【ループ50回目③】
舞台演劇を観に行ったことがある。
それも偶然に同じ劇団の去年と同じ演目だった。
なのにその舞台は俺の目に全く違う物として映った。
去年と違う様に感じるのは、演出家が変わったからだとその時の母さんは言った。
俳優の演技も大袈裟なくらいの方が良い。
それも観劇で感じた事だった。
小学生の時に学芸会で王子役を演じた事もあったけど、かなり酷い出来だった。
もう二度とやりたくない、そう思っていたはずなのに。
(わざわざ手足まで縛っているんだ。姉さんも御門先輩も……上手く乗ってくれよ)
「春樹さん、ですね」
俺はゆっくり顔を上げてうなずいた。
「はい。俺が春樹です」
「…………」
「それよりさっき姉さんの声がしました。姉さんもここに来ているんですね」
「僕たちはあなたを助けるためにやって来ました」
恐らく姉さんは、御門先輩が安全な所にかくまっているのだろう。
一応、怪しまれないよう尋ねておく。
「姉さんは、どこに?」
「愛菜は無事です」
「会わせてください」
「それは無理です」
「無理……どうして?」
「春樹さん。僕はあなたを疑っていますから」
(御門先輩なら、当然そう来るよな)
そんな考えとは反対に、あえて大袈裟に尋ねる。
「疑う? 何を」
「あなたが僕を殺そうとしているかもしれない、という疑いです」
「俺が御門先輩を?」
「はい」
(初回の状況を冷静に判断できれば、犯人なんて簡単に見つけられるはずだしな)
ただ、姉さんは俺を信じきっている。
だから一生掛かっても犯人を見つけられないままだろう。
「春樹さんは高村の血を引く者。神宝の力が覚醒していても少しもおかしくは無い」
「俺が御門先輩を……冗談でしょう」
「……最初にショッピングモールでお会いした時から因縁のようなものを感じていました。春樹さんも同じように感じたのでは無いですか?」
「そうだな……どれだけ頑張っても御門先輩を好きになれる自信はないよ」
「殺意を抱くほど、憎いですか?」
「自分でもよくわからない。でも姉さんを守るためなら俺はいつでも鬼にだって邪にだってなるよ」
そういうと、俺は怠慢な動きで椅子から立ち上がった。
と同時に床から赤い剣を出し、手足の拘束を解いてみせる。
「それは……十種の神宝の一つ、八握の剣……それで僕を殺めたのですね」
「正解です。おかしいな。姉さんの記憶は消したはずなんだけど」
「愛菜は気づいていません」
「だろうね。以前の俺は虫も殺せない様な奴だったから」
「力を得て変わってしまわれたのですね」
「今回もわざわざ手首まで縛って小芝居したのに。見抜かれてたなんて残念だよ」
「……やはり愛菜を軟禁していたのも、春樹さんですか」
「この力を得る交換条件でね。頼まれたんだ」
「一体、誰にですか」
「鬼だよ」
「鬼……」
巫女の中の鬼の仕業だと、御門先輩もようやく気付いたようだ。
「悪意の塊みたいなものさ」
「何を頼まれたのですか? 僕を殺せと……そう言われたのですか」
「ちょっと違うかな」
「大掛かりな結界まで張って、あなたは何がしたいんですか」
「じゃあ質問するけど、俺が姉さんを軟禁して、一体何をしていたと思います?」
本当は……マナは悪意の塊なんかじゃない。
でも説明も面倒だから、彼女も俺と一緒に悪者になってもらう事にする。
「まさか……食事に、ですか」
「さすがだな。姉さんは全然気づいてなかったのに。俺の作った食事を美味しそうに食べてくれていたな。家でも食いしん坊なんだ。とてもね」
「…………」
「姉さんと同化しているせいかな。鬼も食いしん坊なんだ。一日一度より三度の方が良いから協力してほしいって。俺の夢に現れてこの力を与えてくれたんだ」
「…………」
「さすがに言葉が出ないかな。勘もいいし、食材にするには惜しい人だな」
少しのヒントで食事に自分の肉を使われてたと、すぐに気付いた。
御門冬馬。
本当に敵にはしたくない相手だ。
「愛菜が軟禁中、正気を保てていたのが解せなかったが、そういう事だったのか」
冬馬先輩は怒りを押し殺したように呟く。
「少ない情報量でそれだけ推測できていれば上出来だよ。さすがかつて一国の王だった事はある」
「一国の王……どうして春樹さんがその事を?」
「壱与も姉さんも横から掻っ攫って奪っていった。あなたは昔から姑息でズルい人だったから」
「因縁の相手……というのはもしかして」
「大昔に貴方から全てを奪われた男と言えばすぐに分かるでしょう」
「春樹さんが守屋……」
「これは永遠に終わらない復讐なんだ。もし終わるとすれば、俺の気が完全に狂った時かな。いや……もう十分狂っているか。父も兄も、気に入らない奴は全部殺したんだから」
俺は面白くなさそうに顔を歪めて笑う。
ちゃんとヴィランを演じきれているのだろうか。
(さあ、ここからが本番だ)
戸惑う御門先輩に不意打ちとばかりに斬りかかる。
すぐに御門先輩も応戦の体勢に入る。
その軌跡が赤い閃光と青い閃光が激しくぶつかり合うようにも見えた。
お互いの剣の技量を計るかのように距離を取った斬り合いが続く。
俺は大剣の遠心力を使い、重い一撃を繰り出す。
鈍い金属の爆ぜる音が響く。
と、御門先輩は細身の青い剣で受けとめ、ジリジリと力で弾き返した。
彼は身体を相当鍛えている。
力と力の競り合いでは俺には分が悪い。
低くなった体勢のまま先輩が、チャンスとばかりに大きく前に出て懐に入ろうとする。
それを察した俺は、紙一重で後ろへ飛び退いた。
「俺が火で先輩は水。やっかいな相剋だな」
「厄介という割には余裕がありそうですが」
「御門先輩、やっぱり強いね」
「春樹さんの隙のない滑らかな動き。剣を扱い尽くした相当な手練れです」
「それはそうさ。大和で一番の戦士だったんだ」
「守屋の剣士としての能力をトレースできるようですね」
「まぁね。だけど身体は俺のままだから使いすぎると次の日は動けなくなるんだけど」
(動けなくなるのは本当だ。だから戦いたくないんだよな)
技量を確かめ合い、剣と剣を激しくぶつけあう接近戦になっていった。
お互い一歩もゆずれない戦いだ。
裕也さんに体術を教えてもらっていなかったら、さっきの低姿勢の一撃をモロに食らっていたかもしれない。
(姉さんは絶対にこの様子を見ている。御門先輩に勝たなければ……俺が二人を引き裂く障害になんてなれない)
ぐっと二人の距離が近づいて、そのままつばぜり合いになっていく。
「御門先輩、手強いな……今までで一番生きる事に執着してる。姉さんに何か言われたね」
「ここに来る前、誰よりも特別な人だから死ぬことは許さないと言われました」
「そうなんだ。今回の強さはそのせいだな」
「今回? どう言う意味ですか?」
「俺が先輩とこうやって一対一で戦うのは今回で9回目だからね」
「9回? そんなはずありません」
「御門先輩や姉さん達はここを夢だと思っているかもしれない。だけどここは夢でも現実でも無い」
「胡蝶の夢の最中……では無いのですか?」
本当はループしている事なんて話す気は無かった。
でも裕也さんが御門先輩は対話できるかもしれないなんて言うから、思わず、口走ってしまった。
感心な時に、余計な迷いが出てしまった。
(まずいな。これじゃ二人の障害になれないかもしれない)
「ここが胡蝶の夢? 違うさ。ここは時の狭間なんだ」
「時の狭間……」
「そう。失敗したんだ、姉さんは。というより、鬼の片棒を担いだって言った方がいいかもしれない。文化祭の前日から188日後までの間を何度も繰り返してる」
「繰り返している……ループしているという事ですか」
「食べたら無くなるからね。でもこの閉ざされた時間にいる限りーー御門先輩という食材は何度でも手に入るだろ?」
「それは……本当なのですか?」
「もちろん。殺し合いの最中に嘘を言うほど余裕は無いから」
俺はつばぜり合いを終わらせるために、力を込めて御門先輩を押し出す。
御門先輩は一歩後退して再び構えた。
「どうしてループしてると分かるのですか?」
「唯一、俺だけが記憶してるからだよ」
「なぜ春樹さんだけが? 僕も愛菜も誰も記憶していない。あの鏡だって気づいていなかった」
「観測者……とでも言えばいいかな。俺だけは姉さんに関するあらゆる記憶を保持できるんだ。可能性も時も超えてね」
「それが春樹さん自身の能力という訳ですね」
「違うよ。これは昔、姉さんが与えてくれたんだ。全く、皮肉なものさ」
「愛菜が……」
「だから鬼にとって俺は最適の協力者なんだ。姉さんが好みの料理も作れるしね」
「春樹さんはそれでいいのですか?」
「どういう意味かな」
「力を求めすぎるあまり、一番大切なものを失ってはいませんか?」
「どうだっただろう。もう以前の俺が何を大切にしていたかなんて忘れてしまったよ。軟禁して鬼に御門先輩を食べてもらい、結果、姉さんの心を守れている。過程なんてどうだっていいのさ」
そう。
最初は過程なんてどうでも良かった。
(失った物も沢山ある。でも得た物も沢山ある)
もしかしたら、得た物の方が失ったものよりずっと多いかも知れない。
とにかく沢山の本を読んで、あらゆる知識を貪欲に吸収した。
何度も繰り返し解剖し、血管の位置や神経、内臓の細かい部分まで知る事ができた。
今は中途半端な医者より上手く手術する自信だってある。
今までの想いを込めて、御門先輩に斬り込んでいく。
ひ弱な身体を補うために、裕也さんから格闘術を学び、その技を叩き込まれた。
周防さんからは夢を諦めない事を教えてもらった。
御門先輩は俺の連続技の応酬に苦戦している。
彼の身体に次々と傷が刻まれていく。
ループの最中、俺は孤独だと思っていた。
だけど本当は、いつも隣にマナが居た。
皮肉屋でプライドが高く、高圧的に命令してくる生粋の鬼。
間抜け、愚図、馬鹿だのと星の数ほど罵られてきた。
下僕同然だったけど、交わされる多くの会話の中でお互いを知っていった。
散々憎んでいたはずなのに、いつの間にか大切な人になっていた。
マナには沢山良い所も可愛い所もあると、今の俺なら知っている。
「冬馬先輩!」
(姉さんか)
扉を勢い良く開けて、姉さんが入ってきた。
俺を追い越して、先輩の所まで慌てて駆け寄っていく。
「愛…菜……」
立っているのがやっとの御門先輩は満身創痍だった。
しゃべる事もキツイのか、苦しそうに大きく肩で息をしていた。
「春樹、もうやめて!」
彼の身体を支えながらすぐそばにいた俺に叫んでいた。
その悲痛な叫びで、やっぱり姉さんは御門先輩じゃないと駄目なのだと悟る。
「そうか。姉さん、覚醒したんだ」
「うん」
首を縦に振った姉さんを見て、俺は戦闘の構えを解いた。
「じゃあ俺の負けだね。御門先輩の粘り勝ちだ」
俺は自分の持っていた赤い剣を地面に投げ捨てた。
ガシャッと重い金属音を響かせた剣を、能力を解いてこの場から消し去る。
(……やっと終わった。何もかも)
「冬馬先輩、戦いながら出血を抑えていたんだ。頑張ったね」
御門先輩の身体を労るように、姉さんは声をかけていた。
「気をしっかり持って。気絶してしまったら途端に大量失血してしまうから」
先輩を抱きしめるように寝かせると、姉さんは身体全体で精気を送っていく。
御門先輩の顔色は相変わらず、悪いままだ。
「うう……」
我慢強い御門先輩でも苦痛に顔を歪ませていた。
「姉さん、そんなことしたら寿命が縮まるよ」
精気を送り続ける姉さんに俺は声を掛けた。
「わかってる。でもやらなくちゃ」
「ここは外からの霊力が届かない。それ、わかってやってる?」
「知ってるよ。そんなこと」
「たとえ元の時間に還ったとしてもさ。先輩はどうせあと数年の命なんだ。姉さんがそこまでする意味ある?」
御門先輩は短命だ。
帝は魂を神に売り渡す代償として、草薙の剣の力を貰い受けたからだ。
その魂を持った者は、帝が生きた年数しか生きる事しか出来ない。
魂を売るという愚行だけど、大切な人と共にいたいという願いはどこか崇高にも感じてしまう。
「怪我をしていたら治す。当たり前じゃない」
「だよね。姉さんならそう言うと思っていたよ」
(やっぱり、姉さんは姉さんだ)
その場から動かず、黙って姉さんの様子を見守っていた。
「ねえ、春樹」
「なに、姉さん」
「ループの事、どうして私たちに話したの?」
「それは……終わらせたかったからかな。もう疲れてしまってたからさ」
「本当に?」
姉さんは抜けている時もあるけど、馬鹿ではない。
流石にある程度、気付いているようだ。
「本当だよ。最初は目新しさもあったけど、繰り返しって残酷なほど単調だからね」
「じゃあ、今、私を殺さないはなぜ? これは私の作り出した時間だから私が死んでも当然、終わるよ」
(姉さんを殺す? 冗談じゃない)
俺の気持ちなんて少しも知りもしない……姉さんらしい発言だ。
これが察しの悪い天然の恐ろしさだろう。
「覚醒した姉さんには敵わないからだよ。負け戦はしない主義なんだ」
「私は今、全霊で冬馬先輩の治療をしている。倒すなら絶好のチャンスだよ」
天と地がひっくり返っても俺が姉さんに手をかける事はない。
呆れながらも、姉さんの会話に付き合う。
「ループに慣れた今となっては人の命なんて勝手に生えてくる雑草みたいなものだけど、姉さんは殺せないよ」
「なぜ?」
「だって家族でしょ」
俺は心の中で自分から別れを告げる。
本当に大好きで全てを捧げられた。
それでも叶わない恋もあるのだと教えてもらった。
「……家族。でも、春樹。本当の父もお兄さんも春樹が……」
「殺したね。でも、あの人達は血が繋がっている、ただそれだけだよ。多少の利用価値はあったかな」
「そうなんだ……」
今回は殺していない。
でも今までは数えきれないほど、殺めてきたのも事実だ。
「姉さんは御門先輩が大切?」
「うん。とても」
「家族よりも?」
答えはもう知っている。
だけど意地悪く、あえて質問を投げかける。
「冬馬先輩が誰よりも大切だよ」
「それは帝の生まれ変わりだから?」
「違うよ。私が好きになったのは御門冬馬っていう不器用な人ただ一人だけだよ。
不器用だけど真っ直ぐで何があっても人のせいにしない。そんな人柄に惹かれたんだから」
「それだけはっきり言われると、弟としては結構複雑だな」
俺は椅子に腰を下ろしながら苦笑する。
(思ったよりもダメージが少ない。以前の俺だったら泣き喚いていたかもしれないな)
すると、姉さんに抱きかかえられていた御門先輩が微かに動いた。
「愛菜……」
少し血色が戻ってきた先輩が薄く目を開ける。
「冬馬先輩」
「もう大丈夫です。愛菜、ありがとうございます」
御門先輩は姉さんからのからの精気の受け取りを拒絶していた。
「もう少し受け取って。まだ全体足りないんだから」
「本当に大丈夫です」
先輩は姉さんから身体を離し、自分の力で何とか座っていた。
「それより、春樹さん」
先輩は椅子に腰かけている俺に顔を向けた。
とても含みのある呼び掛けを、あえて軽く受け流していく。
「傷に障る。御門先輩、しゃべら無い方がいいよ」
「構いません。それより、本当の目的をなぜ言ってくださらなかったのですか?」
「俺の目的? 俺は力を手にしたかった。姉さんを鬼に渡したくなかった。あんたが気に入らなかった。ただそれだけだよ」
「なぜこの期に及んで偽るのです?」
顔色は蒼白で意識を保つことがやっとのはず。
それでもその声ははっきりしていた。
「本人が言っているのに何を決め付けてるのさ」
「春樹さんは初めから正気だった。悪意に呑み込まれて自分を失ってもいない」
「…………」
「ただ一つ、愛菜を覚醒させる目的のためだけに動いていた。違いますか?」
(やはり気付いたか。御門先輩なら当然か)
御門先輩からの問いに俺は沈黙で返した。
「何度もループしているなら、僕たちのあらゆる行動も把握済みのはず。それなのに僕たちを試すようにここまで誘導した。おかしい、そう気づきました」
「…………」
「そして軟禁の事、この世界の仕組みをわざわざ丁寧に説明したり、怒りや絶望感を煽るような言動を繰り返していた。でもまだ、春樹さんの真意を計りかねていた」
「…………」
「極め付けは僕と春樹さんの剣の実力差。剣を交えれば、格上の相手くらいすぐわかる。それで春樹さんの目的を悟った」
珍しく御門先輩の敬語が消えていた。
「御門先輩。そこまで分かっているならどうしてボロボロになるまで付き合ってくれたんです?」
俺は冬馬先輩を見据えながら尋ねる。
そう。
どうして彼はそこまで気付いているのに、俺に付き合ったのか。
そこが一番解せない部分だ。
「愛菜のため……と言いたい所ですが、春樹さん。あなたのためです」
「俺のため?」
「春樹さんの瞳に宿した覚悟が本物だった。だから僕も本気であなたの計画に乗ったのです」
「姉さんを騙してでも?」
「騙していません。僕は常に本気だった。愛菜も同じなはずです」
(裕也さんの言う通り、この人は……)
剣を交えた者同士だから分かる事がある。
俺の渾身の一振りに込められた気持ちに、彼は気付いたのかも知れない。
「言っておくけど俺も御門先輩に手加減はしてないよ」
「分かっています。危うく死ぬところでした」
「だろうね。殺しても構わないと思っていたから」
「この僕は死んでも次の僕にというわけですね」
俺だって次は無い。
失敗すれば、兄さんに殺される運命だった。
「そんな事は無いさ。一対一の真剣勝負は俺も命懸けだから毎回なんてとてもじゃないけどやれない。安全な場所で確実に殺す方法をずっと選んできた。でも今回の御門先輩に希望を見た。だから久しぶりに賭けてみたんだ」
「今回の僕に希望……ですか」
「実は姉さんの力が覚醒する条件は前から整っていた。でも上手くいかなかったんだ。どうして覚醒に至らないのかずっと分からなかったんだ」
今までの事を想う。
長い長い道のりだった。
でも思い出に浸ってみても、不思議と嫌な気分にはならなかった。
そして俺は溜め息を小さく吐く。
「今回の御門先輩はどこか今までと違っていた。生きることに執着し、自分で考えて行動していた。カッコ悪いくらい諦めが悪かった」
「だから僕達をここまで導いたのですか?」
「変わりたいって気持ちが強さに変わる。諦めの悪さが夢を叶える原動力になる。今回の御門先輩にはそれがあった。だから御門先輩が勝ったんだ」
「勝ち負けなんて僕はどうでもいい。それより一番不可解だった事を教えて欲しい。春樹さんがすべてを捨ててまでなぜ愛菜を覚醒させなければならなかったのか。本当の理由は何ですか?」
御門先輩は動かない身体を前のめりにして尋ねる。
こんな先輩、初めて見るかもしれない。
「本当の理由……一言では説明できないな」
「愛菜に関するあらゆる記憶の保存、それが関係しているのですか?」
(そこまで分かってしまったのなら、言い逃れは出来ないな)
「さすがに隠し事はできないか。ただのラスボスでいさせてくれれば楽なんだけどね」
俺は観念したように呟くと言葉を続けた。
「結界によって力を断ち、姉さんは御門先輩の復活を願い鍛錬する。姉さんの巫女の力と鬼……悪意の塊の力を借りてループさせ、何度もそれを繰り返す。膨大な時間をかけて力を蓄積し、ようやく覚醒に至る事ができた。そこまではいいよね」
「それは理解しています」
「実は他の可能性の姉さん同士も俺の記憶のように、関連がないようでいてしっかりと繋がっているんだ」
「力が繋がっている……共有しているのですか?」
「共有ではないな。姉さんお得意の夢が媒介なんだ。特に壱与に関する記憶が夢に現れた時、力を発揮する」
「壱与の夢が媒介……」
「他の可能性の姉さんの時間はここと違って有限だ。だからこのループで手に入れた覚醒した強力な力を借りる。夢を見る事で自由に覚醒した能力を引き出せば可能性の幅も広がる。だから絶対に必要なんだ」
(黄泉醜女は姉さんを上手く騙せたのかな。本人同士の接触は絶対にやっちゃいけないけど)
恐らく大丈夫だったのだ。
現に姉さんがこの場にいるのが何よりの証拠だろう。
「必要なのは分かります。ですが……」
「どうして俺がここまでしたのか、だね」
やっぱり演技が下手ですべてバレてしまった。
勘のいい御門先輩を騙すほど、俺には演技の才能なんて有りはしないのだ。
仕方がないと腹を括って説明を始める。
「俺は昔……まだ守屋と呼ばれていた頃にこの能力を姉さんに与えられた」
「守屋の頃といえば僕が帝だった今から1500年ほど前ですか。その頃になぜ愛菜に会う事ができるのですか?」
「それは別の可能性の姉さんが過去に行く夢を見たから。1500年の時を夢を使って超越した。これはとんでもない能力が必要になる。その能力の出どころはどこか……探したよ。でも、ないんだ。どこにも」
「無い……タイムパラドックスですか」
「そう。その矛盾を正そうとするのが因果律。その法則に従って俺は姉さんにそっくりな別人に未来は取って変わられた。その世界には矛盾の発端である能力自体も存在していなかった」
以前、御門先輩とも話し合った事だ。
あの時はちゃんと説明したから当然分かってもらえた。
今回は騙そうとしていたのに、この真相に持ち込める御門先輩はさすがとしか言いようが無い。
「1500年前に俺に能力を与えた姉さんは世界から忽然と姿を消した。きっと姉さんは自分のすべてを使って事を成したんだ。でも因果律に逆らってしまったせいで姉さんの存在そのものが破綻してしまった」
能力者の居ない世界を創造した姉さんは、本当は消えた訳じゃない。
だけど黄泉醜女の話をする訳にはいかない。
だから、ここは嘘をつくしかない。
「だから覚醒した愛菜の存在が必要という事ですね」
「別の可能性の姉さんも時間に干渉するような強力を使えば因果律によって同じように消えてしまう。ひいては姉さんそのもの、全てが無かったことになる」
「矛盾にならないよう覚醒した強者の愛菜を作り出す必要があった。それが春樹さんの目的だったのですね」
「そう。矛盾の解消……それが俺の目的だったんだ」
どの軸の姉さんにも力が必要な時が必ずある。
あらゆる可能性の姉さん達が皆幸せであれば、俺のやってきた事にも意味があるというものだ。
「春樹……よく分からないけど、とにかくありがとう」
物理や哲学の苦手な姉さんには少し複雑すぎたかもしれない。
でも構わない。
理解されなくても、俺が好きでした事だ。
「いいさ。それよりも……ほら、結界が解けていくよ」
強固な結界が消えていき、姉さんの身体に霊気が満ちていく。
いよいよこのループが終わる瞬間が近づいてきた。
「一郎くん達、成功させたんだ。これで私達、ここから帰れるよ」
喜ぶ姉さんと安堵の表情を浮かべる御門先輩。
でも……俺だけは素直に喜べなかった。
(ループが終わる。終わってしまう)
「どうしたの? 春樹、元気無いけど」
「姉さん。とても大切な頼みがあるんだ」
俺は意を決して姉さんに話しかけた。
無茶なお願いなのは承知の上だ。
「私に頼み? 春樹が珍しいね」
「姉さんの中の鬼……彼女を封じないで欲しいんだ」
「春樹。それは無理だよ」
(やっぱり無理なのか)
分かっていた。
彼女……マナは姉さんそのものでもあるから、無理に決まっていると。
「鬼を封じないと私達は帰れない。それに彼女は私の一部だから引き剥がすのは……本当は無理なんだよね」
「本当は?」
何か含みのある言い方だった。
「小さな頃から彼女とは夢の中でだけの友達だった。ワガママでホントすぐに怒り出すんだよ」
「そうなんだ。彼女はとても気が強いんだ」
姉さんがマナの我儘に振り回されている光景が、容易に想像できてしまう。
「でも可哀想で素敵な所も沢山あるんだ。だから……ね」
姉さんは自分の胸に手を当てる。
するとその手は姉さんの体内にズブズブと沈み込んでいき、何かを手にして再び現れた。
「私の命の一部を鬼にあげる。彼女も春樹と一緒を望んでるから」
「そんなの……もらえない」
「本体は封じないと帰れないから、本当に意識のないカケラみたいな存在になっちゃうけど……彼女の気持ちだけでも受け取ってあげて」
姉さんは持っている勾玉を俺の胸に押し当てた。
するとそれはスポンジに吸われる水のように、あっという間に跡形もなく消えてしまった。
俺は自分の胸に手を当てる。
だけど何の変化も感じなかった。
「愛菜。鏡の兄弟と香織さんです」
窓から一郎くん達が階段を駆け上がって来るのが見えた。
「みんなで……私達のいた元の世界に戻ろう」
大いなる力を手にした姉さんの身体が、まばゆい輝きに包まれていくのだった。
最終更新:2022年03月23日 12:36