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匂いをたどって、漆黒の闇をひたすら進む。

そして、何度目かの乳白色の勾玉を拾い上げ、その熱を受け入れる。

私の意識は何度も勾玉に吸い寄せられ、その波紋の中に引き込まれていく。

目の前がぐにゃりと歪み、次の瞬間、光景は一変していた───



部屋の扉が勢いよく開かれ、誰かが飛び込んできた。

「愛菜、さっきは悪かったな……チハル?」

入ってきたのは隆だった。
その視線は、私の膝の上で薄くなっていたチハルを捉えると、みるみるうちに怒りを含んだものに変わる。
隆は躊躇なく、私の身体からチハルを乱暴に引き剥がした。

「チハル、何をしてる?」

チハルは隆の腕の中に抱えられながらも、どこまでも無邪気に笑う。

「愛菜ちゃんがね、おなかがすいて弱っちゃうから、ボクを食べてもらうの」

でも、その身体は小さな子供の姿に変わり果てていた。
最初に会ったときよりもさらに幼い、5歳くらいの男の子。
隆の眉間に、深い皺が刻まれた。

「愛菜がお前を食べるって、食べたいって言ったのか?」

「ちがうよ?」

「お前が勝手にやったんだな?」

「うん」

「ばかやろう!」

隆の重く低い怒号が響いた。
まるで家全体を震わせるかのような、これまで聞いたことのない大きな声だった。

「お前が愛菜を悲しませてどうする! 俺はコイツを悲しませるためにお前を動けるようにしたわけじゃないんだぞ!!」

その怒声に驚いたのか、春樹が心配そうに部屋へやってくる。
小さなチハルを見て、目を丸くした。
さっきの動揺した雰囲気は全く無く、そこにいるのはただの弟としての春樹だった。

「隆さん、一体……チハル?」

チハルは、隆がなぜ怒っているのか分からないらしい。

「でもボクを食べないと愛菜ちゃんが弱っちゃうよ?」

隆は深くため息をついた。

「あのな精霊は確かに鬼に喰われるさ。鬼にとって精霊は極上の食事だからな。でも、コイツは鬼を喰わないって言ったんだ!」

『隆……?』

怒りに任せて怒鳴る隆の言葉に、私は明らかな違和感を覚えた。
チハルを通して、その言葉を隆に届いている。

「コイツがお前を喰いたくないって泣いてるのに気付かなかったのか? お前はそれでも精霊なのか? やるにしてもやり方ってもんがあるだろうが! 全部喰わせてどうする、自分の身を危険に晒さない程度に分け与えろよ。俺ほどでないにしても、お前だってそれなりに力のある精霊だろうが!」

(隆、何を言ってるの……?)

チハルが私の心境察して、そのまま口に伝えてくれる。

「隆、何を言ってるの?って愛菜ちゃんが言ってるよ」

隆は困惑したように首を傾げた。

「え? なんでって……あれ? なんでだ?」

『それに、隆は人間でしょ? なんで『俺ほどでもない』っていうの?』

チハルが私の言葉を伝えると、隆はふっと、何かを探るような不思議そうな顔をする。

(そうだよ。鬼が精霊を食べるなんて話、私が知ってるはずがないし、隆がそんなことを知っているはずもない……それに、『俺ほどでもない』って、まるで隆自身が精霊であるかのような言い方……)

あの会話をしたのは、遥か昔、光輝としたはずだった。
そして、並外れて力が強い精霊も、隆にそっくりな光輝だったはずだ。

そう問おうとしたところで、隆が壁に掛かった時計を見ているのに気づいた。
急がないと遅刻してしまう時間になっている。

「やべっ。もうこんな時間かよ」

「隆さん……修二先輩のことよろしくお願いします」

春樹の言葉に、隆は小さく頷いた。

「わかってるって。あと、チハル」

隆は自分の髪をガリガリと掻いて、しゃがみ込む。きちんと同じ目線になってから、チハルに話し出した。

「怒鳴って悪かった。だけどな、お前のやろうとしていたのはいけない事なんだ」

「どうして?」

チハルは納得いかないようなか細い声で「だって、ボクはサキミタマだから……」と呟き、俯いた。

隆は優しくチハルの頭を撫でる。

「幸御魂だろうと関係ない。チハルはチハルなんだからな」

「ボクが居なくなったら、みんな悲しいの?」

「そうだ。だから、しちゃいけないことなんだ。わかるな?」

チハルは小さな声で「ウン……。わかった」と答えた。

「よし。約束だからな」

隆は満足そうに微笑み、またチラリと時計を見て、私の横へやってくる。

「さっきは……その…悪かったな。別に困らせようとか、そういうのじゃないから」

『わかってるよ』

私の心の声を聞いた隆は、安心したように大きく息をついた。

「そっか」

隆は軽く笑うと、ドアの前に立った。

「力づくでも、宗像弟は連れてくるからな」

『ちゃんとお願いして、普通に来てもらってよ』

私の言葉に、隆は肩をすくめた。

「努力はするさ」そう言って、隆は私の部屋から出て行ってしまった───



幻を見せていた乳白色の勾玉は、また跡形もなく消え去る。
迷子の私が体験したこと。
その追体験を勾玉が現れるたび感じていく。
この不可思議な現象を、私は何度も何度も繰り返していた。

俯瞰しながら、感想を語り合う。
隆は考えてから、鼻を鳴らして言った。

「最初はただのクズだと思ったが、この世界の俺も的を射たことを言うようになってきたな」

最初の評価が最低だったみたいだけど、ここまでの評価はかなりマシになってきていた。

「騒動の原因も、水野先生のハニートラップだったから。仕方ないよ」

「まあな。対抗組織に嵌められたところもあるし、同情の余地はあるのかもしれねーが……」

彼は納得しかねるように、少し顔をしかめていた。そして、ぶっきらぼうに言葉を続ける。

「付き合ってたんだぞ。普通に駄目だろ」

「そうだけど……ね」

その事については同意しかない。
どういう経緯であれ、二股まがいの行為は褒められたものじゃない。

そこでふと、隆は重要なことを思い出したように呟く。

「こっちの俺も、光輝の頃の記憶が残ってたんだな」

「でも覚醒はしてないよね。夢の中の記憶だから、断片的みたいだし」

「断片的だろうが何だろうが、チハル作ったんだから神力は持ってるぞ。ありゃ、鬼や神具の加護の能力持ちじゃ土台無理な事だからな」

隆の言葉に、私は改めて驚いた。

「そんなにすごいことなの?」

「ああ。迷子の愛菜の鬼力も手助けしてるが、霊気を固着させて魂まで昇華させなくちゃならないからな」

霊気を固着させて魂まで昇華。
何だか化学の実験みたいだな、と思ってしまう。

「サキミタマって、チハル言ってたね。それって何?」

隆は少し考え込むように宙を見た。

「幸御魂は直霊っていう生命の器……言ってみりゃ心の元で……その中でも特に楽しいとか、嬉しいみたいな思いが詰まったもんだな」

「そうなんだ……」

(幸せとか嬉しいか。なんかわかるかも)

寂しさを埋めるために渡したクマのぬいぐるみ。
迷子の私にとって、どれだけ慰めになっただろう。
そこから楽しそうでかわいいサキミタマのチハルを作ったなんてロマンチックに思える。

ただ、生意気な弟の千春と同じ魂なのは……納得できないけど。

「それにしても、精霊のチハルが消えなくて良かったよ」

隆は腕を組み、私の言葉に対して厳しい顔で頷いた。

「だな。鬼は霊気も糧として取り込むんだ。消耗した高位の鬼のアイツが食っちまったら跡形もなくなる。多少魂は減ったが、問題ない程度で済んだのは幸運だったな」

(それにしても……)

どんな事より、私にとって一番不思議なのは。
昨日初めて会った、一つ年下の彼のことだった。

「春樹くん、本当に私の弟だったんだね。うちの家に待ち伏せて「姉さん」って話しかけるから、最初はヤバい人だと思ってたよ」

隆は「ああ」と頷いた。

「守屋の魂持った奴か。文化祭にも来てたな……。お前の事、最初は姉さんって呼んでたんだったけ」

「そうなんだよね。いきなり弟って名乗ったり、カゴななんとかって病気だとか言って、突然、貧血で倒れたんだ。目覚めたところで隆がうちに遊びに来てくれたんだよ」

「ふーん。迷子の愛菜の世界線だったことを知ってるっぽいのか?」

隆は口に手を当て、考え込んでいる。

「多分。私を血の繋がりがない姉とか。うちのお母さんの事を亡くなってるはずの人、とか共通することも多いよね」

「分からんな。この世界の愛菜が1500年前に作り変えたんだぞ。そんなの覚えてるなんて、物理的に有り得ん。俺ですら覚えてないってのに」

「だよね。でも、偶然にしては共通点が多すぎるから。何かあるのかも」

偶然にしては、話した内容があまりに合致しすぎてる。
まるで、急に異世界に飛ばされたような口ぶりだったから。

私が考え込む様子に、隆は鼻を鳴らした。

「まぁ守屋の魂を引き継いでんなら、魂の気質が納豆巻きだからな。どうしたって粘着質なのは間違いないだろうな」

(うわぁ、厳しいこと言うなあ)

光輝は最後まで、戦を止めない守屋さんを怒ってた。
だから、その記憶を引き継ぐ今の隆が、春樹くんを良く思えないのかもしれないな、と考えてしまうのだった。




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最終更新:2025年06月19日 17:08