あれから1週間が経った。
今日は経過観察のために、渚さんが診察に来るらしい。
とりあえず、私に癒しの適性があるか見てみる必要がある、と伝えられた。
適性の有無は周防さんの専門分野だとも言っていた。
今日は午後診療の5時過ぎに、渚さんの予約が入っていた。
(いきなり実戦なんて……大丈夫かな)
不安で胸が潰れそうになる。
周防さんがいうには、実戦の対象は渚さんが良いらしい。
対象者への想いが強いほど、その効力も上がるからだと教えてもらった。
渚さんの診察になったら、知らせに来てもらえることになっている。
壁掛け時計は5時20分を少し過ぎている。
いつ、どのタイミングで呼ばれかと時計とにらめっこして30分は経っている。
(何もできないくせに、大きなこと言った気がするよ……)
私は伝説の巫女なのだから、と浮かれていた。
どこかで自分は特別だと思い込んでいた。
なのに、いざとなるとやり方も知らないし、何もできない。
一郎くんや修二くんがスゴイ、冬馬先輩や周防さんが特別な能力の人、くらいの認識だから。
コンコン
「愛菜ちゃん」
ノックに応じて、私は扉を開ける。
「渚ちゃんが診察室に居るから来てくれ」
「はい。わかりました」
緊張で足が竦みそうになる。
命を預かるかもしれない、そんな責任の重さを周防さんはいつも背負っている。
それがどれほどのプレッシャーか思い知らされた。
手をしっかり消毒して、マスクをして診察室に入る。
すると、渚さんがうつ伏せで診察ベッドに横たわっていた。
「本来は資格のない者が診療することはできない。だから、彼女には眠ってもらったよ」
「そう……ですよね」
私みたいな素人相手では、渚さんが不安になってしまう。
当然の配慮だろう。
渚さんはしっかり瞼を閉じて、完全に寝入ってるようだった。
「一週間経って、抜糸は済ませた。渚ちゃんはとても運が良くて、翼そのものには骨がないから、この程度で済むんだ。傷は完全には塞がっていないが、炎症もないし、経過は良好だ」
患部を見ると、あのひな鳥のような手羽はなくなっていた。
その代わりに2カ所、背中部分のキャミソールがめくられ、茶色の消毒液に覆われた縫われた傷口が露わになっている。
「もし、骨があったらどうだったんですか?」
専門的だから説明されてもさっぱり分からない。
骨があると、無いでの違いで、どう違うのだろう。
「もし骨が形成されていたら、ここで手術は無理だな。切除も負担が大きすぎるから、そのまま、という選択になる」
「そうなんですか……」
「それで、今回の趣旨にさっそく移ろうか。愛菜ちゃんは、この傷に自身の能力を転写して回復を早めてもらう。出来るかな?」
(能力……転写……回復を早める……)
全く何を言っているのか分からない。
「あの、具体的なやり方はあるんでしょうか?」
私に出来るはず、と言ったのに。
本当に私は何も知らない。
「そうだな……霊気を集中させないと、こよみのように命を削ることになる。まず、霊脈から霊気を少しずつ自身に集めて、それを手のひらに放出する要領だな」
(レイキ……?)
「あの、レイキってなんですか?」
周防さんは不思議そうに私を見る。
そして、確認するように、ゆっくり口を開く。
「君は伝説通りの鬼。そして、『胡蝶の夢』すなわち、未来そのものを作り出す、奇跡の能力を持っているはずだが……」
(胡蝶の夢?)
何かの呪文のようにしか聞こえない。
まるで数学の授業を受けている時と同じような気持ち。
「胡蝶の夢……私の予知夢はそんな名前なんですか?」
「まさか、君はそんなことも知らなかったのか?」
「はい。最近まで能力とは全く無縁の生活でしたから……」
「何て事だ……」
驚きを隠せず、周防さんが片手で顔を覆い隠してしまう。
そしてしばらく、頭を抱えたまま考え込んでしまった。
「愛菜ちゃんの頭の中を詳しく探らせてくれないか? 俺は……とんでもない勘違いをしてしまったのかもしれないから」
「いいですけど……」
周防さんは私のおでこに手のひらを当てた。
そして、数分、もっと長く数十分、全く動かない。
ひたすら、何かを探るように集中を続けている。
手のひらからひたひたと伝わる何か。
おでこが少し熱いのが、周防さんの言っていたレイキと言うものなのかもしれない。
「んん、……」
渚さんの瞼がピクピクと動き出した。
眉間に皺が寄っていて、眩しそうに顔をしかめる。
もう覚醒が近いのかもしれない。
「大体、分かった。愛菜ちゃんは病室からすぐに出たほうがいい」
「でも……癒しの能力は……」
「それ以前の問題だと分かった。能力を封じられているとは聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。これは、一朝一夕でどうにかなる問題じゃない」
「というと……?」
「誤算だという事だ。俺も愛菜ちゃんについて深入りせずにいたが、完全に裏目だった」
それまで私を映していた、彼の穏やかな瞳から、ふっと光が消えた。
まるで、厚い雲が、一瞬で太陽を覆い隠すように。
呆れとも、諦めとも取れる、突き放したような、冷たい視線。
まるでガラス一枚を隔てた向こう側から、私に注がれるように。
「愛菜ちゃんは今のまま何もせずにいること。この現状こそが望ましいという事だ」
それは、医師が下す、冷徹な「診断」だった。
私の、淡い希望に対する、あまりにも無慈悲な「死亡宣告」だった。
(私、落胆されたんだ……)
ぼう然と立ちつくす私の肩をつかむと、周防さんはそのまま私を押し出した。
そして、診察室の扉のように私の心の扉ごと、完全に閉めてしまったのだった。
最終更新:2025年07月29日 19:24