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漆黒の虚無へと足を踏み出すと、光一つない暗闇がどこまでも広がっていた。
無音なのに、空間そのものが軋むような威圧感。
時間も方向も意味をなさない、終わりのない深淵。

(何も無い。せめて地面に足がついていればいいのに)

隆の神力で身体が浮いているから、寄る辺のない不安に襲われる。
まとわりつく闇に肌が粟立つ。
隆の温かい手と、胸元の比礼の確かな熱だけが、私を現実へと繋ぎ止める命綱だった。

「怖い……」

弱音を吐くつもりじゃなかったのに、喉から泣き言が零れ出る。
寒さすら分からない状態なのに、なぜか体が小刻みに震え始める。
この無限の闇が、私の心の中にある不安を増幅させていくようだった。
この街の外に出たことすらない籠の中の鳥だったことを、痛いほど感じさせられていた。

(カゴの中しか知らなければ、こんな怖い思いしなくて済んだのかな)

この闇の先で、何が待ち受けているのか。
私自身の存在の不確かさも相まって、言いようのない孤独感が襲ってくる。

「大丈夫だ、愛菜」

隆が、強く私の手を握り返した。
その声は、この広大な闇の中でも揺らぐことなく、まるで導きの光のように響く。
頼もしい声に、私の心の震えが少しだけ収まるのを感じた。

「終わりが見えなくても、俺が傍にいる。アイツの匂いはまだ追えてる。あとは進むだけだ」

隆はそう言うと、顔を闇の奥へと向け、深く息を吸い込んだ。
本当に匂いがするのだろうか?
私には何も感じない。
隆の瞳は琥珀色に淡く発光していて、隆にしか見えない何かを捉えているようだった。

永遠にも思える時間が流れた。
感覚が麻痺しそうになるほどの暗闇の中を、私たちはただひたすら進んでいく。
時折、隆が「こっちだ」と低い声で呟き、方向を修正した。
彼の指し示す方向は、私には何の根拠もないように思えたが、彼を信じるしかなかった。
比礼が、私の胸元で微かに脈打つように熱を帯びている。
それは、私の心臓の鼓動とシンクロしているようにも感じられた。


その時。

隆が、ハッと息を飲む気配がした。
同時に、私の胸元の比礼が、これまでになく激しく熱を発し始める。
それは、まるで私自身の心臓が破裂しそうなほどの、灼熱のようだった。
熱さに思わず呻き、比礼胸元に手をやった、その瞬間──
漆黒の虚無の中に、一筋の淡い光が瞬いた。

「あれは……!」

私の視線の先に浮かび上がったのは、掌ほどの大きさの、乳白色に輝く勾玉だった。
それは暗闇の中で自ら発光しているかのように、優しい光を放っている。

(この勾玉……そうだ!)

その形は、光輝が身につけていた勾玉と瓜二つだった。
光は揺らめくことなく、そこに静かに漂っている。

私は吸い寄せられるように、その勾玉へと手を伸ばした。
鬼の血が呼応するのか、無意識のうちに比礼の力も増幅されたのか、私の指先が勾玉に触れた、その刹那──
空間が、水面に石を投げ入れたかのように波紋を広げた。

私の意識は、抵抗する間もなくその波紋の中に引き込まれていく。
まるで、底なしの深淵へと真っ逆さまに落ちていくような感覚。
隆と繋いだ手の感覚だけが残る。
目の前がぐにゃりと歪み、次の瞬間、光景は一変していた───

「委員会まで後10分…。えっ?!普通に行ってたらもう間に合わないじゃない!…今日くらい仕方ないわよね?」

目の前に広がるのは、見慣れた高校の廊下。
耳には、紛れもない私の声。

校則で通学路以外の道は禁止されているのだが、時間がない。
私は仕方なく普段は使わない近道の路地を行く事にした。

「きゃっ!!」

時計で時間を確認しつつ路地を暫く走っていると、不意に何者かにぶつかり転んでしまった。

「いったぁ……」
「……大丈夫か?」

手を差し伸べた相手は幼馴染の隆だった。

「だ、大丈夫!ごめんねっ!」

謝ると、慌ててその場から走り出した。
例の一件以来、隆とは気まずく顔もまともに見れない状態だったのだ。

「ごめん、隆…」

私もこの状況がよいものだとは思ってない。
でも隆を見ると、数日前の偶然入った音楽室での光景が蘇ってくる。
若くてそのわりに妖艶な雰囲気を持つあの音楽教師との濃厚な…

生々しい男女の関係にショックを受けたのか、それとも仲の良かった幼なじみが遠くに行ってしまうことが寂しいのか。
気持ちも未だ整理がつかない。

その光景が波紋のように現れ、音もなく掻き消えた───

「何なの、これ……」

私と同じ学校に通う、制服の隆。
それに音楽教師とキスって……。
私の隣にいる隆も同じ光景を見ていたのか、思案するように口を開いた。

「おい……愛菜。お前の学校に若い女の音楽教師っているのか?」

「水野先生ってすごい美人の先生なら……」

隆は病院での生活が長いから、今は通信高校に通っている。
そこは私服でたまに通学があるだけで、制服なんてないはず。
なのに、隆はうちの制服を着て、見慣れた廊下を当たり前の顔で歩いていた。

(それに……足も)

勾玉が見せた中の隆は、普通に歩いていた。
怪我で入院していた期間を考えると、この光景が今の現実ではないということ。
一体、どういうことなのか、私は隆の次の言葉を待つことにした。

「これ、迷子の愛菜の残滓だ。……この闇の中に残っているものは何だ?」

困惑する隆の声が耳に響く。

「夢の中の私の……?」

「だな、でも何でこんなものが……」

なぜか私の胸が締め付けられる。
まるで後悔した時のように、沈んでいく気持ちを感じていた。




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最終更新:2025年06月19日 20:27