診療所の電気が消える。
7時すぎになって、周防さんがリビングまで戻ってきた。

「……ただいま。食事の用意してくれてたんだな」

周防さんが食べる量なども、共に生活していくうちに少しずつ分かってきた。
今日はササミとブロッコリーと小松菜を食べる曜日だ。
だから、あらかじめ茹でておいた。

「おかえりなさい。塩ゆでしただけですけど」

白い大きめのお皿には、茹でた食材が乗っている。
日によってそれがゆで卵にもなったりする。
だけど、マヨネーズやドレッシングをかけたりせず、そのまま食べている。

「いや、助かるよ。茹でるのも、手間だから」

「じゃあ、食べましょうか」

私の前の皿には、馬肉が乗っている。
生の魚や生卵など色々食べてみたけど、1番美味しかったのはやっぱり馬肉だった。
周防さん曰く、馬肉は高温が高くて蹄が一つしかないから菌が繁殖しにくいらしい。
だから、生で食べられるのだと教えてくれた。

「「いただきます」」

二人で手を合わせて食べる。
端から見れば、奇妙な食事風景だろう。
バラバラのものを調味料も無しに、口に運ぶ姿は生きる機能としての食事そのものだから。

「あの、周防さん」

「ん? どうした、愛菜ちゃん」

食事の手を止め、私を見つめる。

「今日、渚さんに会いました」

「知ってる。彼女に触れた時に見えたよ」

(そっか。人の心が読めるんだもんね)

「巫女の話をしなかったのは、良い判断だった。愛菜ちゃんが聡明でこちらとしても安心だ」

聡明。
そんな言葉を言われたことなくて、思わず赤くなる。
学校じゃ、落ちこぼれで何とか留年せずにいるだけだから。

「あ、ありがとうございます」

「この街には高村の施設出身が大勢いる。その子供を含めれば、もっとだ。組織は弱体化したが、未だに神託の巫女を崇めている者も少なくない。愛菜ちゃんが望む、平穏な暮らしも脅かされかねないからな」

(巫女……か)

その神託の巫女は実は学校の落ちこぼれで、料理が致命的に下手で。
こんな生肉だけを好んで食べる平凡な女子高生だと知れば、崇めてる人はさぞガッカリするに違いない。

「それで、渚さんの背中も見ました。何だか、とても痛々しくて、言葉が出てきませんでした」

私は素直な気持ちをそのまま伝える。

「能力が身体の異常になって出てきたんだな。たまにある事で、珍しいことでもないんだ」

「そうですか。そういう人のために周防さんはこの診療所を作ったんですね」

普通の人じゃない。
他の医者では診ることの難しい能力者。
そういう症状の人を救う尊い仕事だと、改めて分かった。

「そんな、大げさなものじゃないよ」

「そんなこと、ないです」

私は首を振って否定する。
困っている能力者にとって周防さんのような存在がどれだけ救いになるか、分からない。

「俺の能力は精神面で人をサポートすることは出来る。だが、渚ちゃんのような外傷は美波の方が良いんだ。だが、あいつは高村総合病院とここを兼任でやってもらってるからな、忙しいのさ」

(そうか。美波さんなら傷を治したり出来るんだもんね)

「あの……」

言おうか、迷う。
私が何かしようとすると、周防さんが必ずやんわり否定してくる。
すべて私のためだって分かる。
また、今回も否定されそうで尻込みしてしまいたくなる。

(だけど……)

このままじゃ、いつまでも自分の気が晴れない。
だから。
意を決して口を開く。

「私も……巫女なら! 周防さんのような、特別な力は無理かもしれませんが、痛みを和らげる、とか。早く治るようにするとか。何かできるはずです」

勢いに任せて、言いたいことを吐き出す。
そして、周防さんを見つめる。

彼は、一度、驚いたように目を見開いていた。
そして、箸を置き、まるで大切な子供に言い聞かせるように、ゆっくりと口を開く。

「……愛菜ちゃん。その気持ちは、すごく嬉しいよ。本当に、ありがとう。君が、渚ちゃんのために、そこまで考えてくれるなんて、思ってもみなかった」

私の意見を汲み取るように。
言葉ひとつひとつを丁寧に紡いでいた。
でも、フッと目を伏せる。

「でもね、駄目だ。……いや、駄目だなんて言うと、君は傷つくかな。そうじゃないんだ。俺は、君を守りたいだけなんだ」

(守りたい……)

素直に守りたい、と言われて心が満たされるのを感じる。
と、同時に疑念も湧き出す。
反主流の代表として、大人として守る責任を負ってるだけかも、と。

「癒やしの力は、術者の生命力そのものを、燃料にする事もできる。君はこよみがどうなったか、知っているだろう? 彼女は、俺を助けるために、その力の全てを使い果たしてしまった。……俺は、もう二度とあんな過ちは繰り返したくない。大切な人が、命を削っていく姿なんて、もう見たくないんだ」

こよみさん。
決して超えられない周防さんに立ちはだかる壁。
大切な人、と言ってもらえて嬉しいはずなのに。
言葉を受け取りながら、ひどく周防さんを遠くに感じる。

「君のその優しい気持ちだけで、渚ちゃんは十分に救われている。だから、それ以上のことはしなくていい。……いいね? これは、君を誰よりも心配している、俺からのただ一つのお願いだ」

彼の言葉に一瞬怯む。
憧れの人に、お願いされてしまった。
私は首を縦に振りたくて仕方ない。

(でも……)

俯くことなく、まっすぐに彼を見つめ返す。
私の気持ちを判ってもらうためにも、前に進むしかない。

「……周防さんの、お気持ちは、分かります。私のことを、心配してくれてるんですよね。……ありがとうございます」

こよみさんのようになるかもしれない。
周防さんのトラウマ。
その気持ちは痛いほど分かるから。

「でも、私は、もうただ守られているだけの私でいるのは、嫌なんです。……渚さんの痛みを、自分のことのように感じてしまうから。何もしないでいる方が、ずっと苦しいんです」

これは単なるお節介じゃない。
誇れる自分になるために、きっと必要なことだから。

「こよみさんのようには、なりません。……いいえ、なってはいけないんだって、分かってます。だから、約束します」

私は机に置かれたままの彼の手に、自らの手を重ねた。
本心からの言葉だと、知ってもらうために。
触れれば、きっと、この覚悟が伝わるはずだから。

「命を削るような無茶はしないと、約束します。周防さんの、言うことを、ちゃんと聞きます。あなたの下でなら、私にも、何かできることがあるはずです。……だから、どうか、私にチャンスをください。お願いします」

私に手を触れられたまま、周防さんは動かない。
その瞳は、まるで深淵のように、私の心を覗き込んでいる。
自愛とも、空虚とも思える、読めない瞳で見つめたまま。
ただ、黙って私の言葉の裏にある、決意の熱を吟味するように。

そして、深い溜息をひとつ吐く。
私は、緊張しながらそれを見つめる。

まるで、長い長い計算を終えたかのように、一瞬俯いて。
また顔を上げる。
周防さんの眉は諦めの時に出るような、下がり眉だった。
でも、その広角は上がっていて少し笑ってるようにも見える。

「愛菜ちゃんの勝ちだ。そんなに必死にお願いされたら……俺には断ることはできないからね」

「じゃあ……!」

「ああ。俺から美波に話をつけておこう。癒しの能力については、あいつに聞く方が早い。俺は、そちら方面の才能は皆無だからな」

そういうと、彼は私の手を握り返し、もう片方の手をその上に重ねる。
温かいはずの彼の両手に、私の手は完全に包み込まれ、閉じ込められてしまった。

「でも……気安く触れるもんじゃない。俺だって一人の男なんだからな?」

先ほどまでの、諦めたような声とは違う。
どこか戒めるような、それでいて愉悦を含んだような大人の低い声。
そう言うと、パッと手を解放してくれた。

(えっ、な、何……)

目の前の周防さんの顔が、全く見れない。
心臓がバクバクと、うるさいくらい高鳴っている。
危険な男性である周防さんの一面に、ただ翻弄されるしかなくて。
顔が火照って、耳まで熱い。

私は逃げるように、リビングを出てしまったのだった。


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最終更新:2025年07月29日 02:45