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あれは9歳のころだった。
『魔法の国』といういま思えばなんとも胡散臭い者たちに選ばれた選別試験。
クラスメイトの一人が召喚した悪魔が暴走し、瞬く間に私以外の者は全員殺された。
だが、私だけは生き残った。私が特別な訳ではない。犠牲者との魔法の差などでもない。ひとつ間違えば、私もまたクラスメイトたちの肉塊のひとつと成り果てていただろう。
それでも私は生き残った。見知った者たちの赤黒い血に、臓物の異臭にまみれ。それでも、いまこうしてこの場に立っている。
私と彼らの違いはなにか。この試験はそれを嘘偽りなく教えてくれた。
悪魔がクラスメイトどころか管理人の誰にも止められなかったのは悪魔がそれだけ強かったからであり、私が悪魔を乗り越え生還できたのは私が他と比べて強かったからだ。
―――命のやり取りの果てに掴むものこそが、真の強さである。
その真理こそが戦いの、力の全てだと理解した。
だが、『魔法の国』はそれを事故と片付けその本質を覆い隠した。
本来はこうあるべきだと見せられたものはあまりにも生ぬるく、かったるく、だるかった。
敗者は平気で照れ笑いを浮かべ、勝者も大手を振って皆から祝福される。
そうじゃない。そうじゃないだろう。
そんなものになんの価値があるというのか。
私はそれが気に入らなかった。
こんなつまらないもので人智を越えた力を手に入れていいのか。
私があの事故から手に入れた『本物』はなんだというのだ。
私はどうしてもそれが許せなかった。
だからファヴと交渉し選抜試験のマスターなどと面倒な役割も請け負った。
互いに取り返しのつかない大切なものを奪い合い、殺し、殺され、その結果残った者がようやく『勝者』となる。
それが人智を超えた力を持つ者たちの在るべき姿だ。嘘偽りのない真実だ。
それを証明するために、私―――クラムベリーという魔法少女は戦い続けてきた。
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あれは数年前のことだった。
まだ『魔法』の魔の字も知らないごく普通の女の子だったころ。
私は交通事故で両親と普通の人間としての命を失った。
私は生きてしまった。特別に運がよかったわけではない。ただ、ほんの一言が言えなくて。私自身の願いの一部だけが口に出てしまって。
結果的に私だけが生き残ってしまった。両親が助かる道を閉ざしてしまった。
後悔は山ほどあったし、もう死んでしまおうと思ったこともある。
けれど、ここで諦めたら両親の死は本当に無駄になってしまう。
私が戦わなければ、この街の人が魔獣の犠牲になってしまう。
そう思いこむことで、怖い戦いにも頑張って耐えてきた。
自分がどれだけ傷ついても、褒めてくれる人がいなくても、頑張って魔獣と戦うことができた。
最初は魔法少女からも理解されなくて、とても辛かったけれど、やがて私の戦いに賛同してくれる子たちがやってきてくれて。
嬉しかった。私のやってきたことは間違いじゃなかったと思えるようになった。
誰かのために戦うことは決して間違いじゃない。
それを証明し続けるために、私―――巴マミという魔法少女は戦い続けてきた。
☆
それは最早人の身で行われている光景とは思えなかった。
魔法少女たちが衝突する度に、建築物は次々に破壊されていく。
クラムベリーの立つ場所に放たれる弾幕は瞬く間に視界を土埃で覆い隠す。
その煙が晴れるのを待たずして上空へと突き破る影がひとつ。
クラムベリーはビルの壁を蹴り地上へ向けて加速する。その様はまさに隕石のようである。
速度の伴った前蹴りをマミは交差させたマスケット銃で受け止めるが、しかし抑えきれず。
マスケット銃はへし折れ、直撃こそはせずともマミの身体は地面を跳ね、後転しながら大きく吹き飛ばされしまう。
マミは壁に激突する寸前に背後にリボンの網を展開、衝撃を緩和する。
平衡感覚がままならない状況、しかしクラムベリーから注意を逸らしてはならない。
その心づもりが幸いし、クラムベリーの低空からの踵落としの回避に成功。
避けられた踵落としは地面を砕き砂塵を巻き上げる。
その砂塵に紛れ放たれるは、クラムベリーのこめかみへのマミの回し蹴り。
いくら頑丈な魔法少女とて、頭部に衝撃を受ければ怯まざるを得ない。
ぐらり、と傾いたクラムベリーへとマミは追撃の蹴りを放つ―――が、届かない。
当たる寸前にクラムベリーはその足を掴んでいたからだ。
間髪入れずクラムベリーはマミの足を強力な力で握りしめ、加えて打撃もいれる。
ゴキリ、と鈍い音が響き、常人なら意識が飛ぶほどの激痛がマミを襲う。
クラムベリーは思わず口角を吊り上げる。
これだ。これを待っていた。
自分が手こずるほどの強敵を打ちのめし蹂躙するこの感触。これを味わうことこそがクラムベリーの生き甲斐だ。
マミは涙が出そうな激痛をそれでも堪え、この瞬間を防衛ではなく攻撃に利用した。
握られている足を支点にしての頭部への蹴撃。当然、これはクラムベリーのもう片方の手で止められる。
それを狙ったかのように、マミはマスケット銃をクラムベリーへと突きつける。
クラムベリーは眼前に突きつけられたそれをのけ反り躱しつつ、マミの両脚から手を離しオーバーヘッドキックの要領で背部を蹴りつける。
背中に走る激痛に耐え、落下中にありながらも照準を狙いすまし引かれた引き金。その弾丸はクラムベリーの腹部に着弾した。
互いの顔が苦悶に変わるのも束の間、二人はすぐに次なる行動へと身を翻す。
クラムベリーは腹部の痛みなどものともせずにマミを追い、対するマミは高所にリボンを放ち括りつけリボンを縮めることで宙へと舞う。
跳躍し更にマミを追うクラムベリー。彼女に対し、マミはそのまま逃げるのではなく逆にリボンで反動をつけ迎え撃った。逃げたところですぐに追いつかれるという判断からだ。
両者は空中で衝突し、拳と銃が交叉する。
打ち、躱し、撃ち、躱す...
そんな目にも止まらぬ速さで行われる攻防を交わしつつ、二人は重力に従い落下していく。
着地の寸前で二人はほぼ同時に弾き飛ばされるように距離をとる。
(どこまで羽ばたけるというのですか...巴マミ!)
(この人、強い...私の戦ってきた今までの何者よりも!)
片や純粋な称賛を、片や純粋な焦燥を抱くが、それが相手に届くことは無い。
ザリザリ、と両者とも指で地面を削り勢いを抑え、息をつく間もなく次なる技の準備へと移る。
マミの手に巨大な銃が模られていくのを見て、クラムベリーも己の魔法の行使を決心する。
(あまり使いたくありませんでしたが)
「ティロ」
クラムベリーは、自分の魔法を攻撃に用いることはあまりない。
というのも、彼女の音を自由自在に操れる能力は対人戦闘においては強すぎる。
彼女のレベルになれば、音波などという生易しいものではなく衝撃波めいた攻撃もできるし、更に応用をすればまともに戦うことすらなく相手を殺害できたりもする。
極力、戦闘を愉しみたいと考える彼女は、それ故に極力攻撃での使用を避けてきた。
(ですが、あなたなら問題ないでしょう、巴マミ)
だから、いまここでその魔法を使うということは、この強力すぎる魔法を使っても構わないほどの強敵であると認めたということだ。
己の最大の技をぶつけ合う。これほど解りやすいシチュエーションもないだろう。
「―――大爆音(フォルティッシモ)」
「フィナーレ!!」
二人の声が重なり、両者の大技が同時に放たれる。
大砲と巨大な衝撃波の衝突は、大気を揺らがし、地を、建物を削り、その周囲には何物をも存在を許さない。
両者の意思が、想いが込められた二つの強大なエネルギーは、やがて収束し辺りを閃光に包む。
起こるのは、ミサイルでも落ちたのかと間違うほどの爆発。
それは周囲のものを根こそぎ飲みこみ塵と化していく。
その中心に残されたのは半径20メートルほどの巨大なクレーターのみだった。
「...まさか、相殺するとは」
己の技の起こした惨状を見下ろしながら、クラムベリーはポツリと呟いた。
技が衝突した直後に、爆発の被害を避けるため、ビルの壁を蹴りつつその屋上まで昇っていた。
そして、それは巴マミも同様で、彼女もまたリボンで近くのビルの屋上へと昇り己の魔法で折れた足の治療をしていた。
「正直に言って驚きました。あの技には自信があったのですが」
「その割にはあまりショックを受けないのね」
「当然です。これほどの強さを持つあなたに勝利を収めた時、どれほどの喜びが待ち受けているか...想像だにできません」
二人は、今の攻防でだいぶ力を消耗してしまった。
しかし、まだ動ける。まだ戦える。
どちらかが動けるまでクラムベリーは戦いを止めようとは思わないし、マミも大人しくやられるわけにいかないと抵抗を余儀なくされる。
己の必殺技をぶつけ合う最高のシチュエーションを終えても勝負はまだ終わらない。
だが、この戦いもそう遠くない未来で終わってしまう。
人智を超えた者、その中でも上位の者同士が戦っているのだ。結末はどちらかの死でしかありえない。
だから、いまここで、戦況が動かないこの状況でクラムベリーは伝える。
眼前の強き魔法少女へと、純粋な敬意を込めて。
「感謝します、巴マミ」
クラムベリーはこの戦いをこれ以上なく楽しんでいた。
今回の魔法少女選抜試験では、一番の強者だと認めていたヴェス・ウィンタープリズンが呆気なく死んだことでやる気を半分程は削がれていた。
そんな折にこの戦いへと興じることができた。
一手一手が互いの死に近づき、死に追いやっていく本当の戦い。一歩間違えば自分が死に、一歩手繰り寄せれば勝者となる、かつての悪魔を彷彿とさせる真の闘争。
今までの強者の中でも5指には入る実力を持ってして、互角の戦いを演じてくれたのだ。クラムベリーはこれ以上なく満たされていた。
あとは、巴マミの命を獲ればもう言う事は無い。ここで脱出してしまうことになっても悔いはない。
「礼を言うくらいなら、もう誰とも戦わないでくれると嬉しいのだけれど」
一方のマミはこの戦いをこれっぽちも楽しんでなどいなかった。
そもそも彼女は痛いのだとか恐いのだとか、そういったものがついてくる戦いが怖かった。
己の技に名前をつけるのだって、幼いころにアニメで見た魔法少女のように名前をつけて叫ぶことで恐ろしい戦いの中で自分を奮い立たせるためである。
一人で活動していた時は常に我慢し続けてきたし、そうしなければやっていられない程には戦いが嫌いだった。
マミはクラムベリーとは違う。戦いなんかよりも友達と遊んだりスイーツを食べたりするのが好きな年頃の娘である。
だから、自分と互角の敵なんて欲しくは無いのも当然である。
「無理です。私は強い相手を凌駕し勝利するのが生き甲斐ですから」
「...そう。残念だわ」
戦いを通じ強者が互いに認め合う。立場の違う強者たちが明日には肩を並べて酒を飲み交わす。
そんな王道的なシチュエーションもこの二人にはありえない。
性格、戦闘スタイル、行動方針。なにからなにまで噛み合わず、互いに妥協など考えつかないのだから尚更だ。
二人の視線が空中でぶつかり火花を散らす。
おそらく、これが正真正銘最後の衝突。
あと数分後に戦場に立つのは一人。勝者は生存、敗者は死。
彼女たちの戦いは、それでしか終わらせることができない。
互いに踏み込み、決着に臨む。
瞬間。
クラムベリーは聴き取った。
背後より高速で迫るなにかを。
そのなにかに対処しようと振り向くも、間に合わない。
突如飛来した真っ黒な影は、クラムベリーへと飛びつき屋上より突き落とす。
ここまでやられればもう為す術はない。あとは落ちるだけである。
その影の正体が、先程逃がした佐山流美だと知ったクラムベリーは驚愕した。
「ひっ、ひぃっ!」
流美は涙目になりつつも、次なる行動に移る。
懐より抜くのはナイフ。これを突き立てんと流美はクラムベリーへと振るう。
(死ねっ、死ねよ!)
だが、ナイフはあっさりと弾かれ彼女達よりも早く地上へと落下する。
(マズイ、マズイマズイマズイ!)
伸ばされるクラムベリーの掌から全力で逃げるように彼女の身体を踏み台にして跳躍。
そのまま、先程の屋上へと手を伸ばすが―――届かない。
外壁を掴むための手は空を切り、その身は重力に従い呆気なく落ちてしまう。
まさにピンチ。流美の涙が宙へと零れ落ちる。
「佐山さん!」
彼女の救いとなるのは、もう一人の魔法少女の声。
マミもまた、流美を救うために屋上から跳び下りたのだ。
屋上にリボンを縛り付けたマミは、サーカスの空中ブランコの要領で流美の腕を握りしめ、身体ごと抱きかかえる。
その温もりを肌で感じながら、流美はちらりと地上を見る。
この高さから突き落とされたのだ。流石にあの怪物も死んで...
「私としたことが、少々不覚をとりました」
否。クラムベリーは生きていた。
コキコキと首を鳴らしつつ、落ちる前とほぼ違わぬ様相でだ。
たかが屋上より突き落とした程度では、クラムベリーを殺すことなど不可能だったのだ。
地上より見上げるクラムベリーに、流美の喉がヒッと鳴る。
間違いなく怒りを向けている。
まともに戦えば、間違いなく殺される。
その恐怖を堪えるかのように、流美は強く掌を握りしめた。
一方のマミは、そんなことでは一々驚かない。
むしろ、あれほどの戦いを演じておいてあの程度で死ぬとは考えられなかった。
クラムベリーがケロッとした顔で立ち上がったところで、それもそうだろうという感想があるのみである。
だが、マミの気持ちになんの変化もないかといえばそうでもない。
巴マミは浮かれていた。
彼女は魔法少女として多くの人間を守ってきたが、それを魔法少女以外に知られることはなく、守ってきた人々がマミの力になってくれたことなど一度もない。
だから、流美を逃がした時もそんなことは期待せず、いつも通り魔法少女として一般人を守ろうとしただけだった。
だが、彼女は戻ってきた。どんな形にせよマミを助けようとしてくれた。
それが溜まらなく嬉しい。
自分の重ねてきたことは間違っていなかったと胸を張って言えるような気がした。
己の胸に顔を埋めた流美が震えている。
そっと手を頭に乗せると、流美の身体がビクリと反応した。
「ごめん...巴さん」
「大丈夫よ、佐山さん。私があなたを守るから」
声に出して、改めて決意する。自分は絶対に一般人を見捨てない。
必ず守り抜いてこの殺し合いを止めてみせると。
(守る人がいれば、私はいくらでも強くなれる。なってみせる)
身体が軽い。もう何も怖くない。
独りではなくなった巴マミに、恐れるものなどなにもない!
ブスリ、と巴マミの背中に刃物が生えた。
ぇ、と小さく声が漏れ、リボンは力を失くしたように頭を垂れてはじけ飛んだ。
自分に起きたことの理解に頭が追いつかなくて。
落ちながら、雪のように消えていく魔法の粒子を眺めることしかできなかった。
何故、どうして、意味がわからない。
答えはまだ出ていない癖に、マミの目からは既に涙が溢れていた。
最終更新:2017年03月23日 20:46