いつものように学校への道を歩いていると、後ろから純ちゃんの声がした。

純「梓ちゃん、おはよう!」

梓「おはよう、純ちゃん」

あいさつを返して、ならんで学校へと歩き始めた。

梓「そういえば純ちゃん、風邪はもう治ったの?」

昨日、純ちゃんが風邪をひいたと言って、一日中マスクをしていたのを思い出して言った。

純「風邪?」

梓「うん、昨日は一日中、咳してたでしょ?」

純「私、風邪なんてひいてないけど?咳もしてないし」

梓「あれ?そうだっけ?でも、昨日は体育も見学してたじゃない」

純「なに言ってるの、昨日の体育は梓ちゃんと同じチームでバレーボールしてたでしょ」

梓「え?そうだっけ?おかしいな」

純「誰かと間違えてるんじゃない?」

いや、そんなはずはない、確かに昨日は純ちゃんはマスクをしていたし、体育も見学していたはずだ。
熱がありすぎて意識が朦朧としてたのかな? そんな失礼なことを考えてしまった。

学校に着いて、一限目の授業の準備をしながら、なんとなく憂の姿を探したが、
憂はまだ来ていないようだった。

憂が授業開始ぎりぎりまで来ないないんて、めずらしいな…
そんなことを考えてるうちに、先生が来て授業が始まってしまった。

結局、昼休みになっても憂は学校に来なかった…
憂はきょうは休みか… 風邪でもひいたのかな?

純「梓ちゃん、お弁当たべよ」

梓「うん」

お昼はいつも、憂と純ちゃんと三人で食べている、今日は憂がいないので、二人だけだ。

純「その卵焼き、おいしそうだね、一つちょうだい」

梓「うん、いいよ」

このときまでは、いつも通りの日常だった、このときまでは…

梓「そういえば、憂が学校休むなんてめずらしいよね、風邪でもひいたのかな?」

私はとりとめもなく、そう口にした。

純「憂?」

純ちゃんは不思議そうに首をかしげて、続けた。

純「憂ってだれ?」



……………えっ?


純ちゃんの言った言葉の意味を理解するまで時間がかかった。


梓「だれって、憂だよ! 平沢憂!」

私は語気を強めて言った。

純「平沢…憂……? うーん聞いたことないなあ、何組の子?」

熱をだしすぎて、記憶まで飛んでしまったのだろうか?


梓「なに言ってるの!うちのクラスの憂だよ、ほら、あの席の」

私は窓際の、憂の席を指差しながら言った。
こんどは純ちゃんのほうが、驚いた顔をした。

純「梓ちゃん…あの席は、ずっと空席だよ…」

私は混乱した、なんで純ちゃんがそんなことを言うのか、わけがわからなかった。

梓「なんで…なんでそんなこと言うの……憂とケンカでもしたの…?」

純「ごめんなさい、本当にわからないの…それに、うちのクラスに平沢憂なんて人は……」

最初は純ちゃんが冗談でも言っているのかと思ったけど、
純ちゃんの顔は真剣だった。

梓「だから、憂だよ! 軽音部の、唯先輩の妹で…」

純ちゃんはまた驚いた顔をした、
そして次の言葉は、私をさらに混乱させた…


純「うちの学校に、軽音部なんてあったっけ?」


放課後、私は軽音部の部室へと向かっていた。
あのあとも、純ちゃんに何度尋ねても、平沢憂なんて人は知らないと答えるだけだった。

やっぱり、憂とケンカでもしたのかな……
それとも、まさかいじめとか…
純ちゃんがそんなことをするとは考えたくなかったけど、
もしそうだとしたら、なんとかしなくちゃ。

とりあえず、今日は唯先輩に、憂の最近の様子とかを聞いてみよう、
なにかわかるかもしれない。

そんなことを考えているうちに音楽室の前に到着し、
私は扉を開けて中へと入った。

梓「こんにちはー」

あいにく、中にいたのは澪先輩だけだった。
澪先輩は、なぜか今日は律先輩の席に座っていて、本を読んでいた。


梓「ゆ…」

唯先輩はまだ来てないんですか、と、聞こうとして、途中で止まってしまった。

澪先輩が、驚いたような、困惑したような表情で、こちらを見ていたからだ。
?どうして、そんな顔をしてるんですか?
まるで、知らない人が急に部屋に入ってきたみたいな………

私がそんなことを考えていると、
澪先輩はパッと表情を明るくして、こう言った。


澪「あっ、もしかして、入部希望の人とか?」


入部……希望……?


梓「なに言ってるんですか?澪先輩?」


澪「?どうして、私の名前を?」

知ってるの? とでも言いたげに首をかしげた…


律先輩や、唯先輩ならともかく、澪先輩がこんな冗談をいうなんて、
いったいどうしたんだろう…?  冗談…ですよね…?


梓「冗談はやめてください!中野梓ですよ!忘れちゃったんですか?」

私は不安のためか、いつもより声が大きくなっていた、
澪先輩は、その声に驚いたようにビクッと体を震わせて、言った。

澪「中野…梓…さん?前に会ったことがあったかな?ごめんなさい、思い出せなくて…」

冗談…だと思いたかったけど、澪先輩の目は真剣だった…
私の中の不安がだんだんと大きくなっていくのを感じて、
私は半ば叫ぶように喋っていた。


梓「いいかげんにしてください!軽音部の後輩の、中野梓ですよ!」

澪「軽音部…?」

澪先輩は困惑したように言った、
そして次の言葉は、私を困惑させた。

澪「ここは…文芸部だけど…」

私の混乱はピークに達していた、これ以上ここにいたら、
おかしくなってしまいそうだった…

梓「ごめんなさい!まちがえました!」

そう言って私は音楽室の外へでた。
一人になって、心を落ち着ける必要があった。

振り返って扉の上をみると、音楽室と書かれたプレートの横に、
手書きで文芸部とかかれたプレートが貼ってあった。

いったいどこの学校に、音楽室を部室にする文芸部があるというのか…
頭の混乱は、いつまでたっても収まらなかった。


しばらくして、心のほうはだいぶ落ち着いてきた。
頭もすこしは冷静に動くようになってきたようだ。

そうだ、ほかの先輩達を探そう。
この状況は、とても一人では解決できそうにない。

まずは唯先輩か律先輩かムギ先輩を探して相談しよう。
そう思い立って、私は二年生の教室のある二階へと向かった。


うう、やっぱり上級生の階は緊張するなぁ
びくびくしながら先輩達を探していると、前のほうに見知った後姿が映った。

ムギ先輩だ!


私は廊下を走って、ムギ先輩に近づいていった。

このとき、私はもうちょっと慎重になっておくべきだった。

だけど、このときの私は、混乱と不安で、それどころではなかったのだ…

私はムギ先輩の両肩をつかみ、早口で言った。


梓「ムギ先輩!大変なんです!澪先輩の様子がおかしいんです!」

紬「きゃっ、え?え?」

梓「私のこと知らないとか、ここは文芸部だとか変なこと言ってるんです!一緒に来てください!」

紬「え?なんのこと…ですか…?それより、放して…ください…」

私はまた愕然とした…
なんで、なんでそんな顔するんですか?ムギ先輩
まるで、知らない人にいきなりつかみかかられたみたいな…

呆然としていると、横から誰かに突き飛ばされた、
その衝撃でムギ先輩をつかんでいた手がはなれる。


律「おい!お前!ムギに何してんだ!」

梓「律…先輩……?」

律「ムギ、お前の知り合いか?」

紬「いいえ…知らない人だわ…人違いじゃ…?」

梓「律先輩、私のこと…覚えてないんですか…?」

律「ああ、知らないな、今度ムギに何かしたらぶっとばすからな! いこう、ムギ」

そう言って二人は立ち去ってしまった…

私の頭はまた混乱していた、わからないことだらけだった。
おかしい、全てがおかしかった。
ただ一つわかったことは、客観的に見ておかしいのは、私のほうであるらしいということだけだった…

私は部室に戻る気力もなく、そのまま家に帰ることにした。
どうやって帰ったのかは覚えていない。
その後も、夕食や入浴もうわのそらのまますませて、ベッドに入った。

きっとこれは何かの間違いだ。
今日寝て、明日起きれば、きっと全て元通りだ。
そう自分に言い聞かせた。
たぶん、先輩達は私をからかっていたんだ。
明日学校にいけば、唯先輩が、ひっかかったね、あずにゃん!とか、
そんなことを言ってまた抱きついてくるんだ、きっとそうだ。

だけど、冗談と言うには明らかに悪趣味だった…
先輩たちなら絶対にやらないような、悪い、悪い冗談だ。


結局、朝まで眠ることはできなかった。
学校に着いて、自分の席でぐったりとしていると、
純ちゃんがやってきた。

純「梓ちゃん、おはよう、大丈夫?」

私の頭が、という意味だろうか?

それには答えずに、聞き返した。

梓「純ちゃんは、入学したころ憂と一緒に軽音部に見学にいったよね?」

そう聞くと、純ちゃんは困ったような悲しいような顔をうかべて答えた。

純「だから、憂なんて人は知らないし、軽音部なんてなかったんだってば」

梓「だけど、この前の文化祭で軽音部はライブをやったでしょ?」

そう返すと、純ちゃんは諦めたような表情で言う。

純「梓ちゃん、しばらくは、ゆっくり休んだほうがいいと思うよ…」

そう言った彼女の目は、体調の悪い友人を気遣うものだった…


納得のいかなかった私は近くにいたクラスメイト数人に、
二つの質問を浴びせて回った。

平沢憂を知ってるでしょ?

軽音部は文化祭でライブをしたよね?

得られた答えは芳しくなかった、全員図ったように、

「知らない」

「してない」

と答えるだけだった……

放課後、私はまた、二年二組の教室へと、向かっていた。
私には最後の希望があった、唯先輩だ。
唯先輩なら、きっと私のことを覚えてくれている。そう信じていた。

二年二組の前まで来て、私は教室の中を覗き込んだ。

うう、人がいっぱいいてよくわからないな、誰かに聞いてみようかな。
だけど、知らない人に話しかけるのは、やっぱりこわい。
でも、二年二組で知ってる人は先輩達三人しかいないし…

「おい!」

そんなことを考えていたら、後ろから声をかけられた。
びっくりして振り返ると、そこには律先輩がいた。

律「おまえ、またムギに何かしに来たのか?」

律先輩が怒気をふくんだ声で言う。
私はあわてて弁解した。

梓「いえ、ち、違うんです、人を探してて…」

律「二年二組で? いったい誰を?」

梓「えっと…平沢唯さんって人です」

律「平沢唯?」

律先輩の語尾にはクエッションマークがついていた。
嫌な予感が私の中を駆け巡る…

律「そんな奴は、二年二組にはいないな、ほかのクラスでも、そんな名前は聞いたことない」

梓「そんなはずはっ!」

律「私が嘘ついたって、何の得もないだろ」

律先輩はあきれたように言う。

梓「だけど、唯先輩は、たしかにここにいたんです!」

律「はぁ、めんどくせえなぁ、ちょっとここで待ってろ」

そう言って律先輩は教卓へ向かい、何かを手にとって戻ってきた。

律「ほら、これに二年の名前は全部のってる、気が済むまで見ればいい」

そう言って手渡されたのは、クラス名簿だった。
私は無心でページをめくり、平沢唯の名前を探す。


そんな……


何度見ても、そこに平沢唯の名前はなかった…

律「気が済んだなら、もう行けよ、ムギがお前のこと怖がってる、もうここへは来るなよ」

律先輩は冷たく言い放ってその場を去っていった。

私の最後の希望は、あっけなく打ちくだかれてしまった……

どこにも行くところが無くなってしまった私は、
気がつくとまた、部室の前までやってきていた。

部室といっても、ここは軽音部ではない、文芸部だ。
少なくとも澪先輩によると、そういうことになっているらしい。
私は無言でドアを開けて中に入った。

澪「!あなたは、昨日の」

私が中に入ると、澪先輩が明るく話しかけてきた。

澪「今日も、部活の見学に?」

見学? ああ、そうか、ここは文芸部なんだっけ。

梓「はい、見学…してもいいですか…?」

澪「もちろん、どうぞ、座ってて、今お茶を入れてくるから」

そう言って澪先輩はコンロへ向かった。
しばらくして出てきたのは、ティーバッグで入れたような紅茶だった。

澪「どうぞ」

飲んでみたが、味もティーバッグのものだった、
ムギ先輩がいつも入れてくれるものには、遠く及ばない味だ。

澪「中野…梓さん、だったっけ? 私のことは知ってるみたいだったけど、
一応自己紹介するね、私は秋山澪、二年生で、文芸部の部長をやってます」

部長っていっても、部員は私だけなんだけどね、と付け加えた。

確かに前半は知っていたが、後半は初耳だ。
私の知ってる澪先輩は軽音部で、軽音部の部長は律先輩のはずだ。

梓「ここは昔、軽音部の部室だったと思うんですけど…」

私がそう言うと、澪先輩は少し驚いた顔をして、よく知ってるね、と呟いた。

澪「去年の春、私とほかの二人で、軽音部をつくろうとしたんだ、
だけど、四人目のメンバーが見つからなくて、結局廃部になっちゃったんだ」

澪「それ以来、私はここで文芸部をしてる、文芸部は一人でも活動できるから、
同好会として認めてもらってるんだ」

部費はでないんだけどね、と、小声で付け加える。

そう、おかしいのはそこだ、私の記憶では、その四人目のメンバーこそ、
唯先輩のはずだった。

澪「平沢唯?ごめん、私の知り合いにはいないなぁ…」

だけど、帰ってきた答えは、同じだった…

梓「ほかの二人っていうのは、律先輩とムギ先輩のことですか?」

私がそう聞くと、また驚いた顔をして、二人を知ってるんだ、と呟いた。
二人のその後を尋ねると、

澪「ムギはもともと入りたがってた合唱部に入った、律は帰宅部だ、毎日遊びまわってるらしい」

律らしいよ、とあきれぎみに呟く。

……

………

会話が途切れてしまった、もともと、私も澪先輩も、積極的に話すタイプではない。

沈黙に耐えかねて、話のネタを求めて部屋の中を見渡した。

そうして私は、部室の入り口付近に、私の知っている部室と同じように、
ドラムとベースとキーボードが置かれていることに、いまさらながら気づいた。

梓「あのドラムは、律先輩の…?」

澪「ああ、律の奴、めんどくさがって持って帰らないんだ、
私とムギも、なんとなくそのままにしてる…」

澪「だけど、よく律がドラムだってわかったな?」

梓「律先輩は、ドラム、って感じですから」

私がそう言うと、澪先輩は楽しそうに笑った。

再び会話が途切れてしまい、私は一言断って、
部室の中を歩き回って調べることにした。

こうして見ると、私の知っている部室とほとんど変わりはなかった。
ただ一つ違ったのは、食器棚に入っていたティーセットの変わりに
十数冊の本が並んでいることくらいだった。

いや、もう一つ違いがあった、裏まで落書きでいっぱいだホワイトボードが、
ここでは真っ白だ。

めざせ武道館 バンド名決定 放課後ティータイム

ひとつひとつ思い出がある落書きが、ここにはなかった。

私はなんとなくホワイトボードをひっくり返してみた
理由があったわけじゃない、もしかしたら何か先人達の落書きが残っているかも、
そんな軽い気持ちだった。
だけど、そこに書かれていたのは、私の予想を超えたものだった。



プログラム起動条件・鍵をそろえよ・最終期限・四日後



これ…は…


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最終更新:2011年04月01日 04:57