「再生の舞をしている最中、愛菜の奴、多分、迷ったんだ」

隆の言葉に、ハッと胸を突かれた。
胸の奥が、少し痛むような感覚に襲われる。
暖色を失ってしまった空が、私の心の迷いまで映すようだった。

「本来なら、神の力も、精霊の力も、鬼の力も、秩序の輪の中に戻して超常的なものは全部消えるはずだったんだ。神器の力を神に返し、ただの物に戻すことでそれを成した。だが……」

隆は、真剣な眼差しで私を見つめた。

「だけど、アイツは躊躇した。『すべて奪ってしまっていいのか』と、考えた。その一瞬の迷いが、世界に支流を作った。ここは、『派生世界』。限りなく中途半端な場所だ」

隆の言葉が、何となく理解できる。
夢の私が望んだ世界が、今、ここにあるということに。
だけど、どうしても納得できない疑問があった。

(隆の不思議な力は……?)

私は比礼を抱きしめる腕に力を込めた。

「もう一人の私は人が力を使わない世界を望んだんでしょ? 隆は……もう人なのに……そんな力を今も持っているのは、なぜ?」

私の視線を受け、隆はふっと目を細めた。
諦めのような、慈愛を含んだ複雑な瞳。
少し琥珀色に染まっているのは、気のせいじゃない。

「神から人へ。自ら降格なんて酔狂な真似をするやつなんて今まで居なかった」

彼の声は、どこか遠くに思いを馳せる響きがあった。

「本流の世界と同じように、この派生世界も鬼や神が人に与えた能力はほぼ排除できた。だが、唯一ルールから除外された者がいた」

隆は一呼吸置いた。
一瞬、少し寂しそうに目を伏せる。

「酔狂な真似をした者。忘れ去られた存在……それが俺なんだ」

説明する言葉は、淡々としている。
けれど、その奥に達観したような響きもあった。

「どうしてこんなことに……?」

私は不安になり、尋ねた。
隆は首を縦に振った。
彼の表情が、一瞬で険しいものに変わる。

「すべては偶然の産物だ。だから、この世界は不完全で脆い。迷いの中で作り出した世界だから仕方ないのかもしれないがな」

「そんな……」

「この世界はまだ定まっていない。不確定要素が多すぎる未完の世界だ」

不確定要素。
その言葉に、背筋がゾッとした。
漠然とした不安が、具体的な形を帯びて迫ってくるようだった。
この足元にある世界が、実はひどく不安定だというのか。

「信じられない……」

私は思わず呟いた。
そんな、お伽話のような話が、今、私が生きているこの世界のことだなんて。
全てが、あまりにも現実離れしていた。

(どうしよう……怖い……)

漠然と、寄る辺のない気持ちに襲われる。
すると、隆は私の手をそっと取る。
彼の指先は少しひんやりとしていたが、掌からは確かな温もりが伝わってくる。

「でもな、終わっちゃいない。心配すんな」

いつもなら、その手を振りほどいてしまうだろう。
でも、今だけはその手のぬくもりが、私を繋ぎとめる唯一の頼もしさだった。

「心配なんだろ? じゃあ、見てみるか?」

フッと手が伸び、私の持っている比礼を掴む。
そして、私の身体にふわりと比礼を纏わせた。
薄ピンクの生地が、夜風をはらんで軽やかに舞い、私の全身を優しく包み込む。
比礼に触れた瞬間、体の奥から、温かい力が湧き上がってくるのを感じた。

(比礼に包まれると、少し温かい)

夜風が冷えて来たことに、ようやく気づく。
心細さが、少しだけ和らいでいく。

「どうするの? 隆」

「しっかり掴まってろよ、愛菜」

隆の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、地面からふわりと体が浮き上がった。
足元から急速に遠ざかる神社の木々。
夜空を切り裂くように、私たちはぐんぐんと上昇していく。
風が頬を強く打ちつけ、髪が乱れるのも構わず、私は目を見開いた。



あっという間に、遥か上空へと到達した。
私達の住む街が、星を散りばめられたように眼前に広がっている。
きらめく白や赤やオレンジ、さまざまな色が市街地を中心に放射状に揺らめいていた。

「愛菜、あっち見てみろ」

隆が指差したのは、真下の街ではなく、本来なら県境へ繋がるその先だった。
そこから見下ろす世界は、私が知っている景色とは全く違っていた。

その光景は、町の境界線でプツリと途切れていた。
周囲には、漆黒の闇が広がるばかりで、その先の景色が一切見えない。
まるで、私の町だけが、巨大な円形にくり抜かれたかのように、ぽっかりと空中に浮いているように見えた。
闇の向こうには、何も存在しない虚無が広がっているような、不気味な感覚に襲われた。

「これは……」

言葉を失った。
私たちが住むこの世界は、まるで巨大なパズルの一部が欠けたまま、無理やり繋ぎ合わされたような、不完全な世界。
その不完全さが、上空から見ると、あまりにも鮮明に映る。
昔、絵本でみた空中都市のよう。
だけど、絵本のようなワクワクする気持ちは微塵もなく、ただただ、恐怖だけが胸を締め付ける。

「これが、アイツの創り出した世界の、現実だ」

隆の声が、風に乗って耳に届く。

「迷ったからこそ世界は、ここまでしか構築されていない。これが、俺たち『派生』が生きる、不安定で脆い世界だ」

私の心臓が、ドクンと大きく鳴った。
今まで足元にあると信じていた大地が、まるで薄氷のように思えた。
この世界は、迷いが生み出した危うい存在なのだと。
それに気づくのに十分な光景が広がっていた。
恐怖と同時に、この脆い世界をどうすればいいのか、途方もない絶望感が襲いかかってきた。



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最終更新:2025年06月19日 16:20