――――― ――
紬「え?」

唯「ごめん、今なんて?」

澪「……律が軽音部、辞めるって」

もうそろそろ夏休みという頃。
突然の報せに、皆一様に驚きを隠せなかった。
明るいオレンジに照らされた部室がしんと静まる。

梓「な……なんでですか!?」

澪「私にだって何も言って無いんだよあいつ!」

梓「!」ビクッ

澪「あ……ごめん」

思わず叫んでしまった澪は、
気まずそうに目を逸らした。

紬「でもりっちゃんに直接聞いたんじゃないんなら、その話、誰に聞いたの?」

唯「もしさわちゃんならその話は嘘かも……!」

澪「本当の話。さわ子先生に律の退部届け、見せてもらったから」

唯「でもでも!りっちゃんが何も言わずに辞めちゃうなんて……」

紬「何かあったのかしら……」

再び、部室に沈黙が訪れた。
ポツリと空いている席は一つだけ。
なのにどこか寂しかった。

澪「私、律に何でなのか聞いてくる」ガタッ!

唯「私も行くよ、澪ちゃん」

紬「私も」

梓「けど律先輩、今どこにいるか……」

紬「今日りっちゃん、学校休んでるの」

澪「だから直接律の家に行く」

梓「いいんですか?」

唯「このままここでじっとしてるわけにもいかないから」


田井中家!

ピンポーン
ガチャッ

律母「はーい……あ、澪ちゃん。あと……」

澪「こんにちは。軽音部のメンバーです」

澪「(おばさん、少しやつれた?)」

唯「あの、りっちゃんは……」

律母「えっと……。ごめんね、今あの子……」

紬「りっちゃん、私たちに何も言わずに部活辞めちゃったんです!」

梓「ちょっと、ムギ先輩!」

紬「あ……」

律母「ごめんね……。今、律は誰にも会いたくないって部屋に閉じこもってるから」

澪「え?」

律母「良かったら、また明日、来てもらえないかしら?明日も学校行けないけど……」

四人は顔を見合わせた。
澪が皆を代表して頷く。

律母「ありがとう」

疲れたように、律の母親は微笑んだ。


唯「りっちゃん、どうしたのかなあ……。昨日までは普通だったのに。
まさか誰かに振られた!?」

澪「誰にだよ!」

紬「じゃあじゃあケンカしたとか?」

梓「誰とですか。ていうか、そんなことで普通部活辞めませんよ」

唯・紬「あ……」

澪「おばさん、明日も律が学校行かないってわかってたみたいだし……。
おばさん自身疲れてたみたいだから律ん家で何かあったのかも」

梓「まさか、引越しとかないですよね?」

唯「お父さんがリストラ!?」

紬「借金にまみれて夜逃げ!?」

梓「ふざけないでください!」

唯「……ごめん」

紬「こうしてないと不安で仕方なくて……」

立ち止まると、唯と紬は俯く。
夕日は既に明日へと消えていた。

澪「……とりあえず、今日はもう帰ろう」

――――

布団を頭まで被り、外の世界から自分を遮断した。

誰の声も聞きたくない。
誰の笑顔も見たくない。
幸せな奴なんて皆、いなくなってしまえばいい。

何で私なんだよ。
何で他の奴じゃないんだよ。

何で私が――



次の日!

唯「あ、澪ちゃんおはよう!」

澪「おはよ」

紬「りっちゃんは……。今日も休みみたいね……」

澪「うん……。来る前に律ん家寄ってみたんだけど、先行っててって言われた」

唯「そっか……」

キーンコーンカーンコーン
ガラガラ

さわ子「はーい、皆席着いて」

唯「さわちゃんに後で聞いてみる?りっちゃんが休みの理由」

澪「うん、そうだな……」

朝のホームルームが淡々と進んでいく。
それが終わると、さわ子は何かを避けるように急ぎ足で教室を出て行こうとした。

紬「先生!」

唯「さわちゃん!」

それを引きとめようと唯たちが名前を呼ぶと、さわ子は
びくっと肩を震わせて立ち止まった。

さわ子「あ、えっと、どうしたの?」

澪「律のことなんですけど……」

さわ子「あぁ、田井中さんね。今日も休みよ。あなたたちは早く次の授業に……」

唯「何で!?風邪じゃないんだよね!?」

紬「それにりっちゃんが部活辞めちゃった理由だって聞いてません!教えてください!」

詰め寄る三人に、さわ子は溜息をついた。
長い髪を鬱陶しそうに後ろに払う。

さわ子「私の口からは言えないわ。言わないで欲しいって頼まれたから」

澪「律にですか?」

さわ子「お母さんに。りっちゃんとはきちんと話してないわ」

紬「どうしても話せないことなんですか?」

さわ子「……まあね。本人が知られるのを嫌がってるみたいだから」

そう言うと、さわ子は「教室戻りなさいよ」と無理矢理話を締めくくって
職員室へと逃げるように去っていった。

唯「……どうする?」

紬「帰り、またりっちゃん家に寄るしかないよね」

澪「……」


放課後!

梓「……さわ子先生も何も言ってくれないんですか」

唯「うん……」

紬「今日はりっちゃんに会えるかな……」

澪「さあ……」

トコトコ

唯「あ!」

梓「どうしたんですか?」

唯「ほら、向こう!あれ、りっちゃんたちじゃない!?」

唯が指差す先には、確かに律たち親子の姿があった。
向こうも唯たちに気付いたらしく、立ち止まった。

心なしか、律の顔色が悪いように見えた。
律の母親は「先家に入ってるね」と玄関に消えていった。
律もそれに続こうとする。

澪「律、待てよ!」

唯「りっちゃん、どうして部活辞めちゃったの!?」

紬「学校にも来ないし……」

梓「何かあったんですか?」

矢継ぎ早に質問されて、
律は振り向かずに立ち止まった。

律「関係ないだろ」

その声はあまりにも刺々しかった。
だが、それに負けずに澪が言い返す。

澪「関係ある!お前部長だろ!?何で何も言わずに辞めるんだよ!?」

律「……それは悪かったよ」

唯「りっちゃん、本当にどうしちゃったの?」

梓「もし何かあったんなら、私たち相談に乗りますし……」

律「いいよ別に」ハァ

紬「りっちゃん……」

律「辞めた理由、聞きに来たわけ?いいよ、答えてやるよ。辞めたのは私の
ドラムが皆の足を引っ張ってるから。これでいいだろ?」

唯「そ、そんなこと……」

律「あるよな。私は澪やムギ、梓みたいに周りが唸るほど上手くないし、唯みたい
に天才肌なわけでもない。私じゃ吊り合わないんだよ」

澪「ふざけるなよ!一緒にバンドやろうって言ったのお前だろ!?」

律「ふざけてねーよ。いいからもう帰れよ。ちゃんと答えただろ」

澪「帰らない、律が辞めるの取り消すまで帰らない!」

律「……帰れって。お前等の顔、見たくない」

澪「……お前!」

律「もうすぐ私は死んじゃうんだよ」

澪「……え?」

梓「死ぬ、って……」

律「頭に変なの、できてんだってさ」

自分の頭を指差しながら、律は力なく笑った。
そのまま、動けない澪たちを残して家の中へ入っていった。


――――― ――

さわ子「そう、りっちゃんに聞いたのね」

澪「……はい」

さわ子「数ヶ月前から調子悪かったみたいだけど、随分我慢してたんですって。
それで病院行ったら脳腫瘍が見付かったらしくてね」

唯「治るよね、さわちゃん!?」

さわ子「私は音楽教師でお医者様じゃないからわからないわよ……」

紬「でも悪性腫瘍じゃなければ……」

さわ子「ムギちゃん、りっちゃんの様子見て、わかったでしょ?」

紬「……」コク

梓「先生、律先輩、学校はどうするんですか?」

さわ子「明日から暫く入院するそうだけど、学校は辞めないって言ってたわ。
ただ、部活は行けないから迷惑かけるし辞めるって言って……」

梓「そうですか……」

さわ子「……私も吃驚したわよ、ほんと。どうしたらいいかわからないわ。
りっちゃん自身、今凄く動揺してるらしいし……」

澪「先生」

さわ子「なに、澪ちゃん?」

澪「律の入院する病院って、どこなんですか?」

さわ子「行くつもり?」

澪「はい」

さわ子「やめときなさい」

迷いなく頷いた澪に、
さわ子は静かに言った。

さわ子「私は重い病気になったことないからわからないけど、きっと誰にも会いたく
ないわよ、落ち着くまでは。だからりっちゃんのことちゃんと考えてあげてるんなら
やめときなさい」

澪「違います」

さわ子「どういうこと?」

澪「私の、私たちのために、律に会いに行きたいんです。どれだけ律が首を振ったって
何言ったって、律は軽音部の部長ですから。勝手に辞めさせるわけにはいきません」

さわ子「……」

梓「……あんなふうに言われてまだ腹の虫も収まりませんし」

紬「まだちゃんと謝ってもらってません」

唯「だからさわちゃん、私たちはりっちゃんに会いたいの」

さわ子「……まったく。あんたたちは……」フウ


――――

「それじゃあ今日からここが、君の病室だ」

白衣を被ったただの禿げたオヤジが、私を真っ白い部屋へと案内する。
私はただ、それに着いて行くだけ。
ベッドに寝かせられると、オヤジは「何かあったらすぐにこのナースコールを押して」
と言って出て行った。

「律、とりあえず一旦家に帰ってまた戻ってくるから」

母さんも病室を出て行く。
私は独りになった。
広い病室にただ独り。

寂しくはなかった。ただ、私はこの部屋で死んでいくんだと、そう思うと怖くなった。



病院!

唯「りっちゃんりっちゃん、りっちゃんの病室は……」

梓「唯先輩、静かにして下さいよ。ここ、病院なんですから」

紬「私、病院ってあんまり来たこと無いの」ハワアァ

澪「……ムギ、あんまり喜ぶとこじゃない」

紬「そうね、ごめんなさい」

唯「あ、ここだよね。田井中律って名前書いてある。個室?」

病室の前に着くと、四人は立ち止まった。
誰も中々中に入ろうとしない。

梓「……入院したばかりで個室って、珍しいんじゃなかったでしたっけ」

澪「……入ろ」

ドア スー

紬「病院のドアって音、しないのね……」

澪「律、いる?」

律母「澪ちゃん!?何でここに……」

病室に顔を覗かせると、ベッドに寝転ぶ律と、その母親の姿が見えた。
律の母親は、驚いたように腰を浮かせると、律のほうを見て言った。

律母「……、今、薬のせいで眠ってるから、ちょっと場所を移さない?」


待合室!

律母「ごめんね、澪ちゃん。あと……」

唯「平沢唯です!」

紬「琴吹紬です、あ、こちらは後輩の中野梓ちゃんです」

梓「どうも……」

律母「平沢さんに琴吹さんに、中野さん?……いつも律と仲良くしてくれてありがとね」

唯「えっと……」

律母「あの子、高校入ってから、ほんとに毎日楽しそうで。あ、別に中学生や小学生
の頃が暗かったとか楽しくなかったとか、そういう意味じゃなくって!」

澪「へ?わ、わかってます!」

律母「それで……。それってやっぱり、学校でバンド組んでたからだと思うの。
家に帰ってからも、ご近所迷惑だからやめなさい、って言っても雑誌とか叩いて
練習してたりして……」


律母「本当に、だから多分、軽音部のこと嫌いになったとか、そういうわけじゃないと
思うの。ただ今は、ショックを受けてるだけだから……」

梓「はい……」

律母「勢いで辞めちゃったのかも知れないし……。だけど……、こんなこと、
私が言うのもなんだけど、ずっと律の友達でいてやってほしいの」

紬「は、い……」

律母「それにね、あなたたちならきっと、律も心を開くと思うの。今は、誰にも乱暴な
口調だし、無愛想だけど……。ほんとは律、すごく不安だろうし、律の傍にいてあげてほしい」

そこまで言うと、律の母親は頭を抱え込んで何も話さなくなってしまった。
だけど、そこにいる全員、何も掛けられる言葉が見付からずに、律とよく似たその人の
震える背中を見詰めるしかなかった。

律母「……ごめんなさいね、こんなところ見せてしまって」

暫く経つと、律の母親は目元を拭って恥ずかしそうに笑った。
気まずい空気になる。

律母「絶対治らない病気じゃないから。手術すれば、なんとかなるらしいし……。だけど
あの子、絶対手術は受けたくないって」

梓「どうしてですか!?」

律母「それは……」

答えようとする律の母親の声を、誰かが「もういいだろ」と遮った。

澪「律!」

律「何で澪たちがいんだよ」

律母「そういう言い方はやめなさい」

律「母さん、澪たちに教えたの?病院のこと」

澪「教えてくれたのはさわ子先生だ!」

律「……あ、そ」

律母「話は病室でしたら?」

律「……」

わかったよ、と不貞腐れた様に背を向けて歩き出す律に、
澪たちもぞろぞろと着いて行く。
律の母親は、「お願いね」とその場に立ち止まったままだった。


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最終更新:2011年03月24日 22:49