これは、あの卒業式から二十年以上が過ぎた十二月のお話……





――駅前の大手スーパーにて。

和(にんべんのつゆの素が418円? “激安”なんて言ってるけど底値は299円じゃない。
  私は騙されないわよ)ジーッ

和(ふむ。厚揚げ二枚入り1パック78円は底値ね)チラッ

和(けど、厚揚げは消費期限がせいぜい三日と短い上に、冷凍出来ないのよね。二人で一回に
  食べきれる量は一枚だし…… んー……)

和(……よし。いける。買いましょう)ピコーン

和(ニラ二束が88円。三つ葉一束が39円。この辺も押さえておいて……)

和(ええと、あとは1本92円の低脂肪乳を2本買ってと……)スタスタ

和(あら、今日はブリが安いのね。切身が480円…… ん……?)ピタッ

和(ということは!)ハッ スタスタスタスタ

和(やっぱり……! ブリのアラが198円。これは買いね。今日はこれと冷蔵庫にある大根で
  ブリ大根にしましょう)サッ



店員「ありがとうございましたー」

和(今日はいい買い物が出来たわね。さあ、早く帰って晩ご飯の支度をしないと、あの子が
  帰って来ちゃう)

風子「和ちゃん? 和ちゃんじゃない? こんばんは」タッタッタッ

和「あら、風子じゃない。こんばんは」

風子「同じスーパー使ってるのに、あまり会わないよね」

和「そうね。私は仕事が終わってからだから、すれ違いになってるのかも」

風子「やっぱり弁護士の仕事って忙しい?」

和「忙しくないって訳じゃないけど、仕事に追われているって訳でもないわね。就業時間内は
  キッチリ仕事をするけど、6時になったら定時退勤よ。定時に帰る為なら、どんな案件でも
  喜んで引き受けるから」

風子「ふうん。何だか私が考えてた弁護士のイメージとちょっと違うなあ」

和「そう?」

風子「それにさ……」ジーッ

和「何よ。人の顔をジロジロ見て」

風子「いや、和ちゃんはいつまで経っても若々しくて綺麗だなあ、って思ってね。同じ42歳とは
   思えないよ、ホント。やっぱり専業主婦なんてやってるから、どんどん老け込んじゃう
   のかな」

和「何言ってるのよ。風子だって綺麗じゃない。ご主人に大事にしてもらってるんでしょ?
  たしか外国の方だったわよね。マーティさんだっけ?」

風子「あ、いや、えーと、日本人なんだけどね。んー、それはまた今度……」

和「まあ何にせよ、風子もご主人のことは大事にしてあげなさい。 ……あっ、悪いけど、
  私そろそろ行くね。晩ご飯の支度をしなきゃ」

風子「うん、またね。今度、ウチに遊びにおいでよ」

和「そうね。そのうちお邪魔するわ。じゃあ、また」



――和の自宅マンション。キッチンにて。

和(大根はかぶるくらいの水で、水から火にかけて下茹で。煮立ったら中火にして少なくとも
  10分は煮る……)コトコトコト

3 :和「きのう何食べた?」 :sage :2013/12/23(月) 17:30:16 ID:E6M7KVrY0(19)

和(次に、ブリのアラには全体に塩を振って、10分ほど置く……)サッサッ

和(そして、大根とは別の鍋にお湯を沸かして、そこにブリのアラを入れる……)グラグラグラ

和(で、表面の色が変わったらすぐ取り出して、流水で鱗や血の塊を洗い流す……)ザーッ

和(さて、鍋にしょうがの薄切り一欠分、酒100cc、砂糖大さじ3、みりん70cc、醤油50ccを
  入れて煮立てて、そこにまずブリのアラを入れて中火で10分ほど煮る……)グツグツグツ

和(そうしたら、一旦ブリは煮汁から取り出して、代わりに同じ煮汁に水400ccを足して
  煮立ててから、大根を入れて30分くらい煮る。こうすると大根に味が染みて、しかも
  ブリがパサパサにならない……)コトコトコト

和(で、この間にニラ一束をサッと茹でて、だしで割った醤油をかけておひたしにする、と……)

和(で、もう一品は厚揚げ。まず、熱湯でサッと油抜きをして……)グラグラグラ

和(そして、ネギ味噌を作る。長ネギみじん切り、鰹節1パック、味噌ティースプーン1杯、
  酒とみりん少々、醤油一垂らしを全部練って……)チャッチャッチャッ

和(厚揚げを横半分に切ったら、外側の皮一枚を残して真ん中に包丁を入れる……)スッ

和(で、そのポケットにネギ味噌を詰めて、オーブンで10分ほど200℃でこんがり焼いて
  出来上がり……)

和(あと、汁物は簡単に、今日買った三つ葉と卵でかき玉汁に……)

和(さあ、そろそろ大根に味が染みてきた頃だから、ブリの身を鍋に戻して、煮汁が少なく
  なってツヤが出るまで少し火を強めて、煮汁をブリにかけながら煮る……)コトコトコト

和(そして、ここらであの子が帰ってくる、と……)

唯「ただいまー!」バタン ガサガサ

和(む…… ビニール袋の音…… まあ、それは後にして、最後にブリと大根を器に盛ったら、
  しょうがと柚子の千切りを乗せて、今日の晩ご飯の完成……)

唯「和ちゃーん、帰ったよー」ガチャッ

和「おかえり」

唯「今日のご飯なぁに?」

和「唯、またコンビニで何か買ってきたのね。ちょっと見せなさい。アイス?」

唯「え? あ、えーと、ハーゲンダッツ……」

和「ハーゲンダッツは金曜日になれば、駅前のスーパーで二割引きになるのに。どうして
  わざわざコンビニの正価で買うのよ」

唯「だって、新製品だったんだもん……」

和「そう。そのアイス代は家計から出さないから。あんたのお小遣いで賄いなさい」

唯「はい……」ショボン

和「さあ、ご飯にするわよ」

〈今日の晩ご飯〉
 ・米飯
 ・ブリ大根
 ・厚揚げの味噌挟み焼き
 ・ニラのおひたし
 ・三つ葉入りかき玉汁

唯「和ちゃんてさ…… 何て言うか、ホントお金に細かいよね…… この部屋だって家賃
  10万ぽっきりでしょ? 弁護士さんってじゃんじゃん稼げる仕事なんじゃないの?
  それに、私だって教師なんだからお金に困ってる訳じゃないのに……」モグモグ

和「そりゃ大手の渉外事務所なら確かにじゃんじゃんかもしれないけど、朝から晩から休日
  まで死ぬほど働かされて、実際の時給はコンビニのバイト並みなんてよくある話なのよ?
  それよりもそこそこの収入で人間らしい暮らしをしてる方がずっといいじゃない」パクパク

唯「でもさー……」

和「それにお金に細かくて何が悪いの? 老後の面倒を見てくれる子供がいない、四十を
  とうに過ぎたレズビアンのカップルにとって、お互い以外に頼りになるのはお金だけ
  でしょ?」

唯「んん? お互い以外に? ていうことは和ちゃん、私を頼りにしてくれてるの?」

和「まあ、そういうことになるわね」

唯「そうなんだぁ。えへへへ」ニコニコ

和(まったく、もう。この子はいくつになっても……)

唯「んんー、和ちゃんのブリ大根おいしー。おかわりー!」

和「ダメよ。米飯の食べ過ぎは肥満の元」

唯「大丈夫だよー。私、いくら食べても太らないんだから」

和「少しは自分の年齢を自覚しなさい。いつまでも若い頃の体質だと思って食べ過ぎてたら、
  あっという間に中年太りのオバサンになっちゃうわよ? せっかくご飯をお代わり
  しなくてもいいように、おかずを種類多く作ってるのに」

唯「はっ! ということは、私が今まで太らないでこれたのは、和ちゃんのお料理のおかげ?」

和「自分の為でもあるんだけどね。あとは唯の体質が最後の力を振り絞ってくれてるんじゃない?」

唯「いつもありがとうね。和ちゃん」ペコリ

和「どういたしまして」ペコリ

唯「ニラのおひたし、おいしいねえ。玉子とじもいいけど、こっちの味も好きだなー」モグモグ

和「……」ジーッ

唯「どしたの? 私の顔になんかついてる?」

和「……年相応に老けないのも考えものね。お互いに」パクパク

唯「そうかなぁ。私は和ちゃんがいつまでもキレイなのは嬉しいよ」

和「あら、そう。それは良かったわ」

唯「んもー。私、今いいこと言ったのに」

和「はいはい。わかったから早く食べちゃいなさい」

唯「むー」



~1時間25分後~

和「はぁ。家計簿の打ち込み終わり、と。 ……このノートPCもだいぶ古くなったわね」パタン

唯「ねえ、和ちゃん。前髪伸びてきてるから、お風呂の前に少し切ってあげようか?」

和「そう? じゃあ、お願いしようかしら」

唯「じゃあ、こっちに座って座って」

和「よっこいしょ」ストッ

唯「でもさー、和ちゃんって髪伸びるの早くない? 髪伸びるの早い人ってエッチなんだよ。
  んもー、和ちゃんのエッチー」ニコニコ

和「ええ、そうかもね。早く切って」

唯「……あのさぁ。こういう時は『エッチなのは唯が一番知ってるくせに。ベッドで試してみる?』
  とか何とかね? 私達、付き合ってるんだから」シャキシャキ

和「ああ、ごめんなさい。私、そういう欧米のレズビアンみたいな真似、本当に出来ないのよ。
  悪いわね」

唯「知ってるけどさ。知ってるけどさぁ……」シャキシャキ

和「そういえば今月の食費だけど、予算の25000円より8000円以上も浮いたわよ」

唯「えー!? やったぁ! その8000円でどこかパーッと食べに行こうよ!」

和「何言ってるの。預金よ、預金」

唯「……」シュン

和「……」

唯「……もしかして和ちゃん、私と一緒に暮らしてるのって、私が公務員で収入安定してて
  退職金も多いからとかじゃないよね?」シャキシャキ

和「……」

唯「和ちゃん!?」ブワッ

和「じょ、冗談よ。唯のことが好きだからに決まってるでしょ? 第一、そうじゃなかったら
  幼稚園から今まで何十年も一緒にいないわよ」

唯「えへへー、そうだよね。私も和ちゃんのこと大好きだよ」チュッ

和(こんな会話、ついこの前もしたような…… 同じ話ばかりするなんて、外見はともかく、
  脳の方は年相応になっていってるのかしら。それはそれで嫌なものね……)



――翌日。和が勤める桜が丘法律事務所にて。

事務員「真鍋先生、2番にスーパー“サクラヤ”店長の奥様からお電話です」

和「え? 土地問題で相談を受けてたサクラヤの…… 奥さん?」

事務員「ええ、そうなんです。どうされます?」

和「あ、出ます出ます。ありがとう。 ――はい、大変お待たせ致しました。真鍋でございます」

店長夫人『せっ、先生! 今からそちらの事務所に伺ってもよろしいでしょうか!? ウチの
     パートさんがDVに遭ってて、離婚したいって言ってて、その、今すぐ連れて
     行きます!』

和「えっ!? あの、ちょっと――」

ガチャリ ツーツーツー

和(また離婚かあ。あまり儲からないのよね、離婚訴訟って……)



~30分経過~

店長夫人「ああっ、真鍋先生! 突然、申し訳ありません! お願いします! 良かったわね、
     中村さん。もう安心よ」

?「は、はい……」

和(これはひどいわね…… 顔中、アザだらけ、傷だらけじゃない。左側は腫れ上がって
  顔の形が変わってるし、眼もほとんど塞がってる……)

和「はじめまして。真鍋和です」

?「真鍋…… 和、さん……?」ピクッ

和「……? あの、失礼ですが、もしかして、どこかでお会いしたことがありますか?」

?「私、姫子よ…… 立花姫子…… 桜が丘高校の、3年2組の……」

和「ええっ!? 姫子!? 姫子なの!?」

店長夫人「中村さん、真鍋先生とお知り合いなの?」

姫子「はい、高校の同級生です……」

店長夫人「まあ! そうなの!? それなら話が早いわ。地獄に仏とはこのことね。真鍋先生、
     どうかよろしくお願いします」

和「では、お話を詳しくお聞かせ願います」

店長夫人「いえね、前からちょくちょく怪我をしてるな、とは思ってたんです。それが今日、
     3日間もパートを休んで出てきたと思ったら、この顔で……」

姫子「すみません……」

店長夫人「バカね。何を謝ることがあるのよ。 ――でですね、先生。よく聞いてみたら、
     その3日間はほとんど眠らせてもらえずに旦那に殴られ続けた、って言うんです」

姫子「はい…… はい……」コックリコックリ

和「姫子……? 姫子? 大丈夫? 起きてられる?」

姫子「あっ! はい! ごめんなさい! ごめんなさい! とにかく今日はもう家に帰ります!」ガタッ

和「……!」ハッ

店長夫人「ちょっと! アンタ何、バカなこと言ってるの! 家には旦那がいるんでしょ!?
     殴られるってわかってて帰るなんてどうかしてるわよ!」

姫子「あ、あの、でも…… 子供が……」

店長夫人「息子さんは私が学校まで迎えに行くわよ!」

姫子「でも、でも……」

和「どうしたの?」

姫子「帰らないとあの人にもっと殴られるから……」

店長夫人「……」ポカーン

和(精神状態が普通じゃないわ…… 一刻を争うわよ、これは……!)

和「姫子、いい? まず身体の傷の写真をとりましょう。証拠を残しておかなきゃいけないから」

姫子「え……?」

和「明日、すぐにDV法に基づく近接禁止命令を地裁に申請するわ。認められれば旦那さんには
  『あなたに近づくな』という命令が出るの」

姫子「うん……」

和「そして自宅にはもう戻らないこと。いい? ――それと、奥さん。ご協力をお願いしたい
  のですが」

店長夫人「はいっ! 何なりと!」

和「この近くのビジネスホテルか、もしくは社員寮でもあれば、そういうところに姫子と
  お子さんを泊めてあげてもらえませんか?」

店長夫人「あ、はい! 勿論です!」

和「それから姫子…… 左眼、見えていないんじゃないの?」

姫子「あ…… 実は…… 前にも同じところを殴られたことがあって、今はほとんど……」

和「……じゃ、まず病院ね。診断書も地裁に提出する証拠として必要だし。立てる? 外で
  すぐにタクシーを捕まえましょう」

姫子「う、うん…… 立てるけど、でも…… あの……」グズグズ

和「大丈夫よ。もし入院が必要な場合は、旦那さんに居場所を知られないように、偽名で
  入院することも出来るから」

姫子「あ…… そ、そうなの……?」ホッ

店長夫人「お子さんは何日でもウチで預かるから、何の心配もしなくていいのよ。ね?」

姫子「はい…… ありがとうございます……」

和「じゃあ、所長。私、ちょっと出てきますので」サッ

所長「わかりました。くれぐれも気をつけていってらっしゃい」

和「はい。いってきます」

バタン

所長「フットワーク軽いよねー、真鍋先生」

同僚弁護士「マメですよね」

事務員「それもすべて6時に帰る為ですけどね」



――近隣の総合病院。待合室にて。

姫子「最初の頃はうまくいってたんだ。私達……」


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最終更新:2013年12月27日 00:00