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テーブルには、栄養食のゼリー、ブロック型の固形食、そしてプロテインドリンク。
その隣に、艷やかな赤い馬肉がひときわ目を引くように置かれていた。
いつもなら、茹でたり蒸したりした野菜や肉が並ぶはずの夕食。
けれど今日は――作る気力が湧かなかった。

「いただきます」

周防さんは、何事もなかったかのように静かに手を合わせ、無言で食べ始める。

肉を前にしても、動けなかった。
その鮮やかな赤が、まるで心の奥の何かを抉るようで、目を逸らしたくなる。

「食べられるようなら、少しでも食べなさい。無理な絶食は非効率だ」

いつものように確認を求めるような声じゃない。
静かだが、有無を言わせない強い調子。
それなのに、声の色は驚くほど無機質だった。

「……はい。いただきます……」

喉が張りついたまま、無理に声を絞り出す。
緊張のせいか、胸の奥がきつく締めつけられている。

箸を持った手が小刻みに震えているのが、自分でも分かった。

「愛菜ちゃん、怖がらなくてもいい。君に危害を加えるつもりはないから」

周防さんの声は穏やかで、諭すように優しさすら滲ませていた。

「わかり……ました……」

信じたい。
でも信じられない。
そんな自分が情けなくて、それでも一切れだけ、肉の一番小さな端を箸で掴む。
ゆっくり、口の中に押し込むようにして、噛みしめる。

(……あんなことがあっても、私、食べれてしまうんだ)

口の中に広がる生々しい鉄の味。
それでも、喉は反射的に飲み下してしまう。
私は箸をそっと置いた。

(怖いけど……言わなきゃいけない)

目の前の男は、どこまでも冷静で、無機質な表情を崩さない。
だけど……その冷たさこそが、私の胸の奥にじわじわと怒りと恐怖を積もらせていく。

「あの、周防さん」

「何かな、愛菜ちゃん」

プロテインバーを一口齧った彼は、顔を上げる。
その表情はいつもと変わらず、日常の延長のようにリラックスしていた。

「もう……人の心を、もてあそぶような真似は、やめてください」

美波さんの罪悪感を“増幅”した、と。
その後、その瞳から光が消えた。

渚さん親子の記憶を“消した”とも。
他人をみるような、渚さんの視線。
膝から崩れ落ちた、渚さんのお母さん。

(それはきっと、私を孤立させるため)

「もて遊んでいるつもりはない。あれは……ただの調整だ」

「調整……? まさか、問題ないとでも、言うんですか……?」

「理論的には」

心はその人だけのもの。
他人が勝手に手を加えていいものじゃない。

それを「調整」と呼ぶなんて。
「理論的」に問題ない、はずないのに。

「そんな! やっていいことじゃないです」

声が少し上ずった。
けれど、それは確かな感情の震えだった。
不可侵の領域――私は、そう信じていたから。

それでも、周防さんの表情はまるで変わらない。
あたかも、「今日は曇りだった」とでも言うかのように。
平然と会話を続ける。

「美波には元々、俺に対して罪悪感がある。渚ちゃん達も、記憶を消したのは君に関してだけだ。だから、問題ない」

「……だからって! 問題ないはずが、ないじゃないですか!」

言葉を重ねるたび、胸の奥が苦しくなる。
彼の「正しさ」が、私の「正しさ」を踏みにじっていく。

「でも……俺は。愛菜ちゃんのためにやったんだがな」

「私の……ため……?」

どの口がそんなことを言うのか。
私を一人にして、感情を弄んで、それが“私のため”?
怒りが、喉の奥で煮え立つ。

「周防さんは……私を孤立させて、そんなに楽しいんですか?」

自分の声が少し震えているのが分かる。
でも、それを止められなかった。

「楽しい、楽しくないの問題じゃない。そして、孤立させてるつもりも、ない」

「何を……言ってるんですか……?」

周防さんの言葉は、私の理解を越えていた。
鬼と巫女について調べる、医師と研究者の姿。
そんな私を“観察対象”として匿っていた。
そんなふうに思っていたのに、彼の言葉はどこか、個人的だった。

「じゃあ……! 私の周りの人を遠ざけてまで、周防さんは何をしたいんですか!」

「ノイズ……といえば分かりやすいか。それを排除するために必要だった」

「ノイズ……?」

(雑音ってこと?)

「美波さんや、渚さんたちが……ノイズだっていうんですか……?」

私にとって大切な人たち。
私の側にいてくれた人たちを。
雑音、呼ばわりするなんて。

「君の平穏を乱す者は、全て余計な音だからな」

その瞳は、どこまでも静かだった。
悪意も、怒りも、喜びも、何一つ映していない。
深海の水のように全てを飲み込み、何も返してはくれない。

「私は……周防さんが分かりません」

周防さんの、気持ちがわからない。
会話にすら、なってない。
まるで、一人で壁打ちしているみたいな、虚しさだけが胸を占める。

けれど、周防さんはただ静かに、こちらを見つめていた。
その瞳はまるで、硝子細工のようで。

「怯え、怒り……そんな愛菜ちゃんの感情が分かる。ノイズを排除してもなお、続く負の感情が、見える」

その言葉に、私は背筋を凍らせる。

辺津鏡の能力者――心を覗き、感情を操作する存在。
その瞳の奥に、自分が裸にされているような感覚。

「……もう、食べられません。ごちそうさまでした」

視線を逸らすように、立ち上がる。
足元が少しふらつく。

「まだ、肉は残ってるよ」

「要らないです。もう……部屋に戻ります」

怖い。
なぜ。
ムカつく。
悔しい。
――それに、どうしようもなく、悲しい。

まるで自分の感情さえ、この人に管理されているようで。
私はそれから逃れるように、リビングの扉を強く閉めた。






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最終更新:2025年08月03日 20:40