数週間が経った。
ツユクサの一輪挿しの日から、周防さんに対して深い疑念を持つことは少なくなっていた。
とはいえ、日常の管理は相変わらず続いていて。
日中の話し相手は誰もいない。
海岸の風よけの黒松林の松ぼっくりが、少しずつ膨らんでいくのを見つめる。
そんな深まる秋を感じるたびに、人恋しさは日増に募っていった。
(やっとこの日だ……)
ようやく、ひと月が経った。
とても長い期間に感じる。
周防さん以外と話せる、貴重な日。
周防さんは自分のSUVに乗って、墓参りと買い出しに出かけた。
その代診に来るのは、もちろん美波さん。
あの日に話してくれたこと。
自分なりに考えてみた答えてと合わせてみたくて。
スポーツカーが乗り入れると、すぐに駆け寄っていく。
「美波さん。おはようございます」
「愛菜さん、出迎えてくれたんですね。ありがとうございます」
背の低いスポーツカーから、ゆっくり出てくる。
最初は、中性的な見た目からは想像できなかった攻めた車。
「今回も、私と話をしないように、周防さんから言われてますか?」
前回は治療という名目で、少しだけ相談にのってもらった。
その時は、周防さんに接触することを禁じられてると言っていたから。
「そうですね。あまり余計な話はするな、と言われてしまいました」
(やっぱり……)
身体か少しでも接触すれば、心の中まで分かってしまう。
きっと言わないだけで、前回の話の内容も私を通じて知っているに違いない。
「ですが、前回よりも愛菜さんを信頼しているようでした。あの周防にどんな魔法をかけたんですか?」
美波さんは診療所の道すがら、好奇心を込めてのぞき込む。
「特に何も。きっと私が能力者として全くの素人だと分かったから、かもしれません」
管理対象から保護対象に格下げになった。
そんな感じだろう。
相変わらずしょっちゅう血は抜かれるし、腰に注射をされ髄液というのも抜かれた。
バイタルチェックも毎日の日課だ。
この前はWISCっていう知能検査とIQテストもした。
鬼の特性を持つ私が、周防さんにとっては格好の研究対象でしかないのだと、実感する。
「そうですか。愛菜さんも前回より顔色も良い。2人とも少しずつですが、歩み寄っているということかもしれませんね」
(そうだと嬉しいんだけど、な)
「今日は渚さんの診察も午後にあるって、本人から教えてもらいました」
「あぁ、渚さんとは、お友達なんですね?」
「はい。お友達になった彼女のために癒しの力を少しでも学ぼうとしたんですが……周防さんから無知すぎて学ぶ以前の問題だと、呆れられてしまったんです」
「なるほど。愛菜さんはお友達のために癒しの力を持ちたい、と」
「はい」
診療所に入り診察室まで、やってきた。
これから周防さんは仕事があるだろう。
「診察のお邪魔にならないよう、私は戻ります。お昼はこの前と同じで待合室で食べますか?」
私の問に暫し考え込むように、沈黙する。
そして、静かに微笑みながら口を開く。
「今日は天気も良いですし、外で一緒にピクニックでもしましょうか。コンビニのおにぎりでも外だと美味しいですから」
「ありがとうございます。ぜひ御一緒させてください」
(美波さんと昼食。すごく楽しみだな)
ビニールシート、おしぼり、おやつ。
そういう物も必要だ。
昼までの時間、キッチンやパントリーなど色々見て回る。
それでも見つからないから、ゴミ袋を開くように切っていく。
(不格好だけど、無いよりいいよね)
嗜好品のない家におやつは当然なくて。
結局用意出来たのは、水筒のお茶とおしぼり、ゴミ袋で作ったシートだけだった。
お昼になり、美波さんと背の低い草むらに腰掛ける。
ゴミ袋を開いたビニールシートを二重にしている。
「ピクニックで使うゴザがみつからなくて、不格好でごめんなさい」
「大丈夫です。工夫してもてなしてくれるのですから」
ハンカチを濡らしたおしぼりを美波さんに渡して。
私は干し肉。
周防さんはコンビニおにぎり。
それと水筒には麦茶を入れて、目の前に差し出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます。ところで……朝に言っていた事ですが。愛菜さんは癒しの能力を学びたいのですか?」
今朝の会話を覚えていてくれた。
私は身を乗り出す。
「今のままじゃすごく息苦しくて。少しでも出来ることを考えたいんです。お願いします!」
頭を下げ、精一杯お願いをした。
「そうですか。今朝は無知だと言ってましたが、能力はどれくらい使えますか?」
(私の能力……)
「一応、予知夢くらいです。あと、過去視も少しだけできます」
「それは自身でコントロールできますか?」
「いいえ。全くできません」
「そうですか。では、霊気のコントロールを覚えた方が早いですね」
そう言うと、美波さんは自分の両手のひらを器のように合わせる。
5秒ほど黙って、また口を開く。
「いま、私の手のひらには霊気が溢れています。さあ愛菜さん、この両手の中に指を入れてみて下さい」
見たところ、何も変化はない。
「何も見えませんが、霊気があるんですか?」
「見えていなくても、大丈夫。あなたならきっと感じ取れるはずです」
私は器になった美波さんの手の平に指先を入れてみる。
(あれ……)
明らかに、1度〜2度、温度が高い。
「少し温かいです。それに、何だろう……空気とは流れが違う……重い感じがします」
「その通りです。今はまだ見えていませんが、この土地には霊脈が通っています。だからこんな短時間で効率よく霊気を集めることができるのです」
「これが、霊気……」
美波さんの手のひらの中にある、その見えない「重さ」に、全神経を集中させた。
温かくて肌を撫でるような、不思議な感覚。
それはまるで、生き物柔らかな「呼吸」のようだった。
「愛菜さん可能性は計り知れない。この霊気を、ただ感じるだけではないはずです」
確信に満ちた瞳。
その声色は興奮をはらんでいた。
「あなたには……この霊気そのものに、奇跡を宿すことができるはずです」
「奇跡……ですか?」
全く予想外の答えるに戸惑う。
目に見えないものに、奇跡を宿す、なんて。
「あなたの『胡蝶の夢』は、現実を書き換える唯一無二の力。……試しに、心の中で強く願ってみてください。『霊気よ、私の指先に集まれ』と」
言われるがままに、目を閉じ、強く念じた。
すると。
美波さんの、手のひらの中で、ただ漂うだけだった見えない「流れ」が。
まるで磁石に吸い寄せられる、砂鉄のように、
私の指先へと、一斉に、収束していくのが分かった。
指先が、じんわりと熱を帯びる。
「……すごい。集まってきます」
「やはり、あなたは特別です。……普通の人間なら、これだけの霊気を、制御するのに何年もかかる」
美波さんの声には。
隠しきれない驚きと、どこか畏敬のような響きが混じっていた。
その素直な賞賛が、私の凍えていた心に、小さくても確かな「自信」の灯火をともしてくれた。
「では、次に。集めた霊気を、この枯れかけた葉に注ぎ込んでみてください」
注ぎ込む。
どうすればいいのか戸惑っていると、美波さんからアドバイスが入る。
「『癒えろ』と願うのでは、ありません。『本来の瑞々しい姿に、春の訪れを教える』『未来』の姿を強く、イメージするのです」
彼が差し出した、茶色い針金のような松の葉を受け取った。
そして。
熱を帯びた私の指先を、その針葉に触れさせる。
心の中で、強くイメージする。
春の日の、鮮やかな、生命力に満ちた「新緑」の姿を。
その、瞬間だった。
私の指先から、淡い、金色の光が溢れ出す。
茶色かった松の葉は、早送りの映像のように。
失われたはずの「緑」をみるみるうちに、取り戻していったのだ。
「……できた」
実感すら無くて、他人事のように声が漏れる。
私の手の中には枝から摘んできたばかりのような、生き生きとした松の葉。
それは、私がこの世界で初めて、自らの意志で起こした「奇跡」だった。
「……素晴らしいです。これほどの、才能とは……」
美波さんは、そう呟くと──。
不意に何かを、決意したように。
その表情を、引き締めた。
「愛菜さん。……周防は、あなたのこの力を、とても恐れている」
いつもの穏やかなで丁寧な口調とは違う。
大切な機密を暴露するような、慎重でいて大胆な姿だった。
「え……?」
(だって、私が癒しの力を使うことを認めてくれたはずじゃ)
「彼は……愛菜さんを無力な状態で管理下に置くことを望んでいます。……しかし。その力は決して、個人的な『物語』のために、使われるべきではない」
彼の言葉は、遠回しな比喩ではない。
周防さんの側近。
その「支える側」が犯した危険な告白。
「美波さん、それって……」
真意を、問いただそうとした。
まさに、その時。
私たちの、その頭上から。
まるで不意に降り出した、冷たい雨みたいに。
静かで一切の感情を、捨て去った無機質な声が、静かに降ってきた。
「……楽しそうな、レッスンだな。美波」
ハッとして、顔を上げる。
いつから、そこにいたのか。
私たちの顔をのぞき込むように、ぬっと頭上から。
逆光のために、暗い影そのものに見える姿。
カラスのように黒のジャケットを羽織った、出て行ったはずの周防さん。
なぜか、私たち二人を、深海の瞳で静かに見下ろしていた。
「周防……! なぜ、ここに……!」
美波さんの声に、焦りの色が浮かぶ。
周防さんは、美波さんの動揺をまるで楽しむかのように。
その口元だけに、偽り笑みを、ゆっくり浮かべた。
「墓参りが思ったより、早く終わったんだ」
その手には、一輪の純白の菊が握られている。
「そ、そうなんですか。よ、良かったです……」
緊張感で声が上擦る。
動揺を見透かすように、また周防さんが口を開く。
「君たちが、あまりにも熱心に、楽しそうに話をしていたものだから。邪魔をするのは野暮かなと、少し離れたあの丘から、ずっと見ていたんだ」
その言葉に、全身の血が凍りついた。
周防さんは、見ていたのだ。
最初から、全て。
私たちの、ささやかな「反逆」を。
そして、彼はゆっくりと、私の正面に来る。
その足音は、なぜか全く聞こえない。
秘密の「ピクニック」の、中心へと。
黒しかまとわない、日食の太陽そのもので。
抗いがたい静かな支配に、再び侵食されていくのだった。
最終更新:2025年08月26日 05:46