――いつもなら行かないようなレストランに行って、いつもなら行かないようなゲームセンターに行って、いつもなら行かないような夜景スポットまで足を運んで。
私達は男女であれば、カップルにしか見えないことをやっていたのだと思う。
澪は本当に楽しそうで、幸せそうで、それを見てると、何だか私まで幸せになってくる。
実際澪と色んなところを回るのは楽しかったし、その楽しさも以前とはまた違ったものだった。
それを楽しめるようになったら、私は今のこの関係を、完全に受け入れることができるのだろうか、そんなことを考えた。
それから、行こうと思った場所は全て行き尽くして、何しようかなんて話していた頃、澪が突然言った。
澪「私の家、行かないか……?」
律「おーいいねぇ、最近は澪の家でちゃんと遊んでないもんな!」
澪「それもあるし……」
律「いやー澪の家でクリスマス過ごすのって久し振りだな。昔はさ、澪のお母さんが作った料理が美味くて美味くて――」
澪「今日は、両親は居ないんだ」
律「えっ」
澪「うん、久し振りに夫婦水入らずで遊んで来る、って……」
律「へ、へえ、澪のところもまだまだお熱いねー」
それが何を意味するのか、なんて考えなくても分かることで、思春期だった私は尚更それを意識してしまった。
きっと澪も同じだったと思う。澪は直接口には出さずとも、それを望んでいるのだと、その時の私は心の奥で認めながら、どこかそれを認めたくなかった。
だからなるべく余計なことを意識しないようにした。澪の家に行く道中も、喋れるだけ喋って、気まずくならないようにした。
ただ、澪の顔が赤くなっているのを見るたび、いやおうなしにそれは頭の中に想像されてしまって、私は平静を装うのさえ難しかった。
いつか来ること。クリスマスが私達にとって特別な日になったということは、それによるものが多分最も大きかった。
律「……」
澪「……」
澪の部屋に、二人して黙りながらただ座っている。澪の部屋に来ることなんて、いつもなら大したことじゃない。
それなのに、こんなにも変な緊張感が漂っているのは、やっぱりクリスマスの所為だとしか言いようがなかった。
澪は時折私の方をちらちらと見てくる。その時に図らずも目が合ってしまうたび、赤くなって俯く澪が、何を期待しているのか、分かってしまう。
いつもの快活なキャラはもう影も形もなく、ただこの気まずい雰囲気の中を、どうやって過ごしたらいいのか、その時の私はそればかり考えていた。
律「い、いやー、来てみたはいいけど、なんかすることないなーw」
澪「そ、そうだな。さっきまで色々と話してたし……」
律「唯達は今頃何やってるんだろ」
澪「さすがに帰ったと思うけど……もう0時回ってるし……」
律「ほんとだ。……もう、こんな時間か」
その言葉を区切りにして、「そろそろ帰るわ」なんて言っても、きっと澪はごく普通に返事を返して、玄関まで私を見送ったと思う。
でも、その時の澪の悲しげで切なげで、苦しそうな表情を想像すると、そんな言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。
恋人として何をするべきか、そんなことは分かっているはずなのに。それでも躊躇してしまっていたのは、私の覚悟が甘過ぎたせいなのだろう。
カチコチと時を刻む音が無性に腹立たしかった。焦燥感ばかりが募り、拳を強く握り締めていた。
澪「あ、あのさっ」
律「あのさー」
そう言葉を発したのはほんとに同時で、目を見合わせてくすりと笑った。それから「どうぞ」の譲り合い。結局澪から話すことになった。
澪「ちょっと、こっち来て」
その時澪はベッドに腰掛けていて、私はテーブルの上に頬杖を着いていた。澪は真直ぐに私を見ている。拒絶なんてできるはずもない。 私は大人しく澪に従った。
澪の隣に腰掛けると、当たり前のようにふわりと澪の香りがした。当たり前のように澪の横顔が近く、赤くなった頬は、いつもとは違う艶めかしさを含んでいた。
――長い沈黙。私がそう感じただけかも知れないけれど、私にとっては、この間の沈黙はとてつもなく長かった。
澪「律……」
不意に伸びてきた澪の手が、私の両肩にそっと触れる。決意を決めたような強い眼差しが、私の射抜くように見つめている。
律「澪……?」
澪「ごめんっ」
そう言いながら、澪は私の肩を強く掴んだまま、ベッドの上に押し倒した。私の上には澪しか見えなかった。
澪はそれから何も言わなくて、私もまた何も言わなくて、抵抗なんて言えることは何一つとしてしなかった。
物音一つしない部屋の中には、私と澪の息遣いだけが聞こえて、澪が眸を閉じた時、私も視界から全てを消し去った。
律「んっ……」
澪「んん……」
長く触れ合うような口付けだった。だけど、それから私の唇をこじ開けるようにして、澪の舌は乱暴に私の口内へと侵入する。
今まで感じたことのない感触。口内で混ざり合う唾液。次第に苦しくなってくる呼吸。
それでも、澪とこういう行為をする。そんな現実が未だに信じられなかった。
律「はあっ……ふはー……」
ようやく長く深いキスから解放された時、私はこれでもかと言わんばかりに深呼吸した。
澪が積極的だー、なんてからかう気概はあったが、それも上から私を見つめる澪の視線を見ると、どこかに吹き飛んでしまうようだった。
澪「ごめん、苦しかった?」
律「……ちょっとなw」
澪「いい……のか?」
律「……」
それは一つの機会であり、ともすれば機会でも何でもなかった。そこで止めようと思えば止められたとは思う。
だけど澪は、どんな言訳を並びたてたところで、不安に陥る。それを想うと、拒絶することなんてできなかった。
――所詮私はまだまだ幼い高校生で、どうしようもなく馬鹿で、救いようがないくらい臆病だった。
律「……いいよ」
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定期を持って、改札を通り、駅のホームで白い息を吐きながら電車を待つ。
周りには高校生やサラリーマンなど、人も結構多かった。電車を待つ私は携帯で時間を確認しながらマフラーに顔を埋める。
昔――といっても、考えてみれば数カ月前のことを思い返していると、何だか無性に惨めな気分になる。
多分今の私は一人で陰鬱な顔をしていて、傍から見れば何かあったのかな、なんて思われるぐらいには、辛気臭い顔をしていると思う。
そのうち電車がやかましい音を立てながら停車すると、私は人混みに紛れて、混み合う電車の中に入った。
暑苦しいくらいにすし詰めになった電車の中は窮屈で、何だか束縛されているような気分になった。
ここから大学までは三駅分くらい。時間を確認すると、まだまだ余裕がある。私は吊革に掴まりながら、小さく溜息を吐いた。
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私達が特別なクリスマスを過ごしたと言っても、私と澪が変にぎくしゃくするようなことはなかった。
澪は幸せそうな顔をしていたし、練習にも精を出して頑張っているように見えた。
私もいつものように、お調子者として過ごしていた。だけど、それが澪のように幸せそうだったのかどうかは、分からなかった。
卒業ライブは日に日に近付く。それに伴って、私達が離別する日も、着実に近付いていた。
卒業ライブは受験よりも早くて、年が明けてから間もなく行われる。
だから、私達も最後の追い込みをかけ始めていた時期だった。
受験やらなにやらで、不安も募る時期で、それでも卒業ライブに向けた演奏をしている間は、まだ気楽だった。
クリスマス以降、私と澪の距離は近くなったけれど、私はそれを素直に喜べなかった。
一緒に帰路を共にする時も、部活中に目が合って笑い合う時も、たまに二人で外出する時も
私は素直にそれを喜んでいなかった。その癖それを隠すのだけは上手くて、澪にそれを悟られることもなかった。
自分が卑怯な人間になっていくことが、何だかとても嫌な心地がしていた。
唯「いよいよ明日だねっ!」
梓「緊張してきました……」
紬「いつも通りやれば大丈夫よ」
卒業ライブを前日に控えた日、私達は練習が終わったあと、部室で話しこんでいた。
話題は卒業ライブを無事に終えることができるか、とか最後の演奏か、とか、そんなことばかりで、多分みんながみんな、不安だったと思う。
私だってそうだった。明日で本格的な部活が終わってしまうのかと思うと、何だかやるせなかった。
律「まあ最後なんだしさ、最高のライブにしてやろうぜ!」
唯「おー!」
梓「頑張ります!」
紬「みんなで頑張ろう!」
澪「そうだな」
それからは思い出話に花を咲かせて、結局家に着いたのは夜の八時ごろだった。
その日だけは、澪と二人で過ごすこともしなくて、二人とも大人しく家に帰った。
だけど、一人になると、どうしようもなく寂しくなって、夕飯もろくに食べられなかった。
だから、結局私は風呂やらなにやら入ったあとに、みんなへメールでエールを送ると、早々に寝てしまった。
――卒業ライブ当日。
唯「緊張するー」
律「唯が緊張なんて珍しいこともあるもんだなーw」
唯「そりゃそうだよ! 最後の晴れ舞台だもん!」
律「あははw」
朝、申し合わせたようにみんなで部室に集まった私達は、何をするともなく座っていた。
機材は運んだし、もうすることもなくて、だからといって気の利いた言葉も思い浮かばなかった。
ただ、ライブを目前にして、高揚感のような不安感のようなものが、沸々と湧き上がってくるようだった。
澪「律、ちょっと……いい?」
突然そう言われて、私はもちろんいいよと答えた。
そしてちょっとトイレに行ってくると、みんなには伝えて、二人で部室を出て行った。
向かった先は人気のない階段の踊り場で、私と澪以外の声はしない静かな場所だった。
律「なんだよ、緊張しすぎて不安になっちゃったかw」
澪「それもあるけど……今の内に伝えたいことがあって」
律「……」
澪「わ、私さ、今まで軽音部で活動してきて、本当に楽しかった。律が強引に誘ってくれなかったら、きっとこんなに楽しいこと知らなかったと思う」
律「だろー?w 感謝しなさいこの私に!」
澪「それで、まあ色々あったけど、り、律と、その……」
そう言い淀んだ澪に、どんな言葉をかけるべきか、なんて分からないはずがなかった。
ただ、それを言ってしまえば、卑怯な私は二度と元の私に戻れなくなる、そんな気がしていた。
律「恋人になれた、だろ」
澪「う、うん」
律「……」
澪「今だから言えるけど、本当は不安で不安で仕方なかったんだ。私達は女の子同士だし、迷惑って思われても仕方ないと思った」
澪「でも、律は最初こそ茶化してきたけど、とりあえず付き合ってみよう、なんて言ってくれて、本当に嬉しかったんだ」
澪「だけど……それも、言ってみればお試し期間みたいなもので……だから、クリスマスの日、律が私を受け入れてくれた時は、もう泣きそうだった」
澪「律……私は今でも、これから先も、多分ずっと律のことが好きだよ。忘れることなんて、多分できない」
澪「だから……卒業ライブが終わっても、部活が終わっても、私達が卒業してしまっても、私と……一緒に居て欲しいんだ」
何を言えば傷付いて、何を言えば嬉しいのか、そんなことは子供にだって分かる問題だった。
でも私はやっぱり子供で、どうしようもなく馬鹿で、救いようがないくらい臆病だった。
傷付くことも傷付かれることも怖くて、みんな幸せだったらいいな、なんて子供みたいな理想を掲げていた。
律「あったり前だろーw 私達は昔も今もずっと一緒だったんだし、これから先もきっと一緒だよ!」
澪「律……」
律「そりゃー最初は戸惑ってたけど、そこはほら、クリスマスのことがあるし……なっ?」
澪「うん……ありがとう、律」
最終更新:2010年01月07日 23:34