隆が、困惑したように額に手を当てた。
「この光景は、俺も今初めて見た。ていうか、俺がお前の高校に……??」
「これ、迷子の私の記憶かも……」
胸の痛みに耐えつつ、私は呟く。
「残滓が記憶として再現されるのか……なるほどな」
隆もようやく納得したようだ。
「さっきから胸が痛いんだ。もしかしたら、この記憶は迷子の私の痛みかもしれない。多分……これを見届けないといけない。そんな気がする」
この先へ進むには、次の記憶を呼び覚ます必要がある。
そう感じた途端、新たな勾玉が現れた。
そして、漆黒の水面に波紋が暗闇に広がっていく──
隆からの電話が鳴り響いた。
私は一度は無視しようかとも思ったけど、いつまでも避け続けるわけにいかないと意を決して出ることにした。
「もしもし…」
「俺だけど」
「うん」
「……なあ、お前最近俺のこと避けてない?」
いきなりの問いかけにドキッとした。
「私、見ちゃったんだ」
思わず声が震えてしまった。
言ってしまって良かったのかと今更後悔する。
でも、このまま隆を避け続けるのも私の精神上よろしくない。
気まずいのは、嫌だった。
携帯越しに、隆の息を飲む音が聞こえた気がした。
「……は?見たって、何を?」
思いの外明るい声で隆は聞き返してきた。
もしかしたら隆は追求してほしくないのかもしれない。
けど、このままモヤモヤした気持ちを抱えたままなのはもっと嫌だ。
「ごめん、覗くつもりはなかったんだけど…音楽室にたまたま入った時に、ね…」
「…そうか」
しばしの沈黙が流れる。
「そ、そういうことだから…それじゃ、またね…」
私が重い雰囲気に耐え切れず電話を切ろうとした瞬間、隆が叫んだ。
「待て!切るな!その事実を否定するつもりはない…でも、あれには理由があるんだ!今まで誰にも言えなかったけど、お前には知っていて欲しい…なぁ、今からちょっと会えないか?話がしたいんだ…頼む」
「え…」
驚きつつも、隆の言葉に引き込まれた。
「…もしかしてそれって、一郎君と何か関係があるの?」
電話の向こうから、隆が息を飲む気配が伝わってきた。
「……一郎? 一郎って、あの宗像一郎か?」
「え、うん。そうだけど…?」
妙に真剣な隆の声に戸惑いつつもそう言葉を返すけど、電話越しに聞こえてくるのは考え込むような沈黙のみ。
どういうことだろう。
隆の口調から察する限りでは、一郎の名前が出てきたことに驚いているようだった。
困惑しながら泳がせた視線の先で、心配そうにこちらを窺っている春樹の姿が見えた。
「ねぇ」
私は電話口に声をかける。
「知っていて欲しいことがあるんでしょ? なら直接会って話そうよ。私もそこで一郎くんのこと、話すから」
待ち合わせを近くのファミレスに決め、私は電話を切った。
ファミレスへと向かう道を急いで歩いていると、公園が見えてくる。
あの公園の角を曲がれば、もうファミレス…というところで修二くんと水野先生が口論していた。
ファミレスに到着し、店内を見渡して隆を探す。
私は一番奥の席でぼんやりと外を眺めている彼を見つけた。
「話って何?」
隆の向かいの席に座りながら、私はすばやく聞く。
でも頭の中は、水野先生と修二くんの意味深な口論で一杯になってた。
だから隆の口から出た言葉を聞いたときは思わず自分の耳を疑う。
もしも、例えさっきの光景に気をとられていなかったとしても、同じく唖然としてしまっただろうけど。
「……ここ数日、お前に避けられて気づいた。お前が好きだ」
隆は前のめりに、そう言って。
最初はびっくりしたけど、あの光景が頭をよぎり冷水を浴びせられたように冷静になった。
「…水野先生とキスしてたのは何なの?」
数日前にあんな光景を見て、素直に信じる方がどうかしてる。
私の問いかけは自然とトゲのあるものになっていた。
「あ、あれは、その…。その場の雰囲気つーか…」
「雰囲気でしたの!?」
「違う! いや、違わないんだが何ていうかさ…。とっ、とにかく。さっき言ったことは嘘じゃねぇから」
隆は左手の甲で鼻のあたりを隠しながら、最後の言葉を強調する。
それは幼い頃から何度も目にしてきた彼の癖だった。恥ずかしいときにいつもする、照れ隠し。
そんな隆の姿を見て、ドクン、と鼓動が高鳴る。
水野先生の一件があるまでは、隆のこと「ちょっとイイな」なんて思ってたことだってあったから。
(隆を……信じてみたい)
「私も、隆のこと好き……だと思う」
一瞬の間があった後、隆が思いっきり私の手をつかんだ。
「それは付き合ってくれるってことか!!?」
私はゆっくりうなずく。
「信じていいのよね? もし水野先生とまた何かあったら、その時は隆のこと……もう信じられない」
「わかった。俺にはお前だけだと、証明してみせるよ」
隆は心から嬉しそうな、それでいて安心したような笑顔になった。
隆と一緒に夜の道を帰る。
何だかドキドキする。
二人で、ただ歩いているだけなのに。
幼馴染が急に彼氏になって──相手の肩書きが変わっただけで、まるで別人と歩いているような気持ちだった。
こんな事、初めて……そう思うと舞い上がってしまう。
「愛菜…」
「…何?」
返事をした途端、手に触れてきた――熱。
それが、隆の手だと解るまでに1秒もかからなかったと思う。
私は驚いてしまい、慌てて手を引っ込めた。
「あっ…隆、ごめんね!その、嫌とかじゃなく、ね…ただ…」
真っ赤になって言い淀む私。
でも隆の方も私以上に照れているようだった。
「い、いや、俺の方こそ……いきなりゴメン」
少しだけ立ち止まっていた私たちは、どちらともなく再び歩き始めた。
「愛菜…」
「…何?」
「手、繋いでも、いいか?」
「えっ?」
「さっきは驚かせたよな。だから、今度前もって承諾を貰おうと思って……ダメか?」
少し前までは、ただの幼馴染だったのに、いつの間にか私の中で隆はこんなに大きな存在になっていたんだ、って気づく。
「…何、笑ってるんだよ?」
隆は真っ赤な顔でそっぽを向いている。
私がクスクス笑うと、隆は私にデコピンをした。
しばらく、いろいろな話をしていて、隆は急に黙り込んでしまった。
「・・・・・・なぁ、これから俺のウチに来ないか?今、誰もいないしさ。ほ、ほら、冷えてきたしっ、なっ?」
「だめだよ。春樹が待ってるから」
私が断ると、ごまかすように笑いながら照れていた。
「あっ、そうだよな、ごめん。それじゃ送っていくよ」
家の前に着くと、玄関から弟の春樹が外に出てきていた。
送ってくれた隆にお礼を言って春樹を家に入るよう促す。
玄関をくぐる時に肩越しに振り返ると、暗がりの中で隆が私の方に軽く手をあげて元来た道へと帰っていくのが見えた。
──その光景を迷子の私になって追体験するように、二人で見下ろしていた。
「わ……私と隆が付き合ってる……」
いけないものを覗き見てしまった気分。
恥ずかしくて、隆との手を振りほどこうとする。
「待てよ! この虚無の中で迷ったら、迷子が増えるだろッ」
隆は左手の甲で鼻のあたりを隠しながら、最後の言葉を強調する。
手のひらには、じんわり汗が滲んでいた。
顔もすごく赤い。
(それにしても……)
「水野先生とキスしてたのに……私と隆、付き合っちゃったね」
「はぁ……家にまで誘って……下心みえみえだろ。ここまでクズ野郎だったとは……」
(迷子の私がいた世界。そこでの自分自身のことなのになんか落ち込んでる……)
不謹慎だと思いつつ、手を繋いでいる隆と比べてみる。
多分、私の知っている隆は、どんな理由があってもこんな事しない……そう思いたい。
もし、事故の後遺症もなく健康なままで、何の苦労もなく幼馴染として同じ学校に通えていたら……迷子の世界にいる隆みたいだったのかなぁと、ふと思った。
最終更新:2025年06月19日 17:05