「一緒に探すよ、もう一人の迷子の私を」

夜空の下で大きくうなずき、繋いだ手を強く握り返した。
その手のひらはまるで冷え切った私の心を溶かすかのように、確かな温もりを伝えてきた。



繋いだ手を離さずに、私たちは街の端へと飛んでいく。
夜風が少しだけ和らいだ気がする。
今はただ、隆の隣でこの不思議な旅を進めることだけを考えていた。
下降し、街の境界線に近づく。
目に飛び込んできた光景に、私は再び言葉を失った。

夜の帳が降りた町外れの街路。
そこは異様な静けさに包まれていた。
時が止まったかのように、大勢の人が立ち尽くしていたからだ。

ライトが消え、動かない車。
止まったままの信号機。
風に揺れることもなく固まった木々の葉。
まるで精巧に作られたマネキンのような人。
それらが無数に立ち尽くしている。
この空間だけ何の生気が感じられない。

「これ……なに?」

思わず隆の手を強く握りしめ、問いかける。
目の前の現実に、脳が追いつかない。
隆は私の視線の先を見つめ、静かに息を吐いた。

「こいつらは皆、魂が抜けているんだ」

「魂が……?」

私の疑問を待たず、隆は説明を続ける。
その声は、この奇妙な状況に慣れているかのように冷静だった。

「この街の外に出ると、ここの住人たちは意識が本流の『力のない世界』へと飛んでいく。本流の世界の自分と同化して、そこで生活しているつもりになるんだ。そうすることで、この箱庭の秩序は保たれている」

なんとなく頭では理解できたつもりだった。
でも、心の奥底で理解を拒否する感覚の方が強い。
魂が抜ける、意識が飛ぶ、本流の世界……あまりにも荒唐無稽で、まだ夢の方が現実味があるなんて思ってしまう。

「本流と派生の世界の間を意識だけが、行き来する……そういうこと?」

「正解だ。そんで、この街に入ってくる人間は、入った瞬間に複製が作られる。だから、本流の世界と、この派生世界。それぞれ、同じ人間が存在することになるんだ」

(でも……それじゃ)

新たな疑問が生まれる。
派生の私達と本流が別々の行動を取る可能もあるはずだ。

「でも……本流の人と派生とが別の行動をとったりしないの?」

複製とは言え、別の行動を取ることは十分にあるから。
そんな不安定な世界が成り立っているのか?という疑念が頭をよぎった。

「本流と派生はほぼ同一世界だ。だからイレギュラーがない限り……全員、全く同じ行動を取っているんだ」

修学旅行も家族旅行も祖父母の家も。
行ったのは本流の「愛菜」で、私はただ行った気になってた……そういうことだろうか。
この世界での記憶が、全て偽物だったかのような、空虚な感覚に襲われた。

「じゃあ、この世界にいる私達は……?」

「カゴの中に閉じ込められた鳥……みたいなもんだな」

そう答えると、隆は空を見上げた。
せっかく空を飛んでいるのに、夜空に瞬く星の光は遠すぎて、掴むことはできない。
まるで、私達自身の存在のようだと感じた。

「めちゃくちゃ過ぎるよ。何なのこれ……全然、理解が追いつかない……」

何もかも、常識の外の話で。
イヤイヤと頭を振って拒絶した。
この情報量の洪水に、私の心は悲鳴を上げている。

「分かった、一度整理しよう。じゃあ、この世界を構築したのは、1500年前に遡った愛菜だ。そこまではいいか?」

「夢の中の私……だよね」

声が自然とかすれる。
というより、言葉を発することを拒否してると言えばいいかもしれない。
自分の存在の根幹に関わる話でもあるから。

「その愛菜が『力のない世界』を構築しようとした。でも、その最中に迷った。その迷いが原因で、この派生世界が誕生した。そこまでは理解できるな?」

隆は、言葉を選びながら丁寧に説明してくれた。
私の顔色をうかがい、ゆっくりとした口調で。

「う、うん。大丈夫……」

なんとか頷く。
頭は混乱しているけれど、隆がそばにいてくれる安心感が私を支えていた。

「再生の舞は、成功した。そこで因果律が働いてしまったんだな。同時に『胡蝶の夢』を発動させた愛菜は、自分の能力が原因で元の世界に帰ることができなくなったんだ」

「………」

何も言えず、ただ隆の言葉に耳を傾ける。

「それが、俺たちが探している迷子の愛菜なんだ。わかったか?」

(因果律……)

初めて聞く言葉に、不安が募る。
それは、抗えない運命のような響きを持っていた。

「因果律って……何?」

「原因がなくちゃ結果が生まれない。そういう意味の言葉だな」

原因と結果。
それと迷子がまだ結びつかない。
私の頭の中は、まるで絡まった毛糸玉のようだった。

「まだ、よく分からないよ。なぜ夢の私が迷子にならなくちゃいけないの?帰れないってどういうこと?」

聞きたいことが多すぎて、つい、まくし立てる。
早口で尋ねる私をなだめるように、隆はゆっくり口を開く。
その瞳は、琥珀色に淡く発光したままだ。

「そうだな……。まず、原因から考えるか。胡蝶の夢という運命を変える能力、それは分かるか?」

「うん。夢の中でも、隆の説明もあったから大丈夫だよ」

「その胡蝶の夢で『力のない世界』をアイツは望んで作った。それも、分かるな?」

「もちろん。迷いとして霊的なものがわずかに残った『派生世界』が作られた……私達のこの不完全な世界だよね」

「正解だ。じゃあ質問。……力のない世界に、胡蝶の夢を持った愛菜が帰る……それは可能か?」

(どっちだろ?)

胡蝶の夢、そういう不思議な強い力。
でも、夢の私が望んだのは「力のない世界」。
神様も精霊も鬼も、霊気や霊脈もない場所。
能力のある夢の私が、その世界に戻ることは……。

(あっ……!)

頭の中で、まるで電球が点灯したかのように、答えが閃いた。

「帰れない!だって夢の中の私は能力者だから……!」

私の導き出した答えに「正解」と言って、隆は満足そうに頷いた。
その琥珀色の瞳が、夜の闇の中で微かに輝く。

「元々迷子のアイツがいた世界。そこの1500年の過去に遡り、再生の舞と胡蝶の夢を発動させた。一から秩序を作り変えて、新たな「力のない世界」を作った。だが、能力のある愛菜が戻ると矛盾が生まれる」

「だから、弾き出されたんだね……」

思わず言葉が漏れる。
まさか自分自身が望んだ結果によって、故郷を失うなんて。

「特異点の不在を埋めるために新たな愛菜が創造された。さらに、迷いから分岐した存在、それがお前だ。だから、1500年前に遡ったお前。不在を埋めるために出来たお前。そして、俺の目の前のお前。バラバラの場所で、少なくとも3通りの愛菜が存在しているな」

無駄な争いがない世界を望んだ夢の私。
鬼と人との確執もそうだけど、人は自分と違うものを排除しようとする。
あの子は、みんなに仲良くしてほしかっただけに違いない。
その願いが、こんなにも複雑な結果を生み出すなんて。

「アイツ、アホなんだ。せめて『力が失われた世界』を創造してりゃ元に戻れたのに。何にも考えてなさすぎるんだ。ホント、アホだろ」

(アホアホ言い過ぎだよ)

隆だって、私と同レベルのくせに。
今は神様の光輝のせいで、少し変わっちゃっただけで。
私じゃないのに、まるで私のことを言われてるみたいで面白くない。

「もう……知らないっ」

フイ、と横を向く。
頬が少しだけ膨らんでしまったかもしれない。

「お前だけどお前じゃないんだ。何をそんなに怒るんだ?」

隆は腑に落ちない顔で私をのぞき込んできた。
だから、そのほっぺたを摘んで捻った。

「イテテ……何すんだ?」

ほんの少しだけ現実から逃れたい、そんな衝動もあった。
頬をさする隆がいつも通りだったことが、なぜか嬉しく感じた。



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最終更新:2025年06月21日 05:20