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春樹の部屋に、重苦しい沈黙が満ちていた。
窓の外には満月。
その青白い光が、部屋の隅にある「自動給餌器」と、その横に佇む「黒い影」をぼんやりと照らし出している。

「……時間だ」

周防さんが、腕時計を確認して短く告げた。
その手には、黒曜石のように艶やかな円盤――神宝・辺津鏡(へつかがみ)が握られている。

「いいか、手順を説明する。これは降霊術じゃない。『システム復旧(リカバリー)』だ」

周防さんは、医師がオペの手順を説明するように淡々と語り出した。

「現在、黄泉醜女、愛菜ちゃん、この影のマナ。この三つのデータはバラバラに存在している。これを統合し、パスを通すには、強固なサーバーが必要だ」

彼は、ソファに座る春樹を顎でしゃくった。

「それがお前だ、春樹。
 お前が1500年の因果と、50回のループを観測し続けた記憶領域。そこだけが、彼女たちを収容できる唯一の『会議室』になる」

「俺の……記憶……」

春樹の顔色は蒼白だった。
ただでさえ睡眠不足と過労で限界に近いのに、その瞳には明らかな「拒絶」の色が浮かんでいる。

「待ってください、周防さん。
 俺の中に入れるってことは……姉さんに、俺の『中身』を見られるってことですか?」

「当然だ。お前の深層心理が舞台になるんだからな」

「だ、駄目だ……! それだけは……!」

春樹がガタッと立ち上がろうとする。
不自然なほどの、焦り。

「姉さんに……あんな汚いものを見せるわけにはいかない!
 俺は……俺は弟でいなくちゃいけないんだ!」

「春樹、落ち着いて……」

私が声をかけようとした瞬間。
周防さんの目が、冷徹な光を帯びた。

「……問診は終わりだ。麻酔(これ)を使うぞ」

周防さんの手が、春樹の額に伸びる。
その指先が、電子回路のような幾何学模様に発光した。

「嫌だ、やめろ……姉さん、見ないでくれ……!」

「暴れるな。――Force Sleep(強制シャットダウン)」

周防さんが低く呟いた瞬間。
春樹の身体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
抵抗する間もなく、意識の電源を強制的に落とされたのだ。

周防さんは倒れる春樹を無造作に受け止め、ソファにドサッと転がした。

「……手のかかる従兄弟だ」

周防さんは、春樹のジャケットのポケットから、一冊の「黒い手帳」を抜き取った。
角が擦り切れ、膨れ上がったその手帳。
あの子が50回のループと、1500年の因果を書き留め続けた「夢日記」だ。

「まずは、こいつ(OS)をセットする」

周防さんは手帳を春樹の胸の上に置き、その上に重ねるように「辺津鏡」を置いた。
手帳と鏡が共鳴し、鏡面が水面のように波打ち始める。
それを見た周防さんのこめかみに、一筋の脂汗が流れた。

「……チッ。想定よりデータが重い。
 1500年分の妄執か……」

彼は小さく舌打ちすると、私に向き直った。

「さあ、次は愛菜ちゃん。お前さんの番だ」

「……はい」

私は、眠る春樹のそばに膝をつく。
彼の顔色は悪いけれど、今は安らかに見える。
私はそっと、彼の右手に触れた。

手の甲にある、禍々しい「黒いアザ」。
マナとの契約の証。
50回繰り返された呪いの楔。

(痛かったよね。重かったよね……)

指でアザをなぞる。
ただの、普通の手に戻してあげたい。

「……待て。鏡を見る前に、やることがあるだろう」

周防さんが、顎で部屋の隅をしゃくった。
そこには、主人が眠ってしまい、所在なげに揺らめく黒い影――マナがいた。

「あいつが何を愛していたのか。
 お前さんが何を切り捨てたのか。
 ……その手で確かめてから行け」

私は、恐る恐る手を伸ばした。
空を掴む指先が震える。
冷たい冷気や、触れられない煙のようなものを想像していた。

けれど。

「……っ」

私の指先が、影の輪郭に触れた瞬間。
伝わってきたのは、「熱」だった。

(温かい……?)

それは、驚くほど人間臭い、生身の体温。
それも、平熱じゃない。
恋に焦がれたような、あるいは高熱にうなされているような、微熱を帯びた湿度のある温もり。

私は、思わずその影の「頬」にあたる部分を、両手で包み込んだ。

「……そっか」

ストン、と胸の奥に何かが落ちた。
怖いわけがない。
だってお化けじゃない。
幽霊でもない。

これも、私の命。
私が切り捨てて、春樹が拾い上げた、「誰かを愛してやまない、情熱の塊」だ。

(同じだった……)

冬馬先輩を想って泣いた夜の私と。
春樹を想ってそばに居続けた彼女と。
根っこにある「熱」は、全く同じだったんだ。

影が、私の手のひらにすり寄るように揺れた気がした。
拒絶されていない。
むしろ、寂しがっている子供のように、私の体温を求めている。

「……行こう、マナ」

私は、影に語りかけるように呟いた。

「春樹の中で、話をしよう。
 ……言いたいこと、いっぱいあるんでしょ?」

影が、音もなく鏡の中へと吸い込まれていく。
私もまた、その熱を手のひらに残したまま、辺津鏡を覗き込んだ。

もう、怖くはない。
そこにあるのは、ただの「私自身」なのだから。

「行け。……俺が外から、回線を維持してやる」

周防さんが、私の額に手をかざす。
視界がノイズに覆われる。

「ただし、覚えとけ。
 そこにあるのは『真実』だけだ。
 ……見たくないものも、全部見る覚悟でな」

その言葉を最後に、私の意識は鏡の奥底へとダイブした。





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最終更新:2025年11月28日 16:56