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私の胸の中で、人の形を失ったあの子が苦しそうに身を縮めている。
それは綿毛と蒸気の中間のような、手触り。
抱きしめる腕の中に、確かな重みは感じられない。
ただ、ひたすらに頼りなく、すぐにでも消えてしまいそうな存在。

(今まで、一人でよく頑張ったね)

私はモヤモヤした白にそっと頬を当てた。
この手のひらに包まれた命が、どれほどの孤独と絶望を味わってきたのか。
想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
私の精一杯の気持ちを、慈しむように送った。

その時だった。私の心の中に、微かな、しかし澄んだ声が直接響いてきた。

「……集め……て」

それは、途切れ途切れで、か細い囁き。
それでも、確かに私に何かを求めている。

「……想いを……逃さ……ないで……」

その言葉は、何かの記憶の断片を示唆しているようだった。
散りばめられた光の粒を拾い集める、そんなイメージが頭に浮かぶ。
私は、この声の持ち主の願いを叶えたいと強く思った。

「分かったよ。私が、出雲の人たちの想いを集めるんだね」

私は顔を上げ、隆に視線を向けた。

「迷子の私の声がしたんだ。この霧散した想いを全部集めて欲しいんだって」

もう何度目のお願いだろう。
隆には、数え切れないほどの頼みごとをしてきた。
ふと、そんな事を思う。

「もちろん、隆も手伝ってくれるよね?」

私の問いかけに、隆は少し呆れたように、しかし温かい眼差しで答える。

「当然だろ。俺が居なくちゃこの空間じゃ、お前は犬かきなんだからなっ」

失礼な言葉だったけど、プッと吹き出す。
通常営業に戻った隆に、ふわりと心が軽くなった。
そうだ、この人はいつだって、私が望むことを、望む以上に支えてくれる。

怨念だった黒いドロドロは、既に浄化され、空間に溶けるように霧散していく。
その跡には、闇の中に煌めく淡い黄緑の光の粒子が漂っていた。
それは、命のきらめきが宿る、微かな魂の残滓のようにも見える。

「浄化した霊気をどんどん集めるんだな。よし、ちゃっちゃとやろうぜ」

隆の声に促され、私たちは顔を見合わせ、頷き合った。
私たちは、その淡い黄緑の光を、ひとつ、またひとつと優しく掴まえていく。
それはまるで、野外合宿で見た、初夏の夜にひっそりと輝く蛍を追いかけた時とよく似てた。

指の隙間からこぼれ落ちてしまいそうな儚い光を、決して逃すまいと必死に追いかける。
それを手のひらの中に大切に集めていく。
闇の中を滑るように、光の粒を追って駆け回る。
隆は素早い動きで私をサポートし、逃げ惑う光の粒を私の方へと誘導してくれた。

やがて、全ての光の粒が私たちの比礼の中に収める。
すると温かい、そして微かに震えるような生命の波動が伝わってくる。
私たちは、その集めた光を比礼から解き、あの子の元へと戻った。
結び目を開き、光の粒をモヤモヤへと向ける。

すると。
それらは吸い込まれるように白い塊の中へと溶けていく。
次の瞬間、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。

白いモヤモヤが、吸収した光を核に、ゆっくりと、しかし確実に形を成していく。
まるで水蒸気が凝結するように、曖昧だった輪郭が鮮明になり、女性のしなやかな肢体が浮かび上がる。
そして、眩い光が収束すると、そこに立っていたのは、小柄な一人の女性へと変貌した姿だった。

その姿は、夢の中で何度も見た、あの鬼の姫。
美しい鬼、壱与そのものだった。
穏やかな、慈しむような微笑みをたたえている。

「壱与……」

愛菜は思わずその名を口にした。
信じられない、しかし確かな現実が目の前にあった。

壱与は、私に向き直り静かに告げる。

「この姿こそが、今の私に相応しいと思いました」

私は、驚きと共に疑問が湧き上がった。

「迷子は……私じゃなかったの?」

(やっと会えると思ったのに。どうして壱与が)

「言える訳ないだろ。世の理に反することになるんだから」

隆が代わりにその問いに答た。
神の宿る声は、この世界の真理を知る者のそれだった。

「どういう意味?」

まだ理解が追いつかず、首をかしげる。

「ひとつの場所に二人の同一人物が居たら駄目に決まってるだろ。世の理に反する行為。つまり名乗った瞬間、跡形もなく消え去っちまうだろう」

隆の言葉の重みに、はっとした。
確かに、因果律という厳然たる世界の法則があった。

自分の存在が、どれほど奇跡的なバランスの上に成り立っているのかを再認識させられる。
私は、壱与に確認するように尋ねた。

「隆の言うことは、本当なの?」

「はい。秩序の輪の中に生かされている私たちは、矛盾は許されないのです。だから、ここでは壱与で居させてください」

彼女自身が因果律に弾かれた存在であることの、何よりも痛ましい証。
説明を受けて、やっと腑に落ちる。

同じ「愛菜」が二つ存在することは、許されない。
それは自分が自分でいることを否定されたと同じで。

少し俯いたまま、微笑む表情には、どこか悲しみが刻まれている。

「派生世界。それがあなた方の生きる場所なのは認知しています。私の迷いから生じたこと、詫びる言葉もありません」

「迷うことなんて、私もしょっちゅうだから。もう気にしないで」

今目の前にいる壱与……本当は迷子の私は十分、その罪を背負ってきた。
怨念に長い刻、囚われてきたんだから。

「ありがとうございます。寄る辺のない私にとって……その言葉はとても救われます」

その言葉の響きに、胸が締め付けられる。
寄る辺ないとは、頼る場所も、帰る場所もないということだから。

「あなたは……壱与は後悔してる?」

ふと、気になって尋ねる。
壱与と言わなければ、私たちは消えてしまう。
言葉は自然と慎重になっていた。

私の言葉に壱与は顔を上げ、凛とした声で語り始めた。

「再生の舞、胡蝶の夢を発動させ、力のない世界を作ったことに後悔はありません」

選択に対する自信。
確固たる意志の光が宿っていた。
迷いもあったとはいえ、彼女の行動はこの世界を救うための重要な一歩だった。
それは間違いない。

「ところでお前……今は壱与に見せてるだけで実体は無いんだろ?」

琥珀色の瞳で、静かに見つめている。
すべてを見通す、強い眼差しを向けている。
そして隆の言葉に、壱与はうなずく。

「だからでしょうか。あなた方を見て、色々思い出してしまいました……」

そう言って、壱与は私と隆を交互に見つめた。
その眼差しは、遠い過去を懐かしむような、そして同時に、温かい光を宿している。

「一体、何を思い出したんだ?」

今度は隆が問いかける。

「今まで生きてきた証を。あらゆる者の懸命に生きた記憶を。それをすべて無に帰してしまった。犠牲なしに得ることはできない。それは承知していたはずなのに、おかしいですね」

どこか自嘲気味な笑顔。
その言葉に、私の心にも深く響いた。

(わかる。今までの記憶。それが私が私自身を作っていることに)

壱与の喪失感がどれほど深いものか、痛いほど理解できた。
私は、彼女の悲しみに共感する。
そして、壱与は言葉を続けた。

「私を認識する者は誰も居ない。時間も空間も超越して、無為に漂うばかりで。少しだけ虚しいと考えてしまうこともあるのです」

壱与の言葉は、心に強い思いを抱かせる。
迷子だったあなたの判断は、決して間違ってなどいない。
むしろ、私たちが今ここにいるのは、あなたが世界を変えたからだ。

「私はたくさん知ってるよ。この空間の記憶は隆のしか掬えなかったけど。あなたの生きた証は夢の中でも、この空間でも、ずっと見てきたから」

愛菜は、隆との絆を通じて得た記憶と、これまで歩んできた道のりを胸に、まっすぐに壱与の瞳を見つめた。
隆が私にそうしてくれたように、今度は私があなたを励ます番だ。
失われた記憶の代わりにはなれないけれど、あなたが存在した証を、私は確かに知っている。

「あなたは……」

胸に手を当て、何かに耐えるように俯く。
そして、穏やかな笑みを浮かべて微笑む。

「あなたは……愛菜は……とても素敵な方なのですね」

壱与が私を褒めてくれた。
それは自分が自分を認めた証で。
くすぐったいような、自惚れのような。
ほわほわと不思議な気持ちになるのだった。


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最終更新:2025年06月21日 06:05