まれていて、生まれながらに能力持ちだったなら……親父が守りたかった高村をもう少しマシな形で残せたのかもしれないな」
その時、ピーッピーッとけたたましく呼び出しベルが鳴った。
「小娘からの呼び出しですぜ、坊っちゃん」
裕也さんの言葉に頷くと、俺は急いで彼女の元へ向かった。
最終更新:2025年08月19日 19:35