「これ、杉の木だっけ?」
私は立ち上がり、街一番の大きな木を仰ぎ見る。
御神木と呼ばれ、この土地の人々の信仰を集めてきたその大木は夕焼けに染まり、どっしりと大地に根を下ろしていた。
その姿は、この街の長い歴史を静かに見守ってきた証のようだ。
「多分、杉だろうな」
隆は足を投げ出したまま、空を見上げてうなずいた。
「街の再開発が進んでも、この木だけは残ってるんだよね」
「らしいな。確か、小学校の3年か4年くらいの社会科で習ったような気がするけど」
隆の言葉に、私も記憶を辿る。
「『わたしたちの町のくらし』っていう資料集もあったよね。懐かしいな」
水筒を持って、クラスで小学校から神社まで歩いた記憶が蘇る。
あの時は隆と同じクラスだった。
事故の前だったから、隆も普通に歩けていたんだ。
足も速くてドッジボールも強かったから、いつもクラスの中心で、みんなから頼りにされていた。
「そういえば、小学校1年の頃の朝顔も、2年のプチトマトも、隆のだけすごかったっけ」
思い出すと、隆の育てた朝顔とトマトは、他の子と全然違っていた。
小さな植木鉢いっぱいに、葉っぱが覆い茂ってしまっていて、朝顔もプチトマトも、他の子の倍は花を咲かせていた。
先生も「こんなことは初めてだ」って驚いていたのを覚えている。
「あんなになるって……育てた鉢植えの肥料やり過ぎだったんじゃない?」
「俺が肥料?やるわけないだろ」
隆は眉をひそめた。
「え?そうなの?だって、あんなにワサワサって生えてたんだよ?」
「知るか。他の奴らと同じように水をやってただけだ」
「じゃあ、夏休みの時におばさんが肥料をいっぱいあげたのかな?」
「それはないな。うちの姉貴の時は普通だったし」
「美由紀さんの鉢植えは普通だったんだ。変だね」
「どうでもいいだろ、昔のことなんだから」
面倒なのか素っ気なく答える隆の言葉は、まるで過去の記憶を遮るように聞こえた。
その時。
夕焼けに大量の影が、ざわめきとともにこちらに向かって落ちていく。
御神木に向かって、何十、もっと多くの鳥が一斉に降り立ったのだ。
真下にいた私たちにも、バサバサと鳥の羽音が聞こえてくるくらいの、圧倒的な大群だった。
「わっ、すご……」
思わず声が漏れる。
御神木が、まるで生き物のようにざわめいている。
「この木……コイツらのねぐらなんだろうな」
隆が空を仰ぎ見て呟く。
「ねぐらって、お家のことだよね」
帰ってきた鳥たちが、ビヨビヨギャーギャーと甲高い声で鳴き出し、神社は一瞬にして騒がしい鳥たちの集会場になってしまう。
「なんて鳥だろ。結構大きいね」
「ムクドリだろ。きっと」
「あれ?隆、鳥に詳しかったっけ?」
あんまり本を読むところを見たことが無かったし、勉強の出来も私と変わりないくらいだったから、意外だった。
「いや、別に」
「でも……知ってるんだよね」
「そうだな、何でだろ?」
隆も不思議そうに首を傾げる。
静かだった神社が、急に命を吹き込まれたように騒がしくなる。
まるで鳥たちも「疲れたぁ」と、一日の出来事を話し合ってるみたいだ。
「なんだか、鳥も会話してるみたいだね」
「実際、してるんじゃないか?」
隆の言葉に、私は目を見開く。
「え?そうなの?」
「多分、俺たちが居るから警戒してる。襲ってくる気配がないから、一応、ねぐらに戻ったみたいだな」
「へー、まるで鳥の言葉がわかるみたい」
「少しはな」
今、何か言ったような……。
私は隆の顔をじっと見つめる。
「隆……鳥の言葉……わかるの?」
再度、確認するように聞き直す。
隆は少し躊躇うように視線を外し、それからゆっくりと私に向き直った。
「言葉は分からん。けど、気持ち程度なら何となく伝わるんだ」
「不思議……でも……」
そういえば、小さい頃もそんなこと言っていたような気もする。
あの時も、私が驚くと、隆は決まって困った顔をしていたっけ。
その時、一羽のムクドリが私たちから少し距離を置いて、石畳に降り立つ。
警戒するように、じっとこちらを見つめている。
その小さな瞳は、まるで私たちを値踏みしているかのようだ。
しばらく動かず私たちを観察して、再び御神木の上に飛び立ってしまった。
「行っちゃった」
少し残念に思っていると、隆が静かに言った。
「……大丈夫だ」
「何が?」
「この騒がしいのもすぐに終わる。俺たちに敵意がないことが分かったからな」
隆の言う通り、ビヨビヨギャーギャーとうるさかった鳴き声は徐々に収まっていく。
数分もしないうちに、まるで魔法が解けたように、いつもの穏やかな夕暮れの神社に戻っていった。
鳥たちの羽音も、今は心地よい風の音に溶け込んでいる。
「本当に静かになったね……」
私は改めて隆を見つめる。
隆は石畳に両手をついて、静かに御神木を見つめている。
その横顔は、私が知っている幼馴染の隆とは、少し違うように見えた。
まるで彼だけが、この世界の秘密の一端を知っているかのような、そんな不思議な雰囲気を纏っている。
(隆、こうやって見ると落ち着いたよね)
この数年で私が成長したように、しばらく見ない間に隆も変わったことを再認識した気がした。
最終更新:2025年06月19日 08:37