眼下に広がる世界を、ただ呆然と見つめる。

昨日まで電車に乗れば、隣の街まで普通に行けていたはずなのに。
みんなとバスで移動した修学旅行の楽しかった思い出も。
北国にあるおじいちゃんとおばあちゃんの家も。
家族で行った沖縄旅行も、全部、幻だったなんて思いたくない。

今まであると信じ込んできた大地は削れ、漆黒の闇にぽっかりと浮かんでいる。
こんなにも危うく心許ない世界を生み出してしまったのかと、底知れない絶望感が胸の奥深くから込み上げてきた。
同じ考えを持った人だからこそ、他人事じゃ済まないと思えた。

(酷い世界……)

頬を撫でる夜風は冷たく、私の心細さを一層際立たせていった。

「どうしよう……どうしたらいいの、隆…?」

声が強い風に煽られ、夜の静寂に吸い込まれていく。
凍えるような不安に震える手。
それでもただ一つのある温もりの証にしてほしくて、ぎゅっと握り返した。

「心配すんな。なんとかするから」

耳慣れた幼馴染の声なのに、どこか違う頼りがいのる響きをまとう。
覚醒して、雰囲気も少しだけ変わった気がする。

「なんとかするって……どうやって?」

私の言葉に、隆は少しだけ苦笑を浮かべた。
その表情には、すべてを見通しているような諦念と、乾いた喪失感も混じっていた。

「ぶっちゃけ、あんまり状況は良くないんだ」

『神様パワーでどうにかしてやるから!』と言ってもらえる期待が打ち砕かれる。私の心は再び重い鉛のように沈み込みそうになる。

「神様パワーでも、ダメなんだね……」

「ここは力のない世界の派生。だから、霊力が極端に少ない。それに……人に降格した俺の神力ごときじゃ、世界を再構築するほどの絶大な効果はないんだ」

何となく、そんな気はしていた。どうにかできるのだったら、覚醒した時点で助けてくれるはずだから。

「そもそも、私達そのものが幻みたいなものだったんだね」

「確かに、幻のようなもんだが……それでも、今ここにいる。それは間違いない事実だ」

そう言うと、私の身体に纏った薄ピンクの比礼に視線を落とし、その指先が優しく布をなぞった。

「だからこそ、だ。方法は一つしかない」

私は固唾を飲み、隆の次の言葉を待った。
夜の闇がさらに深まり、遠くの街の光だけが、凪いだ海のように瞬いている。

「迷子の愛菜。この世界を構築した創造主を探して、この比礼を返す。そして、この世界を存続してもらうよう頼むしかない」

隆の言葉が、私の心に小さな灯火をつける。
嘆くのは、まだ早いのかもしれない。

「諦めちゃ、ダメだよね」

もう一人の私に会うこと。
それは、これまで夢の中でしか触れることのできなかった、自分自身と向き合うこと。
胸の奥では、まだ整理できない感情が渦を巻いているけど。

『やれることをやるだけだ』そう言って、無理にベッドから這い出ようとする隆を慌てて止めた日。
全く動かない足を少しでも前に出そうと懸命に訓練を見守ったことも。
その思い出すら幻だったとしても、私が私でいるための大切な記憶だから。

「お前も愛菜でアイツも愛菜。違う世界線だとしても絶対に繋がってる。この世界が存続してる限り、アイツの胡蝶の夢も途切れていない証明だからな」

神力を使う隆の瞳は琥珀色に光り、夜の闇の中でも鮮やかに私を射抜く。
隆なのか、光輝なのか分からなくなる事もあるけれど。

「私も……もう一人の私に会うんだよね?」

私の問いに、隆は力強く頷いた。

「一緒にいてくれるなら……な」

恐怖と不安。
眼前に広がる漆黒の虚無が、いつ崩れるともしれない世界みたいで、心を弱気にさせる。
でも、どんな時でも隣にいてくれる隆への確かな信頼が、私の心を突き動かす。

身体を優しく包む比礼が、胸の中で微かに温かい光を放っているように感じた。

「一緒に探すよ、もう一人の迷子の私を」

夜空の下で大きくうなずき、繋いだ手を強く握り返した。
その手のひらはまるで冷え切った私の心を溶かすかのように、確かな温もりを伝えてくるのだった。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年06月19日 16:24