「可哀想だよ! 早くドロドロから助けてあげなくちゃ!」
私に応えるように、隆の瞳の奥で琥珀色の光がより一層強く燃え上がった。
彼の全身に力が漲り、静かに息を吸い込む。
「わかってる、やってやるさ」
その言葉が頼もしい。
今までだって、奇跡を何度も起こしてきたから。
それを間近でずっと見てきた。
「わ、私もやってやる!」
震える手で比礼を握りしめ、隆の隣に並ぶ。
「お前……ヒザ、笑ってないか?」
チラリと私を横目で見ながら、茶化すように声をかけてくる。
「笑ってないし。普通だから」
「昔のお前じゃ、オロオロするだけだったよな」
「隆だけじゃないよ。私だって変わってるんだから!」
「そーかよ」
投げやりな言い方に、満足が混じってる。
例え足手まといだとしても、私は隣にいたい。
「比礼だけは絶対に手放すなよ。そいつがあのバケモンを倒すカギだからな」
「この比礼が……」
纏う比礼を胸に包み込む。
すると、私の想いに呼応するように輝きを増していった。
「その比礼で穢れを調伏してくぞ。アイツを救い出すために」
白いモヤモヤを締め付ける黒いドロドロ――鬼の怨念。
その集合体は、私たちの決意を察知したかのようにその蠢きを激しくした。
無数の黒い塊が意思を持った腕のようにヌッと伸びてくる。
直感で分かる。
単なる闇の塊じゃない。
触れたものをたちまち腐食させ、引きずり込もうとする悪意そのものという事も。
「愛菜、危ない!」
私を庇いながら、迫りくる黒い腕を辛うじて避ける。
憎悪の奔流は想像以上の速さ。
避けきれなかった一撃が隆の腕を掠め、その顔を苦痛で歪める。
掠めた部分からは、黒い煙が微かに立ち上っていた。
「隆、大丈夫!?」
「一応な……。だが、思った以上に厄介だな……このままじゃ、近づくことすら難しい」
焦燥感が肌をヒリつかせた。
近づくことすら困難だと思い知らせる。
「私はどうすれば?」
「ヘビみたいな腕があちこちから伸びてくるのが厄介だ。今は一旦、俺から離れてろ。共倒れになる」
「分かった」
この闇の奥はがらんどうの空間で他に隠れる場所もない。
だったら、真正面から突破するしかないはず。
再び迫り来る黒い腕の雨。
隆は身を翻し、紙一重でそれをかわしていく。
それは小学生で見ていたドッジボール試合のように、軽やかな身のこなしだった。
(隆、すごい!)
怨念の塊は生き物のように意思を持ち、隆の動きを予測して襲いかかってくる。
その攻撃は単調じゃない。
絡みつくように、鋭い刃のように形を変え、隆を追い詰めていく。
「くそったれ!」
避けきれないと判断したのか、隆は咄嗟に腕を前に突き出す。
その身に宿る神力の一端。
手のひらから、まばゆい閃光を放出した。
琥珀色の光が奔流となって、黒い腕にぶつかる。
僅かに動きが鈍るものの、怨念の力は強く光を飲み込んでしまった。
(このままじゃ埒が明かないよ……)
避けることが精一杯なのか、隆は奥歯を噛み締めるように怨念を見据えていた。
「しゃーない。奥の手を出すか」
「何を……!」
「獲物がなくちゃ、対抗できないからな!」
隆は拳を胸に当てる。
すると、彼の胸の中で静かに眠っていた力が目を覚ますように輝きだした。
それは、神代の昔から伝わる、災いを祓う聖なる剣──
「来い!フツノミタマ!」
隆の叫びと同時に。
彼の右手に眩いばかりの光が集束する。
光は一層輝き、一振りの霊剣が姿を現した。
白銀の刀身は、周囲の闇を切り裂くような清浄な光を放つ。
それは怨念の黒とは対照的な、希望の色だった。
フツノミタマを握りしめた隆の姿。
それが鋭い切っ先を怨念に向け、力強く闇を蹴る。
踏み込みの勢いで、迫り来る黒い腕に向かって剣を大きく薙ぎ払った。
「ハアアアアッ!」
白銀の剣閃が闇を切り裂く。
触れた怨念を浄化しながら、さらに斬り進む。
今までなかなか近づけなかった距離を、フツノミタマの力によって切り開いていく。
怨念もまた容易くはなく、しぶとさを見せる。
斬られた部分から、さらに濃密な黒い煙が噴き出し、新たな腕となって隆に襲いかかった。
迫り来る無数の怨念の攻撃。
それを研ぎ澄まされた剣技と俊敏な動きで捌いていく。
斬っては湧き出る怨念の波状攻撃に、体力を消耗していくのがわかる。
額には汗が滲み、息も僅かに上がってきた。
怨念の一撃が避けきれず、隆の横腹を深く抉る。
「ぐっーー!」
痛みに顔を歪めながらも、彼は足を止めるわけにはいかなかった。
(隆……!)
それでも、隆の瞳は揺るがない。
私を守りながら、あの白いモヤモヤを救い出すという強い意志が、剣を突き動かすようで。
再び力を込めてフツノミタマを振るい、怨念の壁を切り裂く。
ついに白いモヤモヤのすぐ近くまで辿り着いた。
黒いドロドロは、最後の抵抗とばかりに、さらに激しく白いモヤモヤを締め付ける。
隆はフツノミタマを構え、私に振り向く。
「愛菜! 今だ! 比礼の力で奴らの動きを止める!」
隆の言葉に、私は強く頷いた。
震える腕でしっかりと比礼を掲げ、心の中で、あの「迷子愛菜」の悲しみと、隆への感謝、そして共に進む未来への希望を重ね合わせる。
その心と比礼が共鳴し、比礼から眩いばかりの清らかな光が放たれた。
「品物之比礼! 私に力を貸して!」
声と共に、比礼の光が白いモヤモヤに絡みつく黒いドロドロの怨念へと降り注ぐ。
怨念は悲鳴のような音を上げる。
その動きが一時的に停止した。
比礼の浄化の光が、ドロドロの力を確実に弱めている。
この一瞬の隙を、隆は見逃さなかった。
迷わず、フツノミタマの切っ先を光で動きが止まった怨念の核へと突き刺す。
隆の渾身の一振り。
「消えろ!」
清浄な光が炸裂し、黒いドロドロは断末魔の叫びと共に、勢いよく浄化され、霧散していく。
白いモヤモヤを拘束していた力が完全に弱まったその瞬間。
その隙に、隆は迷子のあの子を抱きとめた。
「愛菜!」
隆は振り返り、白いモヤモヤを愛菜へと託す。
その表情には、安堵とそして激しい疲労の色が滲んでいた。
「頼んだぞ」
「分かった」
隆の言葉に、しっかりと頷いた。
先っきまで感じていた不安は消え、強い決意だけが心に宿っていた。
私の胸の中で、人の形を失ったあの子が苦しそうに身を縮めている。
それは綿毛と霧の間みたいな感触で。
(今まで、一人でよく頑張ったね)
フワフワとシトシトの中間のような肌触りを感じながら、目を閉じる。
頬に当て、私の精一杯の気持ちを彼女に送った。
最終更新:2025年06月19日 17:28