まるで時間の流れそのものが澱んでいるかのような、深く、静謐な闇。
その中で異彩を放ち、発光する勾玉がポツポツと点在していた。
私がめぐった乳白色の他にも、鮮やかな赤、冴えた青、暖かなオレンジと、ぼんやりと映る緑、色々な勾玉が行く手に闇を微かに照らしている。
それは光芒のように私達を誘う。
最初の方に通ってきた、突き放す深淵の闇とは明らかに違う。
その光すら何かのメッセージのようにも感じた。
「どこまで続くの?」
「匂いが近いな。もう少しで着くはずだ」
手を繋いで、隆の進む方角に身を任せる。
肌に張り付くような冷たさを感じる。
けど、それは物理的な冷たさとは少し違う。
以前、家族と訪れた観光地の鍾乳洞のような濃い湿度がそう感じさせているようだった。
(でも……)
その思い出すら、本当は紛い物で。
私だけじゃなく、お父さんもお母さんも、千春も街の外れでマネキンのように立ち尽くしていただけ。
その真実を知ってしまったから。
(それにしても、この闇はまるで)
遥か過去から続く、計り知れない歳月の重みが、そのまま空気になって凝り固まったような感覚。
その中で唯一照らす勾玉の光は、闇の中に微かな希望の光のようにも思えて。
確かに存在する光彩は道標のように私たちの行く先を照らす。
「隆、また試してみていいかな?」
「何度やっても、同じだろ」
「でも、お願い」
その場に止まって、私の手をゆっくり解放する。
自由になった両手を使って泳ぐように、目の前の黄色の光を目指す。
何度も繰り返し試してきた、乳白色以外の他の色の光を掬おうとした。
でも手のひらを微かに照らすだけ。
儚く光り、点滅を繰り返すだけだった。
けど、触れた指先には、まるで失われた記憶の欠片のような懐かしい感覚が占めて。
そして胸を締め付けるような切なさまで、伝わってくる。
私はその光をそっと元の場所に戻す。
ここは、ただの何も無い空間じゃない。
そう、肌での直感が言っている。
隆が舞い降りて、また手を繋ぎなおす。
強い絆を離さないように、闇を疾走しながら更に進んでいった。
「着いた。ここが、最奥だな……しかし、何だこれは」
息苦しい闇の中で、面食らったような声が響く。
驚きと戸惑いに混じった隆の表情。
それが、この場所の持つ異質さを一層際立たせた。
視線の先、闇の奥に捉えたものに釘付けになる。
それは宙に漂う、白いモヤモヤとした不定形の塊だった。
水蒸気のように頼りない。
雲や霞に近い、霧状の物体。
でも何かの意思があるように、小さく揺らめいている。
風が吹けば、すぐに飛んでいってしまいそうに弱々しい。
そんな、曖昧で掴みどころのない物体。
そして、その白いモヤモヤをまるで蛇のように、漆黒のドロドロとしたものが絡め取っていた。
見るだけで胸が悪くなるような、禍々しい存在感。
ドロドロは、白いモヤモヤを締め付け蠢いている。
(すごく……息苦しい)
重力がかかるような、だるさが襲う。
声にならない何かを感じ、胸が痛くなった。
「あれは……鬼の意志の集合体だな」
呻くような声で、隆が呟く。
「白いモヤモヤ?」
「いいや。あの黒いドロドロの方だ」
「何だか、嫌な感じがする」
「そりゃそうだ。あの黒い奴ら、怨念の塊なんだからな」
隆の声は、低く、重い。
その言葉が耳に届いた瞬間、全身に冷たい悪寒が走った。
怨念。
この世界の根源にある負の感情。
息が詰まるような苦しさがさらに増す。
この憎悪と絶望の塊が、白いモヤモヤをしっかり囚えて逃すまいとしているようだ。
「でも、鬼の怨念って……」
「無念の中を彷徨う出雲の鬼。1500年前に国ごと滅ぼされた奴らだ」
いつも見る夢の中。
壱与が見た、目を覆いたくなる出雲の光景。
人が鬼を襲い、追われた鬼がまた人を襲う。
負の連鎖が止まらない、どこまで行っても絶望しかない場所。
裏切りと陰謀の悲しい末路。
「酷い……」
(それなら……)
「あの白いモヤモヤってした方は?」
「あっちか。あれは……俺らの探してたもんだ」
(どういうこと?)
薄桃の身に纏う、この比礼を返すため。
再生の舞を披露した後に行方をくらました、私そっくりのあの子に会うため。
この世界の果てまで、二人で探しに来た。
「だって、探し物はこの比礼でしょ?」
「もう一人、いるだろ?」
「あの子だね。探してたのは私と全く同じ名前と容姿の子、愛菜だよね」
「そうだな」
深いため息のように、隆は肯定する。
「分かった。あのモヤモヤがあの子への手掛かりなんだね」
「違う。違うんだ、愛菜」
今度は眉間にしわを寄せた苦い顔で否定する。
隆の言いたい事が分からない。
点と点が線で繋がらない。
「じゃあ、あのモヤモヤしたものは……何?」
嫌な予感が広がり、胸を占めていく。
「それは……」
「あの子の匂いを追ってここまで来たんでしょ?」
「その匂いが、モヤモヤとお前。鬼の気配以外は全く一緒なんだ」
「もしかして……あの霧みたいなものが……」
「間違いない。あれが探してる迷子。もう一人の愛菜だ」
(え……人の姿じゃないの?)
何度も繰り返し見た夢の通り、なら。
私が私に会えるに決まってるって、そう思い込んでた。
まるで合わせ鏡のようになるのかな、なんて勝手に想像して。
だって、夢の中でもさっき見た勾玉の記憶でも、確かに同じ容姿だった。
違う道を進んでいたらそうなっていたかも知れない、別の可能性の私。
だから、親近感以上のものを常に感じていた。
「迷子って……本当に?」
「自分の帰る世界から拒絶されて、人の形すら保てなくなってしまったんだろうな」
「人の形すら保てないなんて……そんな!」
「思っていたより、ずっと悪い。放置されてから時が経過し過ぎたんだろう」
1500年ずっとこんな所に閉じ込められて。
「もう自分のことすら思い出せない、成れの果ての姿だ」
(成れの果て……)
ずっと、夢で見つめ続けた女の子。
怪我の人を放っておけず、一人一人の兵士に声をかけていた姿。
楽しそうに笑ったり、すぐに照れたり。
表情のコロコロと変わる、素敵な人。
(あの子が……このモヤモヤだっていうの?)
「でも、何で夢で見てたあの子に出雲の怨念が……」
絡まった枝のように、がんじがらめにされて。
こんな結末をあの子が望んでいたはず無い。
「このドロドロが姫、姫って繰り返し叫んでやがるんだ。壱与と同じ魂のアイツに救いを求めてんだろうな」
どうすればいいのか、皆目見当もつかない。
もし絶望を体現したら、きっとこんな感じだろう。
「早く助けてあげないと!!」
不安と戸惑いを抱えたまま、隆の顔を見上げる。
「わかってる。やってやるさ」
琥珀色の光が、まばゆいほど強くなっていく。
その横顔には、大きな塊の渦を見据える姿があった。
最終更新:2025年07月12日 21:05