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(あれ……どこに行ったんだろ?)

キッチンカウンターに飾っていた、コップに挿したツユクサが忽然と姿を消していた。

(私、コップ洗うつもりで花まで捨ててしまったのかな)

カウンターを拭く時にコップを落としていないか、リビング側から覗き見る。
それでも、やっぱり見当たらない。
今度は排水溝の網まで、確認してみる。

(無いなぁ。どこにやったんだろ?)

小さな溜息が漏れた、その時。

「愛菜ちゃん、慌ててるみたいだな。どうかしたのか?」

静かな声に振り返ると、そこに周防さんが立っていた。
首に掛けままのタオルで、濡れた髪の毛を拭き取っている。
後片付けがあったから、先にお風呂に入ってもらっていた。
いつもより、少しだけ無防備で。
こういう仕草をしていると、24歳らしい年齢相応にも見える。

(あっ……)

長袖のTシャツとラフなリネンパンツの寝る前の姿。
何度も見たことあるのに、髪が濡れているだけでドキッと胸が跳ねる。

「えと、周防さん……。その、ここに青いお花があったと思うんですけど……」

しどろもどろになりながら言い訳のように、別の話題を切り出す。

「あぁ。綺麗だったから、俺の部屋に持っていったよ」

「あのツユクサですよね? ただの野の花ですよ?」

周防さんほどの人なら。
花束だって気軽に買えるほどの財力だってあるはずなのに。

「あの花、愛菜ちゃんにとって大切だったのか? だったら返すが」

「いえ……そういう訳でもないですけど」

「俺の部屋に来てみるか? コップじゃなく一輪挿しに挿し直したんだ」

「え……でもいいんですか?」

今日、黙って物色したばかりの場所。
そこに何食わない顔で入ることへの、罪悪感で少し喉の奥が締め付けられる。

「ああ。こっちにおいで」

手招きをする周防さんに誘われるまま、部屋のドアをくぐる。

「……わあ、綺麗な一輪挿しですね」

それはアンティークの、小さなガラスの一輪挿しだった。
くすんだオレンジ色が青を引き立てている。
反対色なのにケンカせず、お互いを尊重しているみたいだった。
長い指先が、そのツユクサをそっと撫でる。

「……もしかして、この花に能力を使ってみたのかい?」

ドキリとした。
彼には、何もかも、お見通しなのだ。

「はい。どうして、分かったんですか?」

周防さんは、健気な花をじっと見つめる。
そして不意に、ふっと微笑んだ。
それは本当に心の底から、優しくて、どこか寂しそうな笑顔だった。

「……花を大事に扱う愛菜ちゃんの姿が。この花の思念から読み取れたからな」

彼は、私の頭をそっと撫でた。
子供にするように、でも、とても大切なものに触れるように。
その不意打ちの温もりに、息ができない。

「あ、あの……」

「ありがとう。君の優しさに、俺はいつも救われてるよ」

それは、いつもの気さくな「お兄さん」でも、冷徹な「医師」でもない。
ただの、傷ついた一人の男が、ほんの少しだけ見せた「素顔」のように思えた。

「……で、でも、ダメでした。やっぱり、私には能力の才能ないみたいです」

俯く私に、彼は、驚くような言葉を返した。

「そんなことはない。まだ荒削りだけど、君の力が、この花に良いほうへ作用しているのが、俺には分かる。……きっとこの花は、普通より少しだけ、長持ちするよ」

「……本当、ですか?」

顔を上げると、真剣な目で静かに頷いていた。

(良かった……!)

心底、嬉しかった。
この人に、認められた。
ただ、それだけのことが、胸の奥を温かく満たしていく。

「昔、こよみが、道端の花を摘んでくるのが好きでね。……その時のものが、まだ、あったんだよ。この一輪挿しはこよみの私物なんだ」

そう言って、満足そうに見つめる彼の横顔。
その姿は、あまりにも優しくて、
あまりにも、穏やかで。
胸が、きゅっと甘く痛むのを感じた。

(ああ、やっぱり、この人はこんなにも、優しい人なんだ)

そう、思った。
なのに。
どうしてだろう。
こよみさんの思い出の品に、私の摘んだ野の花が、収まっている、その光景。
それを見ていると、胸の奥がほんの少しだけ、チクリと、痛んだ。
暗に、あなたのものではないと、言われているような気がして。

「私、今日……周防さんの部屋のものを勝手に触ってしまいました。ごめんなさい」

思わず、本当の事を話してしまっていた。

「食事を共に取ったときから、分かってた。愛菜ちゃんは素直過ぎて、触れなくても罪悪感として伝わることもあるんだ」

「だったら、なぜ注意しなかったんですか?」

いつもなら。
過ちは、すかさずいさめるんじゃないかと、思うから。

「それは……分からない……。君の心をただ、なぞるだけで済むはずなのに、な」

私の目の前で大事そうに、こよみさんの一輪挿しを持ち上げる。
そして、窓際の外が見える場所に、そっと置いた。

「……うん。ここなら仲間も見えるし、寂しくないだろう?」

まるで、ツユクサに話しかけるように。
子供に言い聞かせるように、呟く。
周防さんには私が感じ取れない、草花の気持ちすら判ってしまうんじゃないか。
そう思うと、とても心配になるのだった。






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最終更新:2025年08月26日 05:36