純視点
私は、澪先輩とキスをしようとしていた。
澪先輩の吐息が近い。
純(これが、私のファーストキスだな)
澪先輩の切れ長の目をまじまじと見ながら、心の片隅で思った。
いける、そう確信した。
その確信を、ぶち壊すみたいに。
ガララララッ!
と、勢いよくドアが開かれた。
憤怒の形相をした、梓がいた。
抱き合う私たちを、ねめつけていた。
――――嫉妬するように。
澪視点
ガララララッ!
扉の開く音。
首だけで後ろを見る。
――梓の姿。
乱入してきた梓を見て、咄嗟に私は純を突き放した。
純「あ、梓! 覗いてたのね! 信じられない!」
だから私も抗議しようと――それより早く、梓が言う。
梓「黙れ」
女豹のようにガンを飛ばし、純を睨んでいた。
ぐるるるる、と今にも威嚇しそうだった。
純「ふ、ふん! 何よ! 悔しいの!?」
梓「当たり前」
頭が、熱暴走しているように見えた。
怖い。今にも暴れだしそうな雰囲気の、梓が怖い。
襲い掛からんとする梓に畏怖し、意図せず私は純の制服の袖を―――
―――ぎゅっと、つかんだ。
その光景を見た梓は、戦慄するように言った。
梓「……そう。澪先輩は、もう純に、ぞっこんなんだね」
澪「は、はぁ?」
梓「私、澪先輩のこと大好きなのにな……」
臆面もなく、宣言する。
梓「一年以上もずっと一緒にいて、澪先輩って、鈍感ですね」
梓「ずっと、愛してたのに」
梓「つい最近しゃしゃり出た女に、盗られるなんて」
梓「簡単に、奪われるなんて」
梓「澪先輩に……裏切られるなんて」
独白するように、梓は言う。
澪「な、何がだ? 梓をいつ裏切った?」
梓「鈍、感」
澪「だから何がっ!」
梓「―――許さない」
澪「は、はぁ?」
梓「みんな私に意地悪する!唯先輩も、律先輩も、みんな、みんな……っ」
梓「律先輩は生意気とか言うし! 唯先輩はべたべたひっついてくるし!」
壊れたラジカセのように、梓は言い続ける。
梓「純も、澪先輩も、―――最悪!」
まるで会話が出来ない。私は匙を投げた。
澪「―――まあ良い。ただな、今はプライベートなんだ。例え知り合いでも、覗くな」
しかし、梓は私の言葉に、聞く耳なんか持っていないようだった。
梓「私から澪先輩を奪った、純なんか死ね!」
私は梓に憤った。死ねなんて、いくら友達にでも、言って良いことと悪いことがあるだろう。
純だって、傷つくはずだ。死ねといわれて、喜ぶ人間がいるとしたら、そいつはどうしようもないマゾヒストだ。
純「……出てけ」
そのとき私は、純の呟きを聞いた。
腹の底から出しているような声音。
純「梓! 私は梓よりも澪先輩を愛してるんだ! 邪魔をするな! 出てけ!」
純「梓はね! 振られたんだよ! 私を選んでくれたんだから!」
懇願するみたいに、純が猛る。
純「私は 梓「皆、死んじゃえ!」
純の言葉を遮るようにして、梓は部室から出て行った。
澪「………な、何だったんだ」
去った後。けいおん部で梓がで飲んでいた、ローズヒップティーの残り香はもうなくなっていた。
純視点
梓が脱兎のごとく、出て行く。
澪「な、何だったんだ」
澪先輩が問うように言った。
純「………きっと、嫉妬してるんです」
澪「し、嫉妬?」
純「梓も、澪先輩のこと、好きだったんですよ」
できれば、言いたくなかった。
梓の気持ちを、澪先輩に言いたくなかった。
澪「ああ、言ってたな」
純「それで、私に先輩を取られたのが、くやしかったんです」
私は知っていたのに。
梓が澪先輩を好きなことを。
なんて、残酷なことを言ってしまったのか。
今更思う。
自分勝手な後悔の念が、私を縛り付けた。
澪「つまり……」
純「………はい」
澪「三角関係ってこと、か?」
純「……はい」
澪先輩も、そこまで鈍感じゃないらしい。
澪「………」
純「あの、それで、さっきの続きなんですけど」
空気が読めていないのは、承知していた。
澪「続き?」
純「き、キス……」
澪「……純は、大丈夫なのか?」
純「私? 何がです?」
澪「梓と、友達、なんだろ…?」
純「……はい」
純「でも、私は、梓以上に」
告白したときみたいに、顔が熱くなる。
純「澪先輩のことが、好きなんです」
澪「……どこがいいんだ?」
純「……私を細胞ごとに分けても、きっと答えはわかりません」
純「ただ、好きなんです。理由なんて要りません」
誰よりも、好きだ。世界中の人に、言える自信がある。
澪「……ありがとう、でも―――」
純「……でも?」
嫌な予感が、した。
澪「私は、純が好きだ。それは確かだ、でも、後輩として、梓も好きなんだ」
それは必然とでも言うように、私に突きつけられた言葉。
純「…………」
やっぱり、と思う。
澪先輩らしい、とも思う。
澪「だから――」
ただ、澪先輩の言葉に付け加えるとしたら、それはきっと。
純「わかってます。追いかけるんでしょ?」
私は『ですよね?』 というようにして尋ねた。
澪「……いい、のか?」
純「はい。でも、……」
私はお願いを変えて、言おうとした。
それを言うより早く、澪先輩が言葉をつむいだ。
澪「後でで、いいか?」
純「……約束ですよ。指切りしましょう」
澪「私がちっちゃかった頃の、ママに似てるな…」
純「ママ?」
澪「お、お母さんだ!」
澪視点
私はジャズ研部室から出た。
梓を探した。
どこにいるかは、全く判らない。
でも、何となく、判ってしまった。
私は走って、そこの扉を開く。
音楽室、とプレートの張られた部屋の、扉を。
澪「いたか、やっぱり」
梓視点
澪「いたか、やっぱり」
後ろから、声が聞こえた。
耳に馴染んだ、声だった。
澪先輩の、声だった。
私はトンちゃんから背後に目を移す。
梓「何しに来たんですか、澪先輩」
澪「仲直り、かな」
よくわからないな、と澪先輩は苦笑する。
梓「帰ってください」
澪「私はけいおん部の一員だからな。帰る必要はない」
梓「……純は?」
澪「おいてきた。ジャズ研に、いるかな?」
梓「そうですか。それで、何しに来たんですか?」
澪「さあ? わからない。あ、そうだ、紅茶、用意しようか?」
梓「いいです。別に」
澪「そういうなって。ローズヒップティーがいいか? ミルクティー?」
梓「……前者で」
澪「よし。じゃ、私はレモンティー、と」
放課後の、誰もいない部室は、気味が悪いほど静かだった。
数分して、紅茶の匂いが漂った。
澪「お、初めて淹れたにしてはいい香りだな」
私のいつも座っている席に、ティーが置かれた。
澪「こっち来て飲もう」
梓「はい、です……」
私はしぶしぶ、席に着く。
澪先輩が、紅茶をすする。
ずずず、と言う音が、やけにうるさく聞こえる。
澪「ごめんね。梓の気持ち、わからなかった」
梓「……遅いです」
澪「悪い、すまない」
梓「いいですよ、別に」
澪「……落ち着いた、か?」
梓「落ち着かせるのなら、アイスティーにするべきですよ。頭を冷やすって言う意味で」
澪「折角、ムギに美味しい紅茶の入れ方を学んだんだ。だから実践してみたかったんだ」
梓「へえ……誰のために、ですか?」
澪先輩は、少し間をおいて言った。
澪「律の、誕生日なんだよ」
梓「………」
私のためだと答えてくれると、ちょびっと期待していた自分がいた。
だから余計に、がっかりした。
澪「あいつのために、ケーキの作り方も覚えてさ」
澪「サプライズパーティを開くことにしたんだよ」
梓「聞いてません」
澪「ムギにしか言ってないからな。唯も知らないだろ」
澪「そうだ、唯といえばさ」
梓「何です?」
澪「あいつ、梓のこと好きらしいんだ」
梓「え」
澪「このまえ、私たちに聞いてきたよ。どう告白したらいいかなって」
梓「……」
澪「梓。だからさ、唯が変なことをしてくるの、別に嫌がらせとかじゃないからな」
澪「小学生の男子が、好きな女子に、ちょっかいをかけるみたいなもんだ」
梓「……知りませんでした」
澪「律だって、お前が嫌いなわけじゃない。だからさ、最悪なんて、言わないでくれよ」
その言葉で、さっき私の吐いた雑言を、咎めているのだと気付いた。
梓「…すいません」
澪「いいって。生きてく上で、勘違いはつき物だよ。律が言ってた」
梓「……はい」
あと、と先輩は続ける。
澪「―――純から、聞いたんだけどさ」
梓「……はい」
澪「好き、だったんだってな」
私の顔は、茹でられた蛸みたいに、赤くなっているに違いない。
梓「ずっと、前から、です」
澪「そうか」
梓「澪先輩のベーステク、見てから、憧れて」
澪「ああ」
梓「気付いたら、好きになってて」
何だか、告白してるみたいだった。
そう。
―――私は、どうのしようもないくらい、澪先輩を好きになっていた。
澪「……どうしたらいいかな」
梓「何が、ですか?」
澪「純にさ、告白OKしちゃったんだ」
澪「でも、良く考えたら、そんなに簡単に答えだしたこと、後悔してさ」
澪「律の顔が、浮かぶんだよ」
澪「私はさ、梓の言ったとおり、鈍感なんだけどさ、わかったね」
澪「皮肉なことに、告白にOKした後にさ」
澪「私、律のことが好きだったんだなって」
そのとき、きいいい、と、部室の扉が開いた。
純がいた。
少し、泣いていた。
最終更新:2011年04月01日 06:13