一歩、二歩と重ねるごとに歩みは速くなり
やがて走りになる。
気持ちだけが先行し空回りしているのがわかる
暗くなった道を街灯だけが照らし出していた
空は薄く雲がかかり、どこか月も朧に見える
「くっそ、澪……」
私は後悔していたのかも知れない
こんなことなら……こんなことになるのなら……
だけどその先の答えは出てこない
こんなことになるのならどうだというのだろうか……
なにが正解だったのだろうか
▼
マンションの階段を駆け上がる
何度も来た場所
廊下を蹴り、扉を一つ……二つと飛ばしていく
そして3つめ――彼女の部屋
インターホンへと私の指が向かう
部屋の中からチャイムの音がした
やがてガチャリと鍵を開ける音とチェーンをはずす音がした
そしてドアノブが下がった
「……りつ」
扉から顔を出した澪が私の名前を呼んだ
その顔にはいままでに見たことない表情がうかんでいた
それは戸惑いだろうか、焦燥だろうか、それとも疲労だろうか
そして私も言葉がでてこない
なにを話せばいいのだろう。なんと切り出せばいいのだろう
ここに来る間に考えておけばよかったと後悔する
「あ、あのさっ!!」
私の喉から引きつった声がでた
すると澪は察したかのように
「あがって……」
そういって私を部屋へといざなった
――
部屋の中は薄暗かった
頭上の電灯がオレンジ色の豆球しか灯っていなかったからだ
「澪、電気はちゃんとつけろよなー」
「あ、あぁ……ちょっと考え事しててな」
きっとその考え事はきっと私の予想とあっているだろう
彼女はきっと私に言いたいことがある――私と同じように
「なぁ澪……ちょっといいか?」
そう告げて私はベッドに腰をかけた
何度も来たこの家でいつも私が座る場所
この位置に座るのがもうクセになっている
目の前で立ったままの澪を見る
どうやらそのままでいいようだ
「澪……聞いたんだな?」
「………」
無言。
……澪、その無言は答えを言ったようなものだ
「そっか……でもな――」
「一つだけ言っとくと、あれは私のためにやったんだからな。
結局私はあれだけ時間を掛けて答えを出したのに、どこか後ろめたい気持ちがあったんだ。
女同士っていうことにな……」
「だから――」
「律、もういいよ!!」
澪が叫びに似た音を上げる
私のこれ以上の言葉を遮る声
「律が私のことを庇ってるのも知ってるし、その話もさっき聞かされたよ!!
だから、もう嘘はいいよ」
「………」
黙ってしまった。
ここは反論しないといけないのに
そうしなければ認めたようなものなのに
それでも、何も言えなかったのは彼女が私の嘘を簡単に見破ってしまうからだろうか
「だいたいわかってたんだ。律の様子がおかしいことも……なにか隠していることも。
でも私は浮かれて見て見ぬフリをした。律なら大丈夫だろうって……それがそもそも間違っていたんだ」
「――間違ってなんかないさ!!」
咄嗟に出た言葉はお世辞にもおだやかとはいえなかった
そう、間違ってなんかいない
それは私を信用していてくれていたことだから
だから
「間違いは私があんな言葉にのったことだ。
とっくに澪は覚悟を決めてたのに、あんな安い脅しに乗った私だ」
「違う」
「いいや、違わないさ。そして隠し通せなかったのも私だ。すべて自分の自己満足だ」
気付けば澪は泣いていた
それを手で拭おうともせずに彼女は気丈に立っている
澪の涙をみるのはいつぶりだろうか
彼女も彼女なりの強かさを身につけていった。成長とともに
それでも流れるものは流れるのだろう
それほど感情が溢れてきている
「違うんだ……律……私はその話を聞いたとき、本当に悲しかった。
それは律が私達の関係を後ろめたいと思っていると思ったから……
でも先輩の言葉はすべて私のためだって言ってた。
私のためって言ったらすぐに田井中さんはのって来た とも」
澪の嗚咽は続く
それでもわたしは彼女の言葉を待つしかない
「そのことがさ、律がそんなことになっていたっていうのに、内心では嬉しかったんだ……
律に後ろめたい気持ちがあったわけではなく、そのうえ私のため……
別に物語のヒロインになった気持ちがあったわけじゃない。
ただそのことが嬉しくて……でもそのことが嫌でたまらなかった」
それが彼女の本音
わずかな時間にでてきた彼女の気持ち
私はそのことが複雑でたまらない
なぜなら、私も彼女がそう思ってくれたことが嬉しいから
「……それなら……それならいいじゃないか。なにもなかったなんてことにはならないけど……
それでも、まだなにも終わっちゃいない。私は今でも澪が好きだし、澪も私を好いていてくれてる。
そうだろ?」
その言葉に澪がゆっくりと、だが確かにうなずいた
「ならいいんだ……。それに私は今ここで誓うよ。私はもう澪に勝手な嘘はつかない」
澪の瞳が私を映し出す
泣いてる彼女もまた綺麗だった
だけど、笑ってくれればもっと綺麗だろう
そして誓った上で彼女に言葉を届けよう
「――私は澪を愛してる」
言ったこちらが恥ずかしくなってくるような言葉
今まで好きとは言ったことがあるが、この言葉は使わなかった
やはり後ろめたさがあったのかもしれない
だけど、今ようやく伝えることができた
言った後に、恥ずかしさはあるが後悔はない。
むしろ清清しさのようなものまで生まれている
澪が泣いているのか驚いているのかわからない顔をする
だが次の瞬間には
「りつ」と嗚咽交じりの声で呼びながらこちらのほうに抱きついてきていた
そして私はその重みに身を任せ、背中からベッドへと倒れこんだ
▼
「なぁ……澪」
私はなぜか澪の膝を枕してに仰向けになっている
「私はもう疲れたから泊めてくれ」と言うと、なぜかこういうことになってしまった
よく考えてみると彼女の顔をしたから見上げるというのははじめてかもしれない
「ん?」
短く返事をした澪が私の顔をうかがう
「なんで私の嘘がわかるんだ?」
あまりの気持ちよさに意識が虚ろになりつつあるなか、私は尋ねた
「ん……前に話しただろう?」
「あれ、そうだっけ?」
「あぁ、そうだよ」
言われてみればぼんやりと話したことがあるような気がする
考えているうちに少しばかりのイタズラ心が湧いてきた
「……どうしたんだ律?」
「私は今日学食でカレーを食べた」
ふと思いついたことを唐突に言った
澪も私が何をしたかったのか悟ったらしく
「嘘だな」
そうきっぱりと言った
「私は今日唯とケンカをした」
「……それも嘘だな」
「……」
「……」
「私は今日ムギとキスしそうになった」
「むっ、それは………ホントだな……って律……浮気は…………め………からな」
……なるほど本当にわかるんだなぁ
あぁ、なぜか安心した
そして同時に眠気が来る
安堵から来る久々の眠気
澪が、おいどういうことなんだ と可愛い顔に慌ての色を浮かべながら言っているのだろうがすでに声は遠い
……言い訳は起きてからにしよう
そうして私は意識をゆっくりと眠りの世界へと飛ばした
▼
夢を見ている
それはとある春の日を俯瞰するような感覚
大切な日の記憶
私はあの記憶の私に意識を重ねながら、その夢をみる
それは卒業してから、それほど間もないことだった
唐突に澪からお誘いの電話があり、外へ出たときの話
ウィンドウショッピングを楽しんだり、時には店内に入り店をひやかしたりでブラブラとしていた私たち
そしてその後の帰り道、まだ桜はつぼみで少し肌寒かったことを覚えている
丁度帰りにケーキでも食べていこうかと話していたときだった
私の横を歩いていた澪が少し足を速めて、私の前へでて振り返った
そして、「なぁ、律」と切り出すと
「私は律が好きだよ。友達としてじゃなく、恋愛対象として」
唐突な言葉に、私は驚いた
へっ?と言うマヌケな声を出したような気もする
「なんだよ、急に…… あっ、もしかしてからかってんのか?」
私が戸惑い気味に言うと、澪が寂しそうな顔で横にフルフルと首をふった
「いいや、冗談なんかじゃない。これが私の本当の気持ち」
その正直な言葉に私は固まってしまった
なんと答えればいいのだろう
そして私の気持ちはどうなんだろう
……でも悪い気はしなかったと思う
その様子をみかねた澪がさらに続けた
「答えは今はいらない。急なことだったしな。それに私も考え抜いて告げるべきか迷った気持ちだもん。
律も同じくらい考える時間もほしいと思う。だから、答えはいらない。それに――」
「律は嘘が下手だからな。なにか喋るとすぐ真意がわかるよ。だからきっちりと答えを出せるときに私はそれがほしい」
彼女が笑うから私もつられて顔に笑みが浮かぶ
「なんだよそれ。私ってそんなに嘘下手か?」
「あぁ、うんそうだな。下手っていうか、う~ん。なんていえば良いんだろう。
うんそうだな、なんていうか似合わないって感じだな。だからすぐにその雰囲気でわかるよ」
感覚的なものだろうか
長く一緒にいたからわかることなのだろうか
曖昧な回答だったが、不思議と私は納得してしまっている
「……そっか」
気のきいたことも言えない
そして彼女も今は言葉はいらないという
だから、私に今これ以上いうことはない
「だから、今はなにもいわなくていい。こっちも不意打ちだったからな」
そして風に晒された髪を押さえながら彼女がもう一度前へと体を向ける
「行こう、律。時間がもったいない」
それは春の日の夢
卒業という終わりの後の始まりの記憶
〆
最終更新:2011年04月01日 23:12