最近、お姉ちゃんはガムにはまりだした。

 部活のときや帰り道に、ふた粒くちゃくちゃ噛んでいる。

 あんまりたくさん食べるとお腹がゆるくなるから気をつけるように言っていたのだけど、

 今朝やけにトイレが長いと思ったら、やっぱりお腹を壊してしまったみたいだった。

 夜のうちにひと箱食べきったらしく、少し寝不足でもあった。

 アイスも同じで、お姉ちゃんはおいしいものは食べ過ぎてしまう。

 ふつうの食事ならいいけれど、間食の食べ過ぎは体に悪いから、

 節制できないなら私が管理しないといけない。

 反省すると言っていたけれど、今日は私がお姉ちゃんのガムを持つことにした。

 少なくともお腹が治るまで、ガムは噛ませないつもりだ。

 学校で授業を受けて、梓ちゃんにもお姉ちゃんを見張るようお願いしてから、

 帰りがけの買い物に向かった。

 お姉ちゃんのお腹の調子も鑑みて献立を決める。

 ガムもアイスも、もちろん買わなかった。

 お家に帰って、掃除をしてからご飯の支度を始める。

 途中、時計を見ると、お姉ちゃんが帰るまではまだかなりの時間があった。

 急ぎ過ぎたかな、と苦笑して、下ごしらえだけ済ませてちょっと休憩をすることにした。

 リビングのソファに座って、携帯を開いた。

 いつの間にかメールが着ていて、

 涙の絵文字とともに「ガムたべたいよ~」とお姉ちゃんが訴えていた。

 「今日はまだダメ」と返信すると同時に、

 ポケットにしまってあるガムを確認する。

 箱に4粒残った、イチゴ風味の粒ガム。

 お姉ちゃんがいちばん気に入っている味だったと思う。

憂「……そんなにおいしいのかな?」

 少しだけ悪い気がしたけれど、また新しいのを買ってあげればいい話。

 私は銀包装にくるまれた粒をひとつ取り、剥いて、くちびるに挟んでみた。

 そしてくちびるを開けて、舌の上へ。

 舌を動かし、奥歯へと硬いガムを運ぶ。

 そうして、からからと鳴る感触を、ゆっくりと噛みつぶした。

憂「……」

 殻を破って、中から軟らかいガムの感触。

 強いイチゴの香りが鼻に抜けた。

 じわっと唾液があふれて、唾にイチゴ味が混ざったようだった。

 ぼーっと、くちゃくちゃと顎を動かし、口の中でガムを回す。

 いちいち歯にくっつく感じがして、ちょっと噛みにくい。

 食感も柔らかすぎるような気がする。

 確かに何も考えずに食べていられるし、だからこそ食べ過ぎてしまうのだろうけれど、

 そんなに強く惹かれるような食べ物だろうか。

 食べ物を噛みながら考えることではないけれど、そんなことを思っていた。

 目を閉じて噛み続ける。

 再びメールが来た。

 やっぱりお姉ちゃんからで、

 「もうお腹も治ったし、帰ったら食べてもいいでしょ?」とのことだ。

 ほんとうにガムが好きだね、と苦笑しつつ、返信を打つ。

 「明日になったら、新しいの買うから」

 そう打ちこんで、送信する。

 携帯を閉じて、なおもガムを噛んだ。

憂「あ、そういえば……」

 そしてイチゴの匂いがだいぶ薄まってきた時、ふと思い出した。

 お姉ちゃんがガムを噛む時、よくやっていること。

 ガムをぷくーっと膨らます、風船ガム。

 昔、子供の時にやり方を教わった。

 くちびるにガムを広げて張りつけて、息を吹き込むだけ。

 早速わたしはガムを舌で押し広げて、くちびるに張ってみる。

憂「ん……」

 少し小さいような気がしたけれど、気にせず息を吹いてみた。

 ぷしゅう、と息が細く抜ける音がする。

 ガムが破れてしまったみたいだ。

憂「あれ?」

 子供のころは、できたはずなのだけれど。

 ガムが小さいのだろうか。

 私はもう一粒むき、口に入れて噛み始める。

 ガムはすぐ柔らかくなって、もとあったガムと合わさって大きくなった。

 それをまたくちびるの裏側に張り、息を吹いてみる。

憂「……」

 少しぷくっとガムが膨れる。

 が、すぐにぷちっと音を立ててはじけてしまった。

 もっと大きくできるはず。

 私は再びガムを噛み直し、くちびるの裏で成形する。

憂「よし……」

 もう一度。

 ゆっくりと息を吹き込むと、目にも見えるほど大きな風船が――

唯「憂!」


 その声にびくっとなって、風船がいっきに口の中に引っ込んだ。

憂「はうぇ……」

 薄い膜になったガムが舌に絡んで、うまく喋れない。

 お姉ちゃん、どうしてここに。

唯「……ガム食べてたでしょ」

 言い訳をできる状況ではない。

 今だってガムがくちびるの外側に張りついて、お姉ちゃんの視線をしっかり呼び込んでいる。

憂「ほ、ほと……」

 ガムがぜんぜん取れない。

 こんなにへばりつくものだっただろうか。

 お姉ちゃんはギターを置いて、ずんずん私に近寄ってきた。

唯「……ずるいな」


 ようやく破れたガムをかき集め、ひとつに噛みまとめる。

憂「ご、ごめんね」

 銀紙はどこへやっただろうか。

 でも今はそれよりこのガムを早く口から出したほうがいい。

 私は手のひらを口の前に持ってきて、舌でガムを押し出した。

 薄いピンク色をした、かんだガムが手のひらに残る。


 お姉ちゃんは私の手をちらっと見た。

憂「ごめん……」

 お姉ちゃんに禁止しておいて、勝手に奪って食べるなんてひどかったかもしれない。

 あとで買えばいいなんて問題ではなかったのではないだろうか。


憂「えっと、でも、お姉ちゃんどうして」

唯「憂がメールで言ったんじゃん」

 手に持ったガムが冷たくなってくるけど、

 お姉ちゃんは、私の目が銀紙やティッシュを探すために動くのを禁じていた。

 それほど強い視線で私のことを見つめている。

憂「メールで……?」

 私はさっきどんなメールを送っただろうか。

 確か、「明日になったら新しいのを買う」と……。

唯「……言ったよね?」

憂「あっ、えっと」

 なるほど、確かにそう思えなくもない。

 まるで私がお姉ちゃんのガムを食べきってしまったような文面じゃないか。


憂「あれは、そういう意味じゃ」

 あわてて繕おうとするが、

 だからといって私がお姉ちゃんのガムを盗み食いした事実は変わらない。

唯「ずるいよ」

 お姉ちゃんは強く、けど静かな口調でまた言った。

 私の目を見つめたまま、だけどどこか別のところを見ているような。

唯「ほんと、ずるい……」

 口元から頬へ、お姉ちゃんの息が流れていった。

憂「ご、ごめんなさい……っ」

 ずい、とお姉ちゃんの顔が近づく。

 その時わたしは、私とお姉ちゃんとの関係なんて全部忘れて、胸をきゅんとしめてこう思った。

 お姉ちゃんにキスされちゃう、と。

 だけど、くちびるは触れなかった。

 その代わり、お姉ちゃんの指が私の冷たい手のひらに触れた。

唯「……わたしだって」

 そして、そこにあったガムを指でつまみとり、

 お姉ちゃん自身のくちびるへ持っていった。

憂「おねえ、ちゃん……?」

 そのまま、くちゃりくちゃりと、大事そうに噛む音がした。

 顎も大きく動いている。

唯「私だって、憂に食べられたいのに」

 そして、時間差だった。

 目の前がお姉ちゃんでいっぱいになると、

 くちびるをガムより柔らかい感触が包んだ。

憂「……っ」

 お姉ちゃんにキスされた。

 それも、私が噛み終えたガムを口の中でまた噛みながら。

 わたしはどうしたらいいんだろう。

唯「ちゅ……」

 対応を考えているうちに、くちびるが離れてしまう。

 初めてのキスなのに、目を閉じることもできなかった。

唯「あまいね、憂」

 お姉ちゃんが、キスしてる時と変わらない距離のまま囁く。

 ガムの味のことを言っているのだと分かるまで、しばらく時間がかかった。

憂「……ごめんね」

唯「どうして謝るの?」

憂「だって、ガム食べちゃったから……」

 私はちょっとずつ、涙ぐんできた。

 どうして涙が出るのかはわからない。

 ただ、口の中に残ったイチゴのような甘みは、

 私の犯した罪の重さをずっと訴えていた。

唯「……まだわかってないんだね」

 お姉ちゃんが、私の両手首を掴んで、ソファに押さえつけた。

 そしてまた、唇が重なる。

憂「んんっ……」

 イチゴの風味がするお姉ちゃんのくちびるが、私を包み込む。

 ガムと一緒に、私も食べられちゃうんだ。

 今度はくちびるに、お姉ちゃんが吸いついてきた。

 お尻から浮き上がって、体が軽くなる。

 だけど頭はどんどん重くなって、考え事をしようとしても動かなくなる。

憂「ん、んぁ……」

 甘い甘い、お姉ちゃんのキス。

 これっていったい、なんなんだろう。

唯「……んむ」

 くちびるが離れる時、ちゅっと高い音がした。

憂「はぁ、はふ……」

 心臓が胸を叩いている。

 もっと焦らなければいけないのに、気持ちがぽわぽわ浮いて、もうだめだ。

唯「わかる?」

 わからない。

 私は首を振る。


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最終更新:2011年04月14日 01:06