紬「じゃありっちゃん、参考書置いていくから」
律「うん、ありがとうムギ」
紬「じゃあ私そろそろ帰るね?」
律「なぁムギ、もう少し勉強教えてくれないか?」
紬「ごめんね、今日アルバイトなの…」
律「そうなんだ…」
紬「それに澪ちゃんがいるから、大丈夫でしょ?」
律「…う、うん」
澪「あぁ、ありがとなムギ」
紬「じゃあね、唯ちゃん」
唯「うん!がんばってね」
みんなにわざわざ集まってもらったのは私自身が抱えた宿題の為
みんなに迷惑はかけられないといくら私が思っていても
学校の方針でテストの点が悪ければ部活動は禁止になる
自然と迷惑をかけてしまう訳だ
澪「違う…ここは」
律「…」カリカリ
そうなる前に私はなんの恥じらいもなくみんなに頼る事にしたんだ
流石に後輩の梓に勉強を教えてくれとは言えず
集まってくれたのは1年の頃から仲の良いこの3人という訳だ
唯「がんばって!りっちゃん」
律「ありがと」
といっても我が家で私だけの勉強会という提案を持ちかけたのは私じゃない
それは机に向かう私の横で、時々呆れた表情を見せながらも
熱心に事細かく勉強を教えてくれる幼馴染の提案だった
昔からずっと一緒だった
お互いの気心を理解している存在
だからこそ私は彼女が今不機嫌である事を悟り
最善の策として常日頃和やかな雰囲気を放つムギにこの場に居てもらう様説得したが
見事に失敗してしまった
唯「あ、もうこんな時間…」
律「…」
澪「帰るのか?唯」
唯「うん、そろそろ帰ろっかな」
私が今一番避けなくてはならない状況
それは今澪と二人きりになってしまう事
別に澪が嫌いだとか、そういう訳じゃない
さっきも言った通り私達はお互いの気心を知っている仲だ
私から言わせればこのまま猫をかぶった澪のまま
今日一日をやり過ごしたいという気持ち
それが一番だ
唯にはなんとしても居てもらわなければならない
律「せっかくだから夕飯食べていきなよ、私作るよ?」
唯「え、でもりっちゃんの勉強の邪魔しちゃまずいよ」
澪「唯、なにか用事あるのか?」
唯「うん、ちょっと憂と約束があって…」
澪「なら仕方ないな、こんな時間まで律の為にありがとう」
唯「ううん、後はよろしくね澪ちゃん」
どうやら澪は私と正反対の事を思っているらしい
でも私も私で引く訳にはいかない
例え澪を余計に不機嫌にさせると解りきっていても
律「唯、もうちょっとだけ居ない?お菓子持ってくるよ」
唯「えっ…でも」
澪「…」
私の横に座る黒髪の彼女は明らかにピリッとした雰囲気を漂わせた
器用な事にもその雰囲気を唯には感じさせない様に、
そして横に座る私には十分に感じさせる様に
それは私を動揺させるには十分だった
形振り等かまってられない
椅子を立ち私は唯に詰め寄る
律「唯ぃぃ、行かないでぇぇぇ!!」ガシッ
唯「で、でも…憂待ってるし…」
澪「律、いいかげんにしろ、唯も困ってるだろ?」
私のわがまま以外何ものでもない
唯には普段私達がふざけている時とは別の、
何か尋常でない雰囲気を感じさせてしまった
私だってこんな事したくない
こんな悪い空気を作る原因に等なりたくない
だけど、それほど必死だったという事
これから起こってしまうであろう
最悪の事態を免れたかっただけの事
唯「じゃあ…ごめんねりっちゃん、がんばってね?」
律「…うん」
唯「澪ちゃん、よろしくね」
澪「あぁ、気をつけてな」
無常にもドアの閉まる音が室内に響く
それは私の苦痛が始まる合図の音であり、
私の頭の中を絶望で埋め尽くす音だった
律「…」
澪「…」
律「…」
澪「…」
机に向かいノートを開き、一心不乱にペンを走らす
勿論心ここにあらずの状態で勉強等はかどる訳もないのだが
唯を見送った後、私の後ろの椅子にそっと座った黒髪の彼女から
話しかけられない様にする建前の様な行為だ
澪「…」
律「…」
澪「…やっと二人きりになれたな」
律「…」
沈黙を破るその言葉は
ありとあらゆる手段よりも
私に澪が不機嫌であると伝えるには十分すぎるもので
私の鼓動を一気に激しくさせるものだった
律「…」
澪「…返事は?」
律「…」
澪「…」
律「…うん、そうだね」
澪「…」
律「…」
澪「…はぁ」
律「…」
澪「なんであんな事したの?」
律「…あんな事?」
澪「自分でわからないの?」
律「…うん」
澪「あっそ」
律「…」
澪「なら、もういいよ」
律「…あの…」
澪「…」
律「……ごめん」
澪「…」
律「ごめん……なさい」
告白してきたのは澪の方から
女性である澪が女性である私に恋仲になって欲しいと
そう持ちかけられたのが約三か月前の出来事
澪「もういいよ、律がそういう人だって解ったから」
律「…」
澪「そんなに唯が好きなら唯と付き合えばいい」
律「いや…そういうのじゃなくて…」
女性が女性と付き合う
不思議にも抵抗なんてなかった
いや違うな
澪と恋仲になるっていう事に対して
その時の私は抵抗なんて感じなかったんだ
笑っちゃうでしょ?
高校生にもなるのに
それがどういう意味かも考えずに
ただの友達の延長線上でしか、
澪に告白された時には考えられなかった
澪ともっと仲良くなれたらいいな
そんな幼くて軽い考えで、今現在に至るまで澪とこの関係を続けてる
澪「じゃあどういう事なんだよ」
律「それは…その…」
澪「私と二人っきりになるのがそんなに嫌だったんだ?」
律「違うし!そんな訳ないじゃん」
澪「…」
律「…」
澪「ふーん」
律「…」
澪「私さぁ、律のそういうところ大っ嫌い」
律「…」
澪「…」
律「…ごめん」
お互いの気心を知りつくしている
さっきはそんな事を言ったけれど
それは間違っていたのかもしれない
澪「本当に悪いと思ってるの?」
律「だからごめんって」
澪「ちゃんと謝って」
最初はこんなんじゃなかった
付き合い始めた当初は毎日が楽しかった
笑顔で幸せそうな澪の表情を見るのが
何よりも嬉しかった
律「…えっと…」
澪「…」
律「唯を引き留めてごめんなさい…」
澪「それだけ?」
律「…え?」
澪「他にもあるだろ?」
律「…え…えと…」
澪「…」
律「…」
澪「…」
澪の二面性に気付いたときも、最初は嬉しかった
澪が私にしか見せない一面を見せてくれる
それは私だけに与えられた特権
私達はお互い特別な存在なんだと
そんな思考の中で気持ちよくなれる自分がいた
律「…」
澪「手」
律「…え?」
澪「手…つないだろ?」
律「…あ」
澪「…」
律「…」
澪「馬鹿律」
律「…」
いつからだろう
それが苦痛になりかわってしまったのは
もう一度以前の私達の様に戻れたなら
そう願う事ばかり考えるようになったのは
澪「もういいよ」
律「…」
後ろに座る澪が私の後ろ髪にとんっとおでこをあてがう
私は決して澪と向きあう事はしない
拒絶の意思を澪に解らせる為だ
澪「今日も外はねひどいな」
律「…ほっといて」
勿論私の後ろ髪の事
別に私だって好きでやってる訳じゃない
これでも抑えてる方なんだ
私の毎朝の苦労は美しい黒髪を持つ彼女には一生解らない事だろう
澪「シャンプー何使ってったっけ?」
律「多分言っても解らないと思う」
私の後ろ髪に鼻を密着させた彼女がすんと息を吸い込む
私は軽く俯いてそっけなく質問に答える
今日一日を過ごした自分の髪の匂いを嗅がれる等
あまり気持ちのいいことではない
澪「なんで逃げるんだよ」
律「さぁ」
澪の顔が私の後ろ髪を追いかける
さっきよりも強く息を吸い込む澪の息が
私の後頭部を生温かく感じさせる
澪「良い匂い…」
律「…」
どうせまた始まるんだ
二人きりになった時点で解ってる
どうしてこんな事になってしまったのか私にも解らない
澪ともっと仲良くなりたくて
澪の違う一面を知りたくて
いずれにしても澪と深い関係を望んでいたのは確かだ
私は澪の求めていたものに全て応えた
例え女性同士であろうとも、私達は男女の関係に徹した
どうしてなんだろう
気がついたらもう以前の私達じゃなくなってたんだ
澪「律…」
律「…」パンッ
私の胸に向かった澪の手を払いのける
煩わしいとしか感じない
こんなやりとりなんか私は求めていない
私は…
私は…
律「私は澪のおもちゃじゃない!」
澪「…」
律「…」
澪「…」
律「…」
言葉を発した瞬間後悔する
澪の性分を知らない訳じゃないのに
澪「今日は機嫌悪いんだな」
律「…」
もう少し動揺すると思ったのに
勿論澪の方がね
私が澪に対して初めてはっきりと示した拒絶感
それに触れても澪は淡々と私に話しかける
澪「さっき私が怒ったせい?」
律「…」
澪「喋ってくれないと解らないよ」
知ってる癖に
もううんざりなんだ
こんなやりとりさえも
澪「…はぁ」
律「…」
澪「律、目閉じて?」
律「…」
澪「聞いてるのか?」
律「…やだ」
澪「…」
ダンッ!
律「ひっ」
澪「目…閉じて?」
私の開いたノートをめがけ澪の掌が振り落とされる
勢いよく弾ける荒々しい音に対して
私は恐怖を感じずにはいられなくなり
私の体は頭で考えるよりも早く澪に従う事を選択した
澪「両手を机の上に置いて」
律「…」
澪「どうした?早く」
律「や…やだ…」
澪「…」
律「…」
澪「早くして?待ってるんだけど」
律「やだよ澪!怖い…何するか言ってよ!」
澪「いいから両手出せって言ってるだろ!!」
律「…!」
耳の奥まで突き刺さる様な澪の罵声
先ほど後悔を感じたのはこういう事になるのが解っていたから
暗闇の中で思う事は澪への恐怖しかない
私は必死に澪に許しを請う
震える自分の両手を机の上に差し出す
澪「私に大きな声出させないで」
律「…」
澪「手のひらを開けて下にして」
律「…」
澪への抵抗なんてもう考えられない
恐怖で全てを支配された私の脳内は
澪の命令に従う事だけに頭を働かせている
澪「目…開けたらダメだぞ?」
律「…」
水の音?
コップに注いでる
ムギの差し入れのお茶なのだろう
それをどうする
私に水をかけるのか
震えが止まらない
カタカタと自分の奥歯が鳴っているのがなんとも情けない
律「…ひっ!」
澪「動くなよ、そのまま」
トンと手のひらの甲に何かが置かれる
そんなに重い物じゃない
ひやりと冷たい感触がぞくっと私の背筋を凍らせる
目を開かずとも解る
私の両手の甲に置かれたのはお茶が注ぎ込まれた紙コップだ
澪「目、開けていいよ」
律「…」
澪「…」
律「…なんで」
澪「律、それ大切なノートなんだ」
律「え…」
澪「濡らさないでくれよ」
両手の甲の上には8分にお茶が注がれた紙コップ
両手の手のひらの下には澪から借りたノートとムギが貸してくれた参考書
律「澪…取ってよ、こぼしちゃう…」
澪「いくらムギでも大切な参考書濡らされたら怒るだろうな」
律「なんでこんな事するんだよ…」
澪「…自分の胸に聞いてみなよ」
律「…」
荒々しくも私の後頭部に顔をうずめる
くしゃっと澪の前髪と私の後ろ髪が重なる音がする
開けた窓から入ってきた初夏の夜風が二人の髪をなびかせた
澪「動いちゃだめ」
律「…」
変なやつ
他人の髪の匂いなんて
嗅ぎたいとも思わない
澪「…」
律「…」
澪「…すっごく良い匂いだよ」
律「…そう」
なおも顔をうずめたまま
彼女の指が私の横髪を撫で始める
彼女の指によってかき分けられた髪の中から
私の左耳があらわになる
澪「耳…好きだよね」
律「…」
澪「…」
律「…知らない」
私の耳元で呟いたその言葉が
過去にあった出来事を思い出させる
澪の吐息が私の耳にかかる
耳から入ってくる澪の息遣いが
なぜか大げさに私の頭の中に響き渡る
澪「…」
律「…だめ」
澪「…」
律「…やめてよ」
澪「…」
律「…」
澪「…はむ」
律「…っ!」
くぱぁと澪の唇が開く音が聞こえてから
私の耳たぶが澪の唇に包みこまれる
澪「ちゅ…ちゅぷ…」
律「…」
澪「ちゅる…」
律「だ…だめ…」
最終更新:2011年03月25日 23:35