座っていた彼女が慌てて立ち上がり、椅子を倒した

「お、おま……おまえ……!!」

「なんだよー。こっちだって恥ずかしいんだからな」

「ならなんで……」

「だあああ、もう3月の返事だよ3月の」

少し私も恥ずかしくなってきた
落ち着いて考えるととんでもないことをやってしまった気がする
おそらく目の前の彼女と同じように私も真っ赤だ

「………律、覚えてたんだな」

「覚えているに決まってるだろ」

「返事がなくてもいいと思ってた」

「なくてもよかったのかよ」

「…………」

澪が今なにを考えているかわかる

「それならいいじゃんか」

「だってさ、返事にしたってまず言葉が返ってくるとおもうだろ。それがいきなりキスって」

「こっちだって恥ずかしかったんだからなっ」

彼女がきょとんとした顔をする
少しの沈黙。そして彼女が口元に手を当てると

「……ぷくくく……バカ律……そんなに真っ赤になるくらいならやらなければよかったのに」

澪が顔を赤くしながらこらえきれずに笑った
そして私に一歩近づき

「言葉では言ってくれないのか?」

「言えるかっー!!」

「それでも言ってほしいっていったら?」

「うっ……」

私は言葉につまってしまう
どこか楽しそうにしている彼女はどこか子供っぽく、また雨のせいかどこか大人の艶かしさがあった
だから私はどうしようもなくなって

「いいか、一回しか言わないから聞いとけよ」

彼女がコクリと頷いた

「――――」


次の日は晴れだった
前日の水気などすべて干してしまいそうな日差しが強い日
冬も近づいているというのに、暖かい日だったのは覚えている

少し浮かれた気分で部室にいくとやはり人がいた
だがそれは思ってもみない人物

「先輩……」

そこにはボーカルの先輩がいた
あまりいい予感がしない
このまま背中を向けてしまいたかったがそうもいかない

「こんにちは、新部長さん」

彼女が妖しく微笑んだ

「先輩、荷物の忘れ物かなにかですか?」

「えぇ……まぁちょっと忘れ物かな」

「そうなんですか。あ、澪たちはまだこないですよ」

「あらっ、いいの。私が話があるのは田井中さんだけだから」

嫌な予感
彼女の笑みに秘められた悪意
だれかが人は悪意には敏感だと言っていた
それが今身をもって分かった気分だった

「ねえ、田井中さん? 今話題の人たちとして気分はどう?」

嫌味。学園祭の演奏のことだ
話題といっても、そんなたいしたものではない
大学内で少し話のタネになる程度だ
それでも彼女達にはなにか黒い感情があったのだろう

「話題って言っても澪や唯のことでしょう? 私なんて目立ちませんから……」

できる限りの謙虚さを出しながら行った
彼女達にはそれが嘘かどうかなんてわからない

「そうねぇ、秋山さんなんてファンクラブができたんだってね」

しくじったと思った
矛先が澪に向いてしまった
なんとかしなければならない。

「でもそれも本人の意思には関係なくですから」

「へぇ、立派なご身分ね」

目が笑っていない
黒い感情のパラメーターはまだ発散されていない
そろそろ私も我慢できずに、腹の中のものをぶちまけたくなってくる

「だからなんなんですか?」

これが最終ライン。
防波堤はすでに壊れている

「ちょっと、そんな怖い目でこっちを見ないでよ」

「ならはやくなにがいいたいか言ってくださいよ」

ともに口を閉ざした。そして待つが……
さきに折れたのは先輩のほうだった

「あぁもういいわ。お互いお腹の中の探りあいはやめましょう」

「………」

ここからが本音ということだ
つまり今より真っ黒なものが……

「私たちね、本当はあなたたちみたいになりたかったの」

なにも言わずにただ続きをまつ

「そう、ただほんの少し誰かの話題の中心になりたいだけ。知ってる? 女はとても嫉妬深いのよ」

それはあからさまな嫉妬
成功した私達と、失敗した彼女達
自業自得――そう言ってやりたかった。
でも言えば本音が止められなくなる気がした

「だからなんなんですか? 先輩達がやってきた結果があれですよ」

「そんな正論あなたに言われないと気付かないと思う?」

「いいえ、思いません。先輩達は根が腐ってるのは今わかりましたけど、バカじゃないことは知ってますから」

「腐ってる、か……そうかもね。今からやろうとしてることは腐りきってるかもね」

「………」

「ねぇ、田井中さん。少し私達の気を晴らすおもちゃになってよ」

我慢の限界

「……ふざけな……」

「私さ、秋山さんって嫌いなの。」

私の言葉を遮って、先輩の口から予想外の言葉が漏れた
この人はなにを言ってるんだ?

「……なにを……」

「だってさ、ベースもうまくて、歌も歌えて、あのルックス。ほらっ、これだけ彼女を妬む要素がある」

「だからなにを……」

「まだ足りない? ほら努力家なところとか、そうそうあの甘ったるい歌詞も彼女がつくってるんだっけ?」

それが彼女に向けられた嫉妬
もたなかったものの羨望
だけど、このまま彼女の言った言葉を受け止めるのだけはいやだった

「だからなんなんですか。それはただの嫉妬でしょ? 私達に向けられるのはお門違いだ」

「ええそうよ。ただの嫉妬。でもドス黒いっていう形容詞つきね……」

「そうですね。でもだからどうしたっていうんですか?そんなのは勝手に自分らでどうにかしてくださいよ」

「それができないから困ってるのよ。だからもう一度聞くけど、田井中さん少し私達につきあってくれない?」

もう一度、ゆったりと彼女は言った
表向きには冷静にしか見えないが、なにがここまで彼女をうごかしているのだろう

「そう……でもね……」

彼女がポケットから一枚の紙を取り出した

……写真?

「困ったわね……神聖な部室でこんなこと……それに女同士、だなんて」

それはたった一枚の写真
ただ移っているのは澪と……私だ
記憶にあたらしいその光景
写真の中では私達は口づけをしていた

「……それがどうしたんですか? なにか悪いんですか?」

「あらっ、私は別にいいと思うわよ。ただ、これを他の人が見てどう思うかってところまでは保障できないわ」

あからさまな脅しだ。
つまりは、これをばら撒くぞと
日本という場所が同性愛を認めていないことはわかっている
それを見て、人がなにを抱くか……

「私は別に変な目で見られても気にしません」

「そう、でも秋山さんはどうかしらね?」

澪――泣き虫だった少女。ファンクラブもできるほどの人気
澪に害が及ぶのだけは避けたかった
私が何を言われてもいい
ただ彼女だけは大切にしたかった
彼女には笑っていてほしかった
だから

「――私はなにをすればいんですか」

悪魔の誘いに乗らざる得なかった
目の前の醜い獣がニコリと笑った
来たときに存在していた浮かれた気持ちは、とっくになくなっていた


――――

先輩たちの言うおもちゃになれ、とはそれほど辛いことではなかった
――私は普通免許をもっていた
バンドをやるにあたって誰かが持っていればいろいろ便利だろうと思って夏の間にとったもの
車は持っていなかったが、その都度レンタルでもすればいいか とでも思っていた
そのはずが、気付けばいつの間にか先輩達の車に乗っている日々
ようは彼女達は足がほしかったのだ。

お酒を飲めば車には乗れない――そんな法律が彼女達をしばっていた
だからこそ便利につかえるものがほしかったのだ
運転代行ができて、そしていつでも呼び出せる人間が
パシリ、送迎、荷物もち。すべてかわいいものだった
所詮、そんなものだろう。たかが嫉妬だけで悪くなりきれるわけもない
でも深夜でも構わず鳴り響く携帯がノイローゼになりそうだった
それでもいかないわけにはいかなかった


嘘吐きのはじまり。彼女には知られるわけにはいかなかった嘘
1ヶ月ほど前からはじまった二重生活



ムギを部屋に残して、街中を走る
肺が酸素をほしがるが、そんなものは気にしている暇はない
繁華街――夕方の空気、これから始まる夜の街、
先輩達の行きそうな場所などわかっている。
いやでも理解せざるえなかった。

「ここかな」

目の前にあるのは、一件のこ洒落た居酒屋
いかにも女の子が喜びそうなつくりをしている店
よく彼女達があつまっていたところだ
横開きの扉を開ける

開けた視界に移る1つの4人がけの席
ギターが背もたれのようなところに立掛けられてるのが見えた
店員が寄ってくるが、それを無視し
そこへと向かう

「へぇ、遅かったじゃない。あなたお姫様はとっくに帰っちゃったわよ」

席を見れば、そこには一人しかいない
あのボーカルの女だ

「他の子たちも帰っちゃったわ。ねぇ、どう思う? 私のことひどいってあの子たちいったのよ?
どうやらあなたが私達のことを送り迎えしてくれたのは、あなたの好意だと思ってたんだって」

彼女の言葉は終わらない
感情が波となって押し寄せ、彼女の口からあふれ出る

「馬鹿よね。だれが好意で深夜の呼び出しになんかこたえるんだろうね。
 今更になってあなたはおかしいって……自分達も嫉妬に狂ってたくせに」

くるくると狂いながら彼女は言う
テーブルを見た。空のグラス。どうやら飲んでいたようだ

正直、彼女達の事情などどうでもよかった
今最も知りたいことは別のこと

「澪は……」

「ねぇ、私もう疲れちゃった。だからね――全部バラしちゃった」

頭をハンマーで殴られたような衝撃がきた
ばらした?なにを?決まっている今までのことを

「もういいわ。写真も生活もなにもかも全部返してあげる。絶対にあなたたちどこかで綻んで終わると思ってたのに、あなた予想以上に嘘がうまいんだもの。」

嘘――彼女に下手だといわれたもの
それを目の前のソレは上手いという
いったいなにがなにかわからなくなってくる
そういえば、ここに来る前にもムギもなにか言ってたっけ

「だからバラしちゃった。秋山さんに全部。あなたが今まで彼女のために背負っていたものせーんぶ」

目の前のソレももう壊れていた
目がどこか焦点があっていない

「わかる? あなたを呼び出すたびに自分の惨めさを思い知らされるの。なんでこんなことしてるんだろうって」

「でもね、ようやく満足したわ。だってあの綺麗な顔が、いままで歪ませることすらできなかった顔が一瞬だけでもぐにゃりと崩れるの。だからもういいわあなた。お疲れ様」

私の目の前に彼女の手が差し出される
その指に挟まれたSDカード
それを受け取れば目の前のものから解放される
――はやく受け取り、澪を追わなければ

だけど

私の右腕はかたくなだった
握り締めた拳、指の腹にくいこむ爪
どれほど力を入れていたのだろう
そして気付けばそれは振り上げられていた

「………」

その様子をみた彼女は何も言わない
そして私も
だから……それでも……

振り下ろすことはできなかった

目の前の人はとっくに心を擦り減らし壊れていたのだから
ふり下ろすべき場所はとっくに壊れていた
そして私の感情も

「……っく」

かたくなな手を開き、彼女の手のものをひったくり背を向ける
目前の人物にはもう用はない
だから、行くべき場所に行くことにする
向かうべき場所は澪のところ
目指す場所は――とりあえずは澪のマンションだ


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最終更新:2011年04月01日 23:10