「目的がはっきりしたなら、やることは一つだな」

そう言うと、隆は静かに立ち上がった。
まるで何事もなかったかのように、その足はしっかりと地面を踏みしめる。

「あのね、隆……」

「ん? なんだ愛菜?」

「その足……大丈夫なの?」

いつもなら、支えがないと立ち上がることすら出来ないはず。
なのに。
松葉杖はまだ石畳のところにポツンとあって。
私が支えてもいないのに、滑らかな動きで立ち上がっていた。

「筋力が落ちちまってるから、片足だけ細すぎだけどな」

「そういう意味じゃなくて……」

なかなか頭の整理ができない。
隆に松葉杖はもう必要ない。
どう見ても、そうなのに頭が追いつかない。

「あのね、足……動くの……?」

「ああ」

彼は自分の足を見つめるが、そこに驚きや戸惑いの色はなく、ただ深く納得したような声。
どれだけ目を凝らしても、地面につけた足はしっかり体重を支えている。

「足が治ったってこと……?」

半信半疑で声が上ずる。
その顔には微かな安堵と、どこか全てを悟ったような、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「まあ、神様パワーってやつだな」

証明だと言わんばかりに、隆はその場で足踏みをしてくれる。
それは事故前の姿そのもので。
ザッザッっと地面を踏み鳴らす。

「本当だ……」

「だろ?」

いつもの自然体で。
まるで、風邪気味だったのが良くなったみたいに気軽さで。
それが普段通りの隆だったから。

(そっか。そうなんだ……)

ようやく実感として、心にストンと落ちてくる。
胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
と、同時にモヤモヤしたものまで湧き上がってくる。

(でも……そんなに軽く……言うこと?)

今までどれだけリハビリや手術で苦しんできたか。
その中で何度も絶望を繰り返してきたかを知っている。
だからこそ、私も悔やみ、もどかしい思いをしてきた。

「軽すぎだよ……その言い方……」

怒りが抑えられず、唇を噛みしめる。
涙が滲んで視界がぼやけた。
私はズイッと隆の前に立つ。
そして、込み上げる感情のまま、思わず彼の胸をドンッと強く叩いた。

「イテッ……急になんだ?」

「隆も、すごく苦労してたじゃん! なのに……」

「愛菜……?」

「おばさん達がどれだけ心配してきたと思ってるの!? 私だって何度も何度も自分が代われるなら今すぐ代わりたいって、後悔ばかりしてきたんだから!」

涙が出るほど嬉しいのに、なぜかすごく腹が立つ。
両手をグーパンチにして、繰り返し隆の胸を叩いていく。
ドン、ドン、と鈍い音が響く。

「バカ……隆のバカ……!!」

それでも隆は微動だにしない。
本当だったら、支えきれなくて倒れ込むはずなのに。
しっかり私の力を受け止めている。
そのことが、余計に悔しくて、悲しくて、そして嬉しかった。

「何が神様パワーよ! 意味分かんない!」

涙が溢れて止まらない。
嬉しいのに。
ぐちゃぐちゃの感情が暴走して、抑えられない。

「心配かけて悪かったな。けど、大丈夫だ」

私を包み込むように腕が、ふわりと私の背中に回される。
強く、けれど決して苦しくない抱擁に、もう二度と倒れそうにならないのだと実感する。
腕の温もりが、私の暴れる感情をおさえこんでいく。

少しずつ私の中の怒りが収まっていく。
だから、私はギュッと目を閉じた。
感じる温もりと、しっかりと立つ足の感覚。
そして、しびれで力の出ない腕とは違う、確かな腕力がここにある。
これまで苦しんできた彼の努力が報われたことに、ようやく喜びだけが心に残っていった。

「良かった……本当に……ようやく努力が報われたんだね」

「毎日懲りもせず見舞いに来られた日には、頑張らない訳にもいかないだろ?」

そう言うと、包まれた腕が一層強くなる。
でも声は、とても穏やかだった。

「でもな、転院して……お前から逃げたことは……ずっと後悔してた」

(私……迷惑……じゃなかったの?)

隆の消え入りそうな独白に、思わず顔を上げる。
すると、真剣な眼差しが、私を深く覗き込んでいた。
その瞳には、謝罪と、それ以上の、何かが宿っているように見えた。

「あ……」

不意に。
抱きついたままだった自分にハッと我に返る。
顔が熱くなるのを感じて、慌てて隆の腕から離れようとした。
なぜだか、顔が異常に熱い。

「は、離して……欲しい……」

精一杯の抵抗。
そして隆をそっと覗き見る。
私と同じように、頬も耳もほんのりと赤くなっている。
なんとなく気まずくて、互いに視線を外す。

「まあ、なんだ……そういうもんだよな」

はにかむように、ぽつりと呟く。
そして、腕を解き、私を解放してくれたのだった。





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最終更新:2025年07月03日 09:01