「それで、だ。これから迷子を探しに行くわけだが」

真面目な顔で、隆は向き直る。
ほっぺたには、赤みがすこしだけ残っていた。

「いよいよだね」

この世界を変えるために。
フンッと意気込みながら、私は鼻を鳴らす。

「秩序を無視して抜け殻にならずにその先に行くこと。この世界にとって、イレギュラー中のイレギュラー、それは分かるか?」

「わかってる。今も宙に浮いてるし普通じゃないよね」

上空から降りてきたから、地上から5メートルくらいのところでフワフワ浮いている。
淡い桃色の布を身体に纏わせながら宙に漂う。
まるで、おとぎ話の天女の羽子のようだ。
この状況が非常識なのは、誰が見てもわかる。

「ぶっちゃけ、覚醒して世界の理を認知するまで、こんなむちゃくちゃな世界だとは、俺だって微塵も思ってなかったんだぞ」

(そっか。隆も普通の人……だったんだもんね)

「でだ。迷子はこの世界の外側にいるはずなんだ」

隆が顔を上げ、視線を移した。
つられて、その先の景色へ誘導される。
その前方には何も無い虚空が広がっていた。

「あの子が……この先に」

眼下のマネキン達を「カゴの鳥」だと、隆は表現していた。
本当はこの街から一歩も出たことがない、それが真実だと知ってしまったから。
隆に教えてもらわなければ、何も知らずにマネキンのまま一生を終えていたかもしれない。

目を凝らしてみても、光一つない世界。
漆黒の闇がどこまでも続いている。

「何で俺が、こんなイレギュラーの話をしたかって言うと。おそらく、俺の覚醒への流れは……お前も引き金になってる」

(え、私……?)

私、と言われて、思わず目を丸くする。
隆みたいな神様由来の不思議なパワーもない。
私は、ごく普通の高校生に過ぎない。

「わ、私……そんな力ないよ!」

「無自覚かもしれない。だが、幕の内弁当を持ってる。今だから分かるが、微かに鬼の力を感じる」

(鬼。壱与のことだよね)

出雲国の鬼の姫。
壱与には、確かに不思議な力があった。
雨を降らせたり、遥か遠くを見通せたり。
巫女としてその力を操り、存分に振るっていた。

「私の中に……本当にあるの?」

「文化祭のあと、神社に行った時。俺についていく選択をした瞬間、本流とは別行動になった。それは……紛れもなくお前の仕業なんだ」

「隆の神様の力じゃないの? ほら、隆って小さい時から妙にカンも良かったし……」

変化をもたらしたのが私、という言葉にただ戸惑う。
だって、取り立てて何の特徴もない私が。
確かに1500年前の過去に遡った奇跡を起こしたのは私だけど。
派生世界に住む私にそんなものを起こせるはずない。

「最初に誘導したのは、無自覚な俺だった。だが、イレギュラーを起こしたのはお前だ」

断言されて、言い返せなくなる。
ずっと見ていた夢の件もあるから、違うとは反論出来ない。

「本当に?」

「おにぎりの中に幕の内弁当の容量があるのがそもそもオカシイ。俺はそれを言ってんだ」

あの時、おにぎりはその人の気質や性格なのだと思っていた。
だけど、それだけじゃないってことなんだろうか。

「おにぎりの具は魂の形の比喩だ。魂の中に複数の共存する微かな意志を感じる。幕の内弁当のようにな」

(私の中の意志……)

隆の言葉が私の心の奥底に、得体の知れない波紋を広げた。
複数の意志とは、何だろう。

「複数の……意志、って、どういうこと?」

問いかけると隆は優しく私の手を取り、その指で比礼の端をそっと持ち上げる。

「お前の中に、迷子のアイツもいる。微弱だが、それを感じるんだ」

(私の中に……夢の私もいるの?)

舞を披露した私。
まるで別々の「私」として存在しているかのようだった。
でも、隆の話を聞いていると、私の胸の奥で比礼が微かに熱を帯びるのを感じる。

「迷子以外にも、いくつもの愛菜が混在が見て取れる。その意志がイレギュラーを引き起こした。そうとしか考えられない」

隆の琥珀色の瞳が、夜の闇に強く輝く。
それは私を真っ直ぐに見据える。
私の中に、別の意志が複数存在しているなんて、未だに信じられない。

(でも……)

繋いだままの手が、私に勇気をくれる。

「その『複数の意志』が、夢の中にいるもう一人の私……その子を見つける手がかりになるってこと?」

「ああ」

ゆっくり、首を縦に振る。
隆は私の手から視線を上げ、漆黒の虚無へと向けた。

「この漆黒の先にきっと、お前の『鬼の力』と、この比礼が必要になる」

比礼が、私の胸元でさらに熱を増したように感じる。
私の身体の一部のように温かな鼓動として。
まるで呼応するように高鳴っている。

「私、に……できるかな?」

弱々しく呟くと、隆は私の手をさらに強く握り返した。

「できるさ。お前は、迷子の愛菜と繋がっている。お前なら、きっとヤツに届く」

彼の言葉に、私は深く息を吸い込んだ。
自分の中には、まだ見ぬ力が眠っている。

それがこの世界、そしてもう一人の迷子の私を救う唯一の道。

「分かった。私たちの世界の外へ行こう……!」

漆黒の闇の奥から、微かな光の粒子が呼応するように瞬いた気がした。
それは、迷子の愛菜からの、かすかなサインかもしれなかった。




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最終更新:2025年06月21日 05:31