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あれから、私は一切、外に出ることが許されなくなった。

勝手口の扉が、ある日突然、開かなくなっていた。
何度力を込めてもびくともせず、まるで外の世界そのものが、私から隔絶されたように感じた。

(……周防さんが、何か細工したんだろうな)

確信はある。
けれど、どういう仕組みなのかは分からない。
ただひとつ分かるのは、私の世界が、この家の内部だけに狭められてしまったということだ。

それでも、時間は容赦なく過ぎていく。
不安も恐怖も、日々の繰り返しにすこしずつ摩耗し、淡い疲労感に溶けていった。

その日も、私は流し台で食器を洗っていた。
泡立てたスポンジを滑らせる動作は、何も考えないための一種の儀式みたいなものだった。

と――不意に、勝手口の取っ手が、動くのが見えた。

泡の手のまま、息を呑んで扉へと駆け寄る。

「おっと」

入ってきた周防さんに、真正面からぶつかりそうになる。
けれど私は構わず、そのまま彼の脇をすり抜けようと踏み込んだ。

その瞬間、背中から大きな腕が回り、抱きすくめられた。

(あっ……!)

心臓が、飛び跳ねた。
体がびくりと反応してしまったのは、単なる驚きじゃない。
――まだ、私は。
どこかで彼を「特別」に想っている証だった。

「は、離して下さい……外に出して!」

理屈じゃない。
私を助けようとしてくれた、美波さん。
記憶を消されてしまった渚さん親子。
私を取り囲んでいた、温かい世界。
それらを思い出すたび、許せない気持ちがこみ上げる。

「今度、外に出たら……愛菜ちゃんは、何をしてでも逃げる」

「――判ってるなら、家に返してください!」

泡まみれの手で必死に振りほどこうとして。
その手のひらが、彼の顎にクリーンヒットする。

「……っ、痛っ」

その一瞬の隙をついて、開け放たれていた勝手口へ駆け寄る。

けれど、私の手が扉に触れるよりもわずかに早く――
「カチリ」と音を立てて、鍵がかけられた。

「……開かない……!」

「俺しか出入りできない結界が張ってある。何をしても無駄だ」

「結界……」

思い出す。
冬馬先輩が、私の家に結界を張ってくれていたときのこと。
あのときの温かさと、今のこの閉塞感の違いに、胸が締め付けられる。

「……ああ。だから、諦めるんだな」

そう言って、彼はようやく腕を解いた。

私は咄嗟に数歩後ずさり、壁に背をつける。
心臓の音だけが、やたらと耳に残っていた。

ふと、彼の顎を見ると、そこには泡が少しついていた。
赤くなった肌を、彼は無造作に手の甲でぬぐう。

その手に、青い小さな何かが握られているのが見えた。

「……それは、ツユクサ……?」

「一輪挿しの花がなかったから、摘んだ」

ああ――なるほど。
だから今日は、扉が開いた。
外に出ていたのは、それだけの理由。

(それだけ、のはずなのに……)

「野の花を……無闇に摘まないでください」

彼は少し眉を寄せた。

「でも、君は以前、摘んでいた」

「違います。あのときは……踏んでしまって、元気がなくなっていたから、せめて水をあげようとしただけです」

あの一輪に、自分を重ねたのだ。
弱っても、誰かの手で救われたい――そう願った自分を。

「そうだったのか……」

「私を閉じ込めておくなら……せめて、私の願いくらい、聞いてください。
もう、元気な花を摘まないと――約束、してくれますか?」

一瞬、周防さんの表情が固まる。
何か、機械のように「理解」を計算しているようにも見えた。

けれど、やがて静かに頷いた。

「……分かった。愛菜ちゃんが望むなら、もうしないと約束しよう」

(……あれ?)

思わず、気が抜ける。

あまりにも素直で、聞き分けがいい。

人の心を平気で操作し、私を隔離しておきながら。
その人が、野の花一輪でこんなにも簡単に約束を口にする――。

(この人の“優しさ”って、いったい……)

また一つ、心の中に新しい疑問が芽生えた。
それは疑念というにはあまりに淡く、けれど確実に私の中に根を張っていくのだった。




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最終更新:2025年09月12日 17:59