律「それで、何しに来たわけ?」

澪「律の退部を取り消すために」

律「私はもう軽音部に戻んねえ」

梓「だめです!」

唯「りっちゃんがいないと放課後ティータイムじゃないよ!」

紬「私たちを誘ったのもりっちゃんでしょ!」

律「……」

澪「何とか言えよ、律」

律「……さわちゃん、もう退部届け受取ったんだよ。もう私は戻れない」

唯「そんなのまた入部届け書けばいいじゃん!」

律「それに!私はもう、学校に行けないかもしんねーんだよ。それなのに部活なんて
やってられっかよ」

澪「わかった。律はどうしても辞めたいんだな?」

律「あぁ」

澪「それならドラムは違う奴を誘う。それでいいな?」

律「……あぁ」

澪「帰ろう、皆」フイッ

梓「ちょ、澪先輩!」

澪「いいから」グイッ


廊下!

唯「澪ちゃん、どうしてあんなこと……!」

澪「今のあいつ、何言ったって無駄だよ。あんな律、初めて見た……」

紬「りっちゃんも、相当辛いもんね……」

梓「けど、あんなこと言っちゃったら律先輩、よけいに塞ぎこんじゃうかも……」

澪「でも、今の律には荒療治が必要だと思う」

紬「私も賛成よ。りっちゃん、あくまでも私見だけど、もう病気を治す事、
諦めてるみたいだもの。あんなのりっちゃんらしくないし、私も見たくない」

唯「……、そうだよね。私もあんなりっちゃんやだ」

梓「同感です。私も、調子が狂っちゃいます」

澪「……律」グッ

澪「(私だって辛いよ、律。だけど律の苦しみのほうが、もっと酷いってわかってる。
だから、私は出来る限りのことをする。いつも律が私を笑顔にさせてくれたように、
今度は私が律を笑顔にしたい)」


―――

皆が帰って行った病室は、寒々しい。
カーテンの隙間から漏れていた太陽の光も、もうとっくになくなっていた。

『わかった。律はどうしても辞めたいんだな?』

どうしてあの時。

『それならドラムは違う奴を誘う。それでいいな?』

素直に言えなかったんだろう。

やっぱり辞めたくないと。
やっぱりドラムをやりたいと。

でも、もう私は叩けない。
皆と音を合わすことも出来ない。

だから、これでいいんだ、これで。

寂しくも、悲しくも、ない。
ちゃんと決めたことなんだから。
私はもう、ダメになってしまうんだから。

「頭、痛い……」

胸の辺りが気持ち悪い。
さっき食べた味の薄い病院食が、喉を通って戻ってこようとする。
私はゲホゲホと咳き込みながら、「何でだよ」と誰にともなく呟いた。

――――― ――

数日後!
病院の廊下!

律母「あ、澪ちゃんたち!」

澪「おばさん、こんにちは」ペコッ

律母「中々来なかったからどうしちゃったのかなって……。あ、別に絶対来てほしい
とか、そういうわけじゃないんだけど……!」

梓「すいません……」

律母「気にすることないわよ。また来てくれただけで嬉しいわ。高校生だし、学校とか
色々あるもんね。皆が来てくれて、きっと律も嬉しいと思う」

唯「えへへ」

紬「あ、そうだ」

律母「どうしたの?」

紬「あの、病院って、音楽流してもいいんですか?」

手に持っていたCDプレイヤーを少し上に上げて、紬は訊ねる。
律の母親は、病室の扉に掛けていた手を離して振り向いた。

律母「たぶん大丈夫だと思うけど……。CDプレイヤー……?」

澪「うるさいこととかはしません。ただ、律にちょっと聴いてほしいものがありまして」

ドア スー

律「!」パァ

律「な、何でまた来たんだよ?新しいドラムの紹介か?」フイッ

律母「(今ちょっと嬉しそうな顔、してたわね……)」

澪「まあそんなところ」

律「……」

律母「私、外に出とくわね?皆、ゆっくりしていって」

梓「あ、ありがとうございます」

ドア スー

律「……で、新しいドラムはどこだよ」

母親のいなくなった病室で、律は訊ねた。
誰も何も言わなかった。

ただ、紬が持っていたCDプレイヤーをテーブルに置くと、コンセントに差込み
電源をONにした。

律「なに?新しい曲でも作ったわけ?」

だけど、流れてきた曲は新しい曲でも、誰かが好きなバンドの曲でもなかった。
懐かしい音楽が、病室を包んだ。

律「……ふわふわ時間?」

けど、何か変だった。
サビに差し掛かったとき、漸く律は気付いた。ドラムがない。

澪「お前のドラムがなきゃ、私たちの曲はこんなんなんだ」

紬「もう曲になってないよね?」

唯「ぐだぐだよー」

梓「律先輩のドラムは、走りすぎてますけど……でも、それでも私たちの音楽の、
ちゃんとした土台だったんです。その土台がなくなると、私たちの音楽じゃなくなっちゃいます」

律「でも……他のドラムの奴、誘うって……」

澪「誘わないよ。誘ったとしても、たぶん合わなかったと思う」

唯「私たちには、りっちゃんのドラムしかないんだよ」

紬「りっちゃんじゃなきゃだめ」

律「そんなこと……」

梓「だから、戻ってきてください、律先輩」

澪「治療だって辛いと思う。病気は苦しいと思う。でも……頑張ろうよ律。
私たち皆、律が病気治して戻ってくるの待ってるからさ」

律「……」グスッ

唯「諦めちゃうのなんて、りっちゃんらしくないよ……?いつでもりっちゃんは
こんなのへっちゃらだ!って笑ってなきゃ」

梓「律先輩がそんなんじゃ、治るものだって治りません!」

紬「……私たちも出来る限りのことはするから。病気の治療はお医者様に任せる
しかないけど……」

律「……ごめん」

皆の優しい言葉に、律は知らず知らずのうちに呟いていた。
涙が止まらなかった。

律「皆、ごめん……。私、最低だな、自分のことしか、考えて、なかった……。
何でこんな病気になったんだって、何で私なんだって……怖くて仕方なくって……。
それで、誰の顔も見たくなくって……。本当は軽音部だって続けたかったけど、
脳腫瘍って聞いて、あぁもう私はだめなんだって思って……」

澪「……泣いていいよ、律」

律「……うっせーよ、バカ澪」ヒック

唯「りっちゃん、ごめんね、私たちちゃんとりっちゃんの気持ち考えないで……」

律「いいよ、ほんとは、帰れとか言っちゃったけど、心の底じゃ、皆に来てもらえたり、
辞めるなって言ってもらえて、嬉しかったから……。私、やっぱり生きたいよ……。
それで、また皆と音楽がしたい、バンドがやりたい……!」

梓「できますっ!絶対できます!」

紬「だから早く元気になって、りっちゃん!」

澪「それじゃあもう、これは必要ないな?」

ピラッ

律「え?……私の退部届け?」

澪「まだ正式にはちゃんと受取ってなかったんだよ、さわ子先生」

驚いた様子の律を見て、澪は満足げに笑うと、
突然それを破り捨てた。
律が澪を、軽音部に誘ったときのように。

澪「これで、律の退部の話はなくなった。いつでも戻ってこれるよ、律」

律「……皆、ありがとな……」

律はそう言って、今まで堪えていたものを全て吐き出すように、
泣き出した。

――――― ――

第一部はここで終わり。



まだ誰もいない病室は静かだ。
入院して一ヶ月。
だいぶこの静けさには慣れたけど、皆が学校へ行っているであろうこの時間帯は
寂しい。
そんな寂しさを埋めてくれたのは、やっぱり音楽だった。

病気で学校へ行けないからといって、澪たちが持って来てくれるノートの写しや
プリントをやろうという気はしない。
誰もいなくて寂しいとき、だから私は母さんが持って来てくれたドラムスティックで
リズムを刻んだ。
そうすると、心が落ち着いて安心できる。

今日もまたドラムスティックで積んであった教科書を叩いていると、
ドアが音もなく開いた。

「りっちゃん、検査の時間」と看護師さんが入ってくる。
私は慌ててスティックを布団の下に隠そうとしたけど、遅かった。

「また叩いてたの?まったく、いくら個室だからって、隣の病室に音聞こえ
るんだからね」
「すいましぇん……」
「ほんとに好きなのね、叩くこと」
「その言い方ちょっと如何わしい気もするんだけど」

でも、私は確かに大好きだ。
ドラムを叩くこと。

「まあ、皆と一緒に合わす方がもっと好きなんだけどな」
「それなら早く治さなきゃね」
「うん。約束もしたし。絶対治して武道館一緒に行こうなって」

落ち込んで一時期は辞めてしまった軽音部の皆が、私を励ましてくれた。
頑張って、と。一緒に頑張ろう、と。
そう言ってくれたから、私はこうして明るい未来を見れる。

「随分前向きになったのね。入院してきたときなんて、凄く暗い顔してたのに」
「……私、今生きてるし。澪たちのため為にもちゃんと治さなきゃって。だって私、部長だもん」

看護師さんは、「はいはい」と笑うとドアのほうへと歩いていった。
それから振り向くと、「検査行くよ」

「忘れてくれてて良かったのに……」
「早く治すためにはちゃんと検査もしないとね」

――――― ――

ドア スー

唯「おいーっす!りっちゃん調子どう?」

律「おっす。今日はだいぶ良いぜ」

澪「良かった。昨日は凄いしんどそうだったし……」

律「ごめんな、昨日は……」

紬「でも治療をちゃんとしてるってことでしょ?」

梓「放射線治療は大変だって聞きますし……」

律「うん、まあな……」

澪「髪、だいぶ抜けちゃったな」

律「う、うっせー」バッ

唯「そんなりっちゃんにプレゼント!」ババーン

律「へ?」

紬「千羽鶴じゃないけど、クラスの皆でりっちゃんが早く治るように願いを
込めて編んだ帽子よ」

梓「ちなみに私も編ませて貰いました」

律「……あ、ありがと……」ジワッ

“プレゼント”を受取りながら、律は涙声でお礼を言った。
唯たちは顔を見合わせほっとしたような表情をする。

澪「最近涙脆いな、律」ポンッ

律「言うなっ」グスッ



一方その頃。
診察室。

律母「先生、どうでしょう?」

医者「うーん……」カルテペラッ

医者「精神的に律ちゃんは落ち着いたみたいだから、良くはなってきてますね」

律母「そうですか……」ホッ

医者「ただ、やはり放射線治療ばかりでは律ちゃんの身体は持たないのでもう一度、
手術のこと考えてもらえませんかね?」

律母「はあ……。私も何度もあの子にその話を持ちかけてるんですが……。やりたくないの
一点張りで」

医者「……最初にあのことを言わない方が良かったのかも知れませんなあ」

律母「はい……」

医者「とりあえず、まだ油断は出来ませんが経過は順調ですのでこのまま放射線治療を続けて様子を見ましょう」

律母「ありがとうございます」ガタッ、ペコ

律「……ふう」トコトコ

溜息をつきながら律のいる病室へと向かう。
病室の前に着くと、中から声が聞こえた。
今日も唯たちが来ているとわかって、律の母親は病室に入ることを止めた。

唯「りっちゃん、りっちゃん!教科書積み上げて即席ドラム作ってみましたぞ!
腕が落ちてないか試してみてくだされ!」

律「バーカ、私の腕が落ちるわけないだろー!やってやる!」

タタンッ、タタンッ

律母「……」ズキン

律母「(……あんなに楽しそうに……。私は、あんたの命も、あんたの好きなものも
守ってやりたいのに……。どうすればいいの……)」


澪「ふーん……。確かに腕は落ちてないな」

律「だろっ!?」

梓「……律先輩。学園祭、一緒に出られませんか?」

律「え?」

唯「私たち、五人でライブやりたいよ。それに、あずにゃんにとっては二回目だけど、
私たちにとっては高校最後のライブだよ?」

律「うん……。けどその日、外出許可が出ないと……」

紬「まだ夏休みは始まったばかりだし、頑張って治しましょう!」

律「あ、そっか。今日から皆夏休みだっけ」

唯「そうだよう、だから今日から毎日りっちゃんのお見舞いに来れるよう!」

律「唯は私の貰ったお菓子食べちゃうから来なくていいや」

唯「う」

梓「そんなこと言って、ほんとは嬉しいんでしょ?顔、にやけてます」

律「う」

澪「……っ!」プッ

紬「澪ちゃん?どうしたの?」

澪「あはっ、あはは!やっぱ場所が違っても、私たちは私たちなんだなって……!」ククッ

一同「……」

一瞬静まり返ったが、次第に皆に澪の笑いが伝染していった。
律が元気よく手を振り上げる。

律「よーっし、待ってろよ学園祭!りっちゃん隊員が絶対に到達してやる!」


律母「学園祭?」

律「うん、いいだろ?」

律母「それはまあ……。けど先生に聞かなきゃ」

律「あの先生怖いんだよなあ……」チラッ

律母「無理。外出したいんなら自分で言いなさい」

律「うぅ」

律母「それより律。やっぱり手術……」

律「だーかーら。しないってば。何度言えばいいんだよ」

律母「けど……」

律「けどもくそもねーよ。大体今の治療でも治ってきてるんだろ?それでいいじゃん」ガバッ

律母「(手術の話になると、突然不機嫌になっちゃう)」ハァ

律「寝るから出てって」

律母「はいはい。お休み」

律「……うん」

――――― ――

ほんとは自分でも、そろそろ身体が限界に来ていることはわかっていた。
主治医の先生や、仲良くなった看護師さんにも何度も「手術したほうがいい」と
勧められていた。

けど、手術をしたら、私はあまりに大きいものを失ってしまうかも知れない。
それだけは、死ぬのと同じくらい嫌だった。

だから踏ん切りがつかない。
このまま治ればいいのに、と柄にもなくカミサマに祈ってしまう。

誰もいなくなった暗い病室で、また酷い頭痛に襲われた。
コールボタンを押しかけた自分の手を、必死で止める。
今誰かを呼んでしまったら、学園祭に行けなくなってしまうかも知れない。

早く寝てしまおう。
大丈夫、眠ったらこんな痛み、きっと忘れてる。


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最終更新:2011年03月24日 22:51