(心の一部が……戻ってくる)

削られたまま剥き出しだった断面に、温もりがゆっくり沁み込んでくる。
それは、忘れていたはずなのに──懐かしい感覚だった。胸の奥がじんわりと満たされていく。

「これで──また、テレパシーが使えるはずです」

冬馬先輩が立ち上がり、ほとんど独り言のように告げた。

『……冬馬先輩、聞こえますか?』

半信半疑で呼びかけると、間髪入れず「何ですか? 愛菜」と首を傾げられる。
その瞬間、胸がふっと熱くなった。
──繋がった。

「ううん、なんでもない。それより……」

私はごまかすように首を振り、掌のサンストーンを握りしめる。
橙色が指の間からこぼれ落ち、海からの光と混ざって淡く揺れた。

「これ……春樹からもらったんだよね?」

先に車へ向かう渚さんのお母さんの背を目で追いながら問いかける。

「はい。ただ──託してきたのは熊谷裕也です」

(熊谷さん……)

私を逃がすため、周防さんに立ちはだかったあの姿。
胸の奥がざわめき、呼吸が浅くなる。

「熊谷さんは、無事なの!?」

声が思わず強くなる。
冬馬先輩は一拍置いてから、変わらぬ調子で答えた。

「怪我はしていましたが、生きています」

胸の緊張が一瞬だけほどけ、同時に締めつけられる。
私を助けるために、傷ついたから。

「彼はサンストーンを春樹さんに渡しています」

「……春樹に? だったら……春樹が直接、来てくれれば……」

心臓が早鐘のように鳴り始める。
嫌な予感が胸を占めていく。

「それは無理です。なぜなら、春樹さんは今、あなたの血を輸血していますから」

耳鳴りがして、足元がわずかに揺れた気がした。
やはり自分の血が。
よりにもよって──弟の春樹の体に。
反主流の周防さんに渡した血液が、なぜ春樹に渡ったのか。
疑問が、また増えていく。

「……どうして主流派に行った春樹に私の血が……」

「覚醒の条件。それを鬼から聞いたと。あなたの血を取り込めば、能力が覚醒すると教えてられたようです」

「鬼……って、私のこと?」

声が震える。
神託の巫女は鬼の姫。
周防さんから何度も鬼の身体を持つと、呼ばれてきたから。

「半分は正しい。もう一つのあなた──別人格が、深夜に春樹さんへ覚醒を促したそうです」

「私が……寝ている間にってこと……?」

胸の奥が冷たくなっていく。
別人格の存在は、身に覚えがある。
それは日を増して強くなる、から。

「しかし、上手くはいかなかった。だから、僕に託されたのです」

「上手くいかないって……春樹は無事なんですか!?」

焦りで喉がひりつき、息が乱れる。

「普通、能力は生まれ持つものです。無理な覚醒は身体に甚大な負荷をかけます。今は、恐らく動けない」

頭の奥で、春樹が崩れ落ちる映像が勝手に浮かんだ。
呼吸が詰まって、息苦しい。

「彼は、あなたの夢を見たそうです。周防に囚われ、閉ざされた部屋から出られないあなたを。だから、熊谷をここに寄こした。しかし、その計画は阻止された」

「……だから、先輩のところに……」

喉の奥に何かがつかえ、言葉が掠れる。

「確認した訳ではありませんが、熊谷裕也よりも、春樹さんの方が重症かもしれないです」

「そうなんだ……」

重症という言葉が、氷の塊のように胸に沈んだ。

「正直に言えば、熊谷裕也が倒されたのは、周防が手強いからです。神器や神宝の中でも唯一無二の力。それに対抗できる手段は──今はありません」

「ない……?」

握ったサンストーンの角が手のひらに食い込み、じわりと痛みが走る。
その痛みすら、どうにか現実を繋ぎとめる感覚だった。

「僕は周防と戦ったことはないので、確証はありませんが」

冬馬先輩の声は相変わらず平坦で、私の焦りとは対照的だった。

「……とにかく、車に。方法は必ずあります」

「……うん」

高く昇った太陽が車のボンネットを照らし、目が焼けるように眩しい。
その光を振り払うように、私は冬馬先輩と並んで歩き出した。





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最終更新:2025年08月11日 18:38