なんだか寒い。
真夜中、目を覚ましてまず感じたのはそれだった。

隣で寝ていたはずの唯がいなくなっているからか、それとも、何故かカーテンが開いているからか。おそらく両方だろう。

温かな布団は名残惜しいが、ベッドを出て窓辺に向かう。
ガラス越しのベランダには、はらはらと舞い降りる雪を手に受けながら、下弦の月が浮かぶ空を見つめる幼馴染の姿があった。
その肌は月明かりに照らされて、なんだか石膏細工のように見えた。

しばらくその姿を見ていたかったがそうもいかない。
彼女に声をかけようと窓を開けた。外の冷気が私の体を突き刺す。

「なにをしてるの?」

「雪の降る音を聞きたくて」

よくわからない返事だった。

私にはむしろ、しんしんと降る雪がすべての音を吸い込んでしまって、底冷えするような夜に似つかわしい静寂が世界を支配しているように感じられた。

どうやら、このあたりの感受性には私と唯の間には絶対的な違いが存在しているようだ。
同じ雪景色を見ても、まるで正反対のことを連想してしまう。

それは仕方のないことなのだろう。

どれだけ私が唯を愛していようと、私には唯の感覚をすべて理解できるわけではない。
どれだけ私が唯を愛していようと、私と唯は同じ人間ではないのだから当然だ。

ただ、私には雪の降る音が聞こえなくとも、その音が聞こえる唯を愛している。

きっと、それだけでいい。

「ほら、薄着のまま外にいると風邪ひくわよ」

「うん。和ちゃんにあっためてもらわなきゃ」

そう言いながら、唯は部屋の中に戻ってきた。

二人でベッドの中に再びもぐりこみ、唯は私に抱きつく。
その体は冷え切っていて、なんだかいつもの唯じゃないようだった。

それでも、そこに唯がいてくれれば、私は安心して眠ることができる。

ただ、それだけでいい。



おしまいです。







ちらほらと雪が降り出した曇天の下、私は大学からの家路を急ぐ。
本来であれば今日は丸一日開けておきたかったのだが、様々なレポートの期限が重なってしまったために一旦大学に向かわなくてはならなかった。

今日届くはずの荷物を、なんとしても今日中に受け取らなくてはならない。
それは、幼馴染からのバレンタインプレゼント。

いつもなら足音を響かせないように上るマンションの階段を、今日に限っては二段飛ばしで駆けて行く。こんな時には一階に部屋を借りていればと思わないでもない。

私の部屋がある階にようやくたどり着いたとき、ちょうど、小さめの箱を持った配達員の人が私の部屋の前に立っていた。
何度もインターフォンを鳴らして、今にも不在票を置いて帰ってしまいそうな様子だったので、私は急いで声をかける。

「すいません、その荷物……」

「あ、真鍋和さん、ですか?」

「はい」

「お渡しできてよかった。平沢唯さんからです。ここにサインをお願いします」

― ― ― ― ―

息を切らせたまま部屋に入る。
いっそコートもマフラーも脱ぎ散らかしてやろうかというほどに気持ちは逸っていたが、いったん深呼吸して自分自身を落ち着かせる。

部屋着に着替え終わると、さっそくその包みを開けた。

その中には、緩衝材のあいだに埋もれた可愛らしい長方形の箱。
そして、ハートのちりばめられた封筒。

私は、まず封筒に手を伸ばした。
丁寧に丁寧に、破れてしまわないように封筒を開ける。そこに入っていた便箋には、懐かしい文字が並んでいる。

― ― ― ― ―

『和ちゃんへ

こうやってお手紙を書くのって初めてじゃないかな?なんだかラブレターみたいだよね。
パウンドケーキ、私が一人で作ったんだよ!すごいでしょ!憂も受験だから迷惑かけられないからね。
本当のところ、憂にちょっとアドバイスしてほしかったけど、そしたら絶対に「一緒に作る!」って言って聞かないだろうから我慢しました。

おかげさまでキッチンはすごいことになっちゃったし、何回も失敗しちゃったから材料代も結構かかっちゃった。
お菓子作りってやっぱり難しいんだね。

憂や和ちゃんが簡単そうに作ってるのをみると、自分にもできそう!って思っちゃうんだけど、中々そうもいかないね。

それでも諦めずに頑張れたのは、やっぱり和ちゃんのために作るものだからだと思う。
途中でもうやだ、なんでうまくいかないんだろうって何回も思った。
けどその度私のケーキで喜んでくれる和ちゃんのことを思い浮かべると、うじうじしてられない!ってやる気が湧いてきたんだ。

今までもずっとそうだった。
和ちゃんがいてくれたから、私も頑張れたんだよ。

これからもずっとずっとよろしくね。


あ、ラブレターだから、愛の告白をしなきゃ!

和ちゃん、大好きだよ!』

決めた。これは宝物にしよう。
便箋に並んだ幼馴染の優しい文字のひとつひとつが大切な宝石のようだ。

パウンドケーキの箱も開けてみる。見た目はすこし崩れていたが、ひとかけらつまんでみると、とても美味しかった。

今の私には、もう、唯のことしか考えられない。
元気にしているだろうか風邪などひいていないだろうかと心配になる。
いつもいつも連絡をとっているけれど、それでも心配なものは心配なのだ。

確か、天気予報では向こうも雪だったはずだ。

無性に彼女の声を聞きたくて、私は携帯電話に手を伸ばした。


― ― ― ― ―

今日、和ちゃんからのバレンタインプレゼントが届く。
そう思うと居ても立ってもいられなくて、部屋の中をそわそわと歩き回ってしまう。

配達の人がマンションの階段を上る足音も聞き逃すまいと聞き耳をたてながら、頭の中は和ちゃんでいっぱいだった。
確かもう和ちゃんが指定したという時間帯のはずだけど、時間帯指定とはいえその幅は数時間あるのでひたすら待つ他ない。

一時間ほどそうやって過ごしただろうか。ついに私の部屋のインターフォンが鳴らされた。
決して広くはない室内でも、早く受け取りたくて思わず走ってしまう。

「平沢唯さんのお宅ですか?真鍋和さんからの荷物ですが」

― ― ― ― ―

がさがさと受け取った荷物を開ける。すこし乱暴かもしれないけれど、それだけ待ち焦がれていたものなのだから仕方ない。

ぷちぷちの詰められた箱の中心にクッキーの入った袋。
そして、そのそばに寄り添うように質素な封筒。

クッキーもおいしそうだけど、それより気になるのは手紙のほうだ。
とりあえずクッキーは後からゆっくり味わうことにして、さっそく読んでみることにしよう。




『唯へ

長いこと一緒にいて、大学に入ってからも毎日のようにメールや電話したけれど、こうやって手紙を出す段になると、なんだかやっぱりむず痒いような気がします。
なんだか口語で手紙を書くのが恥ずかしいので、ついつい文体もこうした硬いものになってしまいます。

同封したクッキー、美味しく食べてもらえたら嬉しいです。
そうそう駄目にはならないとは思いますが、送ってる途中で割れちゃったりしていたらごめんなさい。

バレンタインだということでこうして贈り物をしているのですが、お菓子自体を作る時間より、むしろこの手紙の内容に悩んでいる時間の方が長いかもしれません。
小さなカードにひとこと添えるだけにするつもりだったけれど、唯がどうしてもって言うから唸りながら便箋に向かっています。

大学生活については日頃話してくれてるから特に聞くこともないのですが、この時期に提出するレポート等はちゃんと済ませましたか?
話を聞いている限りでは夏学期の単位も大体取れているようなので心配はいらないと思いますが、一応釘を刺しておきます。

むしろ、あなたの日常生活のほうが色々と気になります。
夏にそちらに遊びに行ったとき、部屋は一見綺麗でしたが、クローゼットから服の端がはみ出ていましたね。
掃除というのは、とりあえずなんでもクローゼットに突っ込むことではありません。
そんな小細工、幼馴染の私にはお見通しです。こまめに部屋の片づけをしていれば来客のあるときに焦らずに済みます。よく肝に銘じておいてください。

でも、あのとき作ってくれた料理はとても美味しかったです。
その後のキッチンの惨状は見なかったことにします。
今度は片付けまで一人でできると尚よいでしょう。キッチンを片付けるまでが料理です。

それは置いておいて、あなたの手料理を食べられるなんて何時以来でしょうか。
調理実習、はちょっと違うかもしれませんが、確か小学校の時に憂やお母さんと一緒に作ってくれたことがありましたね。
今では一人で料理できるようになったのかと思うと何だか感慨深いです。今度こちらに来ることがあれば私も何か作ります。
食べてみたいものがあれば今のうちに言っておいてください。練習しておきます。

あと、そうですね、私の話をしたほうがいいのでしょうか。先日「和ちゃんはいつも自分の話してくれないじゃん」と愚痴ってましたね。

もう大学に入って一年経とうとして、この生活にも慣れてきました。
新しい友人だってできたし、いきつけの美容室だったりスーパーだったり本屋だったりもできました。
家の周りの地理もわかるようになったし、休みの日にはちょっと遠出したりもします。

だけど、やっぱり寂しくないと言えば嘘になるでしょう。
ふとした瞬間に、あなたが隣にいないことに気が付き寂しさに襲われることがあります。

でも、あなたからのメールだったり電話だったりを楽しみに日々頑張っております。

あなたのしてくれる話、楽しそうな笑い声、その全てが私に元気をくれるのです。

あなたがいてくれて、本当に良かった。



追伸:手紙だと、日頃言えないような恥ずかしいことをついつい言って(書いて?)しまいますね。』


― ― ― ― ―

一気に手紙を読み終わる。
気が付いたら、涙が私の頬を濡らしていた。

今、私は、本当に幸せ。

窓の外では、さっきまで降っていたみぞれが雪へと変わっていた。
和ちゃんのいるところも、雪、降ってるのかな。

そんなことをぼんやりと考えていると、携帯に電話がかかってくる。
誰からの着信かなんて、ディスプレイを見るまでもない。

携帯から流れる曲は、大切な人のためだけに設定した特別なもの。


私の大好きな、幼馴染。



以上です。



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最終更新:2011年02月13日 23:58